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2011年3月

2011年3月30日 (水)

数年ぶりに売れています。地震社会学の冒険

震災から立ち直るための一歩を踏み出した被災者の方々。

これからのことを考える時、やはり先例についての研究書があるのが心強いです。

未曾有の大災害だからこそ、日本だけではなく、世界の実例から学ばなければならない。そんなふうに考えている方が多いのか、数年ぶりに『地震社会学の本』が、受け入れられ始めています。

復興を本気で考える人のための、救いにあふれた本です。

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2011年3月29日 (火)

サイトウの酒田発・大震災日記 3月29日

 えっ!? ウソだろ!!
 今度はプルトニウムだという。
 これって核兵器だろ。
 事態は日々刻々と悪化しているとしか思えない。原発では放射線濃度が高すぎて放射性物質の除去作業が進まない中、次から次へと新しいトラブルが起きている。
 本当に大丈夫なのか。
 今更いっても遅いが、最初から国(官房長官)の発表に国民は翻弄され続けた。ハッキリしないのが一番悪い。「危険だが大丈夫」はあまりにもあいまいすぎる。「直ちに」って何? 「暫定的」ってどういうこと? わかりにくい表現だから不安になる。人は危険に対してはすぐに行動すると思う。だが、不安に対しては躊躇してなかなか行動に移せない。疑心暗鬼になり心配だけが募る。パニックに陥りやすい。今まさにそういう状態なのではないか(おれだけか?)。
 今日(29日)の発言もそうだ。「人体に影響はないが大変深刻な事態だ」と、やっぱり不安を煽る。ハッキリしてほしいんだよ。国民に対しては、先手を打った対策を示し、的確な行動を指示するべきではないのか。
 保安院もまた、東電に調査を指示しているだけのようにしか見えない。このような危険の中で、いったいどのように調査をしろというのか。
 国は本当に国民の生命を守る気があるのかよ!!

(斎藤典雄)

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2011年3月27日 (日)

Brendaさんからの手紙/地震から見る移民問題

■■■「Brendaが行く!」で痛快な記事を展開して下さっている、パリ在住のピアニスト・Brendaさんが、今回の震災についてコメントを下さいました。■■■

今回日本の大災害をフランスから見て「神様は超えられない困難は与えない」という言葉は本当かもしれない。信心深い私もあまり好きではない言葉だが地震が起きてからこの言葉が頭をまわり続けている。神様は、なぜあの環境の厳しい土地を日本人に与えたのか。資源はなく、地震があるという逆境。

私は、もしフランスに同じ事が起きたらどうかと想像してみた。

まず、フランスは移民社会で、統制をとろうにも、様々な文化、人種、宗教哲学が混在する環境である。たとえ法律であったとしても一つの決まりを多くの人が守り、また多くの人は守らない。そんな社会だと思う。一番わかりやすい例で言うと、フランスでは赤信号でも気にせず渡る人と待つ人が、共に多くいる。残念ながら現在のフランスは、モラルが低い。そしてトイレや列車内を見てもわかるようにかなり不潔である。

こんな環境であのような地震が起きれば、フランス人の生活は完全に破綻してしまうだろう。なによりこの不潔さの中まず疫病で多くの人が命を落とすと思う。先に述べた通りモラルが低くルールを守る事ができない人が多い事から、例えばトイレなど次に使う人のためにきれいに保とうなどという意識はこの国にはない。トイレは通常時でも利用するだけで伝染病にかかるのではないかと感じることさえある。これとて、どんな教育をもってしても、一般的多くのフランス人は、常時から最低限トイレをきれいに使うことさえ統制がとれない社会なのである。助け合いの精神が強いフランス人だが、とにかく社会の統制がとれない、モラルが低い。もし今回の日本で起きたような自然災害がフランスで起きたとしたら、略奪や暴力事件などそこら中で起きる事をフランス人の多くは否定できないだろう。このようなマイナスの特徴は助け合いの精神では到底カバーできるものではない。

しかしこれはここでは当たり前の話で、移民社会では様々な多様性による文化や自由の発展があるかわりに、多様化の中で特に、アフリカの文化、アラブの文化、アジアの文化ごったまぜになれば統制をとろうにも何が一般論でモラルなのかさえもはや見えなくなって当然だ。

今回の地震での日本の被害を目にするにあたり「日本であったから、こんな悲劇の中も今の状況でいられるのだ」と感じる面が強い。

過去に、あるダウン症の親子と接したとき、私はその親を見て、「この親であるからこのダウン症の子供は生きて行く事ができるのだ」と感じた事があった。ここに産まれるべくして産まれてきた子なのだと。そして、「神様は超えられない困難は与えない」この納得できない言葉をどうにか飲み込もうとしたあの感情が、今回の地震を機によみがえってきた。

それは、「理不尽な状況に怒りを感じつつももそのどこかに救いがあることに感じる不謹慎な安堵」

神様は超えられない困難は与えない。この言葉の中に私自身は救いを見いだす事ができないがここ数日、日本の状況を見てこの言葉が頭を離れない。

Brenda

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2011年3月25日 (金)

神谷巻尾の震災日記【1】

■■■いつもは連載『OL財布事情の近年史』を書いて下さっている神谷さんに、震災日記を寄せていただきました。■■■

 いつもどおりお財布記事を…と思ったが、それどころではないことが起こった。誰もが明るい未来しかないと思っていた1980年代についてなど、とても書けるとは思えず担当さんに泣きついたところ「日本中が「震災の時、誰がどう行動したか。そして今どこにいて、何を思っているか」を知りたいと感じているのでは」との提案をいただいた。冷静な判断の担当編集どのに敬服しつつ、一個人としての行動、感じたことなどを、ありのままに綴っていこうと思います。あらためて、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々ご遺族の皆様に深くお悔やみ申し上げます。

 3月11日、この日は締切が迫っていて、終日自宅で原稿作成作業をしていた。夜外出の予定があったので、夕食のカレーを煮込みながら机に向かっていたところで、地震発生。すぐにガスは止めたが、横揺れがだんだん大きくなって机の下にもぐってからはしばらく立ち上がれなかった。別の部屋にいた高校生の息子には「ストーブ消して!」「本棚から離れて!」と声をかけるのが精一杯。自宅は世田谷の西の端、鉄筋造の2階で、物も落ちずに被害はなかったのだが、初めて感じる揺れの大きさ、長さに、いつもとは違う、嫌なものを感じた。テレビをつけると、宮城沖で起きたこと、大きな津波があと何分で到達するということを切迫した様子でくり返していた。この時点では、設置カメラで撮影したテレビ局内の映像くらいで、わかったのは「大地震が起きた」ということ。津波も火災も原発事故も、知るのはずっと後のことだ。
 小学校から緊急メールでお迎えの要請が来て娘を迎えに行き、親が間に合わなそうにない近所の子も連れて一緒に帰った。ここ数年、小学校では月に一度の避難訓練、学校からの緊急メールなど災害対策が強化されていたが、それが機能していた。しかし今思うと電話もメールもすでに繋がりにくくなっていて、連絡が来なかったりしたら、あんなに落ち着いていられなかっただろう。息子の学校では試験休みで部活の生徒だけが登校していたが、帰宅できず100人以上が学校に泊まったという。HPやメーリングリストで「遠征中の生徒は徒歩で学校につきました」「夕食を食べています」など情報がまめに更新されていた。
 とりあえず家族は揃い、義母、実家、仕事関係、学校や地域関係など、近しい人と連絡はついた。テレビを見れば、各地の津波や火事の甚大な被害の映像が流され始めている。余震も頻繁にあり、これから大変になるのは間違いない、ひとり親なので私が子2人と犬猫を守らねば、という焦りも出てきた。そういえば大丈夫だったかな、と非常持出袋を確認して「水は買っておこう」と買物に出た。近所の人から「あそこのスーパーはすぐ閉めてたよ」と聞き、比較的いつもすいている店に行き、水1本と、ついでに切れていたパン、カップ麺数個を買った。思えばこれ、買いだめの一歩だったのは…と動揺しているのだが、あのときの判断能力はこれが精一杯だった。これ以降買物がストレスになり、そこから震災への視点も変化してゆき、それは今も続いている。(神谷巻尾)

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2011年3月24日 (木)

サイトウの酒田発・大震災日記 3月24日

 震災から2週間目の朝を迎えた。
 酒田は再び数センチ程の積雪となっている。今もまだしんしんと降り続いている。
 先日、宮古(岩手県)に住んでいる私の知人の無事が分かった。市内の小学校へ避難していたのだ。本当に良かった。決して一人で逃げる人ではないから、内心もうダメなのではないかと思っていたのだ。今は何をいってもあまりにも軽々しくて、ただ黙ってのみ込むしかないが、無事で良かったと、その小学校宛にハガキを出した。届いてほしい。
 また、福島の原発から10キロもしない地域に住んでいる先輩もいる。どこに避難しているのかまだ分からない。いわき市にいる先輩とも連絡がとれていない。
 それにしても被災地の惨状は凄まじい。テレビでしか知ることが出来ないが、あまりにも甚大で見ていられなくなる。
 今回の震災は大都市に被害が集中した阪神とはまるで違う。田舎で都市から離れていて何をするにも時間と手間がかかる。そればかりか、行方不明者がいると分かっても、その家が流されていてどこを捜せばいいのか分からない。捜索範囲が広すぎる。阪神では家が倒壊しても火災があってもそこに行けば発見できた。勝手があまりにも違いすぎるのだ。
 また、支援物質も避難所まで届くようになり、救援体制は本格化し始めたが、今度は自宅で避難している人たちにはまるで行き届いていないのだという。
 このように次から次と新たな課題が噴出し、不安材料が解消されるということがない。ただもう何もかもがもどかしくなるばかりだが、一つ一つ対処して、一つ一つ解決していくしかない。そのためにはやはり、皆で助け合い、歯を食いしばり頑張り続けるしかない。
 一方、深刻な状態が続く原発では、外部電源による復旧作業が完了し、通電が確認されるなどの明るい兆しが見え始めてきたものの、予断を許さぬ状態には変わりなく、楽観は1ミリも出来ない。
 また、原子炉から漏れた放射性物質は周辺の海水からも検出されたという。そればかりか、野菜や牛乳の出荷制限は摂取制限となり、水道水の汚染は首都圏にまで及び、東京と埼玉では乳児の飲用は控えるようにという指示が出された。国は直ちに人体に影響するようなことはないと繰り返しいっているが、ここまで数値が出されると穏やかでいられないのが一般人の感覚であろう。
 こうした事態は素人である私にも予想は出来た。今はまだ初期段階にすぎない。この事態が沈静化したとしても、核燃料の処理や広範囲の汚染除去などは予想以上に長期化するのではないか。私には何か国の対応がどこかピントがずれているようにしか思えないが、ここで批判しても始まらない。国は測定のモニタリングを強化して正確な情報を迅速に伝えてほしいが、これも分かり切ったことである。
 また、20~30キロの屋内待避圏内は孤立状態にあるという。住民は動くにも動けない。一般からの支援も放射能が怖くて敬遠されるのは当然だろう。国の待避指示以降の支援はどうなっているのか。何度もいうが、いっそのこと避難指示のほうがよかったのではないかといわざるを得ない。
 ゆうべは、避難指示地域に取り残された人の救助に入った自衛隊の説得に対して、「私はどうなってもいい、このままでいい」と、動けない夫の介護をしているというおばあさんが力なく語っていた。結局応じなかったが、胸が締めつけられ、「そうだろうな」という妙な納得と共に複雑な気持ちになってしまった。
 原発は人災だとしかいいようがない。(斎藤典雄)

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2011年3月22日 (火)

地震社会学の冒険

震災から10日が過ぎた。

テレビやラジオはさすがに地震一辺倒というわけではなくなったが、未だに知人や親類と連絡が取れず、眠れぬ日々を過ごしている人が沢山いることと思う。

そして福島第一原発に関しては、まだまだ予断を許さぬ状況が続いている。危機的状況を抜け出したとしても、これから長期にわたって我々が背負っていかねばならない枷が作られてしまった事実は消えない。

親類や知人を亡くしてしまっても、生きていかねばならない人が、たくさんいる。今は全国に散らばるしかないかもしれないけれど、そんな人たちがまた自分の土地に帰ろうとした時。彼らは、どのように町を復興していくのだろう。そして、それを遠くから見守るしかできない私たちは、どんな支援ができるのだろう。

 そう考えた時、そうだ、この会社にもそういう本があるじゃないか、と思い手に取った。日本地震学会員の和田芳隆氏の著書『地震社会学の冒険』。台湾、トルコ、そして神戸。大地震の震災地に訪れ、復興の様子をルポし、現地の様々な証言に耳を傾け、長期的な研究を行っている本だ。

メディアが伝え切れていない「震災地の今」がまざまざと浮き上がってくる同著は、ところ変われば復興の形も違うことが被災者自らの言葉から伝わってくるし、逆に、基本的に何も変わらないかも・・・と気付かされるところもある。今回の震災は、地震・津波・原発と、三連発もボディーブローを食らった形になった。だから今までの震災とは規模が全く違い、阪神・淡路のときのノウハウを活かせば危機から脱却するといった展望は描けないようだ。だったら、いろんなところの実例から学ぶしかないのではないか。当然、国が違えば事情が全く違うが、いくばくかのヒントにはなりえるのではないか。そして、こういうものをゆっくり読んでいられるのは、今くらいしかないのではないか。という訳で、今日から改めてじっくり読もうと思います。(奥山)

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アラサー財布事情/第12回 車を買いました

0322 ■Kさん(30歳)男性 職業:サービス業  鳥取県在住

 実家で暮らしています。住み心地は、昔ながらの一軒家なので快適というわけではないです。平屋で、母屋と離れがあります。両親と三人暮らしです。妹が二人いるんですが、上の妹が先日結婚して、下の妹は就職して家をでました。最寄り駅まで歩いて20分かかります。住宅地にあるんですが、一戸建ての家がほとんどです。田んぼもあります。
 4年ほどまえまで千葉で一人暮らしをしてました。家賃4万5000円のバス、トイレ別のワンルームで、駅から徒歩10分のところに住んでました。県道が近くにあったんですが、大通りからすこし離れたところにある住宅地だったので静かでした。
 学生時代から通算8年一人で暮らしてましたが、経済的なやりくりがしんどかったので実家にかえりました。金銭面ではきつかったけど、自由があったのが大きかったです。家族に気を使わず友人や彼女を家に呼べたし。
 この先また一人暮らしをする可能性は低いですね。婚約者ができたら家を出て同棲はするかもしれないけど、結局は実家に戻るかもしれないですね。跡取りでもあるので。

 貯金は一応できてます。親に預けているので細かくはわからないけど。父親が来年で定年、母親はパートなので、稼ぎ頭のメインが俺になるのでカツカツになるかもしれません。

 最近購入したものは車。新車の軽自動車で、127万円でした。それまで乗ってたのは、事故ってしまってダメになりました。ちょうど翌月が車検で、保険もおりたので買いました。選んだ理由は、鳥取は軽自動車に乗っている人が多いのと、普通車だと税金が高いんですよ。それとミッション車だったからオートマのがよかったし、デザイン、居住空間の良さ、燃費をみて気に入ったから。
 車は通勤に使ってます。1日80キロくらい走ります。あとはたまにドライブ。街中や近くの山とか、港へ行ってたそがれたり(笑)。
 走行距離が半端ないのでガソリン代がかかります。一ヶ月だいたい1万5000~6000円くらい。職場が隣県なので、往復80キロで月に2000キロ走ってます。交通費はでるんですけど、上限が1万5000円なので、若干赤字になります。

 他は、iPod Classicを買いました。車のオーディオとして使ってます。だいたい5000曲くらい入ってます。急に聞きたい曲が頭に思い浮かんだときにCDだと対応できないので便利です。基本的にレンタルで、気が向いたら借りに行くって感じかな。行ったらだいたい10枚くらいまとめて借りてます。借りる基準は、懐メロを中心にベスト版が出ていないアーティストを選ぶか、友人とかから薦められたものかな。好きなバンドは、イエモン(THE YELLOW MONKEY)とミスチル(Mr.Children)です。

 残りはたばことコーヒーです。1日1箱吸ってますね。コーヒーは休憩中に飲んでるかな。友人も同じような感じなんですけど同じ道をたどってます(笑)。たばこ代が値上がったけど、吸いながらたそがれるのが好きなのでそこはあきらめてます。仕事でストレスがたまったり、企画のアイデアが浮かばなくてどうにもならないときはいつも喫煙所に逃げ込んでます。(聞き手:奥津)

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2011年3月20日 (日)

元・サイテイ車掌のあの頃日記

■■■『車掌の本音』『JRの秘密』『車掌に裁かれるJR』と、3冊の著書がある元・JR東日本車掌の斎藤典雄さん。今だからこそ書ける、自著に対しての思いを寄せてくれました。■■■

 今日は拙著について、これまでにあまり書いてこなかったことを書こうと思う。
 といっても、3冊についての解説や言い訳などではない。これまでに読者からよく聞かれてきたこと、すなわち、会社や組合などの反応についてである。
 といっても、と、ここで「といっても」とまたいってしまったが、のっけからうまく書けずに、この先が心配される。でも、途中で脱線しても、それはいつものご愛嬌としてお許し願いたい。
 それでは始めます。
 まず、私が書いてきたことは、組合の主張をおうむ返しにいっていただけである。それと、殆どが新聞やテレビでおおやけになったことばかりであり、それらについての私の意見や思想を述べてきたにすぎない。あとは、職場での人間関係や情けなくてアホバカな日常を吐露したものである。
 従って、一部でいわれてきた「内部告発」などという仰々しいものでは決してないし、現場一労働者であるヒラ社員の日々のぼやきの類なのである。
 その読者といえば、職場の人間、また、鉄道マニア、あとは中高生が多かったように思う。その人たちの反応はといえば、単純に「おもしろかった」というのが殆どで、本のメイン(だと思う)である「闘い」についての意見や感想は皆無に等しかったといっても過言ではなかった。
 その内容は次のようなものだ。
 会社や組合の実情を知らない人たちからは「こんなことまで書いていいのか」「おいおい、大丈夫なのか」といった心配してくれる声が多かったが、その渦中にいた私たちですら信じられないような出来事ばかりだったから、そういった忠告は当たり前のことだと思っていた。また、「もう書かないほうがいいぞ」「止めたほうがいい」というのも多かったが、「次(の作品)からは、会社や組合のことは書かないほうがいいと思いますよ」という、それなら書くことがなくなってしまうではないかと笑ってしまいたくなるような、田舎のおばさんからの手紙には心が和んだものです。あとは、「新聞を丸写しにしたような貴兄の論調には辟易する」「あなたの組合は時代遅れ。文句ばかりいっているのだから差別されて当然」というものやら、「会社からは相当な圧力があると思いますが……」という力強い激励まで、それぞれ様々な意見があるものだと思ったが、どれに対しても冷静に耳を傾けることが出来たし、腹が立つことよりも素直に全部が嬉しくて楽しかったと思い出す。それは、ある意味、全てにとはいかないが、覚悟を決めた部分があって、どこかが覚めていたからだと思う。そうでなければ、何よりも常にリスクが伴っていたのだから書いてなどいられるはずがない。
 さて、あくまでも推測になるが、会社からは要注意人物として目をつけられたのはいうまでもないことだろう。私は、いつか何かが必ず起きると踏んでいたので、どちらが先にシッポを出すかのせめぎ合いだとも思っていた。何かあったら書いてやると。ところが、いつになっても私には何もいって来ない。あの頃横行していたお咎めも処分も一切なかった。それでも、気が抜けたなどとは思ってはいられなかった。仕事上のミスは絶対に起こしてはならない。もちろん酒にまつわる不祥事もである。
 そんな中でおもしろかったこともある。それは、管理者の態度が一変したことだった。私に対しては、以前のような高飛車な態度はとらなくなったし、私以上に構えているのがありありだった。また、「書かれるからな~」とか「書かないでよ」という管理者もいたが、余計なことは一切喋らなくなったと思う。
 それで、肝心要の組合の方だが、あろうことか私は煙たがられ、白い目で見られるようになった。それは私が途中から組合方針を批判するようになったことが一因であろうが、「責任とれるのか」「評論家なら誰でもできるんだ」「組織でやるのならいいが、個人プレーは許されない」などと、訳の分からないことをいい出す始末だった。おそらく読んでなどいないのだろう。
 また、1047名問題では、意見を異にする仲間に対しては統制処分をちらつかせてみせたり、闘争団の仲間へのカンパは凍結だのとさんざんいじめ抜いた挙句、謝罪することもなしに、結局は筋を通した批判勢力の戦術に乗っかる格好で解決に至ったのである。
 さらに、信じていた社民党までも政府と一緒になり、四党合意という裏切りを見せた。最低だと思った。もう、何もかも信じられなかった。今でも思い出すと吐きそうになる。何十年と組合という泥沼に引きずり込まれたことを後悔している。でも、これは誰のせいでもない。原因は全て、自分の至らなさと愚かさによるものである。
 何事も乗り越える時は自分一人なのかもしれない。最後はやっぱり人間は一人なのかもしれませんね。不一。
(斎藤典雄)

*この原稿は、震災前にいただいたものです。

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2011年3月18日 (金)

サイトウの酒田発・大震災日記 3月18日

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JR東日本の車掌として「サイテイ車掌のJR日記」を当ブログで連載してくれていた斎藤典雄さん。今は退職し、故郷の山形県酒田市にいます。
まる1日の停電などがあったものの、比較的被害の少なかった日本海側にいるからこそ書ける日記を、寄せて下さいました。
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 今日で一週間が経った。
 原発の状況は悪化の一途を辿るばかりのようで、「もはや今日で限界だ(政府)」として、放射性物質の外部への大量の漏れを防ぐには原子炉を早急に冷却するしかないということで、自衛隊のヘリで上空から水を投下したり、地上では警視庁機動隊の高圧放水車で放水するなどして関係機関は総力を挙げて懸命な対処をしていたが、なんとしてでもより良い効果を得てほしい。
 昨日は原子炉上空の放射線量が多過ぎて断念したということであったが、もし被爆すれば命の保証がないほど危険なのだという。まさに命がけである隊員たちには頭が下がるばかりだが、住民たちは原発から離れたいとして数千人が県外へ脱出しているという。また同県では人体には問題がないとしているが水道水から微量の放射性物質が検出されたという報道もあった。更に首都圏でもできるだけ遠くへ逃げようと「避難指示が出てからでは遅いと思うから」と関西方面行きの東京駅新幹線ホームでの人たちの様子が映し出され、私の地元テレビも今朝から山形県内情報として「原発相談窓口は○×保健所」とのテロップが流れ始めている。
 いくら微量であるとはいえ、これまでに最も危惧していた放射能汚染は確実に周辺まで広がりつつある。パニックだけは避けたいが、冷静になれというほうが無理なのかもしれない。
 誤解しないでほしいが、ある意味、地震は揺れが収まれば終わる。もちろん復興やら大変なことは続くが、終わる。しかし、放射能は被爆したその時が始まりで、終わりはこない。
 いずれにしても、この重大局面の中、早目早目の情報開示をお願いして、何としてでも最小限に食い止めることを祈るしかない。
 一方、地震の被災地は真冬並みの厳しい寒さに見舞われている。
 テレビはあまりにも気の毒で、かわいそうで、見ていられなくなる。
 支援物資がなかなか届かないと問題になっているが、1週間もして変な話だが、救援体制は本格化しつつあるということだ。
 あと少し踏ん張ってほしい。堪えてほしい。諦めないで生き抜いてほしい。どんなに苦しくても、どんなに途方に暮れても、立ち直れるのが人間だ。
 また、1週間といえば緊張が緩み始める頃かもしれない。こうした時こそしっかりしてほしい。衛生面も気をつけて、体調を維持してほしい。がんばって乗り越えてほしい。
 ……いやいや、分かり切ったことしかいえなくて、何だか済まないと思う。
 静かに、そっとしておいてほしいという人も大勢いるのかもしれないね。(斎藤典雄)

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OL財布事情の近年史/第24回 マネー運用がナウい!(後編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

前回からの続き) しかしこの「小金稼ぎ」は、当時のOLにズバっとはまった模様だ。『コスモポリタン』1986年11月号「賢い女のマネー学」に登場する、新入社員を対象としたマネー感覚の調査「新人類のマネー感覚(野村証券・85年)では、“マネー情報に関心がある”と答えた女性が26%、“マネー運用はナウい”が85%にのぼっている。ナウでリッチなら、そりゃやるでしょう。25歳の保険会社勤務女性は、年俸制で年収300 万円、家に月3万を入れ、貯蓄は期日指定定期に月3万積み立てていたが、中国ファンドと公社債投信の併用型に切り替え。「海外旅行(すでに3回)や、好きなカメラ(80万円)を買って、そのうえに200万円の貯金!」「この200万円。100万でペルーに旅行に行って、あとの100万は一時払い養老保険にしちゃおうかな」。ユー、しちゃいなよ!くらいの軽いノリだったのだろうか。
 株までやらずとも、結構まとまった金額を短期間で手に入れられていたのがこの時代だった。電気メーカー勤務22歳女性は、月収11万円、洋服・美容院代に月5万円かけながら、毎月2万5000円の積立とボーナスで1年半で85万円貯めている。OLの武器、実家ぐらしとお弁当に加え、さらに時代を反映した新型兵器が。「飲みにいくときもおごってもらう。デート代も優しい彼まかせ」「8時出社、残業して9時帰宅という規則正しい生活を続けていれば、お金を使うヒマってないものよ」。そう、世の中景気上昇で仕事がいくらでもある上に雇均法。OLも残業が増えてお金もあるはずなのに、若い女の子という価値で、いくらでもおごってもらえる。こんな生活をしていると出費自体がばかばかしくなるのか、「“女性のマネー感覚とライフスタイル”の調査(野村証券・85年)では、“女性がもったいないと思うもの”は①週刊誌②披露宴③ふだんの日の外食となっている」とある。平成のMOTTAINAIとはえらい違いだが、女友達との外食やご祝儀がもったいないって、カンジわる。しかしこれ、金持ちはケチでますます金が貯まる、という理論をはからずも実践していたということだろう。もはやOLの財布は、給料からだけでなく、あらゆるルートから満たされるしくみが作られていたというのか。ここで一句。OLは、お金で買えない価値がある。priceless。

*…「友人の披露宴に出すご祝儀」の意でしょう。

(神谷巻尾)

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2011年3月17日 (木)

やっと連絡がついた!被災された方の、今までの行動

このたび、災害にあわれたすべての方に、お見舞いを申し上げます。

まだ親族などと連絡の取れない方、不安な夜を過ごされているかと思います。

私ごとではありますが、奥山の叔父は、ようやっと連絡がつきました。

まだあまり長時間電話をすることがかないませんから、直接話をすることができませんでした。親族それぞれが入手した情報をつなぎ合わせての報告になりますが、今、誰かの安否が分からないままになっているすべての人に、少しでも何か伝えたく、ここにまとめてみます。

■叔父の住まいは東松島市。津波は家の手前で止まった

家族は全員無事。しかしインフラが整っていないため、到底いられない。叔父は情報を求めて避難所へ向かった。3か所ほど、転々としたという。

■様子が見えてきて、まずは電気の通じるところへ

数日経つと、ようやっと状況が見えてきた。余震に警戒しながら、自転車にてまずは電気の通じるところまで南下した。そして携帯を充電。

■携帯の様子を見ながら、電波の通じるところを探した

充電はできたが、電波がつながらない。自転車で、電波のつながるポイントを探す。と、ある地点で電話が鳴った。震災から6日目、あきらめずにずっと本人の携帯にコンタクトをとり続けた妹からのショートメールだった。すぐに返信を打つと、また妹から戻ってきた。このポイントで、親類すべてに連絡をすることができた。

■■■■■

みな叔父を心配し、安全なところへ移動させてやりたいが、ガソリンがなく迎えに行くことができない。叔父はもうしばらく避難所を移動しながら、どうしてもインフラが整わないようであればまた相談すると言ったという。

このように、無事でありながらも連絡の手段が全くなく、まずは最小限でも不安定さを取り除いてから動こうとする人が数多くいると思われる。叔父はそうやって、誰かにコンタクトをとることより周囲の状況把握を優先し、少しの安定を見出してから行動した。被災者にとってみれば、自分が無事なことは確かなのだから、まずは居場所を確保することが一番大事なのは当然だ。連絡がいつまでも取れなくても、引き続き本人のダイレクトな番号に連絡し続けること。諦めない姿勢が大事と思わされた。

それにしても、叔父のいる避難所には報道関係者も多数入ったと聞く。なのに、171など安否を登録する手段を何も持たされなかったのはなぜだろう。今後、落ち着いたらゆっくり彼から話を聞いていきたいと思う。(奥山)

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2011年3月14日 (月)

震災による避難者を探している、インターネットに不慣れな方へ アストラ社員が実際に試した方法

大規模な震災が起こりました。

いまだお知り合いと連絡の取れていな方、大変不安な気持ちでしょう。

探してみよう、とインターネットを見てみても、たくさんの情報があり過ぎてどこにどんな伝言を残していけばいいのかわからない、そんな人も多いのではないでしょうか。

奥山の親類も行方が分からなくなり、さまざまな方法を試みました。まさに一日中、さまざまなところにアクセスしていました。そして今日、やっと情報を見つけました。それは幸運が重なった結果のものでしたが、ネット弱者の奥山がとった手順を紹介します。

1、【相手の自宅固定電話の番号がわかっている場合】まずは「171」に電話

http://www.ntt-east.co.jp/saigai/voice171/index.html

災害用伝言ダイヤル。

電話「171」をプッシュした後に発信ボタンを押し、案内に従って操作します。

2、【相手の携帯電話の番号が分かっている場合】「災害用伝言版」にアクセス

http://dengon.softbank.ne.jp/J

↑はソフトバンク社のものですが、今はどの会社の携帯電話の番号を入れても探せるようになっています。

3、【相手の名前が分かっている場合】グーグル「パーソンファインダー」にアクセス

http://japan.person-finder.appspot.com/
↑の「人を探している」をクリックすると、名前を入力する画面が出ます。
奥山はこれで、当人の情報はつかめませんでしたが、従妹が先に親類の情報をあげていたので、従妹の連絡先を知ることができました。これがのちに大きな意味を持ちます。

4、【各種報道・警察機関に問い合わせる】開設されている窓口にかけてみる
NHK教育テレビは03-5452-8800

  • 岩手県警相談窓口 0120-80-1471
  • 宮城県警相談窓口 022-221-2000
  • 福島県警相談窓口 0120-51-0186

ただ、おそらくしばらくつながりにくいでしょう。

5、twitterで「災害伝言版」を検索し、次から次へとアップする
使い慣れていない人はちょっと敬遠してしまうかもしれません。無数の伝言板があるかと思います。

6、youtubeで報道映像を検索する
各局テレビで流れている避難所の映像を血眼になって見られていることでしょう。どうせなら避難者全員の顔とコメントがほしいなあと思うのですが、なかなか難しいようです。youtubeで被災地の名前とか、「避難」とか、避難場所の名前で検索すると、出てくることもあるかと思います。
 奥山は、「パーソンファインダー」で連絡先を交換した従妹が「TVで映った避難場所の掲示板に、親類の名前が書いてあった」という情報と、あとからyoutube映像を送ってくれて、名前を確認することが出来ました。それがどんな掲示板なのか、分からない部分があるのですが、家族は大いに励まされました。

今の状況では、いずれもすごく基本的な所作です。でも地道に行動すると、意外な係累の情報を得ることができるかもしれません。あきらめず、頑張りましょう。(奥山)

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2011年3月12日 (土)

元乙女のゲーム生活:ラストエスコート-Club Katze-

 印象に残ったゲームというのは1年だろうが10年だろうがいつまでも記憶に残る。
 記憶に残っているゲームの一つにファミコンで発売された『スターフォース』がある。内容(縦スクロールのシューティングゲーム)とスタート時の音楽(まあまあ独特)が幼少の私には強烈で覚えていたが、小2女児に英字タイトルなんて読めるはずもなくずっとまた「あれで遊びたいな」と思っていた(東京ディズニーランドのトゥモローランドにゲームセンターがあったのだがそこで遊んだことはある。夢の国でシューティングなんてすごい取り合わせ)。
 それから約10年後に奇跡の再会を果たしたが、タイトルがわからないので適当に遊んだところビンゴ。昔遊んだ記憶どおりのゲームでかなりテンションが上がった。ちなみに大技林みたいな裏技辞典がありそれにそって無限状態にして遊んだところ、前面クリア後はループでやめない限り延々と遊び続けられるという仕様も判明した。懐かしさのあまり1ヶ月毎日遊びましたよ。ちなみに『アイギーナの伝説』ってゲームも強烈で未だに覚えている。

 さて、約1年前に攻略したゲームがある。私が始めて乙女ゲームに手を出した記念すべきタイトルの最新作。『ラストエスコート クラブカッツェ』。
 1作、2作と感想を書いたのだから3作目もということで記憶を手繰りよせてみるもぜんぜん出てこない。
 出てくることとしては、双子の兄弟(ラスエス2だね)、失明する格闘家(ラスエス1だ)、恋人が死んだマスター(これも1か)、おねえみたいな人(これは2か)と、カッツェにまつわるものが一つも出てこない。物語が薄っぺらかったことは覚えているんだけどね。
 1作目の印象が強かったのは、ホストクラブっちゅうあまりないシチュエーションでのゲームというのもあったからとも思うが、それでもストーリーはガシっとしていた気がする(現実離れしすぎてたけど)。主人公ニートだし、それも強烈だったしね。

 カッツェは印象に残るほどの濃いストーリーでもなく、キャラもいまいちぴんとこない。
2はフラグ立てがめんどくさいのと、部屋のデコレーションがおもしろくないくらいで、キャラはまぁまぁ印象深い。ござるとか打ち合わせ場所に雨にぬれてくるとか、おねぇとか。主人公の頭が弱いとか。
 なんというか好きなシリーズなのに覚えてないというのは悲しいというか、シリーズを増すごとにつまらなくなっていくのは寂しい。次作を出す気があるならば作家を変えたほうがいい。それか1作目をPSPに移植してほしい。プレゼント作成のミニゲームはそのままで。レベル上げて材料買ってきてレシピを選択してポン!で、できあがるのは面白くない。カッツェはそうだったからがっかり。PS2だとそうではないのかな。
 ストーリーもなんか盛り上がってきた!?と思った瞬間にエンド。頂上に上る寸前で登頂中止みたいな。某掲示板の某スレッドにて、ストーリーが薄っぺらいという評価を見たにもかかわらず特攻してしまった私も悪いが、予想以上だった。
 どんなキャラがいたか気になったので調べたところ、ヨハンっていう子がいた。ピアノ弾き留学生のヨハン。これはよかった記憶がうっすらと。隠しキャラでなんかしないとでないんだけどよかったな。よかった気がする。

 それにしても覚えていない。バンコクのカオサンロードのきれいなホテルに一日引きこもって遊んでいたことしか覚えていない。外国行ってまでホストかよ!という感じだが。あまりの記憶のなさに本当にやったのだろうか?という疑惑までもが浮かび上がってくる。
 同メーカーの「Vitamin X」なんて2、3年たっているというのにまだほとんどのストーリーを覚えている(真田可愛いよ、真田)。ラスエス無印も然り。
 人が目にする情報量は大量だが、なにか一つでも響くような印象深いことがあれば心のどこかに引っかかって残る。タイトルがわからなくたって、1回しか遊んだことがなかったとしても。たかだかゲームかもしれないが、5000円、6000円とそれなりの額を出すのだから面白くする力を注いで欲しい。印象に残らないってことは、つまらないと同義だ。ゲーム会社はゲームを作ることが仕事なのだから手を抜かないでほしい。
 それにしても具体的な内容が思い出せない……。(奥津)

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2011年3月11日 (金)

OL財布事情の近年史/第23回 マネー運用がナウい!(前編)

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 バーゲンと丸井のカードがデフォルトで、DCブランドを買いまくる80年代中盤OL。それにブランドといえば、海外ブランドのバッグやアクセサリーが大流行したのも80年代であった。海外旅行は免税店で化粧品とブランドもの、というのがお約束。パリやローマの本店に行けば日本人ばかりで、入場制限もあったというのもこの時代だろう。シャネルのキルティングバック、ティファニーのオープンハート、エルメスのスカーフ、ルイヴィトンのボストンやエピのショルダー、ディオールのジャガード…ってキリなく口をついて出てしまうほど、当時は本当に当たり前のようにみんな持っていた。それにしても、DCを着て、ブランドバッグを合わせていたんですよね。どういうコーディネイトだよ、って話ですね。日本のデザイナーズブランドから派生して原宿や青山から生まれてきたDCと、ヨーロッパの一流メゾンの小物(服ではなく)を合わせるって、なんだかちっちぇなー、と今なら思えるけど当時はそれが普通だった。新しいもの、高級なもの、が価値だったということだろう。
 しかしいくら景気がよくなったとはいえ、そんなに急にDCもブランドバッグもバンバン買えたのか。給料がどうなっているかといえば、厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によると1985年の大学卒女子初任給は13万3500円、5年間で2万円強ほどしかあがっていない。工夫してやりくりしてるのかというと「家計簿」「節約」なんて言葉はこの時代の女性誌には見当たらない。というか、自分がリアルに過ごしていたので思い出せばいいだけの話なのだが、確かにお金が余っていたわけじゃないけれど、なぜだか買うものは買っていた。なぜだろう。うーむ。なんて惚けたこと言っているから『バブル女は「死ねばいい」』とか言われるんですね(笑)。でもまだ死ぬには早いと思うので、死ぬ気で、いえ本気で当時の消費の原動力を探してみました。
 
 まとまったお財布記事が見つからないので、マネー関連の記事に登場するOLさんたちの言動を細かくみていくことにした。『MORE』1986年1月号「株に強くなって、小金持ちになる!」に登場する30歳フリーライターは、マンションの改装費用を捻出するために株を始めたが、「目標額に達したらすかさず売ってしまうっていうのが私のやり方」という。「靴がほしいから5万円、インゲボルグのスーツを買いたいから10万円儲かればいいっていう感覚です」。わーインゲボルグ、まさにOLがちょっとがんばって買いたい憧れのブランドだったかも。株の売買でちょこっと儲けてDCを買う。ムカつきますか。(後編へつづく)(神谷巻尾)

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2011年3月10日 (木)

ホームレス自らを語る 第99回 成り行きで生きてきました/杉山修さん(63歳)

 ホームレスになって5年くらいになります。ずっと成り行きまかせ生きてきましたからね。ホームレスになったのもそうですね。はい。成り行きです。
 夜はこの(新宿中央)公園の近くにある民家の軒下に段ボールを敷いて、そこに寝かせてもらっています。追い立てられたり、怒られたりすることはありませんね。助かります。はい。その家にどんな家族が住んでいるのかは分かないですね。私は朝4時には起き出して、段ボールを片付けてしまいますからね。もう何年もそうしてるんですよ。食べ物は(新宿)区役所でもらう乾パンと、ボランティアが差し入れてくれるオニギリ。それに週1回の炊き出しですね。でも、それだけじゃ足りませんから、エサ拾いにも行きます。

 よくみんなはスーパーとかコンビニの賞味期限切れの弁当なんかを拾っているようですが、あれは探すのがむずかしいですよ。なかなか拾えません。私が探しに行くのは、食堂とかレストランですね。建物の裏手に行くと、白いご飯がビニール袋に入れて捨ててあったりするんです。それを拾ってきます。はい。そのご飯に塩を振りかけて食べるんです。塩は料理屋さんの表に盛り塩してあるのを失敬してくるんです。そんなふうにして何とか生きてます。

 生まれは熊本県の植木という町です。熊本市の北にある小さな町です。中学を卒業して、その町にあった自動車修理工場に就職しました。そこで塗装工になったんですが、2年くらいで辞めました。理由なんてありません。ただ、何となくイヤになっただけです。

 それで家出して、小倉(いまの北九州市)に出ました。小倉では沖仲仕をやりました。ハシケに屑鉄を積んでいって、沖に停泊している貨物船に積み込むのが仕事です。まだモッコを使っていた時代ですからね。日当も80円くらい、いや、もう少しよかったですかね。沖仲仕専門の下宿屋というのがあって、大広間に4~50人の男がザコ寝をして暮らしてました。そりゃあ、すごいもんでしたね。はい。その沖仲仕も2年くらいで辞めました。あとは土工です。ずっと土工でやってきました。大阪、横浜、川崎、東京。いろんなところで働きましたよ。東京オリンピックがあるから東京が景気がいいと聞けば東京に来るし、大阪で万博があると聞けば大阪に行ってね。みんながそう言うから、そのあとをフラフラとついて行っただけです。成り行きですよ。ずっと成り行きにまかせて生きてきたわけです。はい。

 沖仲仕をしているころに酒を覚えました。沖仲仕は雨が降ると仕事が休みになります。そうすると下宿屋のあちこちで朝から博奕が始まります。やれチンチロリンだ、オイチョカブだ、麻雀だ、というわけです。博奕をやらない連中は、朝から酒を飲むわけです。
 最初はそういう仲間に誘われて飲み始めた酒でした。私は博奕にも、女遊びにも興味ありませんでしたから、だんだんに酒を飲むことだけが愉しみになっていました。

 土工をする頃になると、ますます酒に溺れていきましたね。もう酒がないとダメになっていたんです。それこそ朝、昼、晩、酒を飲んでいました。ええ、仕事のある日でも毎日です。

 朝、飯場で目が覚めると、盗み酒を1杯キュッとひっかける。それから朝飯です。昼はコッソリと現場を抜け出て、近くの酒屋に行ってました。そこで弁当を食べながら、酒の立ち飲みです。そんなことが、仕事の仲間や監督にバレたらクビになりますからね。だから、徹底して殺して飲むことを覚えました。ただ、酒は殺して飲むことができても、匂いだけは消せないんですよ。それで仕事中は誰をとも口きかないでやりました。私は無口な男っていうことで通っていましたね。まあ、もう完全なアル中だったわけです。はい。アル中ですね。

 39歳の時、とうとう病気になってました。酒で頭がおかしくなっていたんです。幻聴幻覚というので、頭の中で絶えず雑音がしていました。いや、音楽とか、金属音じゃありません。人の声。女の人がずっと喋り続けているんです。何を話しているんだか分かりませんが、女の人の喋る声がずっと聞こえていました。

 ちょうど横浜の飯場に入っている時で、私の様子がおかしいというんで、仲間が役所の福祉の人を呼んでくれて、そのまま病院に入院させられました。大きな病院でしたね。アル中の治療というより、精神病院だったんでしょうね。病院では1日3回薬を飲むだけで、あとはただ寝ているだけでした。1年2ヵ月も入っていました。入院中は酒を飲めませんでしたから、幻聴幻覚は治まりましたね。

 退院する時、オフクロが迎えに来ました。70歳のオフクロが熊本から迎えに来ました。17歳の時に家出をしたきり連絡をしてませんでしたから、病院が知らせたんでしょうね。オフクロは何も言わずに、ただ泣いているだけでしたね。はい。22年ぶりの再開でした。

  それでオフクロに連れられて熊本に帰りました。でも、また1週間もしないうちに家を飛び出して、東京に舞い戻ってしまったんですよ。それで土工の仕事に戻って、それっきり熊本には帰っていません。帰りたいとも思いませんしね。

  50歳をすぎたころから、だんだんに土工の仕事にも雇ってもらえなくなりましてね。それでホームレスをするようになったんです。みんな成り行きです。自分の意志のない成り行きまかせの生き方でした。これからも成り行きで生きていくより仕方ないですね。はい。(2001年12月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2011年3月 8日 (火)

アラサー財布事情/第11回 本と子どもに使っています

0308 Aさん(29歳)女性 職業:販売員 神奈川県在住

 実家暮らしです。両親、兄、息子2人と暮らしています。弟もいますが、今は家を出ています。3DKで、住んで6年目くらいかな。家賃は分からないです。家にお金は入れてますが、月によって入れている額は違います。
 引っ越して子どもたち3人で暮らしたいと思ってるのですが、学校を変えたくないので、学区内で探しているけど条件に合うところがなかなか見つからないので難航しています。
 住み心地はあまりよくないけど、立地はいいと思います。最寄りの駅から歩いて10分程度なので。
 実家のよいところは、仕事をしているので休日以外の食事が用意されているところですね。助かっています。あとは、仕事の終わりが遅いので、子どもたちを見てもらえるし、まだ小学生なので家に誰かいてくれると安心です。

 貯金はその月によってまちまちだけど、1万円くらいを積み立ててます。他は500円玉貯金をディズニーの本を使ってしてます。はめ込み式なんですけど、お金が足りないときはそこから出しちゃってます(笑)

 自由に使えるお金は、食べることが楽しみなので食費に使っています。
 職場がショッピングモール内にあるんですが、物価の高い地域なのでランチ代が結構かかります。切羽詰まってる時はコンビニに行きますね。
 食べてるものはその日によって違うけど、パスタや洋食が多いかな。和食が一番好きだけど、休憩時間が14時、15時になると準備中になってしまうのであまり行けません。

 他は本に使ってます。かなり買ってますが、少ないときは5000円くらいかな。ハードカバーが好きなので。なかったら文庫を買ってます。あとは漫画。
 ハードカバーは重みと紙とインクのにおいが好きです。
 最近買ったのは、『シューマンの指』(講談社)、『ストーリーセラー』(新潮社)、『植物図鑑』(角川書店)です。特に『ストーリーセラー』が自分の中でのヒットでした。
 買うときは、いつ出ているかわからないのでとりあえず行って欲しい本をチェックします。特に用がなくても本屋さんには行ってます。ちょっとした空き時間でも行きますね。

 たばこを吸っているのでそこにも使ってます。月に15000円くらい。去年、値上がり前にやめるつもりでまとめ買いしたけど、結局やめられなかった。人はそうそう変わらないですね。4カートン買ったけど、1ヶ月しないうちになくなった。あるだけ吸っちゃた感じ。まとめ買いは良くないですね。

 あとは子どもですね。月のお小遣いは、上の子が500円、下の子が300円。
 テストの点数が毎回30点くらいでよくなかったので、ある時、80点以上で100円、100点で200円プラスすると提案したら、翌日に86点取ってきてきたことがありました(笑)それからずっと成績がよくなったので圧迫されてます。お菓子代、ゲーム代に使ってるみたいですね。あとは、ポケモン関連をよく買ってるかな。ファイルとか鉛筆とか。子どもってポケモン好きですね。
 二人とも男の子なので、持ち物がすぐだめになる。だいたい2、3カ月で靴がボロボロになるかな。それでいて、アディダス、ナイキを欲しがるので大変ですよ。ほんと、子どもはお金がかかります。

 現在の幸福度は、30%。幸福と思えるよなことが思い浮かばないかな。まだ旅の途中なので。(聞き手:奥津)

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2011年3月 7日 (月)

●ホームレス自らを語る 第98回 やがて億万長者に(後編)/内田英二さん(仮名・50歳)

1103  栃木県で生まれ育った内田英二さん(仮名・50歳)は、ずっと栃木県内で働いてきたが、平成11(1999)年2月に東京に出てくる。平成不況の真っ只中で、地元ではバイトの仕事にありつくのもままならなくなっていたからだ。内田さん、38歳の冬のことである。
「もう、田舎いてもラチが明かないし、東京なら何とかなると思って出てきたんですが、やっぱり考えが甘かったですね。右も左もわからない東京で、すぐに仕事にありつけるわけもありません。その晩からホームレスの状態で、野宿せざるをえませんでした。その頃も、ネットカフェや漫画喫茶があったのかもしれないけど、田舎者だからそんな知恵ははたらきませんしね」
 それで内田さんは、東京都庁の駐車場に寝泊りするようになる。当時、ホームレスのために夜間だけ、駐車場が開放されていたのだ。そこは都庁舎の1階にあったので、雨露がしのげ、夜間は道を行く人も、車も少なく静寂が保たれて、ホームレスが寝泊りするには最適の環境であった。
「そのうちに人に教えられて、人材派遣会社に登録し日雇い派遣で働くようになりました。毎日夕方、派遣会社に電話して翌日の予定を聞き、仕事が入っていれば働くし、入っていなければ1日遊ぶことになります。仕事は引越し作業や、流通センターでの商品仕分けやチェックのようなのが多かったです。日当は定時までの作業で6000円、残業をすると1000円がプラスされました」
 その日当ではアパートを借りることはおろか、サウナ風呂に泊まることもできずに、いつまでも都庁駐車場に寝泊りする生活から脱することができなかった。
「そのうちに派遣の仕事も少なくなっていき、だんだんに仕事のない日が多くなって、いつの間にかなくなっていました。それに3年前に駐車場が補修工事をするとかで、そこでの寝泊りが禁止になりました。利用していたホームレスは40~50人くらいはいましたけど、みんな公園や地下広場のほうに移ったみたいです。ただ、オレだけは駐車場がダメなら、その前の歩道で寝泊りしてやろうと思って、ここに陣取りました」
 内田さんは駐車場前の歩道の車道側にある、地下鉄の通風孔施設のところに陣取り、ずっとそこを根城にしている。すでに3年になるが、都庁職員からも、警官からも一度も注意されたことがないという。
「ホームレスの生活だといっても、どうしても現金が必要になりますからね。それでゴミ箱に捨てられている週刊誌を拾って、それを路上書店に卸して現金を得ています。オレの場合はその辺を歩いてまわるだけですから、そんなには拾えません。1日に15冊くらいかな。書店に引き取ってもらうのは1冊50円で
すから、15冊で750円になります。ただ、土曜、日曜は拾いに行きませんから、1日の出費を500円以内に抑えるようにしています」
 1日を500円以内で生活するのは、ホームレスといえども楽ではない。それでボランティアの炊き出しや、差し入れなどをやり繰りしてしのいでいるようだ。
「以前は1日に20冊くらいは拾えたんだから、不況がきびしくなっているのがわかりますよ」と内田さん。

 この取材を始める前、内田さんは細かな数字を、ノートにビッシリと書き込んでいた。何を熱心に書き込んでいたのか、その話を聞いた。
「競馬の攻略法を研究しているんです。どういう方法で馬券を買えば、確実に当たり馬券が買えるのか、その法則を探しています。あと少しで完成しそうです。完成すれば、オレも億万長者ですよ。そうなれば路上生活に、オサラバできますからね」
 元々、ギャンブルには興味がなかったという内田さん。雑誌拾いのほかにすることがなく、その暇つぶしのために始めた攻略の法則探しだそうだ。
「ですから、いまも馬券は買っていません。毎日、競馬新聞を買ってきて、その日のレースから1レースを選んで、オレが考え出した法則で予想して、三連単なら15~20点買い、三連複で5~7点買いの、どちらかを買ったことにして結果を見ています。三連複だと、90%の確率で取れるようになりました。100%まで確度があがったら、ほんとうに馬券を買おうと思っています」
 ここで競馬に詳しくない人のために説明しておくと、三連単とは三連勝単式の略で、これは1~3着になる馬を着順通りに予想する投票法のことで、三連複とは三連勝複式の略で、こちらは着順に関係なく1~3着に入る馬を予想する投票法をいう。内田さんは後者の投票法が100%当たる法則を探っているわけだ。その90%の確度まで達したという法則については、秘中の秘で教えてもらえなかったが……。
「オレの場合、もっぱら地方競馬でやっています。中央競馬は開催日が土曜、日曜だけで少ないことと、予想の法則を考えるのに条件が多すぎて確度があがらないんです。それで地方競馬を舞台にして、法則を考えているわけです」
 内田さんは今年6月までに、確度100%の法則を確立し、7月から勝負に打って出るつもりだという。
「オレはホームレスですから、はじめから大きくは張れませんからね。最初、1レースの三連複5~7点を小さく買って、その元金と配当金の全額を翌日の1レースに突っ込むんです。それを毎日繰り返していくと、1ヵ月もすれば億万長者なる計算です。7月すぎにこの道を通って、ここにオレの姿がなかったら、億の金を稼いだと思ってください」
 そう言って、内田さんはカラカラと笑った。成功を祈っておこう。(神戸幸夫)

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2011年3月 6日 (日)

寺門興隆を読む/第6回 2011年3月号「感動葬儀のススメ」

 今月号の見出し一覧は、
戒名正当論/宗派の窮乏寺院対策/特集・気になる事件のその後/文化財指定異変/故人に語りかける感動葬儀/本堂の椅子/ネパール仏典を守る/韓国民間信仰の読経

 なんといっても気になるのが「宗派の窮乏寺院対策」であろう。曹洞宗の調査によると、年収300万円に満たない寺院が半数を超えるとのこと。しかも過疎地域の曹洞宗寺院では年収100万円以下が30%弱。「非過疎地域との格差が問題だ」と記事では提起しているが、非過疎地域のデータを見ても年収100万円以下は25%弱とある。世帯の年間収入と考えると、平成20年の総務省調査では全国平均世帯年収が637万円なので、そこにも格差の問題が潜んでいるとはいえ、あまりにも寂しい。
 小松も過疎地域の出身だし、仕事で寂れた寺を山ほど見てきた。檀家数が少なく、一年に一度しか葬儀のない寺もザラで、この数値にはうなずけるところがある。社会教師などを兼務している住職もおり、葬儀発生の電話をかけたところ「3時半まで授業なのでそのあとでないと来れない」といわれるのはしょっちゅうだった。
 この事態に住職たちはどんな対策をうちたてているのか。これも調査結果が出ている。日蓮宗が852カ寺を対象に調査した「過疎地域寺院活性化実態調査」だ。「寺院の活性化に取り組んでいますか」という質問に対しては、130カ寺が「取り組んでいる」と回答。実際にどんな取り組みをしたかというと、「「日常法務の充実・活性化」が六十二カ寺と最も多く、「まさに当たり前のことを当たり前に地道にやることが基本だということを示している」と委員会は言う」。ええと、あんまり具体的には動いてないみたいである。『寺門興隆』には、お寺で精進カフェを営む方法とか、イベントを立ち上げて人を呼ぶ方法が毎号のように特集されているので、参考にしたらいいと思う。そもそも人がいない過疎地域じゃ、それも難しいか。

 「葬式仏教」と揶揄されるのは問題でも、お寺のメインの仕事はやはり葬儀。「故人に語りかける感動葬儀」という記事では、葬儀の中ほどで読まれる故人の人生をあらわした文章を工夫することで感動を呼ぼう、とすすめている。これは小松も全くの賛成だ。難解なお経の中で、唯一わかりやすい日本語が出てくるところだから。司会をやっていると、その部分だけが毎回違う文章であることがよく分かる。いつもオリジナルな文章を作ってくるご住職の時には、「今日はこの人のこと、なんて浄土に紹介するんだろう?」と楽しみですらあった。残念なのは、お客さま方がその部分をあんまりよく聞いていないことだ。「お経の中身についてはよく分からない」という先入観があるからか。
 葬儀の式次第は宗派によって異なるが、特に禅宗系統では「剃髪して戒律を授けて仏弟子になってもらって、故人の代わりにお経を読んで、あの世への送り火をつけて故人がどういう人だったかを述べ、引導を渡す」という一連の流れがある。式の要所要所でそういう説明が少しでもあれば、「葬儀が形式的に過ぎる」とか言われなくても済むのになあと、葬儀社勤務時代からいつも思っていたのだ。
 しかしこの文章、漢詩の知識がないと正式には作りがたいらしい。曹洞宗では、故人の人となりや業績について触れる部分は「引導法語」という。その構成は、「まず七言絶句で故人の人柄などを表した後、字数を合わせた対句にして故人の来歴を述べたり、仏の教えを織り込んだ腹の部分が続き、最後に主に先人の句を引用した脚句でまとめるのが一般的」という。さらに漢詩なら韻を踏むなど決まりごとが多く、常人のなせる業ではなさそうだ。
 しかし取材に答えていた静岡県のご住職は「法要や和尚の本葬儀などではできるだけ正式に作るようにしますが、引導法語は韻等はあまり気にせず、意味を重視しています」という。正式なものも作れるからこそ、必要に応じて崩すことができる。常識を打ち破っていくのは、つねに基本を知っている常識者である。改めて思い知らされた。(小松)

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2011年3月 5日 (土)

池田大作より他に神はなし/第19回 “無冠の友”との出会いにの度に10歳若返り、地獄でのたうつ日顕一派残敵との戦いに1回勝利する度に20歳の新生命を得る、我ら全世界の同志の“完勝の日々”は目前である。名誉会長への“300の英知の宝冠”を軽んじる、嫉妬まみれの国内マスコミを深く哀れむ余裕を持とう!!

 学会理解の輪を広げて来られた、“無冠の友”と偶然仕事他で出会うのは、何事にも変え難い喜びだが(漫画家さんには多数の同志が。仕事上の縁は切れても、各種選挙の度に公明党への熱心な投票依頼電話をいただき、群馬県民の身としては恐縮を)、世に迎えられた実業人の華々しい活躍を、遠くから眺めるのもまたうれしい。

 「ヤマダ電機」といえば家電販売のトップ企業として知られるが、本社は前橋に。数年前には高崎駅に隣接する巨大ビル店鋪(LABI)をオープン。筆者は富岡市から上信線で通勤してるが、高崎駅0番線ホームからJR方向に歩いて行くと、右手新幹線ホーム側に、前出の堂々たる白亜のビルが。その壁面に淡いブルーで鳩が舞う姿が描かれている。な…何という高貴さ!“草の根平和運動の実像ここにあり!”一眼見るなり根底に、名誉会長の崇高な教えがあると悟ったが、やはり経営陣の多くが同志と。地元の富岡市内にも支店があるが、全従業員が聡明で感じいい(同じく群馬を拠点とする、下品な「ビッグカメラ」なんか問題外!)。愚妻は他店で買ったパソコンで疑問点があると、電池1個同店で買っては店員に尋ねるらしいが、嫌な表情をチラリとも見せないと。“生命躍動の源泉!”座談会運動を通じて、“対話の最前線を走り抜き、自身の弱い心に打ち勝ち、勇気凛々と勝利への大行進”を続ける、我が上州の先進的同志の笑みが眼に浮かぶ。

 「ブックオフ」も創業者は同志であった。ところが、俗悪週刊誌『週刊文春』が報道した金銭スキャンダルをきっかけに失脚(偽相承の日顕ボロボロ一派の、薄汚いい策動が当然あったはずだ)、今は大日本印刷や旧来の大手出版社が株式を保有、店のムードも一変した。昔は店長を中心として全スタッフが“鉄塔の団結”を組み、入店するお客様全員に「いらっしゃいませー!!」と、元気一杯に“電光石火の行動”で応じていた。ところが経営陣が入れ代わった今は、どの店鋪も倦怠感に満ちている(ごく一部に“和楽の園”の息吹を残す、良心的店鋪も残存するが…)。

 従業員はつぶやくような覇気なき挨拶をするだけで、ミミズ並にノロノロと同僚と無駄話しながら店内移動(出前配達なら、ラーメンは回虫状に伸びてる)。スカスカの本棚、ド汚いトイレ、腐ったイワシみたいな眼をした店長…。“師弟勝利の凱歌に涙する精神”を喪失した、ハンパ者どもらしい光景だ。「ブックオフ」の影響か、古本は1冊105円のはずと勝手に思い込んでる人が増え、近頃は商売がやりずらいと、知り合いの古本屋が嘆いていた(高田馬場は「古書現世」の、向井透史の事ではない)。

 古本のデフレ風潮は神保町にも波及、屈指の大型店「小宮山書店」も、金・土・日と週3日は、自社ビルの駐車場部分を用いた、文字通りのガレージセールを(通称“コミガレ”)。どんな本でも3冊500円(雑誌や写真集、各種全集もあり)。文庫本は1冊100円と、「ブックオフ」に遜色ない。相場数千円の本もゴロゴロしてて、客筋も古本マニアは勿論、転売目的のセミプロ(アマゾンやヤフ-を利用)、場末の古本屋と様々。そこで先週、「小諸そば」のカツ1丼(490円)を昼飯に食べた後で見つけたのが、『裁かれた捏造報道 創価学会に謝罪した『週刊新潮』の大罪』(前原政之・潮出版社’03)だ。先月は不覚にも、この悪辣ペテン俗悪週刊誌にだまされかけた。しかし今や、“創立100周年への獅子の誓い”を、灼熱の焼ごてにも勝る熱い思いで日々胸に刻み付けている自分だ。地獄の底で這いずり回る日顕一派、及びけしかける裏切り者どもの手口を検証、完全勝利への武器にせんとの決意である。“法華経の剣は信心の勇なる人こそ用いる事なれ”(御書)。

2  呆れ果てた!わずか150ページ弱の本書を読むだけで、「日本は法治国家なのか!?」と何度も凍てつく夜空に絶叫した。我が国有数の出版社がゴロツキを雇い(門脇護他)、幹部にまで出世させて凶器の牙を磨かせている。林眞寿美被告に肖像権侵害で訴えられた裁判では(廃刊になった『フォーカス』が舞台)、佐藤隆信社長自身までが裁判所に、連帯して賠償金を払うよう命じられている。広域暴力団の組長が、配下のチンピラを使い、むこの市民に暴力を振るったり、強制的にみかじめ料を払わせるごとき暴挙を、白昼公然と行っているのだ。人権が地球より重いのは誰でも知っている。司法の命じる賠償金はまだまだ低すぎる。暴力団まがいの出版社は、即刻倒産してしまうよう賠償金を、裁判所はごく事務的に肩の力を抜いて命じるべきだ。それが真の民主主義を育む。“平和は民衆によって築かれる!”

 ただ1カ所、非常に意義深い同書に疑問…とまで言ってはオーバーだが、質問時間があれば挙手したい部分が。“第5章「信平狂言訴訟」を仕組んだ「ペンの謀略」”に関してだ。無論ヤクザ週刊誌『週刊新潮』が舞台だ。要するに札幌の発狂状態の元信者夫婦が、売名的に同誌に踊らせられながら名誉会長を訴えた、世界でも例のない妄想裁判だ。全体の輪郭はわかるのだが、どうも表現が観念的で具体的イメージがわかない。他の章は常に具体的なので、読む方は大いにとまどう。

 “早朝、衆人環視といってもよいそんな場所で、当時六四歳の信子が“被害”を受けたとする信平側の主張は、常識的にもあり得ない荒唐無稽(こうとうむけい)なものだ。判決書も、「いつ何時(なんどき)人が通りかかるかもしれない屋外で、原告主張のような事件が発生したということは、経験則上にわかに想定し難い」と、信平側の主張をしりぞけている”(103ページ)

3_3   “「私の裁判の過程で、実はさらに3度、池田の被害を受けていることを申し立てました。しかし、回数が増えたことで裁判所は逆に“信用ならん”というのです」/これはもちろん、控訴審で信平側が行った、「“被害”は実は三回ではなく六回だった」という噴飯(ふんぱん)ものの主張変更を指したものである(107ページ)

 北国の発狂夫婦が、一体“何の被害に遭った”と名誉会長を訴えているのか?これでは皆目わからない(誹謗中傷、あるいは金銭の貸し借り?)。親切に難しい漢字にまでルビを振っていただいてる、多くの同志向けの出版物の数々(長期低落の日本共産党とは、この辺が大違い!)。無知な私は常に感謝してるが、この章はあんまりだと思う。仕方なく、最近“無冠の友”の1人である某漫画家さんに電話で尋ねたが、言葉を濁すばかり。まるで『週刊新潮』を怖れているかのよう。“挑戦だ!青年は失敗を恐れるな”と、常日頃名誉会長もおっしゃておられるのに、情けない態度だ。仕方ない。最近会ってない、古い友人で半失業状態のフリーライターにでも聞くか(しかもアル中)。ただあいつ、“歩く『週間新潮』”みたいな男で、信用できないんだよな。今回は心が晴れない。(つづく)

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2011年3月 4日 (金)

書店の風格/ちょっと渋めのブックカフェ? 文庫Cafeみねるばの森

 なじみ深い九段下を漫画屋事務所に向かって歩いていたら、なにやら新しくオシャレげなカフェーを見つけた。会社から歩いて3分の距離なのに、開店したことにまるで気が付かなかった。しかも「文庫Cafe」と銘打ってあるからには見逃せまい。勢い込んでお店に入った。
 いわゆるブックカフェかと思ったのは早とちりだったかもしれない。ここは「寺島文庫ビル」の1Fにあるから「文庫Cafe」という名前であるようだ。オープンは2010年10月。落ち着いた雰囲気のカフェで、「文庫」がぎっしりと並んでいるのかと思って入ったから少し拍子抜けしたものの、本棚はもちろんあり、新書や一般書、そして経済の専門書などが並んでいる。ビルの持ち主である寺島実郎氏の著書と、関連テーマの書籍が豊富だ。
 寺島文庫は寺島氏が自宅の蔵書3万冊を移した、「知の交流の場」。寺島氏監修の「寺島文庫リレー塾」では、佐藤優、佐高信、姜尚中など豪華な面々が講演を行っている。そんな知的な雰囲気を、ちょっとだけ覗くことができるのがこのカフェの魅力なのであろう。大型モニターも置いてあり、セミナーや勉強会に貸し出しされるとのこと。

 喫茶だけでなく食事もできるようになっていて、小腹がすいただけならアンデルセンのパンとコーヒーのリーズナブルなセットが嬉しい。何より、カフェ合戦ともいうべき九段下にあって、タバコの煙にむせることなく、席が窮屈で居心地が悪いということもなく、混みすぎてまったく打ち合わせの内容が聞こえないということもないカフェは珍しい。洗練された雰囲気の上、どんなに人が入ってもゆったりとくつろげるのは、きっとほどよい余裕がうれしい席のおかげ。営業時間が午後7時までと早いが、午前8時から開いているから、朝勉強にはちょうど良いかもしれない。階上に広がる3万冊のつぶやきがプレッシャーになり、集中できるかも。(奥山)

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2011年3月 3日 (木)

ロシアの横暴/第54回 報じられないロシア国際空港テロの謎(下)

 ところで今回の事件にはいつもと違う点がある。静かになったところを見計らってチェチェン人の「犯行声明」が出たことだ。しかも声明を出したのはテロ予告宣言発信中のチェチェン人ドク・ウマロフである。本来チェチェン人はこうした大きな成果(?)のあがった事件のあとには真っ先に犯行声明を出す。過去の犯行声明のなかには明らかにほかの誰かが起こした事件なのにチェチェンの犯行だと主張したこともあるほどだ。それが10日以上も経ってからおずおずと犯行声明を出すのは「何か変」である。

 ドク・ウマロフならまずプーチン首相が「チェチェンは関係ない」と断言したあたりでブチ切れて(俺たちの存在を甘く見るな、と)犯行声明を出しそうなものだ 。さらに、「犯人は20才のイングーシ人」発表のときも黙っていた。チェチェン人とイングーシ人はほぼ同じ民族で、ロシア・ソ連時代を通じて同じような差別・弾圧を受けてきたから両者の仲間意識は強い。しかし、イングーシがチェチェン を「出し抜いた」となると状況は一変する。こんな「偉業」を成し遂げるのにチェチェン人をおいて誰がある、というわけだ。だからイングーシ人犯人説を堂々とうち消してチェチェン人の犯行であるという声明を出すはずである。やっぱり変だ。

 ロシア政府がチェチェンを断定するとそれに呼応するようにチェチェンの犯行声明が出されるというのがこれまでの図式だった。
 では今回はなぜ呼応しなかったのか。
 勘ぐりでしかないが、「チェチェンは関係ない」に呼応して黙っていてやったのに、約束の謝礼がなかった、あるいはずっと少なかった。次のテロが起きたときに犯行声明がどう出るかで明らかになるだろう。
 あるいは冬季五輪やワールドカップを控えてチェチェンのせいにできないプーチンをちょっともてあそんでやった。
 今やドク・ウマロフの親衛隊になって集まってくるチェチェン人青年たちの敵はロシアの傀儡「ラムザン・カディロフ」である。青年たちを殲滅するのに躍起になっているのはロシアではなく、カディロフ大統領である。チェチェン人をチェチェン人同士闘わせるロシアの作戦にうまく乗じているのがドク・ウマロフと言えそうだ。
 テロといえばチェチェン、と言われて久しいが当のチェチェン一般人の一貫した見解は「ロシア政府と一連のテロリストは裏で協力し合っている」である。
 確かに過去のチェチェンがらみ事件はどれも確実にチェチェン人が絡んでいる。だからといってチェチェンの仕業とは言い切れない。実行犯はチェチェン人だったことだけのことだ。
 
 たとえば先述のモスクワ劇場占拠事件だが、あれほどの人数分の火薬を劇場まで運ぶにはロシアの特務機関の全面協力が必要である。このことだけでも真犯人はFSB(ロシア特務機関)であることがはっきりしている。実行犯のなかで1人だけ生き残った、というより逃げ延びたチェチェン人が事件後まもなく交通事故で死んだ。ロシアFSBに協力したご褒美に口封じされた、とチェチェン人は言っている。
 劇場占拠事件に限らずテロ事件を注視していくとロシアと過激なテロ集団は裏でつながっている、というチェチェン一般市民の見方も十分頷ける。

 今回の事件もいままでの事件と同様、真相は何もわからない。わかっているのはこのままほったらかしにされることだけである。(川上なつ)

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2011年3月 1日 (火)

『みんなでランチパックサミット!!2011』報告

Photo Photo_4 去る2月27日、「みんなでランチパックサミット!! 2011」が東京カルチャーカルチャーで開催されました。

出演者はアストラから『ランチパックの本』を出した香山哲さん、デイリーポータルで「ランチパックの人をやってみる」という情熱的な記事を持つヨシダプロさん、早稲田大学菓子パン研究会の前幹事長・清水さん、とある会社のパッケージデザイナーさん、ランチパック発祥の地・市川市在住のライター・ナカダヨーコさん。

遠方から駆けつけてくれたランチパックファンもいて、総勢70名あまりの大にぎわい!

前半は香山さんのランチパック研究発表。パッケージの話では、やはりあの可愛らしい妖精たち、ランチちゃんとパックくんに注目が集まりました。そして名前やご当地ものの話など、ひととおりランチパックへの愛を語ったあと、ランチパックの実食へ。

Photo_3 Photo_2 イベントが始まる前に出した「ウェルカムランチパック」とあわせて、今手に入る限りの30種類と、さらに厨房陣の作るオリジナルでおもてなし。およそ160枚を用意しましたが、終了の頃にはお皿がほぼ空に……!

そして後半では、お客様の中から選りすぐったマニアをご紹介。

60種類ものランチパックを食べ、パッケージをノートに貼り付けて味をメモする女子学生や、ブログに丹念に感想を書き続けている男性に、壇上に上がっていただきました。

そして入場の時に配った「ランチパッククイズ」を皆さんと答え合わせ。初歩的なものからマニアなものまで、幅広く出題したところ……なんと会場から「答えが違う」との指摘が。

ランチパック愛にあふれた人の集まりだからこそおこるハプニング。

きっと客席の中に、壇上に上がりたい、プレゼンしたい、と思っている人たちが沢山いたでしょう。

「好きなランチパックは?」というアンケートでは、「ツナマヨネーズ」が圧倒的な人気。さすが定番商品ですね。

そしてアストラのホームページがスクリーンに映されたときに笑いが起こったのも、個人的にはおいしかったです!

2012、2013と、サミットが続いていくことを願っています。(奥山)

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