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2010年12月

2010年12月30日 (木)

アフガン終わりなき戦場/第41回イスラムから見た法治国家(下)

 ところで、アメリカの目指す近代国家とは、平たく言うなら「法治国家」だ。国における物事はすべて国の法律に則って決める政治体制のことだ。しかし、これがタリバンや伝統的なアフガン人にとっては受け入れがたい代物なのだ。
 そもそもイスラム社会の最上位に来る法はコーランとシャーリア(イスラム法)だ。どちらも神の定めたものであり、変更不可能なものだ。この神の指令に従うことがよいイスラム教徒であり、従わないのは不埒者ということになる。サウジアラビアではシャーリアを憲法に代わる物として定めている。
 イスラム法ではない、国の法律を守れと言われることが、多くのアフガン人にとっては我慢がならないのだ。神の定めた法のよりも、国の法がそれを上回るというのは神に対する冒涜以外のなにものでもない、と捉えるのはイスラム教徒にとって自然な考えだ。しかも政府のバックに憎きアメリカがいるとなれば尚更だ。日本で「法治国家」と聞くとそれは自分たちのすばらしい価値観のように思えるが、イスラム教とにとっては真逆に映る。

 ここでひとつ押さえておかなければならないのは、イスラム教徒の場合、人としての善悪、ひいては道徳というものは、すべてイスラムから来るという点だ。日本社会に生きていると、特定の宗教を信じていなければ、不道徳ということはない。しかし、社会全体が1000年以上にわたってどっぷりイスラムに浸かってきた地域では、そうはいかないのである。イスラムというのは、人間生活全てにわたるルールを示しているから、何が善行で何が悪行であるかという規範は、すべてイスラムの教えの中に存在することになる。そうでないと、神の絶対性が損なわれてしまうのだ。

 イスラム教が多数派を占める国で、法治国家と自認するのはトルコだけだ。オスマン・トルコ滅亡時、トルコ政府の人間は国の衰退した理由を非合理的なイスラム教社会のせいだと考えた。そのため、オスマン・トルコ滅亡後は徹底的な政教分離社会を実践し、宗教の国への介入を許さなかった。
 アフガニスタンの場合はムジャヒディン(イスラム聖戦士)がロシアを追いだしてしまったのだから、真逆の歴史を辿ったことになる。アフガン人が法治国家を自分たちの社会に受け入れるのは難しいだろう。
 アフガニスタンは「イスラム共和国」と言われているが、国の制度はアメリカ製だ。どんなにイスラムに配慮しようとも、宗教と国の法律の差はうまらないだろう。国の法律をまるごとシャーリアにするというのなら話は別だが、それは欧米諸国が決して許さない。
 つまり、長々書いたが、どうやってもどうにもならないのだ。

 ところで、常岡氏と会った時、その場にいたのは日本人半分、イスラム教徒半分という感じだった。常岡氏も中田教授も日本人のイスラム教徒だ。だからと言って、私が彼らを怖がっていたという訳ではない。イスラム教徒の行動規範は私のそれと大幅に異なるが、考え方が違うからと喧嘩をしていては社会は成り立たない。
 ことアフガニスタンのケースだと、アメリカがいかにイスラム教を理解せずに戦争を始めたか、とうことが問題だ。そんなに理解できないのなら、自分の世界と別のことにしておけばいいのだ。
 けれど、人類は21世紀になってもまだ宗教が理由になって戦争をしているのだ。ちなみに今日はクリスマス。ジョン・レノンもきっと草葉の陰で泣いている。(白川徹)

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2010年12月28日 (火)

アフガン終わりなき戦場/第40回イスラムから見た法治国家(上)

 先日、今年アフガニスタンで拘束されたジャーナリストの常岡浩介さんにお会いする機会があり、日暮里のイスラム料理屋で話ができた。その場には以前お世話になったアフガニスタン政府報道官のシディック・アンサリ氏とカルザイ大統領のアドバイザー、ワヒドラ・サバウーン氏もいた。常岡さんと同志社大学の中田考教授が日本に呼んだもので、講演会を日本各地でやっているとのことだ。

 サバーウーン氏は内戦中にアフガニスタンで一大勢力を築いたヒズブ・イスラミのナンバー2の地位にあった。現在でこそカルザイ政権で高官の地位にあるが、もとは山々を転戦したイスラム戦士だ。今年には反政府勢力の攻撃にあい、生死の境をさまよった。その攻撃の後遺症で今もほとんど喋れない。しかし、190センチはゆうにある巨体は少しも威厳を失っていないように見えた。戦乱のアフガニスタンから来た彼に日本はどのように写ったのだろうか。彼とゆっくり話すことはできなかったが、サバウーン氏と日暮里の街はずいぶんとミスマッチに見えた。

 年の瀬ということもあり、忘年会を兼ねてアフガニスタンに関わっている人たちにお会いする機会がずいぶんとあった。色々と意見交換をしたが、誰しもがアフガニスタンの今後を半ば絶望的に見ている。
 おそらく、平和もこないし、どうにもならない。
 私もそう思う。治安が悪い。産業が無い。干ばつで農耕もできない。近代的な政治体制も無いに等しい。ついでに言えば電気も無い。

 あるものを捜すほうがはるかに難しい。これは最近始まったものではなくて、もう40年近くこんな状態なのだ。アメリカはこの不毛な土地に近代的な国家と社会を作ろうとしたのだから、無理も出てくる。

 日本は幕末、明治ブームらしいが、明治維新のような近代社会を構築する過程をこの国は経てきていない。もちろん、近代国家が上でアフガニスタンのような封建社会が下という訳ではない。民主主義がなかろうが、国家が無かろうが、宗教を基軸にした社会に住もうが、悪かろうわけがない。それこそ個人の自由だ。けれど、カブールを中心に警察組織や軍隊の構築、法の整備が進んでいるのは事実だ。ちなみにアメリカがアフガニスタンに対して用意する年間予算は少なくとも60億ドル(約5000億円)。戦費は330億ドル(約2兆7000億円)。ちなみにアフガニスタンと人口が同じくらいのネパールの国家予算は約2300億円だ。これだけの金をかけてアフガニスタンというちっぽけな国を近代化しようとしているのだから驚きもする。(白川徹)

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2010年12月27日 (月)

書店の風格/ジュンク堂書店吉祥寺店

 「丸善&ジュンク堂 渋谷店」に引き続き、息もつけない早さで吉祥寺に新規出店を果たしたジュンク堂。今年10月、1100坪という大規模で「コピス吉祥寺」にオープンした。コピス吉祥寺は、吉祥寺伊勢丹跡にできた商業施設。オシャレビルな伊勢丹とはガラッと雰囲気が変わり、入っているテナントはかなりアットホームである。
 ショップ構成を見ると10~20代の女性をフンと蹴散らすような姿勢は見事で、「ユナイテッドアロウズ」などのセレクトショップがあるにはあるが、広い施設内に数える程度。その代わり幅を利かせているのが、キャラクターものやベビー用品、幼児教室などのキッズ専門店だ。そしてアウトドア用品店、呉服店、比較的価格層の高いインテリア用品店などもふんだんにあり、まさにパパママ子どものためのお店。そんなところに、ジュンク堂。割とインテリ層を狙う書店がいかにアットホームさを出せるかが鍵だ、と、テナントのある6階へ向かった。

 縫いぐるみやガチャガチャが所狭しと並ぶキャラクターショップを抜けてジュンク堂内へ入ると、最初に目に入ってきたのは意外や意外、海外小説の棚である。しかも真っ正面に面陳してあるのはウンベルト・エーコ。経済的にシビアなファミリー層を迎えるのには、いささか厳しい棚なのでは? うーん、でも海外小説は装丁に凝っていることが多いので、ついつい手に取ってしまう。よく見ればそんな美しい本ばかり、面だししているのであった。なんてにくい演出。
 そんな海外小説棚をなめるように眺めながら進んでいくと、そこは「本」にまつわる本の世界。さっきから勝負しまくりだけど…と不安になるが、その先はやっとエッセイ棚。恋愛エッセイ、芸能人のエッセイ、サブカルエッセイ、新書、文庫などの棚を抜けると、やっと雑誌の棚が現れた。と、そこにエスカレーターが。あ、そうか。ここから登ってくる人が多いのね。やっぱり入り口近くは雑誌と小説に限る。いやだ勘違い。でも一安心。

 雑誌コーナーをぐるりと回れば、実用書と児童書のコーナーがある。取材当日はクリスマスイブということもあり、絵本や小説を選ぶ親子がかなり多かった。レジでも「プレゼント包装をお待ちのお客様ー」と叫ぶ声が止まない。それを尻目に、7階へと進んだ。レジスターのすぐ脇がエスカレーターというのは、ジュンク堂独特の作りである気がする。そんな風に考えながら。

 7階は専門書のフロアであった。人口密度はぐっと少なくなる。ジュンク堂のおもしろさは、目当ての本を探しつつも目に入る専門外の本をついついめくってしまうところにあるのだから、一般書と専門書のフロアがハッキリ分かれてしまうのは少し残念な気がしなくもない。と思いながらも、やはり建築や化学雑誌の面白さは他に類を見ず、今日も見入ってしまった。文系にはない魅力の一端を嗅げた気がして得意になれるのがいい。

 おとなりに東急(紀伊國屋書店)、近くのサンロードには多くの読書家が愛を寄せるブックスルーエ。この環境下で、どのように差別化が図れるか。などと思いながら、内澤旬子氏の新刊『身体のいいなり』(サイン入り!)を買って店を出た。(奥山)

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2010年12月26日 (日)

寺門興隆を読む/第3回 寺門興隆みだしアワード2010

 かなり個性的な見出しの多い『寺門興隆』。今回は年の瀬にあわせて、各号目次から今年いちばんキャッチ―だった見出しを勝手に決めたいと思う。まずは10位から。

10位 スーパーイオンの僧侶派遣業の横暴(8月号)
 イオンが葬儀業界に進出したことは以前紹介させていただいた。お布施の目安などがインターネットで公開されたことに仏教界が激しく反発し、今は公開を取りやめ「目安をコールセンターにてお知らせしています」という記述にとどめている。そんなイオンへの反発が伝わってくるような激しい見出しである。「1700万カード会員に何というか」という小見出しまでついているが、「何というか」とは…?

9位 最新掃除機はお寺に役立つか(6月号)
 後継者不足が問題となるお寺では、高齢のご住職が広い本堂を清潔に保つのは大変な仕事。ここでは自動掃除機「ルンバ」や「サイクロン」が紹介され、実際の使い心地をルポ。天井の高い本堂などでは高所用軒払いも必需品のよう。なるほど。

8位 堂内境内を掃くほうきを買う(11月号)
 これでひと記事が完成してしまうのだから大した編集力だ。

7位 傷んだ木魚を蘇らせる法(3月号)
 ええ、こういった実務的な記事が好きなんです。でも、一般の人もこれは気になると思います。

6位 宗教のない直葬をいったい誰がやめさせられるのか!?(5月号)
 や、やめさせなければならないことなんですか!?
 まあ、仏教界から見れば由々しき事態なのでしょうが。

5位 山寺は地デジが映らないって!?(5月号)
 かなり深刻なお悩みのようです。

4位 住職が檀家の若者に殺された真相(3月号)
 大変な事件が起こっております。

3位 花祭りの甘茶で子供食中毒の教訓(5月号)
 お釈迦さまと同じ理由で死に至る危機…

2位 法律相談 住職に理由なく副住職を解任されたが職を守るにはどうしたらよいか(正月号)
 寺院にもリストラはあるようです。

1位 住職が保険金目的で自坊に放火!?(4月号)
 全国的にも大きく報道された事件。火事前日に本堂に火災保険をかけ、しかも家財を移動してからの放火。檀家は住職の放蕩ぶりと性格の悪さを暴露していて、地域住民との折り合いがいかに悪かったかをさらけ出している。総代はさらに「可哀相なやつ」と憐憫の情を示している。宗教者が同情されるほど悪人ってすごい。

 以上、みだしアワードをお送りした。本当はもっと個人的にツボなものがたくさんあるんだけど、それは来年からの号でおいおい紹介していけたらと思います。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。(小松)

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2010年12月24日 (金)

OL財布事情の近年史/第14回 浮かれすぎて家計に興味ナシ?! お財布記事が見当たらない80年代中盤

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 夢の国の話を書いたら、もう矢も楯もたまらず先日TDLに行ってきました。嘘です。娘の誕生日がちょうど日曜日にあたったのでチケットを予約購入していたのでした。誕生日に行くと、キャストたち大勢に満面の笑みで「おめでとうございます!」と言ってもらえて超気分よいのですヨ。復活したエレクトリカルパレードの「レディスエンドジェントルマン…」ではじまるあの電子音は、懐かしくて鳥肌ものですよね。とか言っているあたり、バブル世代バレバレですな。多感な頃に受けた消費的刺激の大きさを、今さらながら実感するのであった。
 そんな上り調子の83〜84年あたりの財布はさぞかし面白いことになっているのでは、と女性誌バックナンバーを手繰ってみた。が、なぜだか家計簿記事が見つからない。『モア』『ウィズ』はファッションや旅に加え、芸能人知識人をフィーチャーする記事が多くなっている。両誌とも萬田久子、山口小夜子あたりが頻出していて、お洒落な仕事と美貌を手に入れた女性に憧れていることが伺える。『an・an』からは旅ものは影をひそめ、ファッション誌として君臨する予兆が芽生えてきた頃のようだ。「ミスマッチ」「おもしろ」「カフェバー」「ハウスマヌカン」「刈り上げ」などが誌面に登場、その後のDCブランドブームへと続く路線が見え始めている。一方『non・no』は、あみもの、クッキング、インテリア、ペットなど、70年代から変わらない、かわいい女の子テーマが健在。「手芸大賞」「お弁当コンテスト」など、今なら『オレンジページ』か『すてきな奥さん』かといった記事が、若いOL向けとして掲載されている。
 今では雑誌ごとに読者層が全く違うのは当たり前だが、その兆しができたのが、やっとこの頃、80年代前半だったわけだ。それまではまだ「主婦向け」「OL向け」「ヤング向け」くらいの分類しかなかったのか、と今さらながら驚く。十把一絡げだったOLも、お給料が入り経済活動が活発になるに従い、生き方を選択し、進化しはじめたといえよう。好景気の追い風で、楽しいこと、好きなことが次々現れ、お金の心配は二の次、といったような浮かれ感が見て取れる。
 ではこの時代、お金のことを考えていたのはどんな層なのか。増え始めた女性誌を探っていくと、ビンゴ!ありました。80年創刊『コスモポリタン日本版』である。由緒あるアメリカの女性誌の日本版で、新しい女性の生き方を提案する、最先端の雑誌というポジションだったと伺える。創刊当時はアメリカ版の記事を翻訳したページも多く、恋愛、性、仕事などに関する読み物が中心だった。「あなたの性意識は正常?異常?」「手記:完璧な夫をわたしは手放さない」など生々しく、モノクロ女性誌のルーツってこれでは、と思わせる誌面であったが、徐々に日本の働く女性に即したオリジナルの特集が増えている。
 お財布に関しての記事も多く、83年7月号「私の給料・隣の給料」は15ページにわたる大特集。「日本全国・女の給料調べ」「男と女の給料差・実態ルポ」「短大同期生5人の5年後の給料を追う」などの見出しは、財布フォロワーとしては鉱脈を探り当てた気分である。内容としては、「どうも自分の給料は少ないみたい。男性に比べて不公平。会社によってずいぶん差がついている」と、気にし始めたOLたちに対応した企画のようだ。時は雇均法前夜、世に出始めた女たちに不満の火種がくすぶり、時代の追い風を受け、やがて大きな炎となるのであった。と、脳内で大河仕立てにしたくなるような、OLの気づきである。詳細は次回、年明けに。OLさんと皆様のお財布に、良いお年を。(神谷巻尾)

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2010年12月23日 (木)

ロシアの横暴/第50回 世界のメディアが無視した赤十字職員虐殺の真実(下)

 さてこの将校がEUに亡命し、突然秘密をばらすことになったのにはロシア独特のある事情がある。この将校はチェチェン戦線から生きて戻ったヒラの兵士が差別とトラウマに苦しむのをよそに、引き続き内務省軍にとどまっていた。もともとエリート将校の上、よくよくの手柄があったことが伺える。さらに戦争犯罪に問われることもなくぬくぬくとしていられたのは大きなバックがあったからだ。つまりFSBのトップクラスに彼を保護してくれる大物がいたということだ。ところが最近この大物が死んでしまった(死因は報道されていないからひとまず自然死としておこう)。ロシアの出世にからむ派閥争いの場ではバックの大物に死が近づくとさっさと乗り換えて身の安全を確保するのが通例だが、この将校は忠実だったのか、乗り換えが間に合わなかったのか「ひとりぼっち」になってしまった。FSBでひとりぼっちで、何か秘密を持っている者はいつ何時他のグループの餌食になって消されるかわからない。

 そこでEUに逃げ出すことにした。だがそこは元スペツナズ(内務省特殊部隊)の将校とあって、移住は簡単には許可されない。だから家族とともに物見遊山の観光旅行に行き、そこで「もうロシアには戻らない」意志を示して亡命申請をした。物見遊山であっても機密事項を握っている者になぜ出国許可を出したのか謎である。14年の歳月が「事件の真相を知る者」を流し去ったのかも知れないし、事情を知った関連局の職員が取り計らいをしてくれたのかも知れない。

 ところが、受け入れ国側にも事情がある。今やEUの友好国となったロシアの国民を「亡命者」と認めるわけにはいかない。引き受けるからには「ロシアに帰れない、帰ったら迫害を受ける可能性が高い」という条件が必要になる。そこでこの元将校はチェチェン戦線にいたときの秘密情報を吐き出したというわけだ。
 ところが、インタビュー記事をロシア国内で報道したノーヴァヤ・ガゼータ紙は大落胆を味わうことになった。どこもだれも微動だにしなかったからである。事実日本でも全く報道されていない。

 これほどのセンセーショナルな暴露に動じなかった理由として次のことが考えられる。ひとつは通り一遍の「古傷をさわられたくない」症候群。人権だなんだと言いながら結局エネルギー欲しさにロシア側についた西側(現在のEUよりは狭い)は、もう思い出したくもないことだ。もうひとつは暴露だとか特ダネだとか騒がなくてもみんなが知っている暗黙了解症候群。事件当時の日本の新聞では「停戦が気に入らず復興を邪魔したいロシアの挑発」というチェチェン独立派がわの見方を載せていたのがほとんどだったが、さすがに「本物のチェチェン人犯罪者を使った」とは書けなかった。日本には北方領土問題があるのでロシアを刺激したくない症候群がはやっていたからだ。現在のチェチェン共和国とちがって取材陣出入り自由だった当時、チェチェン人なら誰もが知っていたこの事実を記者が知らないはずはない。それにロシアは戦争に負けたくやしさにチェチェンをつぶすためなら何でもやった。そしてほぼそのとおりになった。だから今更何をバラされても痛くもかゆくもない。ソチ五輪やワールドカップで「平和国家」の許可証を受け取ったから。

 もっともこの将校は真実を伝えようとしたのではなく、自分の保身が目的で暴露したのだから世界が騒ぐかどうかは問題ではない。事情を認められて、亡命が許可されればそれでよい。むしろ騒がれない方が安全に暮らせるというものだ。
 戦後復興支援活動をしている国際人道団体の職員を6人も殺害する事件に関わっておいて、14年間、心が痛まなかったのか、という問いに対して「自分が手を下したわけではない」と答えたそうだ。

 折も折、国家機密をばらすウィキリークスが物議をかもしている。米国が非難の叫び声を上げ、ついには「婦女暴行」の疑いでアサンジュ氏を逮捕するに至った。そのことをとらえてロシアのプーチン首相は「それでも民主主義国家か」と激しく米国を非難した。ちなみにウィキリークスはロシア を人権侵害国家として糞味噌にけなしている。「婦女暴行」などと姑息な手段をつかわず、堂々と「国家機密嗅ぎつけ、ばらまき罪」として指名手配すればよかった、ということだろうか。それとも「人権侵害国家」と決めつけられても米国みたいに幼稚な対処はせず、大人の対応をしていることを宣伝したいのだろうか。
 ところで、最近ロシアFSB将校クラスの脱出が相次いでいるそうである。プーチン牙城の構築に功績のあった将校たちで、身の危険をひしひしと感じているそうだ。バラされる前に消しておくのも民主主義国家のたしなみかもしれない。(川上なつ)

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2010年12月22日 (水)

アラサー財布事情/第8回 子供のために使っています Kさん、Wさん夫婦(後編)

■Wさん(34歳)男性 職業:会社員 江東区在住

 1LDKの月14万8000円のマンションに住んでいます。
 住みやすいというより夢があるところです。二つの駅が使えるのですが、辰巳駅から帰ると、橋があって、そこから見る景色がよくて買えるのが楽しいですね。それとスカイツリーが見えるので、毎日の建設状況がわかります。
 立地は、近くのイオン内に病院もあるし、子供ができるので10分以内のところに産婦人科があるのもいいですね。ららぽーともあるし、ゆりかもめでお台場にも行けます。マンション周辺は車も少なくて静かです。

 貯金はできています。

 最近購入したものは、子育ての思い出を残したいので、デジタル一眼カメラを買いました。キヤノンのios KissX4です。レンズも買いました。レンズを使って撮ったら大変良かったです。今は、妻の妊娠中の記録を撮っています。一生に一度のことなので記録に残したい。

 他はアマゾンのキンドルを買いました。使い心地は、使い方によってはいいと思います。リーディング専用なので読みやすいし。自分の持っているデータを入れても読めます。紙よりも軽いから、本を持ってどこかで読むときや、ソファで読むときに便利です。
 中国語、日本語、英語の本が読めるので、今持っている本をデジタル化して読んでます。

 来年、子供が生まれるので、必要なものにだけ使って、不必要なものは買わないようにしています。それに、欲しいものはだいたい買ったので。今後は欲しいものができたら検討するという感じです。

 子供ができたら海外旅行に連れて行きたいと思っています。ニューヨークに行きたいですね。(聞き手:奥津)

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2010年12月21日 (火)

ロシアの横暴/第50回 世界のメディアが無視した赤十字職員虐殺の真実(上)

 1996年の12月、停戦協定成立後間もないチェチェン領内で医療活動を展開していた国際赤十字の外国人職員6人が射殺され、1人が重傷を負うという凄惨な事件が起きた。1994年の12月に始まった戦争はチェチェン側ロシア側双方に多大な被害を出して1996年の8月に停戦となり、兎にも角にも平和が訪れ、復興の兆しが見え始めた矢先のことだった。
 この事件はセンセーショナルに世界中を駆け抜けた。多くの人に「やっぱりチェチェンは恐い」と思わせるのに十分な響きをもっていた。
  それから14年が過ぎた2010年11月のある日、ロシアのノーヴァヤ・ガゼータ紙に度肝を抜くインタビュー記事が載った。

「国際赤十字職員殺害事件はロシアの指令によるものだった」と。実際に指示を出したとされる人物の署名と内務省のスタンプが押された命令書まで掲載してある。もちろん指令書といっても「国際赤十字を襲撃せよ」とあるわけではない。「12月17日に守備隊は赤十字側の反撃に応戦せよ」となっている。 
 ノーヴァヤ・ガゼータ紙のインタビューで告白をしたのは最近EUのどこかに亡命したロシアFSB(ロシア連邦保安庁)の元将校である。
 この将校は警察士官学校を卒業してすぐにチェチェン戦線に赴き、無事に(?)任務を終え、停戦合意に基づく1996年12月末のロシア軍全面撤退期日までチェチェンにとどまっていた。戦争中は事件のあったノーヴィエ・アタギ村のロシア内務省軍司令部に自分の長官が率いる部隊に所属していた。ここで「武装勢力退治」をしていたが、退治したのは武装勢力だけでないことは言うまでもない。彼が指揮する直属の部隊には「武装勢力を退治する部隊」と、武装勢力やゲリラの急襲から部隊を守る「守備隊」があるが、停戦成立後は予想される小競り合い対策として守備隊のみがとどまっていた。
 撤退期限直前の12月17日、国際赤十字の職員を「つつがなく」退治できるように協力したのは彼の守備隊だったということである。

 彼が吐き出した情報によると、ロシアはある目的があってチェチェン人のならず者にこの事件を起こさせた 。ある目的達成のために犯人はチェチェン人でなければならない。そのために刑事事件、つまり殺人で刑務所に入っているチェチェン人に特赦を与えて釈放し、この仕事に抜擢した。強盗殺人などの凶悪犯罪で服役中である本物の犯罪者だから殺人ならお手のものだ。何かの記事に犯人たちはチェチェン語を話していた、という生き残った赤十字職員の証言があったが、将校の話はこれと一致する。
 作り話じみている、と思われるフシもなくはない。だが、「事実は小説より奇なり」と諺にもあるとおり、少なく見積もっても「事実」であることは彼の亡命劇から容易に推察できる。あとで述べるが、公然の秘密だった事件に作り話を継ぎ足しても亡命の切り札にはならないものだ。

 ある目的というのは「チェチェン人は残忍で、人道支援団体であっても外国人とみれば殺す」、というイメージを世界中に焼き付けること、そして独立志願の強いチェチェンを「そんな物騒な国はやはりロシアの統治が必要」と思わせること。もう一つは支援団体をチェチェンから撤退させることである。国際赤十字は、停戦協定に基づき、96年の9月に設置された1996年の9月、ノーヴィエ・アタギ村に設置された。職員の安全はロシアが責任を持つことになっており、それなりに強力な部隊が警備にあたっていた。責任を果たせなかったロシアは国際赤十字をチェチェンから撤退させなければならなくなった。(停戦協定の立役者だったレベジは安全保障会議書記を解任された後、クラスノヤルスク知事に当選したが、ヘリコプター事故で死亡した)
 焦土の希望の星だった国際赤十字が撤退を余儀なくされ、物理的にも精神的にも大打撃を受けたチェチェンはやがて内部対立が激化し、それが第二次チェチェン戦争の引き金となっていった。(川上なつ)

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2010年12月20日 (月)

『寺門興隆』を読む/第2回 2010年12月号「仁王像造立のすすめ」

201  第1回に引き続き、2010年12月号を読んでいこう。なんといっても目次で気になるのが「仁王像造立のすすめ」だ。
「山門でお寺をしっかり守ってくれる仁王像。いわばお寺の看板ともいえるだけに、妥協せず、納得のいく仁王様に来ていただきたいものだ。作り手や近く仁王像を迎えた住職に失敗しない造仏法を聞いた。」
 なるほど、私たちが悪質な墓業者に引っかかって何百万円を損することを恐れるのと同じで、お坊さんも未熟な宮大工や彫刻師に引っかかるのを恐れているようだ。私たちとは額がひとケタもふたケタも違うでしょうからね。しかし仁王像を作ることを「来ていただく」「お迎えする」というのはまるで精巧な美少女人形を買うときに「迎えに行く」と言うのを常とするオタクと同じ感性だな、と思ったが、仁王像だって一種のフィギュアだ。合点がいった。
 「仁王像は住職の夢。いつかご縁をいただきたい」という言葉から本文が始まる。1人の住職が中国製仁王像の安さから(1000万円程度)手を出しそうになるが、「国産の門に外国製の仁王像は良くない」と役員会に反対され複数箇所に見積もりを出すという話。国産だと2倍以上はかかってしまうようで、そりゃあ慎重にもなるよね……
 ほかに素人が独学で彫刻し寄進した仏像、アントニオ猪木がモデルの仁王像など、門の中に閉じこもっているので素通りしがちな仁王像の魅力を伝えてくれる良記事だ。

 さて次は、個人的に気になる「葬儀にかける費用は下がり、遺族の負担が上がった訳」という記事。冠婚葬祭互助会「くらしの友」が行った葬儀に関する実態調査をもとに作られている。大規模な葬儀を嫌う人が増える中、葬儀費用がどのほど変化しているのかは深刻な檀家離れに苦しむ住職なら隅まで読むべき記事だろう。見出しに対する答えは「会葬者が減り、その結果として香典が減ったので遺族の負担分が増えた」と一瞬で回答できるが、そういえばお布施の額ってどうなっているのだろうか。改めて全体を見てみたい。

●布施の平均額、20年で20万円減の怪
 皆さんは決まった仕事にいただける金額が一年につき1万円ずつ減っていったとしたらどう思うか。とりあえずやってられないよね。この調査によると、1990年に75.6万円だった「お寺に費やした費用」の平均額は、2010年には52.6万円。バブル崩壊が挟まっているとはいえすごい大暴落だ。しかし本誌記者は首をかしげている。「「実感とはうんとかけ離れている。うちの寺では今でも平均四十万円にはなっておらず、六十万円、七十万円などどこから出てきた数字なのか」と訝る住職は多いだろう」確かに52.6万円という今年の平均額にも違和感が否めない。筆者は全国的にもお寺にかける費用の多い東北地方で葬儀実務をやっていたが、50万円はちょっと高めだなあと思う。お布施には相場というものがなく、払える人は庶民が失禁するくらいの額を払うことがあるから、それが平均額をかなり上げてしまっているのではないか。本誌記者は、実際はもっと少ないとしながらも「とはいえ、葬儀を供養行為とすれば、「おやじの供養のために菩提寺に納める額」として、葬儀費用の2割近辺というのはどんなものだろうか。“ちょっと低いのではないか”とつぶやいておきたい」とtwitter的な姿勢でヤンワリいなしている。パーセンテージで考えたことなんてなかったな。何割ならちょうどいいんでしょうか……

●人間性まで疑われる
 続いて記事は葬儀の持ち出し費用について触れている。会葬者を多くすればするほど会葬者1人あたりの費用が減る(香典が入るから)という斬新な表は、これも「くらしの友」製ということだが…若干無理がある。動く額が多ければ多いほど小市民はびびるもんなんですよ。この表に対しての本誌記者のコメント。「しかし、たとえば会葬者百人として香典収入が百万円なら持ち出しは八十七万円。肉親を弔うのにこの費用が「高い!」などというのは、人間としてどうなのか」私、八十七万円って結構な額だと思うんですが、人間失格なんでしょうか……

 仏教界に関わる人の本音がかいま見える、これも貴重な記事と言えよう。最後には「傍観していて、いいのだろうか」と危機感を明確に示しながら締めている。

 日々変容する葬儀業界。今度はなんとファミリーマートが葬儀業界に参入する旨のニュースが入ってきた! 来月の『寺門興隆』はこの事態をどう斬るか。ますます目が離せない。(小松)

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2010年12月18日 (土)

台湾での結婚式に出席した

 縁あって台湾の結婚式に参加してきた。
 日本の結婚式には何度か出席したことがあるが、外国の結婚式は初めてだ。当初は参加を見送る予定だったが、やはりこのような機会は滅多にないのでパートナーを説得し出席することにした。

 さて、簡単に出席とは言っても、国が違えば習慣も変わる。日本の常識は日本でしか通じない。インターネットで調べるもなんとなく参考になるようなならないような。ひたすら食べることと、衣装は着飾る必要はないということがわかった。普段着の人もいるそうだ。なんだかすごい。
 ネットである程度調べてもなんとなく心許ないということで、知り合いの中国人夫妻に尋ねてみたところ別のことがわかった。①白と黒は縁起の悪い色なのでだめ。②ネクタイは派手なのがいい。③マージャンはやらない。台湾のことを中国からきた人に聞くのは間違っているのかもしれないが、情報がないので聞くしかなかったのだ。
 これら二つの情報(少ないけど)を総合すると、白黒以外の服装でドレスのようなものは着用せず、男性は派手なネクタイをつけて、ひたすら食べるということだ。なんか楽しそうだ。

 いったいどのような結婚式なのか、期待に胸躍らせながら結婚式を迎えた。

 当日の朝は新婦の好意でヘアメイクのセットを新婦専属の化粧師にやってもらった。文化も違えば……のとおり、少々不安があったがあえてお任せでやってもらったところかわいいカールヘアにしてくれた。新婦の友人は現地の美容院で150元でやってもらったそうだがうまい仕上がりだった。台北はかなり日本に近い感性なのか?

 さて、肝心の受付である。やはりご祝儀袋や受付の仕方は日本とどう違うのか? 気になるところだが、実は見ていないのだ。というか見ることができなかった。
 どうやら台湾の結婚式は入場の時点からもう違っているのだ。会場には赤い絨毯が敷かれているのだが、日本の場合、挙式では父親と新婦、披露宴では新郎新婦が入場時に歩くが、台湾ではまず新郎の両親、新婦の両親、新郎新婦と並んで入場する。非常に変っている。でまぁ、私は受付も見ずなにをしていたかというと、新婦の兄姉夫婦ということでちゃっかり一緒に入場していた。
 そして着く席はというと、会場のど真ん中。日本では末席に追いやられる家族だが、家族と主賓は主賓卓に新郎新婦と一緒に座れるのである。
 ちなみに祝儀だが、聞く機会がなかったので聞けなかった。交通費などの問題もあるので、聞ける間柄ならば、直接新郎新婦に問い合わせるほうがよいかもしれない。こればかりは情報を当てにしない方がよいだろう。

 後の流れは、両家の父の挨拶、キャンドルサービス、お色直し、余興、ケーキカット、ブーケプルズ、プロフィールビデオ上映、新郎新婦の挨拶と、日本の披露宴と変わりない。
 それ以外はひたすら食事を食べるのみ。中華のコースだったが、全13品。物によってはおかわりもできるらしい。隣席のおじさんがおかわりをしていた。
 変わっているというか台湾語がわからないため何を言っているかわからなかったが、私のテーブルでは何回も乾杯をしていた。たぶん、「おめでたい、乾杯!」とかなんだろうけど、それ以外の内容でも乾杯していたに違いない(あくまでも勝手な予想です)。

 当初気になっていた服装だが、やはり情報は合っていたようで、普段着の方けっこういましたよ。スーパーに買い物に着てます!みたいな。あと、空席の卓があった。空席は気がついたら埋まっていたけど、そのあたりはひそひそするわけでもなく誰も気にしていないようだった。
 主賓卓の人間はさすがにおめかししていたけど、招待客側はまちまちで、日本側お客さんはパーティードレス着用組が多く、台湾側は普段着や少しお洒落なよそ行き服の人が多かった。黒を着ている子もいた。ただみんなそれに対して何か言うでもなく、そして気にするでもなく自然に和気藹々と楽しんでいた。

 あっという間に楽しくおいしい時間が過ぎお開きに。驚いたことに片付けが早く、まだみんな出払いきっていないにも関わらずテーブル上の食事が片付けられていった。最後まで食べたいという人は、とりあえずしっかりと平らげてから席を立つことをお勧めする。

 肝心の服装についてだが、新郎新婦の家族でなければ特に着飾る必要はなく、女性は少しおしゃれな格好(休日のデートファッションでもいい)、男性はシャツとパンツ(ノーネクタイでもいいみたい)。最悪、普段着(旅行だと少しお洒落すると思うのでその格好)で出席しても没問題。参考までに、新郎母はチャイナドレス、義母は着物、私はパステルピンクのワンピースを着用。新郎新婦父はジャケットにネクタイ。夫はスーツに派手なネクタイとう格好で出席した。

 祝う気持ちがあればそれだけでじゅうぶんということだろうか。
 もし台湾での結婚式に呼ばれたら臆することなく出席してみてはいかがだろうか。異文化に触れるまたとないチャンスをぜひ味わってもらいたい。(奥津)

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2010年12月17日 (金)

OL財布事情の近年史/第13回 80年代後半。「お弁当も持って行けないなんて」女子がケチつける遊園地とは

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 「お金というのは、使うもの♪」でおなじみの、OL財布事情の近年史です。前回「使うもの」に大ウケして太字で強調した担当者ともども大変楽しませてもらった80年代初頭のOLさんであった。
 さてその後、OLの財布はどのように変化していったのだろうか。まずは80年代中盤から後半の時代背景をおさらいしてみよう。
 1983年、東京ディズニーランドが開園、ファミリーコンピュータ発売。84年、日経平均株価が初の1万円突破、新紙幣発行、「マハラジャ」オープン。夢の国の登場を皮切りに、好景気という天国への階段を上り始めた頃である。85年、つくば万博開催、プラザ合意、民営化でNTT、JT誕生、86年には男女雇用機会均等法施行、社会党土井たか子党首誕生。経済成長と女性の社会進出がこの頃のトピックスだ。そして87年には土地や証券の投機が活発化してバブル経済が始まり、日経平均株価は2万円台に突入。安田火災がゴッホの「ひまわり」を53億円で落札、国鉄分割民営化でJRグループ発足。88年には青函トンネル・瀬戸大橋開通、東京ドーム完成、ダイエーがホークス、オリエントリースがブレーブスを買収。日産シーマ発売、リクルート事件など、バブル化があらゆるところに波及している。89年は昭和天皇崩御で「平成」となった年。消費税スタート、任天堂ゲームボーイ発売、横浜ベイブリッジ開通、日経平均株価は史上最高値38,915円をつけた。
 この社会情勢は、OLの財布に当然直結している。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」によると、1980年に10万8700円だった大卒女子の初任給は、83年には12万4100円、89年には15万5600円と、毎年3〜5%ずつ上昇している。同統計から25〜29歳大卒女子の実質給与をみてみると、83年15万8000円、89年19万4000円。つまり、83年に新卒入社して初任給12万円でスタート、毎年1万円程給与のベースアップがあり、28歳には給料が1.5倍の19万円になっていた、というイメージか。前々回、「月いくらの収入を望むか」と問われたOLが「現在の2割増」と答えていたことを取り上げたが、この頃だと2割程度は2,3年働けば自動的に増えていたわけである。
 景気上昇、イケイケGOGOの時代に突然突入した日本ではあるが、果たしてOLはといえば、「お金というのは、使うもの」という、お嬢さん感覚の持ち主である。まだバブルの恩恵を意識していない83〜84年頃の女性誌は、旅行、クッキング、インテリア、結婚など、“嫁入り前の女の子”向けの記事が幅を利かせている。『an・an』83年5.20号、TDL開園に寄せられたコラムでは、園内の飲食物持ち込み禁止にやけに反応していて「お弁当を持っていけない遊園地なんて」との文句が。そっか、遊園地デートには、彼女がお弁当作っていったんだっけ。まだまだかわいい女の子が、はからずもバブルの渦にもまれ、さらに雇均法で職業意識も急激に芽生えることになったこの時代。彼女たちのお財布には何が待ち受けているのか。つづく。(神谷巻尾)

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2010年12月16日 (木)

ホームレス自らを語る 第91回 いまさら反省しても遅い/片山さん(64歳)

 まあ、ホームレスをしていて、いまさら反省しても手遅れなんだけどね。若いころにちっとは稼いでいたときもあったんだから、少しは貯めておくなりの工夫とか、国民年金に入っておくとかできなかったものかって思うよ。これでも高校の商業科を出てるんだからさ。自分ながらもう少し知恵はなかったのかと思うね。
 生まれは信州の駒ヶ根。町の中を3つの清流が流れて、後ろには中央アルプスが聳えてね。そりゃあ景色のきれいなところだった。家は酒屋でね。オヤジの実家が造り酒屋で、大きな酒蔵がいくつも並んで、仕込みの若い衆が幾人も働いていたよ。その造り酒屋のほうは伯父が継いで、うちのオヤジは酒屋を始めたんだ。
 オレは長男だったから高校の商業科を出ると、番頭修行で別の酒屋に預けられた。大宮(埼玉県)の大きな酒屋で、そこでオート三輪で酒を配達しながら商売を覚えた。修行は2年間だった。それで駒ヶ根に帰って、家の商売を手伝うようになったんだ。
 ところが、2年くらいして家を飛び出してしまう。家出さ。
 じつはオレたちは男ばかりの3人兄弟なんだが、小さいころに母親を亡くしていてね。後添いにきたのが、実の母親の妹だった。この継母が弟たちばかりを可愛がるんだ。その弟2人が優秀で県下有数の進学校から大学にまで進んでね。どういうわけか、オレだけがノータリンでさ(笑)。まあ、拗ねたんだね。家出してひと旗揚げて、「継母の鼻を明かしてやる」 そんなふうに考えたんだな。

 それで店の配達に使っているオートバイに乗って、また大宮に出たんだ。大宮は前に働いていて土地勘があったからね。で、町のラーメン屋に住み込んで働いた。といっても、ラーメン屋になるつもりはないからさ。どうせ腰かけだったからね。
 すぐにパチンコ屋に移って玉磨きの仕事、次はパチンコ屋に景品を配達して回る仕事、その次は配管工。この配管工は少し長かった。その当時はまだボイラーを炊くスチーム暖房だったろう。ビルを建てるときは全部の部屋にスチーム暖房用の配管をするから、仕事はいくらでもあって忙しかった。
 ただ、同じところに長いこと辛抱できないんだな。配管工で入った建築現場で、別の職種の仲間に誘われると、ついフラフラとそっちへ行って、また配管工に戻って、つぎは土工をやってという具合だった。町鳶になって住宅工事をやったこともあるし、横浜で船の荷役をやったこともある。
 カッコよくいえば、いい親方を求め、オレの居場所を探していたということになる。だけど、本当のところは仲間の誘いにのって、ちょっとでも日当のいい話があると、そっちへ行ってしまうという具合だったね。
 それにオレには放浪癖もあったんじゃないかと思う。知らない町、違った場所に移れば、何かいい世界が待っているような気がしてね。そんなのに衝き動かされて、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしていたような気もするな。そのうち知らない間に40、50になっていたんだ。

 家出をしてからはひと旗揚げるどころか、ずっと 「取ったり、みたり」 の生活だった。意味かい?  稼いだ金はきれいさっぱり使ってしまうってことだよ。少しでも貯めるとか、老後のためにっていう才覚があったら、こんなホームレスにはなってなかったと思う。いまさら反省しても遅いけどね。
 稼いだ金の使い道?  酒に、ギャンブルに、女だね。酒は元々が酒屋だからさ。何でも飲んだ。ギャンブルは草競馬、地方競馬だね。女もよく買った。女は金で始末をつけるもんだと思ってたくらいだからね。
 まだ赤線の名残がいたるところにあって、東京だったら新宿2丁目、あのころも吉原は高くて行けなかったな。ほかの地方の町でも女を買う場所はいくらでもあった。屋台で飲んでいると女が寄ってきてね。ステッキガールとかいったよ。飲み屋でだってそうだ。カウンターの中で働いている女に 「やらせてくれよ」 ってたのめば、「2階へ行こう」 っ具合だったからね。
 だから、結婚もしなかった。女は金で始末するって考えていたのもあるけど、オレの場合は母親の影響だと思う。継母さ。ずっと弟2人ばかりを可愛がっていたから、オレのほうは女に心を開けないようになってしまった。あの継母の影響が大きいよ。

 ホームレスになって20年くらいになるよ。ずっとやってるわけじゃなくて、仕事があれば飯場に入るし、金を持ってればドヤ(簡易宿泊所)に泊まる。金がないときは公園のベンチに寝る。そんなのをずっと繰り返してきたわけだ。
 もう働けないね。耳が遠くなったし、血圧も高い。そのせいでよく鼻血が出る。鼻クソをほじくると血の塊が出てくるからね。手の爪全部も疥癬菌にやられてボロボロだしね。(10指の爪は薄緑色に変色して、ガサガサに皺立っている)これじゃあ、現場に入っても迷惑をかけるだけだから、もう働けないよ。
 医者には行かない。手続きが面倒臭いだろ。今年65歳になるから生保(生活保護)が受けられるのも知っている。それも手続きが何だかんだとうるさいらしいからね。受けようとも思わない。
 人様に多少迷惑をかけるくらいが、面白い人生が送れることはわかっていたけどね。そんなふうにハメを外すことができなかった。
 親からもらったこの人生。いまではあと幾日生きられるのか、それを指折り数えて生きているだけだよ。(2002年5月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2010年12月14日 (火)

セックスレス・カウンセリングと不倫

 08年9月の厚生労働省の調査によれば、過去1ヵ月間にセックスをしなかった夫婦は36.5%にのぼり、2年ごとの調査で3年連続の増加傾向を示したという。その理由として男性があげたトップが「仕事で疲れている」24.6%(女性15.1%)、女性は「出産後なんとなく」(男性13.6%)がトップだった。そのほかの理由としては、「面倒くさい」(男性9.3%、女性18.8%)、「セックスより楽しいことがある」(男性2.5%、女性8.6%)などが目立った。
 また、最近では子作りのプレッシャーからEDになる30代男性も増えているという。
 さらにセックスレスの原因は家庭内だけでけにないという。東京大学社会科学研究所の玄田有史教授は、セックスレスに「仕事上の挫折経験」や「職場の雰囲気」が関係があると説いている。

 私が『妻の恋』で取材でした既婚女性たちは、必ずしもセックスレスではなかった。おおよそ6割はレスだったが、している夫婦もいた。またレスが不倫の理由だと話してくれた女性は、少なかったと記憶する。ただしセックスレスが不倫の原因だと答えた女性は、夫のことを好きなだけに辛そうだった。

 エリートで優しい夫と寝ることがなくなり、単身赴任先での恋人の存在も知った女性は、ネットで相手を見つけたと話してくれた。外見などは理想とはほど遠い。ただ体の相性とノーマルではない体験が刺激的だと教えてくれた。スワッピングをしたいが、適当なカップルがみつからないので誰か紹介してもらえないかとも、にこやかに相談された。残念ながらその手の趣味もなく、そちらに精通している知り合いもいなかったのでお役に立てなかったが、そのさわやかな相談ぶりは強く記憶に残っている。

 そしてもう1つ強い印象を残したのは、彼女が夫とセックスレスのカウンセリングを行っていたことだ。
 裏切られこそしたものの旦那さんのことは愛している。だから二人でレスの改善に取り組んでいくんだと話していた。肉体の関係を手放せば、心理的には楽になるかもしれないとも感じたが、少なくとも彼女は手放す気はなかった。肉体的には彼氏との方が満足できていても、やはり大好きな夫に抱かれる方が精神的に満足するだろうと考えていたようだった。
 ただ、彼女の想いが遂げられたのかは知らない。
 取材後、たまにメールでやりとりしていたが、私の携帯が水没。連絡を取る手段を失った。

 今でもカウンセリングがうまくいっていればいいなと思う。
 変に聞こえるかもしれないが、取材の限りにおいて、彼女の夫に対する愛情は深く、真剣に夫を向き合いたいと心の底から願っていたように感じたからだ。

さらに詳しい内容は、「妻の恋」(アストラ)で。
購入は→
こちらから

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2010年12月13日 (月)

【塩山芳明】漫画表現への都条例改悪による弾圧の本質は、納税者いじめにこそあり。"青少年保護”を錦の御旗に、公金をしゃぶり尽くそうとする裏金ハレンチ役人の腐臭まみれの魔手から、打出の小槌をただちに奪い返せ!!

 荻太編集長から、“性愛描く漫画 都条例議論大詰め”なるリードの、『朝日新聞』12月7日付け紙面のコピーを渡される。12月13日の都議会総務委員会で最大会派の民主党の賛成により、可決が確実視されている、”親馬鹿慎太郎漫画弾圧条例”をめぐる記事だ(本会議での議決は15日)。岡雄一郎記者の署名入り。都議会で前回(6月)に否決された条例との相違、条例の歴史的推移等が優等生風に要領良くまとめられているが、一番のポイントが欠落。青少年犯罪は増えてるどころか確実に減少している今、何ら緊急性のない言論・表現の弾圧条例が、執拗に提出され続ける事の政治的背景だ。

 ズバリそれに回答しているのが、同一グループ発行の、『週刊朝日』12月17日号での保坂展人の記事、「ファッショ石原慎太郎知事が画策するマンガ規制条例可決?の愚」だ。国会の質問王として知られる、元衆議院議員の貧相なオッサンだが、官僚に舐められ続けた怒りは未だ覚めやらぬ模様で、策動の本質をピントピッタリで把握(「国会の質問王 保坂展人前衆議院議員が現場を歩く」の、連載第11回目)。長いが引用する。

 “この条例の陣頭指揮をとる、都青少年・治安対策本部についても、「出版物の規制を、警視庁の出向者が加わった部署が担うのはおかしい。かつて青少年条例は生活文化局の所管でした。少なくとも、治安組織から条例の所管を外し、別の部局に配置換えすべきです」(長岡氏)/ちなみに、現在、都青少年・治安対策本部長を勤める倉田潤氏は、06年に公職選挙法違反の架空調書をデッチあげた志布志(しぶし)事件(03年)が発覚した際に、鹿児島県警本部長を務め「自白の強要はなかった」と答弁していた人物だ”。(注釈・談話に登場する長岡氏とは、62年福島県生まれのフリーライターで、元『新文化』記者の長岡義幸。出版物に対する国家権力の干渉の歴史への造詣が深い。姿勢も官憲の御用聞きに等しい出版業界の自主規制ブローカー、清水英夫などとは異なり、原則的で腰が座っている。近刊の平凡社新書『マンガはなぜ規制されるのか』は、関係者や問題に興味ある人は必読の書だ)

Nagaoka  判検交流なる素人にもわかる愚行の果てに、裁判での有罪率99%以上なる、世界的恥さらしの醜態に陥ったのは知っての通り(なら全国の裁判所は全部廃止、“公正で清潔な検事様”に司法も全面的に任せろ。世界初のニ権分立に伴い、日本国赤字財政の大幅好転間違いなし!)。都庁も警視庁と類した交流を始め、結果的にかつての青少年健全育成課は、仰々しい現在の名前に名称変更した頃から、裏金警察官僚の植民地と化した(無論この動きは99年の、親馬鹿エセ右翼チンピラフーテン爺さん、石原慎太郎の都知事就任と連動)。天下り役人がする事は、どの分野でも昔から相場が。右上がりの予算確保だ。無修整映像が自宅でタダで見物出来る時代に、本植民地では公費で毎月エロ本を数百種類は買っている。呆れ果てた景色!即廃止すべき部署筆頭なのは、おしめを引きずる赤ちゃんにもわかる。

 しかしそれでは、かつて無辜の鹿児島県民に暴力的に罪を着せた上、議会では厚顔にも偽証答弁を行い、ばれても逮捕はなく免職にもされず、平然と高給(裏金付き)を盗み続け、都に天下った(出向も含む)ハレンチ漢共は大いに困る。そこでひねり出したのが、思想信条に無関係に俗受けする、眼に見えない究極の公共事業だ。“青少年の健全育成”、あるいは“児童保護”は、連中には予算確保を保証する上での、永遠の打出の小槌なのだ(公安部門での“テロ防止”に当たる)。猥褻場面を“不等に賛美・誇張して漫画化している”と役人が勝手に規定出来れば、警察や検察他の(彼等には当然な)裏金にケチをつけるような、反抗的納税者はことごとく別件逮捕可能だ。徐々に条例を強化すれば、理想的官僚独裁社会が実現すると、窃盗役人共は真面目に考えている(白面で!)。

 昨年始めだったと思う。筆者担当の隔月コンビニ漫画誌、『本当にあった禁断愛』(業界唯一の近親相姦専門漫画誌!)に、都条例の悪書指定が。今は成年マーク付き雑誌ほとんどなので(付けてると指定されない。同時にコンビニでは全く扱ってくれない)、久々の体験。本来出頭義務はないが、版元(一水社)の顔を立て、都庁の治安なんだらかんだら本部にアバタ面を出す(2年振りくらい)。驚いたのは職員の態度がでかくなってた点。まるで容疑者扱い。一般社会人に白い眼で見られるのは仕方ないが(業界入り前までは筆者も同様だった。エロ本は暴力団が作ってると、今でも信じてる人も)、民間に比べて給料がべラボーに高いからって、威張んじゃねえよ裏金まみれの警官もどきが!!(一応、態度には極力出さず)

 中でもいかにも粗暴で知性のカケラも感じられない、M・Tなる係長の対応には呆れ果てた。規定内脳味噌量が大幅不足中のこのゲス野郎、担当職員が審議会に候補雑誌を諮問、指定決定に至るプロセスに触れた所、いきなり大声でわめき出した。「決定するのは石原慎太郎知事です!」「それは建て前でしょう。確かに書類上はそうでも、実質は審議会が決める訳で…」「そ…そうじゃありません!ちち…知事が全部決めるんです!!」「じゃあ審議会は何で存在するのよ?」「ちょっと参考にするだけです!」脇の職員がウンザリ顔。職場の鼻つまみ者らしいが、幹部の受けは別かも。

 ナチス党唯一の青年組織、ヒトラー・ユーゲントは戦前、日本を公式訪問して“帝国の友邦”として大歓迎を受けた(靖国神社にも参拝、都民の大群衆が「ハイル・ヒトラー!」のポーズで応えた)。大元帥・天皇裕仁以下の大日本帝国を参戦させるための、既にソ連戦線で行き詰まっていた第三帝国による、博打的大プロパガンダであった(結果は皆様御存知!)。M・Tを観察、「こういう“慎太郎ユーゲント”みたいなウスラ馬鹿が、都庁ではでかいツラしてんだろう」との懸念を抱いたが、悪い予感は適中した。

 裏金警察の植民地と化す以前から、確かに都条例の運用は問題だらけ。大手版元の出版物は特別扱い、中小の少部数刊行物のみに指定していた例はその筆頭だ。ただ、30年以上関わって来た者として正直に言うなら、わずかな救いも。以前の青少年健全育生課時代は、担当職員(2~3年で交代)が本当に恥ずかしそうに仕事をこなしてた事だ。愛想いい者も尊大な糞野郎もいたが、誰もが“馬鹿げた仕事ですが、これも生活のためです”と、黙って全身で語っていた。検閲官まがいの仕事をしていれば、並の知性と羞恥心ある人間はそうなる。役人先導の小手先仕事で、子供の不良化が本当に防げるのならば、児童相談所も警察も裁判所も少年院も要らない。

 今は違う。自分達のブルジョア生活を永遠に安定させるための、公共事業(観念的箱モノ)の予算執行をしているのだ。青少年の健全育成・児童保護の建て前さえあれば、ほとんどの党派は反対しない。記者クラブ大マスコミは、公金取材体制を保証さえすれば、後から黙ってついて来る。更なる都条例強化の果てには、小型書店がほぼ滅亡した今、立ち入り権を持つ各コンビニチェーンも、都青少年・治安対策本部職員の有望な天下り先になると目論んでる(福岡県でで県警が、暴力団問題で繰り返してコンビニにケチをつけてるのも、本来の目的はコレ)。

 思い上がった官僚から公金を自由に引き出せる、打ち出の小槌を取り上げるのは政治家の職務だ。しかし“国民生活第一”から“役人生活第一”に舵を切った馬菅直人に、そんな基本的仕事が出来ようはずもない(だから足元の都議団も、トンデモ条例に早々に賛成した)。40近いプータロー豚児、源太郎は親のコネで見事に政策秘書に就職したし(年収1千万!)、愚妻“出しゃばり伸子”も、毎夜の豪華外食で御満悦の酒と薔薇の日々。後はお役人様のごきげんを取りながら、私財蓄財に励むのみ(貯金2億の福島瑞穂なんかに負けるか!俺は総理だ3億だ!!)。

 つまり、再度、再々度の都条例改悪が既に用意されていると考えるべきだ。更に今回の漫画弾圧条例は、検察&大マスコミによる、一連の小沢一郎フレームアップ報道の延長線上にあると捉える必要が。でないと冒頭で触れた朝日の岡雄一郎記者の記事のように、上っ面だけなぜた無意味なモノに。保守とか革新ではなく、官僚あるいは納税者のどちらの側に立つかという、単純だが基本的選択からこそ、連中の打出の小槌を奪い返す可能性と手段が(小沢は既に小槌に手を掛けた。それゆえ無法な反撃に遭っている)。

 ただ筆者はもう飽きたよこの問題には。34年も悩まされ続けたら誰でもそうなる。未だ現役ゆえに弱音を吐きたくないが、昔話はいくらでもするけど、実践的反対運動はヤンガーゼネレーションに任せるって。最後に『本当にあった禁断愛』誌だが、都条例指定後に表現を自粛したら返品が急増、たちまち廃刊に。大幅減収になり、約20年働いてくれた右腕も解雇せざるを得なくなる。1年チョイ前の話。先日久しぶりに彼に再会、近況を尋ねると、結局仕事は見つからず、知り合いの植木職人の仕事を時々手伝ってると。ブルジョア裏金役人の狂った民業圧迫が、どれだけこの大不況に油を注いでいる事か!出版業界は長い不況に喘いでいるが、今後は“慎太郎不況”がこれに加わるのだ。負けられませんが! 

■塩山芳明…雑誌版『記録』にて『奇書発掘』を連載。エロ漫画編集者。著書に『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』(アストラ)、『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』(共に一水社・絶版)、『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)、『東京の暴れん坊』(右文書院)がある。

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2010年12月11日 (土)

『寺門興隆』を読む/第1回 「がんに向き合い詠んだ俳句をがん句という由」

 連載「冠婚葬祭ビジネスへの視線」でお目にかかっている人も、通りがかられた人もこんにちは。小松です。このたび、「『寺門興隆』を読む」という連載を始めることになりました。『寺門興隆』とは『そんな生き方じゃだめなのが分かる本』『みんなに読んでほしい本当の話―おしょうさんも泣いた25の生き方』など佛教関連書を出版している興山社発行の、寺院実務に欠かせぬ月刊誌です。
 私はかねてからこの雑誌を愛読しておりますが、「やるっきゃないつっぱり和尚の骨山日記」「なんたって寺族の言い分本音の記」など興味惹かれる連載が多く、ついつい年間購読も何回めかに突入しました。中でも島田裕巳さんの連載を大変面白く拝読していたのですが、今年の6月号で終わってしまい、ちょっと喪失感。またぜひ書いていただきたいなあ。お待ちしております。

102  さて最新号、2010年12月号を読む。表紙には各記事の見出しが列挙されており、
仁王像の勧め/映画になった寺院復興/仏の菜園ルポ/青年層激白ライブ/寺のHP
と、非常に興味をそそられる内容。さっそく1ページ目を開いてみた。「喝ッ!生命を守るためのネット座禅」という見出しに、Macノートを前のめりで見つめる僧侶の姿が。WEB上で座禅実況をしているのだそうだ。まるでオンラインゲームのように数人の参加者が次々と座禅を組み同時実況している。参加者は自殺願望などのある方が多く、深夜に座禅を組ませるというのはなるほど良い試みだなと思う。眠れない人が多いだろうからだ。のっけから大胆かつホッコリする記事で、ますます中身に期待してしまう。

101_2   そしてひらりと舞ったのは、毎月綴じ込みの「法話特集」。いつも含蓄に富む言葉をくれる「お説教のタネほん」の見出しが「がんに向き合い詠んだ俳句をがん句という由」。がん句ですか…。「由」に記者の微妙な心持ちがあらわれているような気がしてならない。

 本誌に戻ってトップ特集は「知らぬ業者の斎場で弔うより菩提寺本尊の前で行儀を」
 ごもっともです。せっかく寺に毎年少なからぬ額を寄進してるのにその金で建てた本堂を葬式の時すら使わない檀家の頭はどうかしています。でもね、会葬者は大変なの。お寺ってバリアフリーじゃないところが多いでしょ。でかい本堂って、夏暑くて冬寒いでしょ。正座できないお年寄りばかりが集まるのがお葬式でしょ。皆さんそう思われるだろうが、今は椅子完備のお寺だってあるし、冬は葬儀当日の朝からストーブを総動員して温めるなどけっこう頑張ってる。そんな寺葬儀を檀家に積極的に勧めているお寺の特集です。
 葬儀専用のホールってキレイで広いところが多いしお寺より使い勝手が良くて立派、ってイメージだけど、宗教的な意味で言うとすごいショボい。ペラ紙みたいな掛け軸だってご本尊様には変わりないけど、お寺の立派な仏や如来にはあらゆる意味で負けるでしょ。ご本尊だって切なく思ってると思うよ、「何のためのオレなの」って。
 と、大賛成しながら読んでいったけど、お寺だからってすごくゆるい価格で葬式してくれるわけではないみたい。特集中のお寺の葬儀基本セット価格は「80万円」というところが多く、さらに「お布施、飲食費(別会場)は別途」とのこと。葬儀社のホールでやるなら20万円はとられる施設使用料がないだけ、くらいに思っておいた方がいいかも。

 と、出だしだけ紹介してみました。今回はご挨拶なのでこれくらいにして、次回はこの12月号のもっと中まで迫ります。年末には「寺門興隆見出しアワード2010」を勝手に開催し、新年からはまた一号ずつ読んでいきます。どうぞよろしくお願いします。(小松)

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2010年12月10日 (金)

OL財布事情の近年史/第12回 「お金というのは、使うもの」80年代OL、ガチの発言

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 『モア』1981年11月号「今、あなたとお金の関係を考える」特集は、“若い女性=消費者って目でしか見られないけど、限られた収入の中からやりくりしてるんだからね!”という宣言の元に組まれたかに見える記事だった。確かに貯金もしているし、給料にもそれほど不満はなく、派手な印象はない。が、前回述べたように金銭感覚はどうにも危なっかしい。
 たとえば「あなたにとって、お金とは何ですか」という質問に対する回答。

 「生活に潤いをもたせるもの。あればあるだけ使いたいし、なければ多少つらいだろうなと思う」

 「最愛であり、最憎のもの」

 「天下の回りもの」

 「使うもの」


 えっとー、これ中二男子じゃないですよ。働いて、稼いでる大人の女性の回答なんですケド。こんなもの? 今はどうなの? わからない。けど、ファイナンシャルリテラシーが低すぎるだろういくらなんでも。
 リテラシーという意味では、個別の事例にも今となっては通用しないだろう言動がみられる。
 まずフリーのスタイリスト、24歳の例。収入に波があり社会的な信用が得にくい、というのはわかる。そこで「彼女が考えた対応策は、クレジット・カードを持つことだった」というあたりから不穏な趣が。「赤字になりそうな月は、大いにクレジット・カードを利用する」「カード・ローンも便利なシステムとしてある」「できるだけ多くの種類のカードを持ってフルに活用させるつもりでいる」。待て待て、そのカード濫用の行く末が、借金地獄、カード破産多発で、とうとう「お借入れは年収の1/3まで」*になったんだよう。
 さらに、社会的信用を得るためにアメリカン・エキスプレスのカードを取得することを目標とし「そのためには、まず貯金を始めること。定期的にできる仕事を増やしていくことを考えている」って、順番逆でしょ。まず仕事をして、定期収入ができて、貯金をして、そしたら結果的に社会的信用もつくでしょうよ。でもアメックスへの道は相当険しいと思われ。定職につくことをおすすめしたい。
 また、のっけから「私はお金の使い方がめちゃくちゃで、経済観念なんてまるでないみたい」という広告代理店勤務25歳は、手取り13万円のうち多くを占めるのが交際費の5万円。この交際費は「映画を見たりするほかは、ほとんどお酒代。少し多いのかもしれないけど、私にとっては絶対、大事な部分なんです」。つまりね、「いつか自分の番組をプロデュースしたい、という夢」に必要ってことなんですね。「お友だちとの付き合いや、旅行や本や映画、良い食事、服すべて自分を肥やして、この先もっといい仕事をする投資だと思います」ってさ。
 以前もふれたが、交際費は自分への投資、ととらえるのはこの頃の思想だった模様だ。23歳、美容院勤務、将来自分の店を持ちたい、という女性も「今、無理をしてまで貯金を増やそうとは思わない」「それよりもいろいろな職業の人たちと友だちになり、人間関係を充実させるために交際費を使う方が、より有効なお金の使い方だと思っています」という。当時は自分を肥やして、その先に仕事があったり、店を持てたりした。でもその時代というのは、崩壊してしまいましたね。その思想は、正しかったとは言えますまい。
 アンケート調査結果の分析自体も、彼女たちの金銭感覚に疑問を投げかけ、トーンダウンしている。
 「多くの女性が地道に貯金をしながら、貯める、増やす、生かす、という感覚からはかなり遠く、漠然とした金銭感覚しか持っていないことが感じられた」
 やっぱり80年代初頭OLにとってのお金、「使うもの」であった。(神谷巻尾)

* 2010年6月、改正貸金業法に総量規制が盛り込まれ、個人向け貸付けにおいて総額で年収の1/3以上は貸付禁止、1社で50万円以上借り入れる場合は年収証明の提出、などの規制ができた。

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2010年12月 9日 (木)

文学フリマに参加してみた

 去る12月5日に行われた第十一回文学フリマ(於 大田区産業プラザPio)に行ってきた。手計算したところによると、参加サークルはなんと560組ほどあった模様。今年5月に行われた第十回文学フリマは約400組。以前使っていた秋葉原の会場が狭くなったからといって蒲田に移ったのに、今回は1Fの会場をはみ出して100組程度が2階にブースを構えてちょっとした島流しに。しかし秋葉原時代は会場が3つに分かれていてもっと大変だったし、と考えていると、次の次、つまり十三回目からはまた会場を変えるらしく告知があった。せわしないことだが、これも出展者がどんどん増えてきた結果であり喜ばしい。きっとコミケにも参加しているんだろうなと思われる、漫画をひっさげた人々が与えられた90センチの販売スペースを巧みに使って立体的に売り場を演出している。販売スペースをこのように飾り立てる技術は年々進化しているようだ。評論や小説などテーマが似通っているようなところは、売り場のデザインが明暗を分けるかもしれない。

 そんな中、我々ノンフィクションのブースは極端にコンテンツ勝負なところがあるためたいていが地味である。看板めいたものを全く出さずプリントアウトしたA4用紙を綴じて販売にいたる者、墨一色でサークル名を書いた紙を段ボールに貼ってブースに置くだけの者など。まるでどれだけ地味でも売れるかを競っているようにも見えるが、そういうわけではなく、みんな出来ることなら工夫したいんだと思う。ただ、そういうことに情熱を保てないのだ。私自身がそうだからよくわかる。

 個人的には「長時間立ち読みはおやめ下さい」と声を張り上げられたり、「このセンから右は隣の方のブースなので立ち入らないようにして下さい」とハキハキ言われるのが苦手で、コミケ自体にあまり立ち入らないようにしている。それに顔見知りの制作者やいつも来てくれるファンなどに笑顔でソツなく接している場面を見るにつけ、オタク=リア充なんじゃないの? という疑問が頭にせり上がってきて、コスプレ広場に1人たたずんで泣きたくなる(または貧血でうずくまりたくなる)。
 幸いにも文学フリマにはそんなテンションはない。しかしふだんのコミュ不足によって店番の交替要員を頼む人が誰もいない私だから、トイレに行けるわけもなく延々と売り子をしていた。でも知り合いの皆が来てくれて、食べ物を恵んでくれたのは本当にありがたいことだったし、見本誌を置きに席を外したときは隣のブースの人が面倒を見てくれた。久々、人の温かさに触れた。

 話題がそれた。今回の私の目的は、自分が出しているミニコミを売ることもそうだが、『ランチパックの本』を売ること。自分が編集してるんだから出しても良いだろうと、堂々陳列していたらたちまちに売り切れた。都内大型書店に並べる何倍速かのペースである。これには驚いた。
 著者と「ここで売れば良かったんだ!」と、実験で少部数しか用意していなかったことを悔やんだが、チラシを配ることが出来たので良しとする。日々、売っているので分からなかったが、もしかしてこういったキャラ・パッケージ本をイベントで売りさばくのって特別な感じがしていいのかもしれない。「ここでしか手に入らない感」がある、というか。まあ、いつでもどこでも手に入るっていう本でないのは確かだけど、新宿でも秋葉原でも売ってるのに文学フリマで次々と売れていく『ランチパックの本』……。素人作りとプロの境目的なつくりも、普通の書物では満足できない人々に訴えかけるものがあるのかもしれない。この本にはまだまだ可能性がある。そう確信できたイベントだった。(奥山)

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2010年12月 7日 (火)

アラサー財布事情/第7回 子供のために使っています Kさん、Wさん夫婦(前編)

1207 ■Kさん(30歳)女性 職業:営業  江東区在住

 夫婦2人暮らしで1LDKのマンションに住んでいます。
 住み心地はすごくいい。最寄り駅から徒歩13分くらいのところにあるのですが、マンションの下にバス停があって、最近は寒いから朝だけバスを使っています。通勤も30分以内にできます。
 銀座、有楽町にも近くて便利だし、近くに24時間営業しているイオンもあるからとてもいいです。川もあるので風水にもよさそう(笑)
 来年子供が生まれるので、教育施設がたくさんあるが選んだ理由ですね。マンションの敷地内に公園やいろいろな施設があるし、日本のマンションとは違うイメージ。値段に対して、この家は満足です。それくらい払う価値があります。

 貯金は子供のためにしています。育児費用と、産休に入るので、そのあいだ給料がないのでその分を貯めています。

 最近購入したものは雑誌ですね。たまごくらぶとかひよこくらぶをスーパーで買いました。
 他は育児書です。日本の育児関連本は信頼できます。買ったのは、子供のほめ方と叱り方の本、0歳から6歳までのコミュニケーション、ベビーマッサージの本です。
 中国の本は字ばかりで、日本のは絵も豊富で読みやすいです。ベビーマッサージの本も中国にあるかもしれないけど、日本のもののが安心できる内容ですね。

 あとは、三菱の40インチ液晶テレビを買いました。12万7000円です。エコポイントは全部商品券にして子供用品を買いました。

 子供用品はベビーベッドを買いました。最近はほとんど子供用品に使っています。

 子供ができる前もそんなに買い物にお金は使っていなかったです。ずっと日本にいるかわからないし、もしかしたら中国に帰るかもしれないので、将来のことを考えてお金をためています。(聞き手:奥津)

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2010年12月 6日 (月)

●ホームレス自らを語る 第90回 絵心は玄人はだし(前編)/吉田輝夫さん(68歳)

10122  東京・江戸川区を流れる荒川の河川敷には、ホームレスの住居である木材とビニールシートでつくった小屋が点在している。その一つ。JR総武線の鉄橋近くの小屋に住む吉田輝夫さん(68)が、今回の主人公である。
 吉田さんの小屋は4~5畳ほどの広さで、部屋の半分をセミダブルのベッドが占めている。部屋はきちんと整理整頓され、ここの主の几帳面さが窺える。
「血液型がB型だから、飽きっぽくて何一つ長続きしたものはないんだが、これだけは子どもの頃から、いまだに10121続けているんだ」
 そう言って吉田さんは壁に飾ってある1枚の絵を示した。日本の城郭を細密に描き込んだ絵で、彼の手による作品である。ほかにも描きためた作品を見せてくれたが、軍用の飛行機や艦艇、それに帆船などが、これでもかというほどカッチリ描かれている。どの絵も黒線で輪郭を取ると、あとは色鉛筆で彩色していく技法。その精緻なできあがりは、玄人はだしである。
 そんな吉田さんの人生が語られる。「昭和17(1942)年、東京の生まれだが、オヤジが国鉄(いまのJR)勤務だったので、すぐに転勤になって育ったのは福岡だった。子どもの頃は、海辺や野山を思い切り駆けまわって遊んだ。絵を描くのも子どもの頃から得意だったが、通信簿の美術の評価はそれほどでもなかったな」
 中学校を終えると、職業訓練校に進んで木工技術を習得する。
「手先が器用だったから、建具職人を目指したんだ。その訓練校で学んでいるとき、昭和天皇と皇后の福岡巡幸があって、訓練校を見学されてね。お二人の前で技術を披露できたことは、いまでもオレの誇りだよ」
 訓練校を出た吉田さんは、福岡市内の建具屋で働くようになる。だが、そこは1年ともたなかった。
「親方や兄弟子が絶対の縦割り徒弟社会だからね。いじめられたわけじゃないが、仕事をするのに息苦しくてさ。それに馴染めなくてやめちゃったわけだ。その後も飽きっぽいB型人間だから、転職を繰り返して、いくつも職場を代えたよ」
 建具屋をやめてから、福岡の鉄工所と造船所で働き、20歳のとき大阪に出る。そこではガラス瓶の製造工場に職を得るが、3交代勤務のきびしさに音をあげてやめてしまう。
「それで東京に出てきた。東京では30の歳まで鉄工所で働いた。といっても、オレの性格だから、いくつもの工場を渡り歩いたんだけどね。何といったらいいか、新しい仕事を覚えるまでは真面目で真剣に働くんだよ。ところが、仕事を覚えて毎日が同じ繰り返しになると、途端に飽きて働く意欲を失ってしまうんだな」
 そんな吉田さんだったが、30歳のときに天職ともいうべき職場にめぐり会うことになる。

「梅田(足立区)にあった印刷工場に転職したんだが、ここは水が合ったというか、20年近く勤めることになるからね。最初はスクリーントーンの担当で、液晶画面に数字などを印刷する仕事だった。ミクロン単位の精度が要求される仕事だったが、オレの性分にピタリと合ったんだな」
 さらに、数年して配置転換になる。
「デザイン部門に配転になってね。印刷物のレイアウトや、レタリング文字の書き起こし、カット図柄を描いたりするのが仕事だ。スクリーントーン以上に、オレの性分にピタリの職場だった。変わったところでは、幟のデザインなんて仕事があった。大きなレタリング文字を、フリーハンドで描いたんだよ」
 吉田さんの30代から40代は、水を得た魚のように仕事にのめり込んだ。仕事に夢中だったせいか、結婚する機会を逸していた。
「印刷工場勤務だから、周りに女子従業員もいたんだが、なぜか結婚するチャンスは逃したね。というか、女の人といっしょに暮らそうという気が起きなかった。一人のほうが気楽でいいと思っていたんだな」
 吉田さんが器用な人であることは前にも書いたが、食事の調理もみごとにこなす。そのうえ几帳面な性格で、掃除、洗濯も、自らこなしてしまう。案外、女手は必要としなかったのかもしれない。
 さて、40代後半のバブル経済沸騰期に、吉田さんはそれほど性に合っていた印刷工場を辞めてしまう。
「どこの企業でもそうだったと思うが、バブル期は拡大の一途でね。うちの印刷工場もそうだった。オレが入社したときは、全従業員30人ばかりで家族的な雰囲気の良い会社だったんだ。それがバブル期に入って、拡大に次ぐ拡大で従業員は100人を超え、目黒区内に第二工場までつくった。すると、何でも屋だったデザイン部門の仕事も細分化されて、毎日同じような仕事を繰り返すだけになってね。途端に仕事がつまらなくなった。飽きちまったんだな」
 それにこの時期は新卒者の採用だけでは人員が間に合わずに、同業他社の技能経験者を引き抜いて中途採用することもした。そうした連中は吉田さんより年若いのに、高額の給料が保証されたりしていたのだ。そんなことにも嫌気が差して、辞めることの原因になったという。
「それでしばらくブラブラしていたんだが、知り合いがこの河川敷に小屋掛けをしてホームレスをしていて、何だか気ままで面白そうに思えてね。それでオレも、彼の小屋の向かいに小屋を建ててホームレスの暮らしを始めたんだ。だから、オレの場合は生活に窮して仕方なくホームレスになったんじゃない。自分から積極的な気持ちで始めたんだよ」
 以来、今日まで16年間同じ場所でホームレス生活を続けている吉田さんだ。(この項つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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2010年12月 4日 (土)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/書評『無縁社会』無縁死、こわい?

9784163733807_2  今年1月以降、NHKの特番が次々と取り上げ、日本に広めたテーマ。それが「無縁社会」だ。ーーなどとしらっと言い切っているが、日常生活においてテレビを一秒も見ない小松には何のことやら。しかしネットでこの番組のことが話題になり、「孤独死が怖い」「明日の自分を見るようだ」とみなさんがおっしゃっているのは多く目にしたので、孤独死が怖いのは処理するこっちのほうだよと悪態を吐きそうになりながら買ったのが『無縁社会』(NHK「無縁社会プロジェクト」取材班、文藝春秋社刊)。この厚みで1400円(税込)は安い! と喜びながら買って読んだ。引き込まれ、あっという間に読了してしまった。

 第一章は行旅死亡人の追跡について。いわゆる行き倒れとか水死とかで亡くなって、発見されても所持品等からは正体が不明な方のことである。そういう人については官報が発表し、ネットでも公開している。私自身には行方不明の身内などいないが、パラパラ繰っていくと、不謹慎なのを承知で言えば、面白い。死んでも誰も騒いでくれない人というのがいるのだ、それもたくさん。
 取材班は聞き込みを通じて1人の行旅死亡人の正体に迫ってゆく。アパートの大家からの聞き込みや資料からの特定といった捜査の手腕、どこへでもゆくフットワークの軽さなどは読んでいて惚れ惚れするほどだ。読者の方々には、ねばり強く聞き込みをすればだんだん分かってくるのなら、どうして警察は何もしないのかと思う向きもあるだろう。行旅死亡人の追跡をヤンワリとしかしないのは、それをしたところで得をする人が誰もいないからだ。生き別れになった父親が生きているという知らせは聞きたいかもしれないが、行方が分かっても亡くなっているならどうだろう。「聞かなきゃ良かった」っていう人も多いだろう。どこかで幸せにやっていると夢想しているままの方がどんなに幸せか。しかも火葬料金を支払わなければならないかもしれないし、ヤバいところから借金してるかもしれない。時には調べない勇気、好奇心を抑える勇気も必要である。

 第二章は孤独死のあと遺族から「引き取り拒否」をされる遺体について。第三~五章は頼れる人のいない単身者の老い支度についてなど、孤独な中で人生の終焉へ向かう人々についてのドキュメンタリーが続く。ネットでの反響を掲載しているのは第六章「若い世代に広がる“無縁死”の恐怖」だ。番組への感想がツイッター上に多数載せられ、その一部の人々にはインタビューをしている。30代にさしかかり、未婚の兆しが見えてきたおひとりさま女子や、「若いうちは1人の方が気楽だけれど…」とこぼす38歳の男性など、まだまだ働き盛り、死とはそれこそ無縁に見られる世代が悲痛なつぶやきを寄せている。
 「無縁死がこわい」。それは1人で苦しみながら死ぬのが怖いのか、遺体が腐り果てるまで見つけてもらえないことが怖いのか。どちらもたいした怖さではない。自分の死を悲しんでくれる人のいないことに対する恐怖。それは、自分の今日生きていることを喜ぶ人が誰もいないことに帰結する。だから、「今」怖いのだ。

 上野千鶴子の『おひとりさまの老後』(法研)では、気の合う女友達とわあきゃあ言ったり、場合によってはいっしょに住んだりしながら楽しむ老後が提案されていた。香山リカの『しがみつかない死に方』(角川新書)では、「ハッピー孤独死マニュアル」を提唱するほど、成熟社会において孤独死という事態がなんと自然で幸せかと前向きに書かれていた。でもそれはお友達が沢山いて家族からもそっぽ向かれてない裕福なシングル女性の言い分だよね。上のような根源的な不安には答えてくれないよね。と、30代無縁女子はボソボソつぶやく。その不安に真っ向から向き合えるのは、他ならぬ30代である。ちょっと前まで「コミュニケーション不全のワカモノ」と呼ばれていた、今はオトナの私たちである。暗い私たちには、暗い対処法がきっとある。ひとりずつながら、いっしょに模索していこうじゃないか。そんな風に思える本だ。

 ちなみに腐乱死体になるのこそが怖いんだというみなさん、死んだ後は誰に迷惑かけようが自分は何も感じません。生きてるうちの不安をしっかり取り除いてから、そっちの対策を立てて下さい。(小松)

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2010年12月 3日 (金)

OL財布事情の近年史/第11回 「ワタシ買う人、アナタ売る人」80年代浪費OLの経済観念

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 すっかりお気楽消費者のイメージができあがってきた80年代初頭OLだが、実際のところお金についてどんな考え方を持っていたのか。そんなテーマの記事が『モア』1981年11月号「今、あなたとお金の関係を考える」だ。12ページに渡りアンケート調査やインタビュー、情報コラムで構成されたこの特集は、モノクロページのこの種の記事にしてはずいぶんと力が入っている。当時はOLの消費行動をどのように分析していたのだろう。冒頭、こんな一節がある。

「女性とお金、女性と経済——というとき、私たち女性の立場は、とかく消費者としてだけの関わりのように考えられてきた。ことに若い女性の消費行動については、ファッション、美容、レジャーなどのお金の使い方は、消費というより、浪費という捉え方さえされているような気がする。
 多くの女性の収入は、月々ほぼ一定しているだろうし、その収支をみても、決して浪費と言われるほどの出費はしていないはずなのだが。」

 確かに30年後に振り返っても、彼女たちのお金の使いっぷりから“浪費OL”のレッテルを貼ってしまうわけではある。しかしこれまで数回にわたって見てきたように、OLライフは結婚までの猶予期間、実家ぐらし、親がしてくれる貯金、などの諸条件が揃って可能になった消費行動だ。これはしかし、時代のなせるわざ。一生の仕事を持ち、親元から独立し、自立した生活をするなんてこと、誰も女子に求めていなかったのだから。景気が良くて、情報も増えて、欲しいものはたくさんあるし、なんだかよくわからないけどお金も結構あるから使っちゃえー、どうせ結婚したらお金は自由に使えなくなるんだから、という消費なわけですね。
 もちろんその状況にリアルにおかれていたOLは、そんな自己分析はしていなかっただろう。この記事には20歳から34歳までの働く女性200人へのアンケート「あなたにとってお金とは?」の調査結果があり、当時のOLの金銭感覚を垣間みることができる。
 「あなたは自分に経済観念があると思いますか」というストレートな質問には、「ある」6.5%「まあまあある」42.5%、「あまりない」44.5%「ない」6.5%と、あるとないがほぼ互角。月々の平均貯金額は1万〜3万円で、貯金の目的は、多いものから「結婚資金」「海外旅行費用」「いざという時のため」「自立のため」となっている。まあ、想定内の回答ですね。
 次の「あなたは現在の収入に満足していますか」への回答が興味深い。「満足」6%「まあまあ満足」52%と半数以上が給料に満足している。そして「不満」35%「非常に不満」7%の人に「それでは月いくらの収入を望みますか」と問うと、最も多かったのが「現在の収入の2割増し」という答えだったそうだ。2割り増しって、10万円だったら12万円ですよ。そんな程度でよろしいの? それって不満といえるのか。なんだか金銭感覚が危うい。
 フリーアンサーや個別のインタビュー記事をみても、その危うさが随所にみられハラハラする。次回その緊張感をお伝えします。(神谷巻尾)

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