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2010年11月22日 (月)

『転落 ホームレス自らを語る 第86回 貨物船のコックをしていた(後編)/中村平さん(60歳)

1011  9月の土曜日の昼下がり。新宿中央公園の「水の広場」では大勢の若者が集って、フリーマーケットが開かれていた。その広場の片隅で、ホームレスの中村平さん(60)から話を聞いた。
 中村さんは千葉県出身。中学卒業後、海上自衛隊に入隊し、隊員の食事の調理をする「給養係」に、自ら望んで配属された。つまり、そこでコックになる修業をしたわけだ。
 除隊後、5000tほどの貨物船の炊事係に雇われ、その船で長く働くことになる。航海は東南アジアとインドが中心で、ときにはアメリカやカナダ、ソビエト連邦(いまのロシア)、中国などに行ったこともあるという。
「たしかに、いろんな国に行ったけどね。ただ、5000tクラスの貨物船が着岸するのは、日本の地図には載っていないような小さな港町のことが多いんだよ。いろんな国には行ったけど、有名な街や観光地にはほとんど行ったことがないんだな」
 あるときアメリカまで航海した帰路、船が大型台風の真っ只中に突入した。
「このときはじめて船に酔うというのを経験したよ。何しろ10階建てのビルのような波に翻弄されて、船がその高さ分を浮き上がったり、沈み込んだりするんだからね。そんなときは食事用の煮炊きができないから、オレたち炊事係が簡単なサンドイッチやオニギリをつくって、船員たちはそれぞれの持ち場で立ったままで食べるというふうだったね」
 その貨物船で働いていた30歳前後のときに、中村さんは結婚している。恋愛結婚だったが、結婚生活は長く続かなかったようだ。その相手の女性との出会いから、結婚、離婚に至る経緯を聞こうとしたら、「何でそんなことまで話さなければならないんだ?」と中村さんは急に不機嫌の様相に変じてしまった。
 ずんぐりタイプの身体つきで丸々とした顔の、愛嬌いっぱいの中村さんだったが、結婚についてはふれられたくない、何か特別な事情でもあったかのだろうか。彼はまるで人が変わったようになってしまったのだ。以下、不機嫌な彼の口から聞き出した、その後の人生の断片である。
 中村さんが船を降りたのは30代の後半、40歳に手が届こうというときだ。
「貨物船の炊事係をして20年くらい働いたから、多少の金もたまったし、新しい商売を始めようと思って船を降りることにしたんだ。新しい商売というのは、タイのバンコクで魚を買い付けて、それを日本の業者に卸すというものだった。その仕事を始めるために、金を持ってバンコクまで行ったけど、うまくいかなかった。仕事を始める前に、うまくいかなくて頓挫してたからね。バンコクに何日もいないで帰ってきてしまった」
 うまくいかなかった原因は何だったのか問い質しても、「それは言えない」と口を噤んで語ろうとしない。結局、これが中村さんの人生におけるケチのつきはじめで、いまホームレスをしているのも、このときの躓きが原因になっているという。

 タイでの新規商売の設立に失敗した中村さんは、日本に帰ってきてから、ずっとアルバイトで生活をすることになる。
「いろいろやったよ。多かったのは派遣作業のアルバイトだね。メーカーやその下請け会社に1ヵ月の契約で雇われて、製造ラインに入って働くバイトだよ。その1ヵ月間は工場の寮に入れたからね。オレの場合は家電メーカーのラインで働くことが多かった」
ほかにも引越しや会社の移転作業とか、交通量調査をしたこともあると語る。ただ、建築や土木の仕事は、一度もしたことがないそうだ。
「どんなアルバイトでも、仕事をまわしてもらえるのは40代まで。50代になったらまわしてもらえなくなるからね。タイで商売をしようとしてうまくいかなくて、アルバイトのほうもうまくいかなかくて、だからいまホームレスをしているわけさ。みんな自分が悪いんだから仕方ない。いまさら悔やんでも仕方ない」
 中村さんは自嘲気味に吐き捨てた。
 彼がホームレスの生活に入ったのは、2004年の年の瀬も押し迫った頃。その辺の事情を聞こうとしても、その重い口は開かれなかった。話題をいまの暮らしぶりに代える。
「現金収入が必要だから、アルミ缶拾いをしている。といっても、毎日、朝から晩までというような熱心さはないけどね。だから、週30~40㎏拾い集めるのがせいぜいだね。熱心な仲間には100㎏とか、200㎏集めるというのもいるけど、オレにはできないね」
 アルミ缶の引き取り業者は、週1回決まった曜日にやって来る。現在、㎏あたり95円前後が相場で、中村さんは約3000~4000円くらいの収入になる計算だ。
「その金で1週間分の食材を買うんだ。アルミ缶拾いで得る収入は、それにほとんどが消えちまう。あとは焼酎を少し買うくらいだね」
 中村さんは3度の食事を、すべて自炊している。彼が座っていた背後には、卓上用ガスコンロや鍋、皿などの調理用具がきちんと並べてあった。元コックだけあって、毎食ごとにちゃんと調理して食べているのだ。船に乗っていたときにはやめていたという飲酒も復活しているようだった。
「ホームレスの仲間のなかには、生活保護を受けようとして血眼になっているのがいるが、オレは受けようとは思わないね。食べるだけの分が稼げて、毎食火の通ったものが食えているんだから、これで十分。これ以上望んだら罰があたるよ」
 いまの生活に不足はないという中村さんだ。
 取材を終えて、写真の撮影をお願いしたが、断固として拒否された。後ろ姿でもダメだという。彼の機嫌は最後まで直らないままであった。(この項了)(聞き手:神戸幸夫)

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