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2010年11月 4日 (木)

ロシアの横暴/第47回 ロシア「議会制民主主義」の血塗られた正体(上)

 アンナ・ポリトコフスカヤが自宅のあるアパート内で何者かに殺害されて4年がすぎた。
 プーチン体制になって後の数年間に多数のジャーナリストや反体制活動家が暗殺されたがどの事件も何一つ解決していない。この事件も闇に葬られ、忘れられようとしている。そしてその後も同じような暗殺事件が後を絶たない。
 アンナ・ポリトコフスカヤは父親が外交官だったので、アメリカで出生、生地主義をとるアメリカの国籍法にしたがってアメリカ国籍も持っていた。一時期は米国が「アメリカ人が殺害された」として動き出したこともあったが、誰がどう話をつけたのか、立ち消えになってしまった。
 日本で翻訳出版されたアンナの3冊の本のなかに『ロシアン・ダイアリー』(2007年出版)というのがある。その第一部に「ロシア議会民主制の死・プーチンはいかにして再選されたか」という項がある。ほんとうに現実にこんなことがあるのか、というような内容だ。
 それによるとロシアの議会民主制が死んだのはプーチンが大統領に再選された2004年となっている。だが生まれた日がはっきりわからない。調べてみると1993年12月に議会民主制を柱にした憲法制定の国民投票が行われたからさしずめ「この日あたり」か。

 ソ連時代の一党独裁の象徴である最高会議が崩壊したのは1993年の10月である。ソ連時代の議会制度は今でも何かとヤリ玉にあがる一党独裁だから民主制とはいえない。だがそれをつぶした当時のエリツィン大統領のやりかたは民主制とはほど遠い。それなのに「民主派・改革派」と持ち上げられ、世界に認められていたという不思議な現象がある。
 ロシア「議会民主制」生みの親であるエリツィンはおびただしい流血沙汰をもってこのソ連式一党独裁の残存物を一掃した。エリツィン的改革に抵抗する議会、日本流に言えば「抵抗勢力」が最高会議ビルに立てこもったというので、ここを封鎖し、兵糧責めにしたあげく大砲を撃ち込んだ。この最高会議武力制圧事件で犠牲になった人の数は公式には200人弱(それも国賊という汚名つき)とされているが、一説では2000人以上とも言われている。ほんとうは一体何人が殺されたのか、誰も知らない。100人か1000人か人数の論争ではなく、議会民主制のために無辜の民の血が流されたことだけは事実である。
 社会主義一党独裁を一掃し、新生ロシアとして出発するには新しい憲法が必要というので、1993年12月、憲法草案の信任を問う国民投票が行われた。最高会議流血制圧のわずか2ヶ月後だ。投票結果は次のとおりである。
「1993年12月12日国民投票実施 投票率54.8%、賛成58.4%、反対41.6%」、これをうけて12月21日にロシア連邦憲法が発効した。

 エリツィンのやりかたは、その直後の日本訪問の際、改革派と持ち上げていた日本の保守系国会議員にすら、国会議事堂に大砲を撃ち込むような輩を天皇陛下に会わせるのか、と言わせたほどだった。しかしエリツィンならば北方領土が返ってくるのではないかという期待感が高まっていたからこの異見はかき消された。
 そもそも日本を含む世界、それも先進諸国はこんな国民投票結果で議会民主制が始まると思っていたのだろうか。そのあと10年間をみれば先進国の本心は民主主義ではなく、別のところに、それも儲け話にあったのではないかと勘ぐりたくなる。

 議会民主制の基本となる二院制もこのときに導入された。何といってもそれまでは一党独裁だったからこの制度導入はおおいに受け、国民は驚喜した。彼らにしてみれば「なんかいいことがありそうな」キラキラした、まぶしい出来事だった。欧米並になったから、欧米と同じようにドル札やマルク札が降ってくるような気がしたにちがいない。
 その後1994年1月には議会選挙、その年の末には大統領選挙と続く。ソ連時代の選挙とはちがうんです、とばかりにこれ見よがしの派手な選挙戦が繰り広げられた。 
 そして議会選挙は回を追うごとにタチが悪くなっていった。買収供応は序の口、そのうちに与党がメディアを占領して朝な夕なにテレビに登場するようになった。野党候補者は自分の政策を訴える手段がなくなった。国民は「この候補者しかいないのか」と思う。といってもかつてのソ連時代の選挙と大差はないから、違和感はなかっただろう。候補者・当選者ははじめから決まっている、選挙ってそんなものだから。ソ連時代とちがって行っても行かなくてもよい自由があるからよほどマシ、というものだ。

 そんな選挙で選び出された議員は地方議員も含めて「選挙で選ばれたのだから、我々は民意だ」、と胸を張る。何をやってもよい特権階級に国民が押し上げてくれたわけだ。(川上なつ)

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