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2011年3月27日 (日)

Brendaさんからの手紙/地震から見る移民問題

■■■「Brendaが行く!」で痛快な記事を展開して下さっている、パリ在住のピアニスト・Brendaさんが、今回の震災についてコメントを下さいました。■■■

今回日本の大災害をフランスから見て「神様は超えられない困難は与えない」という言葉は本当かもしれない。信心深い私もあまり好きではない言葉だが地震が起きてからこの言葉が頭をまわり続けている。神様は、なぜあの環境の厳しい土地を日本人に与えたのか。資源はなく、地震があるという逆境。

私は、もしフランスに同じ事が起きたらどうかと想像してみた。

まず、フランスは移民社会で、統制をとろうにも、様々な文化、人種、宗教哲学が混在する環境である。たとえ法律であったとしても一つの決まりを多くの人が守り、また多くの人は守らない。そんな社会だと思う。一番わかりやすい例で言うと、フランスでは赤信号でも気にせず渡る人と待つ人が、共に多くいる。残念ながら現在のフランスは、モラルが低い。そしてトイレや列車内を見てもわかるようにかなり不潔である。

こんな環境であのような地震が起きれば、フランス人の生活は完全に破綻してしまうだろう。なによりこの不潔さの中まず疫病で多くの人が命を落とすと思う。先に述べた通りモラルが低くルールを守る事ができない人が多い事から、例えばトイレなど次に使う人のためにきれいに保とうなどという意識はこの国にはない。トイレは通常時でも利用するだけで伝染病にかかるのではないかと感じることさえある。これとて、どんな教育をもってしても、一般的多くのフランス人は、常時から最低限トイレをきれいに使うことさえ統制がとれない社会なのである。助け合いの精神が強いフランス人だが、とにかく社会の統制がとれない、モラルが低い。もし今回の日本で起きたような自然災害がフランスで起きたとしたら、略奪や暴力事件などそこら中で起きる事をフランス人の多くは否定できないだろう。このようなマイナスの特徴は助け合いの精神では到底カバーできるものではない。

しかしこれはここでは当たり前の話で、移民社会では様々な多様性による文化や自由の発展があるかわりに、多様化の中で特に、アフリカの文化、アラブの文化、アジアの文化ごったまぜになれば統制をとろうにも何が一般論でモラルなのかさえもはや見えなくなって当然だ。

今回の地震での日本の被害を目にするにあたり「日本であったから、こんな悲劇の中も今の状況でいられるのだ」と感じる面が強い。

過去に、あるダウン症の親子と接したとき、私はその親を見て、「この親であるからこのダウン症の子供は生きて行く事ができるのだ」と感じた事があった。ここに産まれるべくして産まれてきた子なのだと。そして、「神様は超えられない困難は与えない」この納得できない言葉をどうにか飲み込もうとしたあの感情が、今回の地震を機によみがえってきた。

それは、「理不尽な状況に怒りを感じつつももそのどこかに救いがあることに感じる不謹慎な安堵」

神様は超えられない困難は与えない。この言葉の中に私自身は救いを見いだす事ができないがここ数日、日本の状況を見てこの言葉が頭を離れない。

Brenda

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