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2011年1月

2011年1月31日 (月)

鎌田慧の現代を斬る/第147回 公文書が明らかにした米国従属と管理強化の推進

 毎回、菅政権の悪口をいうのも消耗だが、彼が首相になってなにをしたいのかが、ますます見えなくなったきた。
 鳩山由紀夫前首相が、普天間飛行場の移設について「最低でも県外」と明言したことが懐かしい。鳩山前首相は実行力がまったくないまま、世論の批判を受けて沈没した。しかし彼は、日米安保を「駐留なき安保」に変え、「東アジア共同体」を掲げて、米国従属から少しでも離脱しようという姿勢をしめしていた。これがあたかも虎の尾を踏んだように、米国の批判にさらされたのだった。

 それを証明する公電が、ウィキリークスの公開した米外交文書からみつかった。ソウルを訪問したキャンベル米国務次官補は、韓国の大統領府で金星煥(キムソンファン)外交安保主席補佐官と会談。その内容を要約したものに、こんな記載があったという。
「両者(キャンベル、金)は、民主党と自民党は『全く異なる』という認識で一致。北朝鮮との交渉で民主党が米韓と協調する重要性も確認した。また、金氏が北朝鮮が『複数のチャンネル』で民主党と接触していることは明らか、と説明。キャンベル氏は、岡田克也外相と菅直人財務相と直接、話し合うことの重要性を指摘した」(『東京新聞』2011年1月20日)
 問題は、この文章の交わされた時期が、鳩山政権下だったことだ。鳩山ののち、菅か岡田を首相にしたいという米国の要望がここにあらわれている。この文章が送られた2ヶ月後、ワシントンポストは鳩山を「ルーピー」(現実離れした愚か者)と酷評して政権に打撃を加えた。
 また、東京新聞によれば、このころ渡部恒三元衆院副議長が講演で次のように語ったという。
『普天間問題を解決できずに鳩山君が責任を取ったら、おそらく菅直人くんが(首相に)なるでしょう』と発言」

 菅のライバルだった小沢一郎幹事長(当時)は、嫌疑不十分で不起訴とした東京地検特捜部の検事から検察審査会が意見を聞くなど、金銭疑惑の対応に追われ、代表なるにチャンスをつぶしかけていた。
 つまり米側の菅支持、鳩山・小沢嫌いの影響が今にいたっているわけである。もちろん小沢が米政権の期待を裏切って首相になったとしても、どれだけ日米安保と辺野古移設反対で頑張れたかはわからない。しかしこれまでも噂されてきたように、首相になる人間は宗主国・米国の信任を得ないといけないという伝説が証明される結果となった。
 菅首相になってから、普天間飛行場の辺野古移転を後押しし、日米共同統合演習を実施、思いやり予算の名称を「ホスト・ネーション・サポート(HNS)」に変更、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加も表明した。さらに原発の輸出や世論の反対でつぶれた武器輸出など、米政権と財界の操り人形のようになっている。

 ところが米依存のお粗末な政策を裏切るかのように、米国は中国に急速に接近している。1月19日、胡錦濤国家主席が訪米し、米中首脳会談がひらかれた。これは大げさにいえば、世界第2位の経済大国となった中国が世界第1位の大統領と、世界経済を牛耳ろうとする会談となった。中国側の要求を受けて、胡錦濤があわられる場には赤絨毯を敷き、国賓並みの待遇となった。ホワイトハウスでは21発の礼砲や国歌演奏をするなど最大限の待遇を整え、中国の関心をかった。

 オバマは今回の訪米を、「今後30年間の基盤をつくりうる」と評価したというから、並々ならぬ歓迎ぶりである。一方の胡首相も「前むきで協調的、かつ包括的な関係を進める」と語り、〝相思相愛〟ぶりを見せつけた。
 今回の訪米では、米ボーイング社による旅客機売却など計450億ドル(約3兆7000億円)のお土産つきで、財界を喜ばすことに必死なオバマ大統領をアシストした。一方で中国はフランスや日本などの先発国と競うために、ゼネラル・エレクトリック(GE)と共同で米国内での新幹線建設を計画している。昨年12月には中国の車両メーカーである中国南車とGEが、米国内に合弁会社を設立。新幹線のような中国の経済スピードを象徴する出来事といえる。

 菅政権がいじましく米国のご機嫌をとっている間に、米国はすでに日本よりも巨大な経済的利益の道を中国に切りひらいている。たしかにオバマ政権は中国の人権問題を批判したりしているが、これまで米国が世界でやってきた無数の虐殺行為を見れば、中国の人権問題を批判する権利などあるわけがない。そのことを知っている胡錦濤首相は、人権問題にたいする記者の質問にも、一度は回答しなかったことについて、通訳の問題で聞き取れなかっただけだと余裕をみせ、「中国国内でなすべきことはまだたくさんある」(『朝日新聞』2011年1月21日)と門前払いではなく、人権問題に正面からむき合った回答を用意した。
 これは人権問題に敏感な米国へのリップサービスだったといわれる。ただし人権より経済発展に軸足を置いている状況に変わりはない。一党独裁体制によって、国と地方の財政を総動員して10%以上の経済成長を進めている現状は、当分つづくと予想され、あたかも国家資本主義の猛走となっている。

 中国の人権は21年前の天安門事件であきらかになったように、ずっと弾圧されつづけている。しかも現在は経済成長とインフレによって、下々の生活が厳しく、一部では飢餓が発生するほどになっている。
 これは植民地解放のあと独裁政権がつづき、30数年ぶりで民主化運動がはじまったチュニジア、エジプト、ヨルダンのこれからの動きと関連づけて考えられる。昨年末、チュニジアの首都チュニスに行ったとき、そこで会った日本に留学経験のある実業家は、ベンアリ大統領一家の専横について話しつづけた。
 彼はスーパーマーケットにさしかかると「これは大統領夫人のものです」といい、ビル工事を請け負っている建設会社の名前を見ると「これは大統領の息子のものです」というし、自動車ディーラーを指さしては「これは大統領一家のものです」と語った。国内のすべての企業が大統領一家に関連あるといって笑う。
 彼の話によれば、ベアンリ大統領は軍政権を引き継いだときに教育政策だけには力を入れたという。そのため彼のように海外に留学する青年が多かった。今回のジャスミン革命の中心となっていたのは、そうしたインテリたちだったから皮肉だ。

 中国も経済成長を維持するために、米国を中心に多数の留学生がいる。近い将来、そうしたエリートが経済政策をつくっていくことになる。彼らが一党独裁に疑問を抱き、民主化運動を支えていく可能性は高い。これまでの民主化運動の中心は、北京大学などの国内育成エリートだったが、それに変わる革命分子を中国は内部に抱え込むことになる。
 経済発展しようとすれば、民主化せざるをえない。軍政から民主化にむかった韓国の歴史が、それを証明している。チュニジアの問題は北西アフリカのマグレブ諸国の問題と考えられており、中国に波及していく可能性が見落とされている。隣国の民主化に期待したい。(談)

全文は→「1102.pdf」をダウンロード

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2011年1月30日 (日)

日曜ミニコミ誌!/『本と酒と俺』

 すごくいい雑誌だと思うのだ。まず、タイトルがいい。破格にいい。
 というわけでタイトル買いをした。これを読みながら酒を飲みたい。そう思わせる、いい雑誌だ。

 家に帰り、2缶298円の缶チューハイ(ストロングゼロ)を手にページをめくる。
 編集人をはじめ、連載陣の文章玄人ぶりにまずはびっくりした。洗練されたエッセイが500円で15本も読めるなんて、お得にもほどがある。唯一の難点は、酒を飲まない人にとってはさっぱり面白くないだろうところだ。他に欠点は微塵も見あたらない。
「カナダで 本と酒と俺たち」(江川伸子)の、異国情緒あふれる酒事情。
 家賃の倍相当を酒代にしていたという記述に侠気を感じる(記者は女性だが)。
「酒からだけの視点で1Q84を読んでみました。」(田中都麦)の、酒に対する真摯さ。
 ビールを半分だけ飲んで流しに捨てる主人公に憤慨する姿勢には、大いに賛同できる。出された酒はフラフラになっても一滴残さず飲むことを信条にしている酒好きから見れば、阿鼻叫喚にも匹敵する図だ。
「ここはあんまんについて語るのに適した場所ではありません」(加藤徹)の、昔語りの面白さ。 酒に関係する内容は前半だけだが、全く関係ない後半の方が1000倍も面白いというのはどうしたことか。

 そして「26人に聞く「本と酒と俺」!!」では、「本を読みながら酒を飲むことがありますか?」「おすすめの酒本は?」といった質問に26人の「本まわりの達人たち(そして酒好き)」が答えていく。
 意外と皆、本を読みながら酒を飲む、ということはしないようで、お行儀が良くて立派である。
 酒に本はつきものだし、本に酒はつきものと日頃思っているだけに、う~ん、とうならされた。

 私事で恐縮だが、「本と酒」を遣り出したのは大学生の時。小難しい課題本を読んでいて、酒でも飲んでなければやってられないとウィスキーをストレートで用意したのが運の尽きだった。酔うに従って頭の中の引き出しがひっくり返り、誰かが出鱈目に整理整頓を始める。「これはこっち、あれはあっち」と理不尽にたたんでしまわれていった結果、まともな頭では考えつかなかった思考のコーディネートがぴたりと嵌り、「あ、そういうことなのね」と目ウロコに出会ったりするのだ。そしてレポートを書く、がんがん書く。私って天才かも、と気分はいかにも爽快である。
 唯一の難点といえば、次の日まともな頭で目覚めると全く理解不能な解釈がワード上に乱立しており、全削除を余儀なくされると言うことだ。
 それさえ気にならなければ酒と本という組み合わせはひとり遊びに最適なパートナーである。

 個人的には「どんな酒がどんな本に合うか」も意識して選んでいる。
 先日、恩師から八木雄二の『天使はなぜ堕落するのか』(「天ダラ」と略すそうである)を勧められたが、読み通す自信がまったくない。どんな強い酒と合わせようかと悩んでいるところだが、いかんせん、本自体がとても高価なので買うこと自体を迷いはじめた。しかし強い酒は飲みたいので、ぜひ買うことにする。
(■『本と酒と俺』2010年1号 500円86PA5判)http://d.hatena.ne.jp/yumyuri/

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2011年1月29日 (土)

OL財布事情の近年史/第18回 お金、それは「遊ぶもの」女子大生ブームまっただ中のユルいアルバイト

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 好景気の追い風を受けて、どんどんお金が増えた80年代。金融の自由化が進み、1983年には中期国債の銀行窓口販売、85年に大口定期預金金利自由化と、有利な金融商品が身近になってきた。また84年には新札が発行、聖徳太子から諭吉さんとなって1万円もそれほど恐れ多い金額ではなくなってきた、かも。
 貯蓄に覚醒しはじめたOLにとって、「使うもの」だったお金は、「遊ぶもの」になった。『an・an』84年11月号「10万円貯めよう」では、「なにしろまず10万円を作るためのガイドから」として、読者の「ユニーク貯め方」を紹介しているのだが、確かに当時ならではユニークさである。
 23歳のスタイリストは、「撮影で使った布の端布でアクセサリーやポシェットを作ることも(略)ほしがる人に2〜3000円で売ってあげちゃう」。友だち手作りの布ポシェット3000円。今ならぼったくりといえよう。さらに「獣医さんに頼まれて猫の移動用フロシキを1枚2000円で縫ってあげてます」。それオイラやるっ!って注文するかそんなもん今! 
 とにかくアルバイトでも何でも、おいしすぎる事例ばかり。18歳学生は「六本木で月に4回あるアンティーク・バザー」でバイトをしているが、「〈コレ、下さい〉といったら、〈ハイ、ドーモ〉といって袋にいれるだけのラクーな仕事。なのに時給は2000円(略)ホントーに笑いがとまりません」。雇っているのは土地バブルの投資家か。そういえば83年には「オールナイト・フジ」がはじまり、女子大生ブームのまっただ中でもあった。また、姉妹でレストランを経営している22歳は「各テーブルに合計5匹の猫貯金箱を(略)たまーに酔っ払ってゴキゲンの人が500円玉を入れてくれたりして、5匹は1か月に1万円くらい稼ぐようになりました」。募金しないのか! まあしかし、若い姉妹オーナーに鼻の下を伸ばしてる代理店オヤジの図が思い浮かびますな。
 若い女性が存分にその価値を貨幣に変え、財布が潤沢になっていっているせいか、お金にルーズになっている面も。23歳OLは、飲み会で必ず「支払係」になる。「10人で行って2万7000円だとするでしょ、私はすかさず、カードを出して払うワケ。そういう時って、小銭は考えないで、みんな3000円ずつくれるから、9人合計で2万7000円、私はいつの間にかタダに」って、それズルですから!お釣り渡しなさい!
 そんな危なっかしい貯め方を紹介している『an・an』のコメントもおもしろい。「てっとり早いアルバイト、何かいいのない?いいの。」「いままでは、ぜんぜん関係なかった、銀行や証券会社も、もっと利用なのです。より知的に、合理的生活を送るためにも、とてもいいチャンス、ガンバろう!」など、いかにもコピーライターブームの頃らしいですね。「イン」で「とんがった」おしゃれさんたちも、「お金、大好き!」と堂々と言えるような雰囲気が作られていたといえましょう。もっとも「クレジットカードなら買い物してから10万円貯めればいい。」「いざとなったらキャッシングで10万円の借金!」と、内容はやっぱり大いに危なっかしいのだが。(神谷巻尾)

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2011年1月28日 (金)

中国農薬問題の新解釈

 先日、経済系のセミナーで面白い話を聞いた。
 日本の製品は海外では高くて品質も悪いと評判だという。その「品質」の定義が面白かった。例えばインドでは日本のエアコンは売れない。というのも運転音が少な過ぎるからだという。真夏のインドでは、小さなエアコンで完璧な涼しさを求めるのが、そもそも無理。だからこそエアコンの稼働音が重要とのことだ。いわば風鈴の役目を、エアコンが担っているというわけである。

 なるべく静かにエアコンを動かそうと頑張ってきた日本のメーカーに、このような発想はない。しかも現地から情報を吸い上げないから、使う人が何を望んでいるのかが本社に伝わらず、海外での製品の評価を下げているという。うるさいエアコンをつくることなど、さして難しくもないだろうにである。

 中国の農薬問題でも、現地で商売している人に面白いことを聞いた。ジャブジャブに農薬を使うのは、彼らにとっての「高品質化」ではないのか、というのだ。
 こちらが理解不能な顔をしていたからだろう。彼は面白い体験談を披露してくれた。
 中国のホテルで紅茶を頼んだときのこと、4~5杯は取れるであろうティーポットに、リプトンのティーパックが1つだけ入っていたという。当然、お湯に薄く色をつけただけの代物となり飲めたものではない。
 仕方なく、お湯の量を半分にして追加で紅茶を持ってくるよう頼んだ。ところが大変だったのは、ここからだった。英語は通じているのに、お湯を半分しか入れないティーポットを持ってくることに、ウェイトレスが難色を示し、20分近く説得するはめになったというのだ。
 結局、説得には成功したものの、かなり無理無理持ってくることになったという。

 どうしてこんなことになったのかわからず、中国文化に通じている日本人にたずねたところ、量が減ってしまうことに対する無礼を恥じたのだと説明されたそうだ。
 通常より高い料金で紅茶を出しているホテルで、量を少なくしてお客様に持ってくることに耐えられなかった。そんな無礼は、ホテルの従業員のプライドにかけてできなかったのだ。
 日本人には理解できないが、ウェイトレスさんなりの信念の行動だったらしい。

 これと同様の思考で、中国人が農薬を使っている、と彼は感じたことがあったそうだ。農薬を使えば製造原価は上がる。けれども高級な野菜な仕上げるために、大量に散布した。そうしたら今度は非難された。せっかく高級なものをいっぱい使ったのに何でだ、と。

 もちろん農薬問題のすべてを、この理屈で解釈する気もないが、日本人が考えもしなかった方向で問題がこじれた可能性があることを、書いておきたいと感じた。(大畑)

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2011年1月27日 (木)

ロシアの横暴/第52回 当局お気に入りの反体制派!?(下)

 そんな疑問が持ち上がっている最中に、疑惑をだめ押しする小さな事件が起こった。12月31日、いつものとおりアレクセーエワ女史が主宰する人権擁護団体の集会が開かれたが、その会場で、同じく人権活動家であるネムツォフ元第一副首相が逮捕されてしまった。逮捕といっても15日間のブタ箱入りといって軽犯罪の部類で、酔っぱらって路上で寝ていても、カミさんをぶん殴ってもやられるくらい一般的な逮捕である。逮捕の理由は公式には「集会のとき警察の警告を無視した」となっている。だが、この集会は毎月末に開かれているから、警察の警告を無視するのは毎度のことのはずだ。ほんとの理由はほかにある、とカフカスセンターが配信した。いつも口汚くロシアを罵り、チェチェン版大本営発表の源であるあのカフカスセンターだ。このサイトの言うことだから、大半はガセと思っていると時々損をする。

 それによるとネムツォフ氏が主宰者アレクセーエワ女史と口論をしたからだという。実はこのサイトはかなり前からクレムリンとアレクセーエワ女史はつながっている、と折に触れて流していた。そう言えば2月ほど前にも、拘束されたところで半日以内に無罪放免になる反体制活動家、と嫌みっぽい記事を載せていた。 
 ネムツォフ氏が15日間のブタ箱入り、という記事を読んだとき、それまでの疑問が一気に解けた。

 先般紹介したアンナ・ポリトコフスカヤ著『ロシアン・ダイアリー』のなかにアレクセーエワ女史が参加する「全国市民会議」なるものの集会の様子が手短に述べられている。
「主催者は(アレクセーエワ女史ら数人)幹部席にすわり、プーチンに対するいかなる批判も過度であるとしてひねり潰す・・・・(略)・・・ひな段に陣取る面々はいつもと同じ顔ぶれで、会議を単なる雑談の場にしてしまった。それぞれがお山の大将になりたいのだ。」 
「全国市民会議の運営委員会が開かれた。もっとも重要な人物はだれかという不毛な討論で終わってしまった」
 しかもアレクセーエワ女史は「市民社会の人材と育成に関する大統領諮問委員会」のメンバーで、彼女の言うことにはプーチンが耳を傾けるとされているらしい。プーチン批判はどれも過度である、とひねり潰すのも頷ける。 
「市民会議はあんまり期待できない」とアレクセーエワ女史も認めている。じゃあなぜ時間を無駄にするの、というポリトコフスカヤの質問に対しては「だって、わからないじゃない。うまくいくかもしれないもの!」

 たしかに女史は引退インタビューのなかで  「この国の人たちは日々の暮らしに追われ、自由や権利を勝ち取ろうとしてこなかった。でも、今はソ連の呪縛(じゅばく)から逃れ、自らそれを手にしようという大勢の若者たちがいる。彼らがこの国を変える。十年か十五年か、私は見られないかもしれないが、そんなに遠い未来じゃない」(『中日新聞』2010年10月25日)と語っている。どうやら楽天的な女性のようだ。ロシアの国民が日々の暮らしに追われ自由や権利を勝ち取ろうとしないのは今も同じである。ロシアを変えようとする若者など皆無に等しい。いや大多数の若者たちは変えたくてもできないのだ。プーチン大統領公認の委員会で雑談をしていてはそんなロシアの若者たちの姿は見えまい。

 そういえば女史は将来を案じて一緒に亡命した二人の息子を米国に残して93年にロシアに帰国している。息子たちはもう若者とはいえない世代としても、自分の息子や孫たちには、ロシアの未来を担わせたくないのだろう。自分には大統領も一目置いている・・・自分は人権擁護活動を長くやってきた・・・などなど幻想に近い思い上がりが女史を支えているのだ。その思い上がりがプーチンに便利に使われているだけのことである。インタビュー記事などを読めばわかるとおり、彼女の発言は何の迫力も説得力もない、思い出話に毛の生えた程度の自伝的武勇伝である。(川上なつ)

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2011年1月25日 (火)

「ランチパックの本」続編/#57 粒々イチゴジャム&ホイップ

P57 こんにちは、アストラで出させていただきました「ランチパックの本」を書いた香山哲です。

今日はシリーズその7、「粒々イチゴジャム&ホイップ」です!

ジャム&ホイップ関連のランチパックは、今まで星の数ほど出ています。それだけに新しい物はかなり趣向が凝らされていたり、味が面白い物があったりと、期待度が高いです。この「粒々イチゴジャム」は、タイトル通り粒々な感じを特色に据えていて、あのイチゴの種のような粒々(あれは種じゃないって学校で習いました)だけでなく、果肉の質感もあって、手作りジャムのようなおいしさが味わえます。

昔はジャムパンと言うと、駅の自販機とかでも売ってるビニール袋入りの、ちょっとパサパサ気味のパンの中に、ウソっぽい均質なイチゴジャムが入った素朴な物を想像したもんですが、今やパンもジャムも随分おいしく進化したもんです。たった20年やそこらで、コンビニだからと言っておいしさを妥協しなくていい時代になったのは本当にすごいなあと思います。

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2011年1月24日 (月)

「ランチパックの本」続編/#56 梅ジャム&ホイップ(和歌山県産南高梅のジャム使用)

P56 こんにちは、アストラで出させていただきました「ランチパックの本」を書いた香山哲です(amazonでも売ってます!)。

今日はシリーズその6、「梅ジャム&ホイップ(和歌山県産南高梅のジャム使用)」です!

各地方の特色を生かした地域限定ご当地ランチパックもたくさんありますが、梅ジャム味のパンは生まれて初めて食べました。よくトマトが果物か野菜のどちらか…で迷うけど、梅もなかなか迷います。食べるとやっぱり不思議な感じ。この梅ジャムはリンゴのジャムと柑橘類のそれとを合わせたような、フルーツ度の高い仕上がりになっていておいしかったです。甘酸っぱい感じがホイップで和らいでいるのもいい感じです。

パッケージは梅の実をかかえた男の子と女の子のイラスト。ランチパックはその味によってパッケージデザインの帯の部分の色が変わるんですが、緑は珍しいですね。赤や黄色が多いです。こういうフォーマットのバリエーションもランチパックの魅力の1つですね。

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2011年1月23日 (日)

「ランチパックの本」続編/#55 もち&ミルキーホイップクリーム(ミルキークリーム入り)

P55 こんにちは、アストラで出させていただきました「ランチパックの本」を書いた香山哲です(こないだ通りかかったデイリーヤマザキにたくさんありました!)。

今日はシリーズその5、「もち&ミルキーホイップクリーム(ミルキークリーム入り)」です!

ご存知有名な不二家ミルキーとの共作は「ランチパックの本」でも取り上げましたが、それとは違うバリエーションです。甘さの強いミルキーのおいしさと求肥の組み合わせが新しい!そしてそれをパンでサンド…考えると奇妙な感じだけど、考える前に食べる!すると、おいしいです。

パッケージにはペコちゃんが大きく載っていて、妖精の二人はおもちのような物を協力してのばしています。これを見て連想するのだけど、もちとミルキーはやっぱり合うと思うのです。ミルキーは洋菓子という感じよりも、七五三の千歳飴のような感じなので、もちとも自然と合う気がするのです(実際不二家は千歳飴もたくさん作っていて、ペコちゃんのミルキー千歳飴もあります)。

だからといってパンでサンドするのはやはりまだ不思議な感じがするんだけど、食べておいしいんだから納得せざるを得ない!

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2011年1月22日 (土)

ロシアの横暴/第51回 当局お気に入りの反体制派!?(上)

 どこの国でもそうであるが、市民派、とか反体制といえばそれだけで何となく「すごいヤツ」の評価を得るようだ。まして、共産主義の独裁から抜けだした(と思われている)あのロシアで命がけの反体制活動をやるのはどんなに勇敢な人たちなのだろう、と羨望や尊敬が入り交じった賛美のことばを送られる。
 こうした十把一絡げのものの見方は、知らないうちに思いがけない落とし穴にはまる可能性がある。

 昨年の秋に、ロシアの有名な人権擁護団体であるモスクワ・ヘルシンキグループ の長老、リュドミラ・アレクセーエワ女史が活動の一線から退くことを表明した、と日本の新聞のいくつかが報じた。アレクセーエワ女史と言えばプーチンの強権政治の中でも毎月末に小さな集会を開くなど地道に活動を行ってきたことで知られている。これらの新聞記事を繰ってみると引退インタビューは彼女の経歴を自己紹介するようなかたちですすめられた模様である。
 そのなかの経歴紹介にどうも不思議な供述が2、3ヵ所あった。

 それによると女史はソ連共産党のエリート評議員だったが、1968年にある人物の擁護署名を提出したことで、党から除名され、勤め先も解雇された。もっともこれはソ連ならばごく当たり前のことで驚くにはあたらない。そのあと1年半の失業期間を経て再就職することになったところが驚きである。この当時、反体制活動で職を追われたエリート党員が再就職する先は公衆トイレ掃除婦か、うまくいって警備員ぐらいである。収容所か精神病院に押し込まれなかっただけありがたいというものだ。それなのになぜかアレクセーエワ女史だけはソ連科学アカデミー情報科学研究所の編集員として再就職している。ここがまず大きな謎である。

 76年に人権擁護団体モスクワ・ヘルシンキグループ を立ち上げると国家保安委員会に踏み込まれるなど弾圧を受けるようになったそうだ。これもソ連ならば当然至極である。不思議なのは、一緒に活動していた反体制活動仲間の2人は逮捕され、特別囚収容所に7~8年放り込まれることになったというのに、女史は同じく反体制活動家である夫と二人の息子とともに、つまり一家をあげて翌77年、ソ連人憧れの的である米国に出国した。米国での職がまた驚きである。ソ連向け反共放送のスタッフだ。この出国劇が二つ目の謎である。
 「ソ連向け反共放送」のスタッフになりそうな人物を家族ぐるみ出国させるほどソ連も愚かではないと思うのだが。

 ちなみにこのころはソ連からの亡命ブームで海外公演の隙をついて亡命する芸術家やスポーツ選手があとを断たなかった。そんなとき反体制グループの旗手が外国に、それも冷戦相手の米国に出国できたのは奇跡としか言いようがない。インタビューでは「夫とふたりだけならまだしも、二人の息子のことを考えるとそうするしかなかった」と、女史はインタビューの中で語っている。これなら「米国に脱出したければ子供をつれて反体制活動をすればよい」と政治風刺小咄すら出てきそうだ。

「国際的批判を気にして政権は私に手出しできない」アレクセーエワ女史はそう言っている。たしかにそうらしい。しかし、政権がこの老婦人に手出ししないのは「便利に使える」からである。ロシアでは人権侵害がおこなわれているとか、集会や発言の自由がないなどしょっちゅうやり玉に挙がっているが、そんな国際社会の批判に「名うての反体制派が自由に活動しているじゃないか!」と反論できる。
 自身が主催して開いてきた毎月末の小さい集会の都度、こづかれたり、引っこ抜かれたり、罵声を浴びせられたりしたとのことであるが、そんな程度で済むのがヘンである。本物の反体制活動なら2度と集会は開けない。生きて帰れるかどうかもわからない。おそらく女史本人は気がついておらず、単に自分がエライからだ、と信じているに違いない。

 高齢だから見逃してもらっているのでは、という見方もできる。しかし、高齢だろうが少女であろうが、「有害人物」は消されるのがこの国の相場だ。
 高齢だから、いわゆる痴呆が始まっていて自分がだれだか何をやってきたのかよく思い出せないのかも知れない。しかし、共産党の評議員だった人物が体制批判を始めたのに、収容所にも送られず、精神病院に押し込まれもせず、家族そろって米国へ出国したことを本人のみならず、マスコミも認めているのだからまさか「老齢による幻想」ではないだろう。(川上なつ)

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2011年1月21日 (金)

OL財布事情の近代史/第17回 ノーリスク・ハイリターンが当たり前!80年代中盤OL

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 アフターファイブ、何それおいしいの。と言われそうな昨今。担当さんが探してくれたデータ(住信SBIネット銀行株式会社「アフター5 に関する調査」。2010年8月、有効回答数1,211 人)によると、20代〜40代の会社員に聞いたアフター5の過ごしかたでは、86%が「まっすぐ帰る」でダントツである。理想の過ごしかただって、「スポーツ」42%に次いで、37%が「まっすぐ帰る」。理由は「仕事で疲れているから」(49%)、「お金をあまり使わないようにするため」(37%)など。働けど働けど金はなく、家でじっとする平成サラリーマン。うわーん。「おしゃべりして、ゴロゴロしてるなんて、意識低い!」と怒られていた80年代はなんと贅沢だったことでしょうか。

 金もヒマもあるけど、仕事に邁進するわけでもなく、意識もあんまり変わらないように見えた80年代中盤OLだったが、実はお財布に関して、この頃急激な変化の兆しが現れる。84年後半頃から女性誌に登場し始めた記事のテーマ、それは「貯蓄」である。
 『ウィズ』84年1月号「〈虎の子100万円〉をどうするか!?」、85年3月号「コンピュータで診断 300万円貯める早道」、『an・an』84年11月号「10万円貯めよう」など、貯めるためのハウツー企画が目白押し。『ウィズ』84年1月号では、OLさんが貯蓄体験を語っているのだが、驚愕して二度見、三度見したのが次の一文である。

「コツコツ貯めたところで、五年で元金の一・五倍程度でしょ。」

 1.5倍ですと? 動揺しながら計算してみると、年利8.45%となった。えええ?そんなによかったでしたっけ? 動悸が早くなりつつ金融商品の解説記事を見ていくと、「一ヶ月複利で増えていく中期国債ファンド」「金利が七%前後と低いなら、ビッグで金利が上がるのを期待せよ」「ハイパックの十年ものが一番です。年利回りは一一.〇七パーセントで、今100万円を預けると、十年後の満期時には210万7000円にもなります」。××!思わず呪詛の言葉を吐きそうである。書きたくはないが今の預金金利、普通預金0.02%、スーパー定期5年もの0.085%。100万円を定期に預けて5年後、100万4257円である。××!
 気を取り直してOLインタビューを見ると、当時の状況がなんとなく見えてくる。先の一・五倍発言の29歳経済調査所勤務OL、預貯金を通り越して株を始めたのは三年前、「上司が株をやっているのを見聞きして、知的な遊びで、ガッポリ儲けられるなら、こんないいことはない、と思ったから」で、失敗しながらも「一年で二倍の儲け」をあげている。28歳TDK勤務女性は、就職してから毎月2〜3万円定額貯金に入れていたが、旅行のために「普通預金に入れて放っておいた」ことがあとからもったいないと思い、結婚のために辞めたときは退職金を中期国債ファンドに預けた。「100万円預けると、五ヶ月で102万円ぐらいになるっていうのは、すごいウマ味でしょ」と得意げだ。貴金属輸入販売会社勤務29歳は、結婚後のマンション購入に向けて「小金が100万円以上たまって、五年後に、というスケジュールが決まったとき、ふと考えたんです。五年間でふやす、最も有利な手はないかって」。で、「100万円が五年後には144万円ぐらいになる」ワイドを選んだ。
 給与に余裕があるから毎月貯蓄に回し、数年働けばまとまった額にもなる。そしてふと気づけば世の中高金利時代、有利な金融商品があふれている。目に見えてお金が増えていく楽しみもあり、貯金=美徳という免罪符もある。さきほどの株OLの言葉を借りれば「知的な遊び」である貯蓄が、当時のOLにピタリとはまってしまったのだろう。

 これ以降昭和の終わりまで、OL財布はマネーゲームの道具として盛り上がっていく。最近、伊達直人現象や祐ちゃん人気の共通点が「昭和な気分」というような記事を見かけたけど、そんな美しいばっかりの時代じゃあなかったよ、昭和。(神谷巻尾)

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2011年1月20日 (木)

美味しいモノが食べられなくなる!?

 数人の食品メーカーの経営者とお話しする機会があった。そのメーカーは小規模だが、高品質の商品を作ることで知られる老舗である。あまりに美味しいので、私自身、機会があれば買ってしまう。そして一気に消費してしまう……。で、たいがい太る。

 しかし、その経営者たちは一様に正社員を抱えるのが辛い、と話す。社会保険料を払っていたら、会社が立ち行かない時代になったとこぼすのだ。仕方がないので、保養控除額の範囲内での仕事を希望する主婦のパートさんを雇うことにしたという。細かな時間のやり繰りが必要なパートさんの雇用は、経営者側にすると手間のかかる側面もある。だからといって社員でまかなうとなれば、経営陣の給料が大卒初任給レベルまで下がってしまう。いまでさえ400万を大幅に割ってしまうので、どうしようもない、と。

 そんな状況に追い打ちをかけているのが、原材料の値上げだ。強烈なデフレ下にあって商品に値段を転嫁できないだけに、年々苦しさが増す。とはいえ商品のレベルを保つためには、原材料のレベルの維持は至上命題だ。
 それでも10年以上前ならば、どんぶり勘定が許された部分もあり、なんとなく収支が合っていたが、そんな時代でもなくなったとのこと。
 結局のところ、「誰がもうけているんだろう?」という話になった。

 もちろん取材ではなく雑談のレベルなので、すべてを真に受けることはできない。ただ、もうかっているのを隠しての話とは、とても思えない。生真面目に商品を作っているメーカーほど、経営が圧迫されているのは間違いないようだ。
 あきらかに風向きが変わったのは10年ほど前からだという。つまりITバブル崩壊あたりから、日本の製造業で何かが変わってきたのだろう。

 商品力がなく、売り上げが落ちているなら時代のせいだともいえる。しかし、ひいきのお客を抱え、何十年も続いてきた食品メーカーが、ほとんどの社員をパートにしなければならないほど追い詰められているのは、どこかおかしい。

 ふっと思い出したのが、知り合いの経営者で儲かっているのが、コンサルなどモノを作っていない人ばかりのことだ。
 製造部門がなければ、在庫を抱える必要がなく、原材料費などに経営を左右される心配はない。もちろん常に価値ある情報を発信し続けなければならない大変さはある。ただ、こうした企業は製造業がしっかりと動いてこそ意味があろう。
 モノづくりの現場が荒廃してしまっては、どれだけ戦略家がいても仕方がない。

 とにかく美味しい食べ物が消えてしまうのだけは耐えられない。食べることだけが趣味の私は、心からそう思う。
 企業支援のためにも、また買って太るとするか!(大畑)

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2011年1月18日 (火)

『末っ子男子のオトし方』を読む

■『末っ子男子のオトし方」(島田裕巳著・白夜書房・1300円+税)

 思わず夫、弟、男友達、女友達などを思い浮かべながら読んでしまった。
 だいたいあてはまるというか、「わかるわかる」という箇所が多い。もちろん当てはまっていないところもあるが、これはあくまでも血液型や県民性と同じ系統の性格診断だし、科学的根拠にも基づいているものでもないのでしょうがない。
 ただ、性格や人格の形成は環境に左右されるところがあると考えている私には、たかが血液の型でこういう性格だと決め付けられるよりも、長女だから面倒見よさそうだとか、末っ子だから甘えん坊だよね、といわれるほうがまだ事実に近いから受け入れられる。

 本書のタイトルが『末っ子男子のオトし方』といかにも恋愛本なので、私には必要ないけど面白そうだからいいかな、と軽い気持ちで読んでみたのだが、意外や意外、既婚の私にも使える情報満載だった。恋愛に限らず、友人にも応用ができそうだ。
 構成は、第一子、真ん中、末っ子、一人っ子の基本的な性格、恋愛傾向、セックスの傾向、女子の兄弟構成からの攻略法となっている。ボリュームありの内容。
 簡単に傾向を書いていくと、第一子「堅実、ケチ、結婚向き」、真ん中「空気を読む、独立心旺盛、ミーハー」、末っ子「甘ったれ、モテる、自己中心的」、一人っ子「個人主義、甘えべた、平和主義」。
 結婚相手としては第一子が一番釣りあげたい相手に思えるが、恋人であればレア気味(3人以上の兄弟が少なくなっているかららしい)の真ん中もいいかもしれない。一人っ子はいささかギャンブル的要素が強い。姑のチェックも同時に行ったほうがよさそうだ。

 巻末にではあるが、女子の恋愛傾向も書かれている。弟持ちの第一子の私は「世話焼きのダメんず好き」で、好相性なのは末っ子らしい。85ページからの詳細を読むと自己中で甘ったれの女ったらしとあるのでどう考えても組み合わせは最悪。結婚しても幸せにはなれなそうだ。とはいえ、年をとっても男は子供だということいやでも実感させられる弟持ち女子と、甘えん坊で頼りなさそう(そこが母性本能をくすぐる)な末っ子はパズルのピースのようにはまってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
 もしかしたら世のダメんず好きのほとんどが、弟持ちの長女……だったりして。そういえばちらほらと思い当たる節がいくつかある。
 一応、第一子である夫との相性を確認したところ結婚相性ばっちりということなので安心したのは言うまでもない。

 初対面の人に聞くことといったら血液型や出身地のほかに兄弟構成を聞くことが多い。年収や職業と違って、聞いても差し障りない情報だし、そこから共通点や会話の糸口を見つけるのも簡単である。。
 気になった相手がどんな性格かをしる判断材料で最もポピュラーなのは血液型だが、それ以外の方法で、相手の性格や恋愛パターンを知りたい!という恋する女子はぜひ一度読んでみてほしい。気になる相手へのアプローチ法がまた一つふえるかもしれませんよ!(奥津)

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2011年1月17日 (月)

「ランチパックの本」続編/#54 CoCo壱番屋監修ポークカレー

P54 こんにちは、アストラで出させていただきました「ランチパックの本」を書いた香山哲です。

今日はシリーズその4、「CoCo壱番屋監修ポークカレー」です!

タイトルの中に「監修」の2文字。協力相手の屋号を大切にするランチパックの、何とでも仲良くできるパワーはこういう所にも表れています。お馴染み、全国にチェーン店を持つカレー屋さん「CoCo壱番屋」の監修を受けたポークカレーが入っています。

味はかなり本格的と言うか、確かに普通の惣菜パンのカレーパンとは違う感じのカレーに仕上がっています。まず、ちょっと辛い。辛い物に慣れていない小さい子どもとかはちょっと苦手かもしれません。逆にカレー好きなら珍しい感じのカレーパンでいいと思います。風味がいいです。

イラストもココイチの制服を着てカレーライスを持っています。パッケージ裏面にはココイチの歴史に関するコラムが載っています。見つけたら是非見てみてくださいね。

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2011年1月16日 (日)

「ランチパックの本」続編/#53 ディーツ入りソーセージ(シャキシャキオニオンソース使用)

P53 こんにちは、アストラで出させていただきました「ランチパックの本」を書いた香山哲です。

今日はシリーズその3、「ディーツ入りソーセージ(シャキシャキオニオンソース使用)」です!

ディーツって何?っていう人もいると思いますが、これはパッケージの説明によると「大豆とこんにゃくででき」ているらしいです。おからこんにゃく的な物でしょうね。これをソーセージに混ぜる事によって、たぶん低カロリーで食物繊維が摂れる、健康的なソーセージになるんだと思います。

豆腐ハンバーグとか、そういうのだとなんとなく肉っぽさが失われすぎてる気がするのも多いけど、これはきっちりソーセージしてました。オニオンソースはマヨネーズドレッシングのような感じで、ソーセージとも合っていて、全体的にさっぱりとしたサンドイッチになっています。

イラストのハム切り用っぽい包丁が雰囲気出てていいですね。特殊な包丁は結構世の中にたくさんあって、僕もこないだ初めて冷凍包丁(平で細かいノコギリになっている)を見ました。チーズナイフや骨すき用ナイフなんてのも家にあったら、たまにしか使わないけど料理が楽しいでしょうね。僕はまず、パンを切るナイフすら無いのでそれが欲しいです。

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2011年1月14日 (金)

OL財布事情の近年史/第16回 アフターファイブって何だっけ……

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 今年の成人式の報道は、お祝い気分もそこそこに、不況に就職難で苦しい若者ガンバレという論調が多かったような気がする。比較のためか超売り手市場だったバブル期の、内定4社もらっただの、囲い込みで海外に連れて行かれただのといった就職活動風景が流れ、テン年代の若者の神経を逆撫でしなかったか不安であった。
 さて、就職にもお金にも特に苦労しなかった時代に戻ろう。結婚までの期間限定だったOLが、仕事に目が向き始め、男性との格差に気づき、自分の給料を客観的に見たいという欲求の萌芽が見て取れるようになった80年代中盤である。そういえば、この頃の『コスモポリタン』には「OL」ではなく「ワーキング・ウーマン」と表記されていた。雑誌全体に「これからの女性は自立するのよ!」といった熱意あふれる口調が目立つ。
 1983年9月号「20代の決算書 あなたは豊かな30歳を迎える自信がありますか」では、「あなたは24時間を有効に使ってる?」と挑発。就職情報センター発行「OLは何を考えているか1981」という調査によると、アフター5の過ごし方は、ショッピングが92.2%、友人とのおしゃべり87.8%が上位で、お稽古ごとは53.0%と少ないことに不満げ。その内訳も「お花43.0%、料理24.9%、お茶24.1%と、花嫁修業必須科目が圧倒的に多く、資格取得の学校は8.5%、英会話6.5%、コンピュータ関係0.3%というのが実情」と、怒ってます。「会社にいる時間以外は、家でゴロゴロするか、買い物をするか、気の置けない友だちとペチャクチャやるか、というのが平均的20代OLの姿」と断言、キャリア・ウーマンも道が遠いと嘆く。
  1984年には読者への大規模なアンケート調査を「コスモ・ワーキング白書」として、10月号から数ヶ月にわたって連載している。仕事や収入支出の部分を見てみると、ここでも要求が高い。職場への満足度に関する質問では、「人生における仕事へのウェイト」が50%を超える人と50%以下のグループにわけクロス集計を行い、50%超えの方が「仕事の面白さ」「自主性・発言権の認められ方」「昇進や女性の能力評価」への満足度が高い、という結果を導き出している。お茶くみや雑用ばかりじゃ不満もつのるけど、仕事への意欲を燃やせば達成感も得られるんですよ、と啓蒙しているのだろう。
 一方「仕事に期待するものは?」の問いには、「経済的収入」と答えたのが4319人で圧倒的1位。お財布状況は、月に約215時間働いて手取り12万1000円、ボーナス3.6ヶ月、貯蓄額は50万円以下が29%。ここでは親元暮らしとひとり暮らしの支出の内訳の違いに注目している。交際費、美容・ファッション費、娯楽費、貯蓄など、ほとんどの項目で親元暮らしの方が多いが「教養費だけは逆転して、1000円高とガンバリ精神を発揮」「親元暮らしはかなり甘え気味。向上心の強いひとり暮らしのほうに軍配が上がりそうです」と、たったの1000円高を大フィーチャーして独立派を擁護している。
 またここでも「アフター5や休日の過ごし方」の項目があるが、そもそもアフター5って言葉自体、死語? 今5時以降にあえて何かする意識ないのでは。だいたい5時に終わる職場も皆無だろうし。まあ案の定「ショッピング」「家でテレビやレコード鑑賞」「女友達とおしゃべり」が上位に来て、「勤務先の勉強会」などは「驚くほどの少なさ、これはちょっと、ワーキング・ウーマンとしてあまりに意識が低いんじゃない」と、コスモさんカッカしている。
 しかしこの調査、年齢が22、23歳が最も多く、勤続年数1年以下が45.6%、親と同居が64.7%と、どう見てもお嬢さんOLメイン。意識はまだ旧世代、でも景気が急によくなって、仕事への意識が変わってきた。めざすのはキャリアウーマン、と発破をかけられる。しかし果たしてみんなそこを目指したのだろうか。その後のOLを思い浮かべると、もちろんキャリア志向もいたけれど、ジュリアナ、ボディコン、三高結婚、派遣OL等々、必ずしも仕事へのウェイトが高くなっていったわけではない。ちなみに『コスモポリタン』日本版は、2000年頃から表紙が欧米人モデルから日本の著名人に変わり、2005年2月に廃刊。ワーキング・ウーマンへの高い理想も、そう長くは続かなかったといえよう。
 OLはどこへ行く。彼女たちを大きく動かしたもの、それは。-- to be continued.(神谷巻尾)

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2011年1月13日 (木)

ホームレス自らを語る 第94回 波瀾万丈の人生だった(後編)/高原孝さん(65歳)

 昭和48年のオイルショックで大工の仕事がうまくいかなくなって、東京から佐原(千葉県)の田舎に帰った。で、ヤクザになった。地元のヤクザの組に入ったんだ。37か38歳のときだね。
  それで博奕場で盆ゴザを引いたり……自慢じゃないけど、盆ゴザを引かせたらオレは関東で3本の指に入るといわれたからね。「高野はツボの中のサイの目が見えてるんじゃねえか」 っていわれるくらい思い通りの目が出せたんだ。
 それに 「切り取り」 もやった。切ってでも、張ってでも、借金を取り立ててしまうことだよ。ただ、オレは理屈に合わないことはやらないからね。高利貸が個人に貸しつけた借金の取り立てのようなことは、たのまれてもやらなかった。

 いつだったか潮来の水郷一帯に、町がアヤメを植えたことがあってね。そうしたら養殖のウナギが全滅してしまった。それでオレが養殖業者の代表になって、町とかけあって補償金を取ってやったことがある。ほら、佐原は飯岡の助五郎とか、天保水滸伝の舞台になったところだろう。任侠の伝統が強いんだよ。
  そのうちに 「あんたはこんな田舎に燻ってちゃいけない」 と、東京の組を紹介してくれる人があってね。また東京へ出ることになった。42歳のときだ。

  それで入ったのがT会。T会は戦後の西銀座から興った新興ヤクザの組で、オレが入っころは六本木を根城にして、構成員1500人を抱える東京ヤクザの一大勢力だった。T会が凄まじいまでの暴力闘争を繰り返して、勢力拡大をしてきた話は伝説的だよ。その先頭に立っていたのがM組長。そのころはもう代を譲って、名誉職の会長になっていたけどね。

  そのM会長にすぐに気に入られてね。どこへ行くにも 「孝隆、ついてこい」 って、オレが名指しで指名されるんだ。そのころ会長はT会が経営していた六本木の超高級会員制クラブの最上階に住んでいて、オレもそのビルの一室を部屋にもらったからね。

  会長のボディガードは、いつもオレ一人だろう。それが直参の組員にしたら面白くないわけさ。「てめえ、道具(武器)も持たねえで会長を守りきれるのか?  ケツは持てるのか?」 古参の組員にそう吊るしあげられたこともあった。「アタシが先に刺される覚悟はできてますから。敵に背中を見せるようなことはしません」 って啖呵を切っておいたけどね。

  T会はのし上がり方がすごかったから、会長を恨む敵も多かった。それに会長の首を取って男を上げようっていう若いチンピラもいたからね。常に危険と隣り合わせだった。実際に襲われたこともある。ある義理場(冠婚葬祭)に行ったときだ。黒塗りの車がスーッと寄ってきてね。オレは 「ヤバい」 って予感がして、咄嗟に会長をかばった。車から拳銃が2発発射されて、2発ともオレの右脚に命中した。それで会長にケガはなかった。オレは守りきったよ。「孝隆、死なばもろ共だな。おめえがオレの三途の川の渡し守だ」 会長はそう言ってくれた。

  側で見るM会長は男のなかの男だったよ。きびしい人だったけど思いやりもあった。「コパカバナ」 とか 「ニュー・ラテンクオーター」のような高級クラブにお供しても、オレだけを外で待たせるようなことはしないんだ。いつも同席させて、酒も料理も同じものを2人前取ってくれたからね。「オレはいつも狙われている。狙撃されたら先に死ぬのは孝隆なんだから、オレと同じものを食っていいんだ」それが会長の口癖だった。

  そこまでよくしてもらったんだが、46歳でT会を辞めることになる。女に惚れちまったんだ。オレが指を詰める覚悟で会長に相談に行くと、「おめえの指なんかいらねえ。その代わり2度とこの世界に戻るな。もし、戻るようなことがあったら、若い衆をやって命を取らせるぞ」 って言われた。それで退職金だといって 700万円もくれたよ。

  オレが惚れたのは飲み屋で働いていた女だ。ただ、正式の結婚はできなくて、内縁関係だった。別れた前の女房の籍が抜いていなかったからね。
  T会を辞めてからは、千葉に帰って退職金を元手に山砂採取業を始めたんだ。千葉の山砂はクッション砂といわれて質が最高でね。ちょうど大宮バイパスが工事中で需要はいくらでもあった。1日でダンプ50台分くらい売って12、13万円の儲けにはなったからね。

  ところが、問題が起きた。オレはT町の山の権利を買って採取していたんだが、80度の急角度で採っていて、すぐ下を走る鉄道と国道が危険だという声があがった。それにいつの間にかT町の町境を越えて、隣のO町に入り込んで採取していたんだな。知り合いの町議会議員がやってきて、「町議会が追及することになった。責任者がいると具合が悪いから逃げたほうがいい」 とコッソリ教えてくれてね。そのまま夜逃げのようにして、また東京に舞い戻ったんだ。女?  ああ、そのときにはもう別れていた。

  それから9年。ずっと日雇いの仕事でしのいできたけど、その仕事も去年の6月からなくなった。あとは段ボールに寝るしかなかった。新宿の街を歩いていると、いまでもT会の若いのから声がかかるよ。だけど、M会長との男の約束があるからね。たとえパン屑を齧っていても戻るわけにはいかねえよね。
  人生にはいいときも悪いときもある。いまのオレは悪いときだけど、そのうちに暖かい春もめぐってくるさ。もう花は咲かせないけどね。いまは世の中がどう変わっていくのか見ながら、死に場所を探しているんだ。命の捨て場さえ見つかれば、喜んで死ににいくよ。(2002年3月取材 聞き手:神戸幸夫)

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「ランチパックの本」続編/#52 3種のミックスフルーツ入りクリーム

P52 こんにちは、アストラで出させていただきました「ランチパックの本」を書いた香山哲です。

今日はシリーズその2、「3種のミックスフルーツ入りクリーム」です!

これは2011年1月から始まっているNHK大河ドラマ「江(こう)~姫たちの戦国~」とのコラボレーションになっていて、ドラマで主人公となっているのが浅井長政の子の3人姉妹だから、それにちなんで「3種の」となっています。

男の子も女の子も時代劇風の格好をしていて、テンション高めです。フルーツはパイン、桃、りんごの3種類。フルーツの味がするだけでなく、果肉入りのクリームなので食感もいいです。フルーツサンドは古い喫茶店に行ったりすると見かけますね。僕はクリームソーダ、フルーツサンド、コーヒーゼリー、ホットケーキがある喫茶店が好きです(どうでもいい)。

しかし大河ドラマのキャンペーンも兼ねたランチパックとは、得体の知れないメジャー感に圧倒されます。

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2011年1月12日 (水)

鎌田慧の現代を斬る/第146回 軍備増強、財界ベッタリの菅政権

 明けまして、おめでとうございます。
 新年は明るい話をすべきなのですが、「めでたさも 中くらいなり おらが春」と一茶が謳ったように、今年は「めでたくもあり、めでたくもなし」の中途半端な正月になっている。これは政権交代にかけた期待が、1年たってパッとしない、2年目に入ってますます色あせ、2回目の正月を迎え、さてどうなるかと強まる不安感に依っている。
 すでに菅政権は、どれだけもつかという瀬踏みの段階となった。有権者の失望は深い。その要因の1つは、市民運動出身である菅直人首相が、この国をどうするのかといったビジョンをまったく示さないことだ。
 今年の大きな問題の1つは、沖縄の普天間基地の「移転」である。菅政権になって防衛問題でのタカ派ぶりが目立っており、普天間問題もそれと相呼応する形となっている。12月中旬に沖縄を訪問した首相は、辺野古への移転を「ベターな選択」と発言し、沖縄の人たちをがっかりさせた。ベストではないがベターであるとは、沖縄の人たちからの発想ではなくて、為政者のものだ。すなわち菅内閣あるいは米政府にとっての「ベター」でしかない。市民運動出身を標榜してきた菅の立ち位置が、市民の側ではなく、米政府や日本の財界の価値観を体現していることが、この発言からもわかる。
 さすがに保守派の仲井真弘多沖縄知事も「沖縄側の感覚は県内移設はすべてノー。セカンドベストやベターという話でなはく、バッドだ」と強く批判。首相が沖縄の現状を、「勘違いをしている」と不快感を隠さなかった。
 一方、政府も黙ってはいなかった。この会談のあと防衛省は、名護市への支払いを保留していた交付金、09年度の繰り越し分と10年度分となる約15億9000万円の支払いを凍結した。この交付金の中には、12年度開学予定の小学校敷地の整備費まで含まれていたというから穏やかではない。兵糧攻めである。その一方で沖縄県に膨大な資金を投じる振興策をちらつかせている。自民党政府とまったくおなじ対応だ。
 沖縄県民は県知事以下、圧倒的多数がもう基地は県内にいらないと主張している。だから、もはや県外で探すしかない。それでも県内に持ち込むというのは、もはや強盗政治でしかない。
 さらに菅政権は「動的防衛力」という構想を打ち出した。閣議決定された新防衛大綱によれば、「動的防衛力」とは機動性や即応性を重視するものだ。これまでの自衛隊は「基盤的防衛力」を標榜し、抑制的で静的な抑止力を目指してきた。しかし、今後は「仮想的」の脅威に対応しつつ、情報収集や警戒監視、偵察活動などの平素の活動も強化するという。
 これは兵力を動かしての防衛といえる。憲法では「武力による威嚇」を認めておらず、専守防衛が国の基本方針でもある。しかし動的防衛力は、この「武力による威嚇」に該当しており、専守防衛の枠組みにも収まらない。明らかに一歩踏み出している。防衛の概念が質的に変わったといえる。
 この変化を端的にあらわしているのが、大綱に書かれた潜水艦の数である。現在の16隻から22隻にふやす計画だ。潜って姿の見えない潜水艦は攻撃なしに防衛することはできない。またミサイル防衛(MD)に使うイージス艦についても4隻を6隻にふやすとされる。
 こうした増強計画は、空母を建設するなど、海軍力を強める中国に対抗すべく練られたものだ。しかしお粗末な外交の裏側で、軍備競争が激化するなど、かえって日本の危険を高めるばかりである。
 また新防衛大綱の話し合いでは、武器輸出三原則を見直す意見が政府内に噴出したことも報じられている。世論の批判が巻き起こって見送られたが、武器の国際共同開発・共同生産の必要性を訴えての見直し論は根強い。自民党政権でさえ着手できなかった見直しに、菅内閣が軽々しく手をだそうとしているのは驚くべきことだ。
 この姿勢の裏側には、財界の要求がある。武器輸出をしないと技術力が進まない、と三菱重工などの防衛産業は主張しつづけている。そうした圧力の中、MDでは米国との共同開発が実現してしまった。
 現在、共同開発したミサイルを第三国に移転可能にする基準の策定に、菅政権が着手すると発表されている。2006年の米国との取り決めでは、日本の事前同意なしに米国が第三国に移転できない「厳格な管理」が課されている。しかし現在は「厳格な管理」の内容は明確になっていない状況だ。武器輸出3原則の例外であるMDの移転基準を定め、第三国移転が行われれば、MD以外でもなし崩し的に武器輸出を認めることになる。
 もともと民主党の防衛政策は、前原議員などのタカ派からハト派までの議員によっていて、護憲とはいい難い。しかも党員には大企業労組の出身者が多い。政権取得後に防衛力の増強に力を入れはじめたのも、財界と一体化した大労組の意向でもあるので、不思議ではない。
 昨年10月には企業献金を再開している。さらに昨年12月には、企業減税を打ち出した。これも自民党ではなかなか実現できなかったことだが、あっさり手をだした。
 菅首相は今回の企業減税について、「正社員の拡大につながり、総合的に格差が是正される」(『毎日新聞』2010年12月17日)と語った。また、経済産業省も企業減税が国内総生産を2%以上押し上げ、121万人の雇用につながると政府を後押しした。ところが、経済界は首相に対して雇用増の約束を拒んでいる。
 企業は正社員の雇用をどんどん削って利益を高めてきた。それを規制しないで法人税だけ下げても雇用につながる保障はまったくない。不安定雇用を規制する法律をつくり、雇用を守る企業に資金を提供する政策にしないと意味がない。
 しかも懸案の労働者派遣法の改正案はいまだ成立の見通しが立っていない。その一方で派遣業界からの反撃もかなり激しくなっている。11月30日には日本人材派遣協会が新聞に一面広告を掲載した。見出しは「派遣だから、幸せになれた。」だった。「現在の労働者派遣法改正案は、派遣社員の就業機会を大きく損なう懸念があります。派遣社員が希望する働き方を選択できる社会にするために、事実に基づく冷静な議論を尽くし、わかりやすい法制度とすることを提案します。」とも説明が書かれている。さらに顔写真付きで派遣で「幸せになれた」実例が、3件紹介されている。
 広告に取り上げられている人たちのように、子育てと仕事の両方をにらみ、派遣を選ぶ人もいるだろう。しかし、これはごく少数である。少数の意見を拡大して取り上げ、安定化と社員化を願う人の願いを踏みにじるのは、あくどい。
 この広告には正社員になるために派遣社員を選んだという女性も登場する。人気のない方を主張するいわゆる「逆張り」だ。しかし正社員で条件に合う会社が見つからなくて、仕方なく派遣社員となり、半年後に念願の正社員となったと書いてある。なんのことはない。初めから正社員としての募集があれば、不安定就労に半年も就く必要はなかったわけだ。企業も派遣制度がなければ、最初から正社員を募集していたであろう。
 恒常的に雇用することもなく、そのときどきの必要に応じて必要な人員をピックアップして採用できる企業側の論理で動くのが派遣制度である。広告が謳う「派遣社員の就業機会」をふやすとの論理は、社員をどんどん企業から引きはがして派遣にすれば、こま切れの仕事がふえるということだ。しかし、ふえた仕事とはまったく安定した仕事ではない。流動化した不安定就労だから、なんの保障もない。船から放りだして、勝手に泳いでいろ、そっちの方が自由に泳げるだろうという理屈だ。
 財界は派遣を正社員化するなら、企業がどんどん海外に逃げていくと主張する。しかし、この論理にもウソが含まれている。そもそも企業の海外進出は容易ではない。まず多額の設備投資をしなければならない。土地を買い、設備を整え、現地労働者の教育の中心を担う社員を現地に住まわせるのには、莫大な費用がかかる。しかも文化の違いもあって、日本で成功した生産方式が通じるとは限らない。また日本人ほどの滅私奉公の精神はないため、条件が悪ければいっせいに辞めてしまうし、引き抜きに弱い、というリスクも抱える。結局、企業にとって都合のよい派遣制度を温存すべく、海外移転するぞ、と脅しに使ってるだけだ。(談)

全文は→「1101.pdf」をダウンロード 

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2011年1月 9日 (日)

寺門興隆を読む/第4回 2011年1月号「笑う門に極楽」

 あけましておめでとうございます。
 今年も何とぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、新年早々取り上げるのはやはり『寺門興隆』正月号。「1月号」ではなく「正月号」なのがにくい。
  今回も見事なラインナップ。表紙に書かれた記事紹介を引用しよう。
葬式なんて要らないと言う人に/住職よ!公益性になんか脅えるな/戦没遺骨問題/ガン患者に寄り添う/落語会の勧め/二十五菩薩来迎復活/寄付裁判/仏教ことわざ
 『葬式は、要らない』の衝撃がまだまだ続いているようで、「人生を仕分けたがる人々へ-葬式は要らない、戒名は要らない、お墓も要らない症候群」という記事を書いているのは、小説家僧侶の玄侑宗久氏。豪華な人選です。しかし最も気になるのは「落語会の勧め」ではないでしょうか。該当記事を見てみると、「笑う門に極楽 落語会のススメ」とあり、本堂いっぱいに年配の人々が集う写真が掲載されている。法話をしているかと思いきや、落語らしい。
 落語会を企画する副住職は、二十代の頃から「話術を学びたい」と寄席に通うほどの落語好き。なんと林家木久扇師匠をお寺に招いたり、小学校まで出張したりと本格的な取り組みをしている。
 ふうんとページをめくっていくと、なんと同じような取り組みをしている僧侶が他に二人紹介されている。なんと、お寺は落語ブームなのか。後には実践のための準備のコツ、落語家とのコンタクトの方法など実践的なアドバイスがのっていて、これさえあればいつからでも落語会を開けるような記事となっている。「我が寺でも落語会を!」と、実行してみるご住職も多いかもしれない。
 そしてびっくりしたのが「五十歳を過ぎ得度して宗派を開いたと宣言したのはなぜか」という記事。
 えっ新宗派ですか?!このご時世に!と思ってみてみてると、その宗派、「仏陀空也宗」というらしい。平成二十一年の開宗だって。これは記事の記者が「あやしい集団ではないのか」と危ぶむのも納得だ。
 本山は千葉県佐倉市。ご住職は「宗派を作らなかった空也上人の教えを、もっと広めたい」との考えで宗派を開いたとのことだ。寺出身ではないので、自分で土地を買い、お寺を建て、宗派を開いた。その行動力にはあっぱれと言いたくなる。
 これからの活動に期待、の新宗派。今年も寺門興隆は、いっそう面白くなりそうだ。(小松)

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2011年1月 8日 (土)

「ランチパックの本」続編/#51 あまおう苺入りクリーム&ホイップ

こんにちは、アストラで出させていただきました「ランチパックの本」を書いた香山哲です。

こちらのブログで僕が「ランチパックの本」では扱っていない、更なる未知のランチパックを追い求めるシリーズ、今日はシリーズその1、「あまおう苺入りクリーム&ホイップ(もち入り)」です!

苺大福っていうのはみんな知ってる馴染みの食べ物だと思うけど、こちらはパンの中にもち(求肥)、苺クリーム、ホイップクリームがサンドイッチ状に層となって入っております。このランチパックの求肥、ランチパッカーにはおなじみのおいしいパーツなんですが、かなり存在感があって素晴らしいです。

よくチョコレートパイのようなお菓子にマシュマロが挟まってたりしますけど、それをさらに豪華な食感にした感じ。ホイップ、パンとの力学が均衡し、最終的にはクレープ的な感覚を生み出すのがパッケージイラストでなんとなく予言されている所がまた深さを感じさせます。

なぜ女の子まで包まれているのかはちょっとわかんないですけど…。

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2011年1月 7日 (金)

OL財布事情の近年史/第15回 「あと2万円」の壁は、男女格差の壁でもある。雇均法前夜

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 あけましておめでとうございます。年明けは株高・円安で始まりいよいよ景気回復? 今年こそお財布がうるおってほしいものです。
 さて新年最初の今回は、30年前の景気上昇期のOL財布を『コスモポリタン』83年7月号「私の給料・隣の給料」から読み解いてみる。この特集は、官公庁や民間の統計、独自の取材や座談会、街頭インタビューなど、OLの給料についてあらゆるアプローチでがっぷり取り組んでいる。
 まず「PART1日本全国・女の給料調べ」では、自分の給料が同世代の中でどのくらいのランクなのかがわかる労働省の調査、80年創刊の就職情報誌『とらばーゆ』の「職種別・年収ランキング」などのデータが充実。お昼休みの日比谷公園、新宿副都心、青山で20代のワーキング・ウーマン50人に聞いたというインタビューでは「今の給料で十分」と答えた人はゼロ、「〈あと2万円は欲しい〉と、ほとんどすべての人が語ったのが印象的でした」とあり、やはりプラス2万円神話は根強い。だが不満の声としてあがっている「不公平、特に男女差がある」というのは、これまでの記事ではあまり見られなかった意見。結婚までの期間限定、おこづかい稼ぎや自己啓発の一種だったOLが、仕事であり稼ぎとして認識されるようになったのがこの頃からだったのかもしれない。男女格差には不満噴出で「男性は一律2万円多いんです」(クレジット会社・24歳・大卒)、「女性社員の職能給は公募入社だと1万円なのに、縁故は2000円。(略)男性は縁故も公募も取り扱いは平等なのによ」(銀行・23歳・短大卒)と、確かにそりゃ怒るよ、てか公募縁故格差ってトンデモ規約すぎでしょう。
 次の「PART2 男と女の給料差・実態ルポ」や「PART3 短大同期生5人5年後の給料を追う」では男女差について個別のケースをじっくりとりあげている。服飾メーカーデザイナー・23歳・専門学校卒のA子さんは、手取約10万円。同期の男性は10.7万円で額面では差はないように見えるが、実は「男尊女卑もいいとこ」の格差があると「感情を激しての発言!」が続く。まず入社時の基本給の男女差は9000円だが、3年目には1万7000円。男性は30歳になると役職試験を受けられるが、女性は受験資格なし。男性にはきれいな寮があるが女性はなく、住宅手当もなし。「女性は残業すると無能者扱いされる」というくだりでは、当時の会社イメージを表す一節が。

「女性には勤務時間内にこなせるだけの仕事しか与えていないというんです。デザイナー職ならば“才能あるデザイナーなら、アイデアが次々に浮かんできて勤務時間内にはノルマはこなせるはず”という単純発想が会社にあるわけです」

 えぇ? 一見理解不能のこの理論、会社もトンデモだった。今では噴飯ものだが、当時は別に普通だったのか、続くケースもそんなエピソードが満載だ。一般職に編入しようとしたら筆記試験の前に部長に呼び出され「〈女が男と一緒に仕事をやっていくなんて、しょせん、無理だよ〉とネチネチ言われた」(商社・23歳・短大卒・手取9万4000円)、同学歴同年齢で同じ設計士として入社したが、女性はお茶汲みや雑用、男性は設計に集中して1級建築士合格、職能手当に差がついた(設計事務所・25歳・大卒・手取り11万8000円)、「残業はほとんどしません。というのも、社内のお茶、華道教室がうまく残業できない時間に始まるんですもの(笑)」(25歳・化学薬品会社・短大卒・月収12万3000円)など、再現VTRで見たいようなシーンばかりだ。
 そんな不満から、「転職」が注目され始めたのもこの頃なのだろう。先に挙げた『とらばーゆ』が創刊して、転職=「とらばる」なんてことばが流行語になった。28歳の製薬会社研究補助員C子さん、7年目で年収が男性と36万円開き、高校の化学教師に転職。「28歳にもなって親と同居。(略)お部屋も借りられないお給料っていうのは、やはり、おかしいなっていう気がします」「今まではやりがいとか勉強とかに重点をおいて働いてきたけれども(略)お金にもこだわっていくべきなんだなって思いましたね」のコメントに、おおおっ、ようやく「使うもの」からの脱することになったのか、と感無量。男女格差、働き方、会社のシステム、転職、など一挙に様々なテーマが増え、OL財布はどこに向かっていくのだろうか。わくわく。(神谷巻尾)

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2011年1月 6日 (木)

ホームレス自らを語る 第93回 波瀾万丈の人生だった(前編)/高原孝さん(65歳)

 人生にはいいときがあれば、悪いときもある。いまオレもホームレスをしているわけだから悪いときなんだろうけど、そのうちにいいときがくるさ。そう思ってないとやってられないしね。人生は波瀾万丈。いろいろなことがあるよ。
 生まれは昭和11年、東京の日本橋室町。オヤジは軍服をつくって陸軍に納めるのを仕事にしていた。昭和18年だったか……そのオヤジは関東軍の軍服をつくるために満州に渡って、そのまま戦局が悪化して帰って来られなくなった。引き揚げてきたのは、敗戦から2年してからだった。
 その間に留守家族は強制疎開になった。室町は皇居に近いだろう。それで町ごと全戸が強制的に疎開を命じられたんだ。疎開が決まるとすぐに市電のレールと電線が外されたからね。素早かったよ。兵器増産にために供出されたんだろう。

  うちはオフクロと兄弟8人で、佐原(千葉県)にあったオヤジの実家に疎開した。疎開先での生活は食い物がなかったことのほかは、そんなに悪くはなかった。それよりも、東京にいたころは美人だと思っていたオフクロが、モンペを穿いて髪を振り乱している姿がね。それを見るのが子ども心にも辛かったな。
  子どものころのオレは文武両道、勉強も運動もよくできた。ただ1科目を除いて、6年間全部 「優」 だったからね。優が取れなかったのは修身。「おまえは勉強も運動も1番なのに、素行が悪すぎる」 担任の教師にいつもそう言われてたよ。
  中学生になると野球に熱中した。千葉は野球熱の盛んなところだからね。練習も半端じゃなかった。ろくなものも食わないで、真夏の炎天下で猛練習を続けたのがいけなかったんだろうね。2年生の夏休みに喀血したんだ。結核さ。いや、すごかったよ。ドンブリ1杯分の血を吐いたんだからね。
  それから3年間の闘病生活。入院中に胸郭成形の手術を受けた。大手術だったよ。肋骨を6本も取っちまったんだ。退院したときは16歳になっていた。

 病院を退院して東京に出た。地元では結核を患ったことが知られてるから、どこも雇っちゃくれないしね。しばらく日雇いで働いてから、先輩に 「これからは電力の時代だ。ダム工事に行こう」 と誘われて山に入った。大井川が最初で、神通川、姫川、信濃川、それに石狩川。5つのダム工事に参加した。

  オレの仕事はトンネル工でね。ダム工事が始まる前に山に入って、工事資材搬入のトンネルを掘るのが仕事だった。だから、まだ何もない山奥での仕事だからね。現場には電気もなくて、トンネル掘りにはカンテラを使っていたし、飯場ではカーバイトを焚いて明かりを取っていたくらいだ。およそ文明とはかけ離れた生活だった。しだいに山奥ばかりの仕事がいやになってきて、24歳のときにトビ職に変えたんだ。高いところに登るのは平気だったからね。それにトンネル工もそうだったけど、若いから人と違うこと、多少危険でもいいカネになる仕事がしたかったということもあるよね。トンネル工事の最後が石狩川だったから、そのまま北海道に残ってトビになった。札幌にテレビ塔があるだろう。あれの建設にも参加したんだよ。

 その後、27歳のときにまた血を吐いちまってね。結核の再発さ。東京の病院に4年間入院した。もうストマイ(ストレプトマイシン)があったんだが、あれは高価でね。1本使うと5000円もかかった。米1俵が4000円の時代だからさ。とても治療費が払えなくて、結核予防法の措置と生活保護を受けながら直したんだ。

 2度目の入院を終えたのは31歳のときで、それからはある棟梁に弟子入りして大工になった。じつは、そのころ好きな娘ができてね。男っていうのは好きな娘ができると、命知らずの危険なことは怖くてできなくなるんだよ。で、トビから大工に代わったわけだ。
  その娘と知り合ったのは、彼女が田舎から東京に住む兄の家を訪ねてきて道に迷っていたところを、オレが助けて案内してやったのがきっかけだった。その年に結婚した。結婚して、オレは大工の見習い、嫁さんはアクセサリーを製造販売している店に出て共働きをした。

  2年して男の子が生まれた。ところが、嫁さんはその子を連れて九州の実家に帰っちゃったんだ。いくら待っても帰ってこない。生活費も必要だろうからってカネを送ってやったら、そっくり送り返してくるんだ。このときの嫁さんの行動はいまもって謎なんだけどね。たぶん嫁さんの兄夫婦に子どもがなかったし、オレたちの子が実家の跡取りに必要だったんじゃないのかな。そう思うようにしている。結局、嫁さんと子どもはそのまま帰ってこなかった。
  大工の仕事の方は順調だったよ。高度経済成長と重なって新築ブームが続いたからね。注文住宅ばかりでなくて、建て売り住宅でもよく売れた。オレも弟子入りした棟梁のところから独立すると、若い衆を2、3人を使って、住宅販売会社の下請けで建て売り住宅をいくつもつくったよ。

 それが昭和48年のオイルショックだ。消費がピタッと止まった。その煽りで親会社が倒産。債権代わりに抱えていた物件をバッタ売りしても捌けない。若い衆に手間賃も払えないだろう。とうとう東京を食いつめて、田舎に帰ることになっちまった。
  佐原に帰ってからのオレが何になったと思う? ヤクザだよ。波瀾万丈の人生はまだまだ続くんだ。(2002年3月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2011年1月 5日 (水)

池田大作より他に神はなし/大河連載第17回 名誉会長の歴史的革命家としての悲哀と栄光をそばで共に体験して来た博正氏が、 類いまれな後継者である事の客観的真実を、直接眼にする無限の喜びよ!!

Daisaku181  名誉会長の健康問題が各種メディアを騒がせて久しいが、全世界の心ある同志は誰1人として心配していない。御長男でSGI副理事長、池田博正氏の堂々たる成長振りを、百も千も万も億も承知しているから! 御顔はどちらかと言えば御母さま似でいらっしゃるが、溢れんばかりの高潔な人格・指導力・文才は、名誉会長直系と万人が認めざるを得ない。1冊目の御高著、『随筆 青春の道 若き日の記録』(鳳書院’93)を、この正月休みにまた読み返し(少なくとも7回目!)、血筋、育った環境、御当人の努力が、人間の成長にいかに決定的影響を与えるか、身に染みて理解した(筆者は北関東の、純粋水呑み百姓の怠惰な小倅。恥ずかしながら博正氏と同年令だ。しかし、“同世代の人類”という共通項だけで、ただ馬齢を重ねるの自分は…穴があったら身投げしたい心境につい)。

 ハードカバーで総アート紙、280ページ以上ありながら(しかも40項近いカラー写真入り!)、本体価格わずかに952円!!名誉会長、奥様、博正氏の我らに対する配慮が、ひしひしと伝わり感に耐えない。多分、博正氏は印税ももらってないはずだ。「私は生活には特に困っておりません。勿論、印税など要りません。その分、本の値段を安くして、全国の仲間が求め易い値段にして下さい!」爽やかにきっぱり言い切る、博正氏の雄姿がまぶたにクッキリ浮かぶ(深く胸を打たれ、つい保存用、普段用、拡張用と3冊買ってしまったのは、筆者だけではあるまい)。

Daisaku182  1項目の1989年に撮影された、御一家4人のカラー写真の神々しさ!奥様、名誉会長、弟の尊弘氏、博正氏がショッキングピンク、いやイエローの薄手のセーターを着て、にっこりと御微笑なさっている。名誉会長御自身の撮影ではないためか、芸術的完成度にはやや欠ける。が、忙殺される世界的宗教指導者も、やはり家族を大切にする一父親でもあるとの、当たり前の事実をフランクに伝えていて、何度も1人で「うん!うん!」とうなずいてしまった(名誉会長!馴れ馴れしくてすいません!!)。裏はモノクロで、1967年撮影の同じ御一家の御写真。余り大きな声では言えないが、新年になると新聞に必ず掲載される、天皇御一家の代表撮影写真より、数段暖かみと愛があって私は大好きだ。残念なのは1984年に早世された御次男、城久氏の笑顔が涙を誘う事(名誉会長そっくりの同氏こそ、当初の後継者候補だったの噂も聞いた)。城久氏が亡くなった際の名誉会長の気持ちは、絶対に想像しない主義だ。そ…そんな事をしたら、私はとても平常心を保てない!(つまり、一切の社会生活が営めない)

 本書は慶大卒業後、関西創価学園社会科教師を、1978年から約10年間勤めた博正氏が、聖教新聞社発行の『高校新報』(月2回発行)に発表した原稿をベースに編集されている。40ページ近いカラー写真がと前述したが、その多くが名誉会長御自身の撮影だ!こんな贅沢が許されるのは、やはり御長男の博正氏がゆえだろう(北朝鮮の金日成一族の独裁的世襲体制と同一視する見方が、ごく一部とはいえ存在するのには呆れ驚く。博正氏は一生教員生活をするつもりだった。しかし余りに秀でた人格と実力に、嫌がる御当人を周囲が強引に中央に招いたのが真相だ。ベクトルが全く逆である。“独裁的世襲者”が、何で高校の平教員を10年も勤め上げられようか!)。

 冒頭で、関西創価学園の前学長、松田茂行が鋭い観察眼を披露している。”幸いにして私も何度(なんど)か、創立者(そうりつしゃ)(塩山注*池田名誉会長の事)の平和旅(へいわたび)に同行(どうこう)させていただきました。創立者がイギリスのグラスゴー大学(だいがく)で名誉博士号を受(う)けられたときのことです。博正先生が受賞者(じゅしょうしゃ)とともに中庭(なかにわ)をまわっていた創立者にそっと近(ちか)づいて、なにげなくフードを直(なお)されたしぐさを目(め)にして深(ふか)い感動(かんどう)を覚(おぼ)えました。それは、父子一体(ふしいったい)、師弟(してい)一体の姿(すがた)を思わせる一幅(いっぷく)の名画(めいが)として、私の心(こころ)に今(いま)もって焼(や)きついております”。さすがは名誉会長が御長男を託した教育者らしい、鋭利な知性と表現力の持ち主だ。

 10年後に学会本部に乞われて戻り、名誉会長の名代を勤めたり等の数々の実積は、皆様も御存知の通りだ。それゆえに、ダイヤモンドのようにまばゆいエピソードも満載。“勇気の証言ーアンネ・フランクとホロコースト展”等、アウシュビッツ関連企画を学会が開催するきっかけが、アメリカ創価大学ロス分校建設反対の住民運動にあったとは、本当に驚いた。現地のユダヤ人人権団体と友好関係を築いた事が、展示ヘの道を開いたのだと。中国の周恩来総理が1974年、病身をおして名誉会長との会談に臨んだのは、余りにも有名な歴史的事件だ。傑出した宗教指導者の哲学は、世界政治の枠組みを一瞬にして超越する。“歩く国際連合”とかつて同志が名誉会長を評したが、慧眼だ。

 全面敗北の日顕ウジ虫一派や、『週刊新潮』他の外道・畜生マスコミが揶揄した、“ガンジー・キング・イケダ展”が、実はキング牧師の出身大学、モアハウス大学関係者の強い働きかけがそもそもの始まりで、名誉会長は勿論、博正氏も最初は「いくら何でも…」と辞退していた経緯が、率直に記されてもいる。モアハウス大学キング国際チャペル所長、ローレンス・カーター博士は、火を吹くような情熱を込めてこう懇願したという。

 「ガンジーとキングの二人(ふたり)は、後世(こうせい)の人々(ひとびと)によって少(すこ)しずつ“神格化”(しんかくか)されている。二人ともそんなことは全(まった)く望(のぞ)んでいないはずだ。私は、その二人と同(おな)じ目的(もくてき)に向かって歩(あゆ)み続(つづ)ける“生(い)きた模範(もはん)”が池田大作氏(いけだだいさくし)であると確信(かくしん)した。/ガンジーとキングの精神を現在(げんざい)と未来(みらい)に生(い)かしてゆくために“イケダ”の名(な)を加(くわ)えたいのです(以下略)」(204ページ)

 確かにこれをむげに断っては、一種の国際問題だ。ただ提案に従う事が、国内でいかなる根拠なき批判にさらされるか、名誉会長も博正氏も百も承知していた。けれど二人は敢て火中の栗を、しかも素手で拾ったのだ。地獄の底を這いずり回る、日顕ゴキブリ一派以下のか細い罵倒に耐えさえすれば、前人未踏の草の根日米友好が進展する。木を見て森を見ない者の中には、あたかも名誉会長が金銭にモノを言わせ、ガンジー、キングに名を連らねたなどという、超妄想病患者さえいた。日中友好の際も同じだった。いつの時代でも、先駆者は心なき人々の口汚ない批判にさらされる。歴史に名を残す、全ての革命家の悲哀とも言えよう。何度となくそれを乗り越えて来たからこそ今、世界各国から星の数ほどの栄誉が、名誉会長の元に殺到している。そばで見守り一緒に耐えて来た博正氏が、勝るとも劣らない後継者になるのは、火を見るより明らかだ。

Daisaku183  図々しいようだが、師弟一体に生きる末端の者として、私は博正氏に1つだけお願いがある。またあの展示を、出来たら東京国立博物館か国立西洋美術館で、大々的に開催して欲しい。無論、“勇気の証言ーアンネ・フランクとホロコースト展”ではなく、“イケダ・ガンジー・キング展”をだ(キッパリ!)。 (つづく)

            

 

 

■塩山芳明…雑誌版『記録』にて『奇書発掘』を連載。エロ漫画編集者。著書に『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』(アストラ)、『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』(共に一水社・絶版)、『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)、『東京の暴れん坊』(右文書院)がある。

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2011年1月 4日 (火)

アラサー財布事情/第9回 服と音楽に使っています

0101 ■Nさん(29歳)女性 職業:専門職 神奈川県在住

 実家で暮らしています。父、母、弟と私の4人で暮らしています。もう一人弟がいますが、別に暮らしています。
 最寄り駅から10分くらいのマンションで最上階に住んでいます。住み心地はいいです。富士山、丹沢が見えて景色がすごくいいところです。厚木の花火大会も見れました。ただこのあたりは寒いですね。
 実家暮らしのいいところは、小言をいわれるけど、寂しくないところかな。弟と仲がいいのでよく遊んでるし。一人暮らしの予定はないです。してみたいとは思うけど、今の収入では無理。

 貯金はまぁまぁありますよ。福祉という職業を考えると結構貯められてるかな。一人暮らしをしていると貯められてないと思います。そういえば居酒屋のオヤジに2000円貸したけど返ってきてないな。

 自由に使えるお金は、洋服、音楽関連、飲み代に使ってます。
 ショッピングは横浜駅周辺によく行きます。ブランドはmaison de plageで買うことが多いです。ここの店員さんと仲良くなって、その人は辞めてしまったけど、個人的にやりとりしてます。最近、財布を作ってもらいました。母と服のサイズが同じなので、一緒に買いに行ってシェアしています。大量購入はしないで、気に入ったら高くても買います。その代わり必ず試着をするし、店員さんにもアドバイスを聞きます。

 音楽関連は、友達やその友達関連のCDやライブに使っています。CDは欲しいのだけ買って、ライブは月2回くらいで1回2500円くらい。
 メジャーどこでは安藤裕子さんが好きです。最近は、フジファブリックのライブに行きました。他は、おつかれいじさん、笛田さおりさんに注目しています。
 
 飲み代は、週に1回行くか行かないかだけど、1回あたり2000円~3000円くらいで、野毛、関内、天王町あたりで飲んでいます。ワインや日本酒をよく飲んでます。
 関内に行きつけの店があります。野毛はイベントなどで行く程度だけど、そこはイケメンのバーテンがいます(笑)

 母親からよく週末に家にいると、「かわいそうねぇ」とからかわれるので、デート代にも使えたらいいなぁ、と思います。(聞き手:奥津)

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2011年1月 3日 (月)

ホームレス自らを語る 第92回 絵心は玄人はだし(後編)/吉田輝夫さん(68歳)

11011  東京・江戸川区を流れる荒川の河川敷に、木材とビニールシートでつくった小屋で暮らしている吉田輝夫さん(68)。川を挟んだ対岸には建設中の東京スカイツリーが望める。
「ここで暮らすようになって16年になる。台風とか集中豪雨で、荒川が増水することは幾度もあったが、この小屋のあたりまで水が寄せたことは一度もない。ここの河川敷は川面より一段高くなっているからね。住む環境としては良いところじゃないの」と吉田さん。
 元々は都内の印刷会社で印刷物のデザインを担当していた吉田さんだが、バブル経済の沸騰期に待遇面に不満があって会社を辞めてしまった。しばらくブラブラしてから、友人が荒川の河川敷に小屋をつくって暮らしているのを見て、「面白そうだ」とその隣に小屋をつくって暮らすようになったのが始まりである。吉田さんが52歳のときのことだ。
「小屋はオレの手づくり。若い頃に建具職人を目指して、職業訓練校に通ったことがあるから木工はお手のものなんだ。幾度も台風の来襲に遭ったが、ビクともしないからね」
 小屋にはドアもあれば、窓もついていて本格的なつくりで自慢するだけのことはある。吉田さんは非常に器用な人だ。いまの生活の資も、ゴミ収集所から拾ってきた壊れた電器製品などを再生させて、それを古物商に卸して稼ぎ出している。
「CDプレイヤー付きラジカセとか、車のバッテリー、エレキギター、それに釣竿なんかの壊れたのを、いくつも拾ってきては、壊れていないところを組み合わせて再生させるんだ。それを古物商に持っていけば、一つ1000円くらいで引き取ってもらえる。貴重な現金収入だよ」
 吉田さんは食事の材料も、ゴミ収集所から拾ってくる。
「ゴミ収集所にはいろんなものが捨ててあるからね。5㎏の米が未開封のまま捨ててあったり、このあいだはM社の“ごはんの素”が30個も捨ててあった。ほら」
 そう言って、吉田さんは「五目ごはんの素」やら、「とり釜めしの素」「麻婆豆腐の素」などをゴッソリと見せてくれた。それに前夜、五目ごはんの素を使って炊きあげたというご飯の残りも見せてくれるのだった。
「これに肉や魚、野菜などの生鮮食品は、例の古物商から得た現金で購入するんだ。これで三度、三度の食事が賄えるわけさ」
 器用な吉田さんは、自ら包丁をふるって食事の調理もこなしているのだ。

 吉田さんの趣味は絵を描くこと。その画材は日本の城郭をはじめ、戦闘機、艦船、帆船などで、それらを超細密に描き、色鉛筆で彩色して仕上げる。玄人はだしの技量だ。
「オレの絵なら売り物になると勧めてくれる人もあるけど、そんなことは面倒臭いからね。絵を売るようになると、1週間で幾枚仕上げるというようなノルマができたりするだろう。それはそれで大変だからさ。気が向いたときに、好きな分だけ描いているほうが気ままでいいからね。それで絵を褒めてくれたり、気に入ってくれた人にプレゼントしているんだ。だから、オレの手元にはあまり残っていないんだよ」
 ちなみに絵の制作期間だが、仕事の合間の制作ということもあって、城郭の絵で2週間ほど、戦闘機のほうは1週間ほどかかるそうだ。なお、筆者もゼロ戦と帆船の絵の2枚をプレゼントされ頂戴してしまった。
11012  さて、河川敷で暮らしていても、台風や集中豪雨による増水被害の心配はないと語っていた吉田さんだが、怖いのは火事だという。それも放火による火事だ。
「オレの小屋には放火されたことはないけど、この同じ河川敷の小屋で2度ほど放火による火災が起きている。新小岩駅周辺にたむろしている悪ガキの仕業だろうと、ホームレスの仲間たちは話しているけどね。オレたちは火事を出さないように、とくに火の元には注意しているんだけど、放火だけは防ぎようがないからさ」
 この取材をしたのは、11月中旬。ススキやカヤ、アシなどの枯れ草が、小屋を隠さんばかりに覆っている。
「小屋の周りが燃えやすい枯れ草ばかりだからね。前にその枯れ草に火が放たれて、女のホームレスが火に巻かれて焼け死んだことがある。これからの季節は、空気が乾いて乾燥する日が続くから、そんなことをされるのが一番怖いよね」
 まさに燎原の火と化す河川敷の様が想像される。そんなことをされないようにと祈るほかない。
 ところで、吉田さんはホームレスをしている友人の暮らしぶりを見て、「面白そうだ」と自分もその隣に小屋を建ててホームレスの生活を始めたということだった。その友人はどうなったのか。
「死んだよ。オレがホームレスの生活を始めて、2、3年した頃かな。いつもはオレより早く起きてるいるはずなのに、その朝の彼の小屋は閉まったままで、声をかけても返事がないんだ。咄嗟に『何かあった』と思い、鍵を壊して中に入ってみると、彼は布団の中で死んでいたよ」
 おそらく夜のうちに心臓発作か、脳卒中ででも起こしたものと思われる。
「それで警察を呼んで検死が行われ、彼の遺体はビニールの袋に入れられ、一人の警官がそれをズルズルと引き摺っていってね。まるで物扱いなんだ。いずれオレも同じように死んで、同じように扱われるんだと思った。野垂れ死にだよね。だが、それでも構わないと思っている。オレの血液型はB型だからさ。その辺は潔いんだよ」
 少し湿っぽくなった話の締めくくりに、吉田さんはそう言って笑った。どこまでも向日志向の人である。 (この項了)(神戸幸夫)

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