ロシアの横暴/第49回 北方領土に大統領が訪問した意味と島民の本音
メドベージェフ・ロシア大統領が北方領土を訪問した、というので日本中が大騒ぎになっている。菅内閣が弱腰だとか、外務大臣が無神経だとか、判断ミスだとかそのうちに今まで北方領土にはあまり関心がなかった人までが「北方領土は!」と騒ぎ出しそうな勢いだ。報道機関はロシアにどういう思惑があってこの時期北方領土を訪問するのか、勘ぐりに余念がない。
北方領土は第二次世界末期の1945年2月、英・米・ソ連の首脳が集まって開かれたヤルタ会談の折 、樺太や千島列島とともにまな板に乗せられた。会談を主導したアメリカの目論見は、もしソ連が連合国側について参戦したら日本は確実に敗戦国となるから、その時に日本の領土をどう山分けするかソ連と駆け引きをすることにあった。ナチズムや日本軍国主義など の悪者を成敗し、国連主導で戦争のない世界を構築する、というのは表看板にすぎず、実体は戦利品の山分け、領土分割会談である。
こうして北方四島はアメリカのお墨付きでロシアの領土になってしまったわけだが、当のソ連国民はどう考えていたのだろうか。山分け会談の取り決めどおり、日本をやっつけたご褒美は当然としても、意外なことに日露戦争の仇討ちという感情がある。憎むべきロシア帝国を弱体化させて革命に貢献してくれた日本であっても 「負かされた」ことへの恨みは深い。
国家レベルではアメリカとの秘密協定で南樺太を取り返すついでとはいえ、資本主義国家と対峙する要塞である北方領土に 65年間 、国家指導者を誰一人派遣しなかった。今回のメドベージェフ大統領の訪問が初めてというから驚く。四島には漁業資源以外大したものはないからだろうか。それでも「不可能を可能にする」ソ連の看板を本物にするために僻地優遇策を適用し、移住を促進した。もともと「開拓」の意味で極東シベリア地域はヨーロッパ地区より労働条件がよいことになっている。ある資料には離島は更に割り増し賃金・優遇策(早期年金など)が盛り込まれていた、とある。これがそのとおりに実施されたかどうかは不明だが、ひとまず僻地離島優遇策がとられ、本土から移住して来る人が増えた、としておこう。だがソ連が崩壊し、ロシアになると事情は一変した。崩壊する前から物不足とインフラ不備は蔓延していたが、その後の四島は更に悲惨な茨の道をたどることになる。
何でも自由になってまずほったらかしの自由が来た。次に市場経済とやらが来た。自由市場になれば何でも自分で稼げるからドル札が降って来そうな宣伝がされた。すると目の前の自由主義経済・先進資本主義国日本はたちまち桃源郷となった(それまでは搾取と失業に苦しむ資本主義社会だった)。1992年からビザなし交流が始まり 、期待通りの豊かさを間近に見ることになった。 同年に島民投票をやったところ9割の島民が日本に帰属することを望んだと北方四島に知人を持つあるロシア人女性は語っている。一方で同時期に行われた調査なのに全く違う結果になっている統計もある。
領土問題についての質問では、『絶対に返還すべきではない』は100人中4人しかいない。ただ『主権は返さないが、共同開発地にする』は59人おり、返還反対派が60%を越えていることにはなる。つまり島民にとってはどちらに帰属しようと、働いて収入を得て、子どもに教育を受けさせられる普通の暮らしをしたい、さしあたっては「日本と共同開発する」こと望んでいたわけだ。当たり前だが返還イエスかノーかより今の生活向上が切実である。僻地優遇策などとうの昔の物語で、自由経済になってからいかにひどい暮らしをしていたかが読みとれる。
こんな島民感情を見透かしてか、誤解してか、このころから日本政府は 島民の生活向上のために支援を注ぎ込んだ。インフラ整備など日本が得意とする支援のほか、現金支給もあったそうだ。こういうことが活字になることはないから、噂の域を超えない が、大いにあり得る。日露の経済協力を確認した橋本・エリツィンプラン(1997年)とやらはこういう形状をしていたのである。
こうした支援を数年続けたが、「もっとくれ」と言われるようになっただけで日本が期待した「実質日本」になることはなかった。
あるとき、数年間給料をもらっていない(給料の遅配はエリツィン時代の象徴ともいえる無策)という四島のどこかの魚加工コンビナートの作業員らしき人物がぼろぼろの設備を示して、「みろ、ひどい状態だろう、近くにいるのに日本はほんとに何もしてくれない」と文句を言う姿がテレビに映った。面倒見の悪い日本に領土は絶対返さないぞ、と言わんばかりだった。ロシアの北方領土政策はこんなものである。
ただし、島民のかなりの部分はあの時日本の支援、特に暖房設備強化がなかったら、おおかた凍死していただろう、と今でも言っているそうだ。2002年ごろにアンナ・ポリトコフスカヤが記した『プーチニズム』(NHK出版) にはカムチャッカの重要基地で海軍のエリート将校が飢えている報告がある。北方四島の一般市民がどういう暮らしをしていたか、推して知るべしだ。極東サハリン州では(四島はサハリン州に属する)飢えたくないエリート将校がマフィアの用心棒になって殺し合いに巻き込まれていた話が多数ある。(川上なつ)
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