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2010年9月

2010年9月30日 (木)

鎌田慧の現代を斬る/第144回 菅の危機と検察の破綻。日本の海は波高し

 歴史的な残る外交政策の失敗となった「尖閣諸島」は、若気のいたりのアンチャンが、老獪な中国政治にギューといわされて、世界の笑いものになった図である。まるで挑発に乗って、大手を取られたヘボ将棋である。
 尖閣諸島の周辺には、中国や台湾の船舶がウヨウヨしている。そのうちの目立つのを追っかけ、逃げるを追ってぶつけられ、公務執行妨害で拿捕したまではいい。それで充分な警告になる。「領土問題」にまで踏み込まずにすむ。
 乗務員を釈放し船を返したものの、船長を長期勾留してしまった。ウルトラ右派の前原外相(事件当時は国交相)が「国内法に則って粛々と対応しています」と見栄を切った。前外相で民主党幹事長となった岡田卓也もおなじ強硬派で、船長逮捕だった。

 これを見た温家宝が、即時無条件「釈放」を要求して、あわてふためいたのが日本政府だった。中国側は抜き手もみせず、ゼネコン「フジタ」の日本人社員4人を「スパイ容疑」で人質にとり、返す刀でハイテク製造に必要な「レアアース」(希土類元素)の輸出を停止する、と通告、周到なダブルパンチだった。
 これでノックアウト。あわてて船長を釈放するという醜態だった。なんの勝算あって、船長を長期勾留していたのか。国内では「屈辱外交」とナショナリズムが盛り上がりそうで気持ちが悪い。戦術ミスだったのだ。これから「尖閣諸島に突っ込んでも拿捕されないぞ」とばかり、中国、台湾の漁船がやってきたら、沖縄の漁船はお手上げである。
 これもまた、沖縄の視点を知らない「日本のエリート政治家」のミスである。

 カッコつけて振り上げた拳を収め方としては、最低の選択だった。ことを大げさにして収拾つかなくなる前に、船長の親族に不幸があった、として、人道的に解決する方法があったのだ。お坊ちゃん政治家ばかりなのだ。
 民主党の代表選を勝ち抜いて、首相の座を守った菅は、その地位を守ることだけに腐心しているが、尖閣問題で沈没しそうだ。「市民派出身」という弱い党内基盤のまま、首相まで駆け上ったのだから、本来なら市民派に依拠し、市民の期待する政策を打って時代を変えていくべきだったのだが、「草かんむり」を無くした「官政権」といわれている。官僚のいいなりなのだ。いまや市民派などの気概はみられない。所信表明演説で、「強い経済、強い財政、強い社会保障の一体実現を、政治の強いリーダーシップで実現する」などと、ある種、国家主義的なスローガンまで打ち出し、市民派を失望させている。

「カネと力」で政治を仕切る、自民党の古い政治体質に染まった小沢一郎が辺野古新基地や日米同盟の見直しなど比較的民主的な政策をしめす一方、市民派出身を標榜する菅が米国一辺倒の政策を掲げる掛け違いがあって、結局、小沢がマスコミにつぶされた。親米派が菅を押し、いままでの路線を継承された。

 小沢にたいする期待は、強腕にたいするものだった。彼がどれほどの神通力をもっていたかはわからない。ただ、自民党が大敗退する衆議院選挙の直前、福田康夫元首相と大連立しようと画策した人物であり、いまでも古賀誠など自民党に太いパイプを持ていることは確かだ。もし、小沢政権になっていたら、自民党議員を取り込み、ねじれ国会を乗り切るといった芸当をしたかもしれない。しかし、いまや数さえ集めれば、どうにかなるという時代ではない。古い力に期待すべきでないのだが、尖閣問題のチョンボでまた小沢の声が上がってきた。彼が小沢の古さに依拠すべきでないが、菅を支える前原・岡田の「革新派」も危ない。(談)

全文は→「10.pdf」をダウンロード

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2010年9月28日 (火)

靖国神社/39回 最終決戦 8月15日(上) ~今年こそ会えるか~〈2008年8月取材〉

 今年も行ってきた。年に1回の苦行。8月15日の靖国神社。1年が過ぎるのは本当に早いですね。
 さて、なんらかのイベントがある日の靖国は参拝客が増えるが今年は少なく感じた。どうやら8月16日付けの産経新聞によると、今年の参拝客は15万2000人。2年前の約26万人と比較すると、少なくなっているのは気のせいではなかったようだ。

 この日、九段坂では、外国人参政権反対や、チベットや少数民族などの中国国内の民族問題など、ここでビラ配りや署名活動をする意味があるのか問いたくなるようなことが行われていた。他にも、道の至る所に警察官や機動隊が立っていて、特に機動隊員の服装は見ているこっちが暑さでやられそうになるくらい。
 涼しいところを求め参道を歩き境内へ向かうが、歩きながら、そういえば8月15日に参拝をしたことがなかったことに気づいた。思えば、着いてすぐ到着殿へ向かい、参拝にやってくる政治家たちを追い、少し時間があれば当日の様子を知るためにふらりと境内や参道に行くというのが私の1日である。というわけで参拝をしてみたところ、驚くべきことに賽銭箱が大きくなっている。どこから投げ込んでも入るようにとの配慮なのだろう。靖国の参拝客への優しさを感じた。

 参拝を終え満足しながら到着殿近くにあるベンチに向かった。到着殿を見渡せる絶好ポイントを確保するものの動きがないようで、日の当たる報道関係者スペースには人があまりおらず閑散としていた。例年通りのスケジュールならば、午前10時半頃からみんなで靖国神社に参拝する靖国神社の会の面々が集合し始め、午前11時に参拝するのでゆっくり待つことにした。
 途中で、編集部員の一人が来てくれたのでかき氷を買いに行き、とりあえず食べながら談笑していると、到着殿付近にわらわらと人が集まりはじめた。それから少しして黒塗りの車が続々と到着してきたところで人混みに加わったところ「参拝ありがとう!」という歓声が上がった。一体どうしたんだと、様子をうかがうもわからない。あとから知ったが、どうやら安倍晋三元首相だったらしい。今年の目的の一人を見逃してしまった。まさか銀の車でくるとは思わなかったよ。それにしても騒ぎが少なかった。前出の産経新聞によると、「声援も、こだまするような勢い」もなかったそうだ。そりゃあ、わからないよ。3年前の8月15日を思い出したら非常に切ない気分になった。スターの輝きはもうないらしい。

 逆に、鈴木宗男衆議院議員の人気があいかわらずすごかった。午前11時に国会議員の会の面々が到着殿へ向かう際、他の議員に対しての声援は特になかったのに、彼だけにはあった。しかも「一緒に一枚!」とか、「頑張ってください!」の声。本当に人気があるのかどうかはわからない。ただ、写真や握手に彼自身が快く応じているところにそのゆえんがあるのではないかと感じた。(奥津裕美)

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2010年9月27日 (月)

爆笑!フランス語を上達させる方法!基地外編

最近、フランス語がめきめきと上達しすぎて。

話さずにはいられないBrenda。

まるで、言葉を話し始めたばかりの子供のようであります。

友達は、いつも言葉の問題が・・・と心配してくれますが、それは問題ないです。笑

そして、最近のBrendaがはまっている。超フランス語活用術。

驚きますぞぉーーー!

それは、基地外クレーマーin French.

先に言っときますが、日本とかではめったなことが無い限りアタクシ、クレームとか言いません。
なぜなら、時間の無駄だから。気に食わなければもう行きません、使いません、買いません。
ただそれだけ、人も物も、いちいち私が時間をかけて抹殺しなくとも、ダメな物は廃れて行くので心配無用。それよりかは、アタクシの時間は高くつきますの。

でも、今フランスの生活の中で、電話で苦情とかを言って相手がしっかり理解するのが楽しくてしょうがない!!!
バカかよ???汗

そして、具体的にどのように私が自分のフランス語をshow offしてるかと言うと!!!
気に入らないタクシーに乗ったら、メモり。
タクシー会社に通報するとか。

電話の会話って結構難しいですから、これが普通に出来るようになればもうビギナーではない。中級と言えると思います。前は、どんな電話でも結構緊張しましたが、緊張対策のためにも、タクシー会社に電話をして、あえてねちっこく苦情を話します。

あと、これは、苦情ではないですがスーパーで、自分の気に入らない物を返品したり交換したり。
そんなときもカスタマー受付で、あえて長めに説明します。

なぜか子供と間違えているようで、必ずこんな時は、マドモワゼルと言われます。
スーパー行く時に小銭入れしか持ってないし、その中から大事そうにレシート出してるからかも。笑!
その上、メガネにクロックスはいているので、むしろ中学生ぐらいに見える可能性が・・・汗。

日本人の中には話せなくて困る人もいるのかもしれませんが、私の場合、話しすぎて困る問題があるので、ある程度のところでやめておかないと、人の迷惑にもなりかねないので、いつもセーブ、セーブと自分に言い聞かせています。

でも、なんかねー。フランス語で話すのって楽しい。
どうしてこう感じるのかな、やっぱ英語ともポーランド語とも違う気分があるんだよね。
なんか新鮮。

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2010年9月25日 (土)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第82回 路上の哲学者(前編)/渡辺さん(73歳)

 生まれはね、東京です。昭和4年の生まれになります。
 父は伯父の商売を手伝っていました。伯父は新潟の田舎から単身上京して、屋台のラーメン曳きから始めて、その元締めをやるようになった人です。非常に山気のある人で、最後は50~60台の屋台を差配していたようです。父はその金庫番、つまり経理係ですね。同じ兄弟でも、伯父とは違って非常に朴訥な人でしたね。
 子どものころの私ですか? いまでいうオタクのような少年でしたね。家に閉じ篭もって本ばかり読んでました。小遣いをもらうと神田の古本屋に行って……だから、部屋は古本の山でした。その古本の山に埋まるようにして、伏せ字ばかりの本を貪り読んでました。小学生のときには菊地寛全集が全巻揃ってましたからね。それくらい本が好きでした。
 学校はね。いろいろ事情があって、海軍兵学校に進みました。いや、軍国少年ではなかったです。戦争に負けることも薄々わかっていました。親戚に戦時情報に詳しい人がいて、コッソリ教えられていましたからね。兵学校行きはいろいろの事情からです。
 あのね。ボクは終戦前後の数年間のことは語りたくないんです。このあいだようやく自分のなかで整理をつけたばかりなんです。それを語るとまた思い出してしまうから勘弁してほしいですね。

 昭和20年3月10日の東京大空襲。そういうことなら語れます。その翌日、ボクは世田谷の自宅から、下町に住んでいた親戚の家まで炊き出しのオムスビを届けたんです。省線(いまのJR電車)は御茶ノ水まで動いてました。そこから先は線路伝いに歩くしかない。
 行くところ行くところ死体の山でした。油脂焼夷弾の火に舐められて焼かれた死体です。みんな線路の枕木のように炭化してましたね。ところによっては死体を踏みつけないと、前に進めないようなところもありました。地獄のような光景でしたが、不思議と怖いとか気持ち悪いとは感じませんでしたね。淡々とした気持ちで歩いていたのを覚えています。

 戦後しばらくして大学に入りました。私大です。早稲田? そんなところです。ずっと文学志望でしたが、なぜか斜径してしまいましてね。専攻は哲学に変えていました。まず哲学ありき、そこからすべての理念が発する。ボクの場合は観念的な哲学思想よりも、生きていくうえで必要な実践的な哲学の追究が主眼でしたけれどね。
 ただね、大学生活を長くは続けられませんでした。父が応召したまま帰ってこないし、長男であるボクが家族全員の面倒をみなければなりませんでしたからね。止むなく大学は中退しました。
 それで闇屋になりました。手っ取り早くカネを稼げるのが闇屋でしたからね。味噌、醤油、塩、カストリ、メチール。そんなものを闇で仕入れて、闇で売って糊口をしのいだわけです。そんなのが昭和25、26年までつづきます。物資の乏しい殺伐とした時代でしたが、それなりに謳歌した青春時代でした。もう、いまとなってはあの体験はできませんね。
 そのうちに戦後の混乱も落ち着いてきて勤めに出ました。農業肥料をつくる工場の下請けで、肥料の硫安をカマスに詰めて貨車に積み込むのが仕事でした。これが大変な重労働で、休み休みしながら働いて正味で4、5時間しか働けないという職場です。その分賃金はよかったから、それを蓄めて商売を始めることになります。

 商売は飲食店をやりました。カネを蓄めたといっても小金ですからね。小さな投下資本で始められるのは飲食店しかありません。
 ただ、ボクには持論がありましてね。飲食店を経営する場合、一つの店舗だけの営業では無駄が多すぎる。仕入れた食材を効率よく使うためには、多店舗展開が望ましいということです。経営上のリスクも分散軽減されますしね。
 誰にでもわかる理屈なんですが、要はやるか、やらないかでしょう。ボクは持論通りにやりました。寿司屋、定食屋、小料理屋、ラーメン屋と、次々に展開して最大10店舗まで増やしました。順調でしたね。儲かりもしました。
 ボクは新店舗をオープンさせると、その店を地区のナンバー1にするまでしゃにむにやる。ナンバー1にしたところで、あとは店長にまかせて、5年したら店は店長に譲る。その間、ボクは別の新しい店舗を手がける。そんなふうなやり方でしたから、最大10店舗以上には増えませんでした。

 店を譲らないでチェーン化していたら、50~60店舗のチェーンにはなっていたろうと思いますよ。だけど、ボクには物欲というのがないんですね。実業家というよりプランナー。企画立案して、それを実行に移して軌道に乗せるまでが楽しい。軌動に乗ってしまうと、途端に興味が薄れてしまうんです。
 それに戦後の最初の好況である神武景気のときに、商品相場で当てて2千万円儲けるという幸運にも恵まれました。昭和30年代の2千万円ですからね。資金的にはいたって潤沢だったといえます。それでしだいに店は人に譲り飲食店業からは離れて、貸しビル業に代わっていきます。
 それまで飲食店業をやりながらも、ボクの心を離れなかったのは哲学です。ずっと哲学を究めたいという気持ちがありました。それで貸しビル業に転じたあたりから、哲学に傾注していくことになります。
 ボクが究めたかったのは「運」について。「あの人は運のいい人だ」「あの人は運に見離されている」などといわれる運ですね。人生において運はいかほど作用する力をもっているのか、それを究めたかった。(2002年9月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2010年9月24日 (金)

新連載【金曜日更新】OL財布事情の近年史/第1回 レディの月給、どんなかんじ? 覗こう新旧乙女のサイフ

連載「OL財布事情の近年史」は、2013年12月に単行本『女と金~OL財布事情の近年史~』として発売されます。

各年代のOL像を、イラストを交えて解説する辛酸なめ子さんのプチ時評つき。辛酸さんには、カバーイラストも描いていただきました。

エピローグには最新の女性誌お財布事情が書き下ろされ、女性誌創刊号の画像50数点を掲載。30年ぶんの「OLの財布の中身」が一気に見える本となりました。

全国書店から注文可能。
Amazonでも予約・注文できます!

 先日ラジオを聞いていたら、『non-no』専属モデルの女の子がゲストに出ていた。今年は断然ファーです、花柄もきてますよぉ、などかわいらしいトークの終わりに、「9月から、隔週発売から月刊に変わります」との告知が。「ますますパワーアップするのでよろしくお願いします!」と元気に宣伝していたけれど、どうにも痛ましさを覚えたのは私だけだろうか。
 女性誌のガリバー的存在の『non-no』でさえ出版不況のあおりを食らっている昨今。分厚く重く、鈍器になりそうだった女性誌もどんどん薄く軽くなり、かわりに付録が挟まって紐で結束され、かさ高く積まれている様は、世の中の変容がまざまざと感じられるというものだ。服は通販で買っちゃうし、ネットや携帯見るのに忙しいし、だいたいお金もないし、という今どきの若い女の子たちに、ファッションやライフスタイルを提案する女性誌というもの自体、必要とされなくなっているのだろう。

 とはいえ、そんな女性たちの様子を色濃く映しているのも、女性誌である。とりわけ、メインのファッションやメイクのグラビアページではなく、雑誌中盤や後半のお便りコーナーや恋愛指南、読者調査などがあるモノクロページに時代感が満載。ある程度仕込みというのは納得済みだし、下世話で美容院で読むのはやや恥ずかしくもあるけれど、実はここが女性誌の醍醐味なのかもしれない。洒脱で最先端の雑誌が苦戦する中、モノクロ部が充実している『MORE』や『WITH』が、息長く売れ続けているのが、その証しといえよう(強引)。

 そんな実在モノクロ女性誌、『MORE』『WITH』に、「OLの財布事情」といった定番記事がある。給与明細や1ヶ月の支出を診断するというこの企画からは、OLの暮らしぶりや趣味志向、結婚感や人生観、さらには社会情勢や経済状況までも垣間見えてくる。調べてみると、創刊間もない1980年代初頭から現在まで、30年間変わらず年に数回、この手の記事が登場している。なんというお財布歴史! このデータをたどっていくと、OLの意識や生活の変化がわかるのではないか、ということでこの連載を始めることとなった。どうぞよろしくお願いします。

 まずは、この数十年でOLの経済事情はどれくらい変わっているのか、新旧の記事を見てみることにした。とりあげるのは『MORE』2010年6月号「〈27歳女子〉15人のマル秘給与明細」と、1980年2月号「25歳の月給袋」。偶然だが、テーマもほぼ同じ、比較にはうってつけである。次回から、それぞれの記事を分析して行きます。(神谷巻尾)
【毎週金曜日更新】

著者プロフィール:神谷 巻尾…編集者。東京生まれ。人文社会、ビジネス、カルチャーなど幅広い分野で編集活動中。

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2010年9月22日 (水)

ロシアの横暴/第46回 プーチンを救った“燃える”モスクワ(2)

 ここに「想像もしていなかった事態を利用して」転んでもただでは起きない、いかにもロシアらしいニューリッチたちの黒い噂が立ちのぼっている。
 国家危機をチャンスに変える話である。あちこちで起きている火災のどさくさに紛れて、森に火をつけている、という。自分たちが違法に伐採し、売り飛ばしたことを隠蔽するためらしい。その上国家規模の大災害なので国家保障も狙っている、と。
 憶測の域を出ないとはいえ、「連中ならやりかねない」というのが一般市民の正直なところだ。

 そしてもう一人、火災を利用して名をあげている人物がいる。
「世論調査基金によると、火災が拡大していた8月1~12日にメドベージェフ大統領の支持率は52%から57%、プーチン首相も61%から64%まで上昇した。火災の死者が50人超、住居を失った人が3500人に達し、現行の中央集権体制が大規模災害に効率的に対処できない現実があらわになった中での支持率回復だ。『人々は、プーチン氏が消火に走って役人を叱責(しっせき)し、被災者に復興資金を約束する光景ばかりをテレビで見ている』」(8月20日付け産経新聞)
 火災の被害に遭わずテレビを観ている人々はもちろん、遭った人ですら消防士を叱責する首相を見て感激に涙を流す国民性であることをよく知った上でのパフォーマンスであろう。

 そういえばプーチン氏は下がり気味の支持率回復策か、次期大統領選の下地作りか、最近は派手な行動が目立つ。
 「夏のニュース枯(が)れ時に注目を集めようとするロシアのプーチン首相のパフォーマンスが、ここ2、3年激しくなっている。水泳や乗馬を楽しむ筋骨隆々(りゅうりゅう)の体をメディアにさらす。昨年は世界最深のバイカル湖底まで小型潜水艇(せんすいてい)で行った。
 今年は7月下旬、米国を退去処分となったロシアのスパイをねぎらう会に出て彼らと歌った後、ウクライナに行ってバイクショーに加わり、米ハーレーダビッドソンの三輪バイクで疾走(しっそう)した。」(9月3日付け朝日新聞)
 「頼もしそう、強そう!」な指導者を演じることで支持率挽回をはかったつもりが、干ばつが広がっているときとあって「遊んでんじゃねえよ!」のブーイングが出始めた。そこでおきた森林火災である。これを利用しない手はない。

 反ロシアで固まっているインターネットサイト「カフカスセンター」では「ロシアの悪事に対する神の裁き」としているが、どうやらプーチン氏にとっては「神の贈り物」になっているようだ。(川上なつ)

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2010年9月21日 (火)

アラサー財布事情/第2回 スキルアップに使っています

0921 ■Sさん(34歳)男性 職業:SE 江東区在住

 家賃70000円でロフト付きの1Kアパートに住んでいます。駅から徒歩3分程度なので、立地を考えると妥当だと思います。
 銀座まで10分くらいで、都心に出やすいのがいいのですが、朝は電車がものすごく混むのでそこが不満ですね。
 電車のことを抜けば、いいところだと思います。

 生活費を抜いたお金の使い道ですが、主に交際費に使っていますね。友達と飲みに行ったり、デート代に使いますね。
 飲みに行く場所は、新橋、上野です。そこのローテーション。週1ペースで、飲み代はだいたい5000円くらいかな。芋  焼酎がすきです。
 デートは、銀座か上野が多いですね。女の子を意識するなら、銀座、渋谷、六本木あたりに行きます。個人的にはそういうところは好きじゃないので、本当は新橋とか行きたいんですけど、女の子とは行きづらいですね(笑)
 おいしいものが好きで料理には結構こだわるので、デートの時は安くてうまい店を選ぶようにしますね。渋谷のうまい店は英会話の先生に教えてもらいました。
 あとは、合コンにもよく行きます。合コンは嫌いじゃないし、昔は人見知りだったけど克服したので、知らない人に会うのも苦じゃないしね。

 交際費以外だと、あとは自分磨きにお金をかけてますね。
 習い事はいろいろしていて、週に1回英会話に通っています。かれこれ2年ぐらい通っていますね。上達具合ですか? まだまだですね。TOEICは初めて受けたときが450点で、最近受けたときは490点だったので……あまりあがってないですね。
 スポーツ系だと、ゴルフサークルに入ってるんですけど、それは行きたいときに行くという感じです。数ヶ月前にやめてしまったんですけど、極真空手も長くやっていましたね。
 自分はどちらかというとマニュアル人間なんですよ。それに、SEという仕事は個人の能力が明確になりやすいし、判断基準が資格になるので、難しい資格をとれば実績をあげていなくてもそれが売りになるんです。だからスキルアップにつながることにもお金をかけています。(聞き手:奥津)

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2010年9月19日 (日)

ロシアの横暴/第45回 プーチンを救った“燃える”モスクワ(1)

 地球温暖化か、天地異変か、はたまた人災か。2010年の夏は世界中で異常気象が暴れ回った。
 特にロシアでは過去に体験したことのない暑い夏が襲い、農作物に大被害を及ぼし、森林火災が広がっている。
 もともとロシアは「暑さ」というものに無防備だから、人々がパニックに陥るのも無理はない。家屋は冬向きに造られているので風通しが悪く、エアコンは普及していない。
 そんな住宅で涼を求めるには窓をあけるしかないが、するとモスクワ近郊に迫る森林火災で発生したガスや煤煙に襲われる。どこにいてもどうしようもないので、ウォッカをあおってとりあえず涼しそうな噴水に飛び込んで水死、という事故が続出した。
 それなのにロシア政府やモスクワ市は「懸命な消火活動の成果があって沈静化しつつある」というお決まりの大本営発表を流すだけで、ほとんど何もしない。ほんとうのところは「手がつけられない」のだろうが。
 そこから「ロシアの火災はほぼ収束した。燃えるモノはすべて燃えてしまったからな」という、笑うに笑えない小咄まで出てきた。
 なんでもモスクワ市長は燃え広がる火災には目もくれず、どこかに避暑にでかけたとかで、さすがのモスクワ市民もこれには怒りの声を上げたそうだ。おしなべてモスクワ市民は国内地域格差の頂点がモスクワであることを誇りに思っていて、その栄華をもたらしたルシコフ市長をあがめている。その市長に批判の声を上げるなどこれもまさしく「異例」のことである。
 火災の被害がここまで広がったのは危機管理のまずさ、といったたぐいのものではない。まぎれもなく人災である。
「一方で明らかに『人災』のつめ跡も残されている。ロシアでは数年前に森林の監視人が大幅に削減され、火災の発見や消火活動が後手に回っている。別の火災現場にいた80歳の女性は『ソ連時代はどこの村にも消防車が置かれ、火災を知らせる鐘があったがなくなってしまった』と話す。」(8月20日付け『毎日新聞』)。
 これは混乱期によくある「昔はよかった」という懐古趣味ではなく、深刻な人災であることを物語っている。
 ソ連では日本の営林署のような森林管理部門があり、大きな権限を持っていた。なぜならば森林は貴重な国家資産だからである。石炭や石油が豊富だといってもそれは地下にある「死んだ」資源で、使い続ければいつかはなくなる。それに対して森林は生きた資源である。再生し、共存し続けることができる。まさしく森は生きているのだ。
 生きて成長している樹木があり、成長を待たずして落雷や日照りで死んでいく樹木もある。それらをきちんと管理していくのが「森林管理人」だった。れっきとした専門職で、森林を擁する州や地方では大学に「森林管理科」という学科が設けられていたほどである。
 彼らの仕事は多岐にわたっているが、究極的には「森と人間の共存」である。
 何らかの原因で枯れた樹木を取り除く。何といっても危険なのは火災だ。枯れた樹木は燃えやすいので、発火しないように見回り対処する。これらの樹木は薪として大いに役立つから、住民にとっても森林管理課が出す枯れ木情報はとてもありがたいものだった。
 この他、森でたき火をしたり、バーベキューのついでに酔っぱらってボヤ騒ぎを起こす市民たちの監視もある。
 それがソ連崩壊とともに森林管理の形態が変わり、一握りの特権階級が諸々の国家資産をむさぼり喰ったので「私有森林」となった。自由市場を選んだロシアの人間社会は森林のサイクルとは無関係に、共存・持続などどこ吹く風で、カネを軸にして動くようになった。
 どこかで建設ブームといえば早速木を切り倒してカネに変える。切り倒したあとに苗木を植えることなど思いもつかない。苗木を植えるには手間ヒマと費用がかかるし、木が成長してカネになのはまだ何十年も先のこと、まずは伐採に励む方が実入りがあるというものだ。ついにはまだ成長しきっていない若木を伐採することもやり始めた。切り倒して売り飛ばして、禿げ山ならぬ禿森になってしまった。枯渇しないはずの森林資源が枯渇し始めているのである。
 こうして森林管理人は不要になった。わずかに残った管理人は森林管理ではなく、となりの「森林地主」との境界線を守る程度である。
 そこにロシアが体験したことのない猛暑が襲って。こんな日が来るなど誰も想像していなかっただろう。暑さに無防備な上に、森林管理も放棄してしまったロシアはほんとうに燃えるモノが何もなくなるまで燃え続けるかも知れない。(川上なつ)

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2010年9月18日 (土)

ビッチがどうした

「ビッチ」という言葉が日本で使われ始めたのは、いつごろからだろうか?
「セレブ」と「ビッチ」を「セレビッチ」という造語まで作られ、「ビッチ」は必ずしも「あばずれ」といったマイナスなニュアンスだけの言葉ではなくなった。

 上野千鶴子氏が、男性は性的な奔放さと人格が切り離されて語られるが、女性は一致して語られる。だから、例えば女好きの男性社長が信頼を失うことはないが、男好きの女性社長は信用を失う、というようなことを書いていた。
 そういった考えると、「ビッチ」がマイナスの意味合いだけではなく語られるようになったことも、それなりの意味があるかもしれない。

 そして何より性的に奔放さと人格の結びつきを、近年、現実の女性が軽々と飛び越えていったような気がしてならない。
 そんなことを考えたのも、既婚女性の恋愛について取材したからである(04年『妻の恋』として出版)。

 ある女性は、新宿の中央公園にある「覗かれスポット」の話をしてくれた。カップルで抱き合っていると、そこはいろんな男性が乱入してくる。また、それとは別に覗き専門の人もいるから燃えるのだと。
 おかしかったのは料金を回収するヤクザが常駐していて、「場代」を取っていたという話だ。その手の趣味のあるカップルから見れば、お金は取られても、ヤクザが管理しているから安心だったという。
 この話は、別の女性からも聞いたので、たぶん本当のことだろう。

 取材した限りでは、彼女にその手の趣味があったわけではない。男性に誘われて試してみたのだという。この話だけ聞けばそれこそ「ビッチ」だが、たぶん彼女の社会的な評判は悪くはない。某百貨店の受付から事務系に回り、バリバリ仕事をこなしていた。子育ても順調、上司ウケもかなりいいようだった

 もちろん取材の性格上、裏を取ることはできない。ただ、同じように不倫をしていた元同僚を紹介してもらって取材したので、極端に社内の印象が違うとも思えない。部下の男性からも上司からも熱烈に好かれていたが、子どものお迎えなどのため、ほとんど飲み会に出席できない。そのことをみんなが悔しがっていたとも、元同僚から聞いた。

「終わった後、公園でパートナーと乱入してきた人と私の3人で世間話したのが面白かったよ。もう、本当に普通の世間話だったから。『景気悪いですよね』とか」と彼女から笑いながら言われたとき、不思議と特別な話を聞いた気がしなかった。

 ――そんなこともあったわよ、たまにハメを外すことだったあるわよね、誰だって――

 そんな軽い口調で語られたからかもしれない。

「飲んで先輩に風俗に連れて、ひどい目にあったよ(笑)」なんて話を、男同士で話すのに似ていた。少なくとも中央公園の“お遊び”は、彼女にとって自己評価を下げるような体験ではなかったようだ。

 もちろん彼女が奔放過ぎたのかもしれない。でも、『妻の恋』でけっこうな数の既婚女性から話を聞いた限り、ものすごく特殊な存在とも思えないのだ。(大畑)

 彼女が実際にどんな恋をしていたのかは、『妻の恋』(アストラ)で。
 購入は→こちらから。

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2010年9月17日 (金)

Brendaが行く!/小説の中にいるような気分。。。

最近本当にいろいろな経験をして。
もちろんとてもpositiveな経験なのだけど、あまりにprivateなのでブログにとても書く気にはなれず。

でも、あまりにも特別なので、もし私が小説の書き方でも知っていたならば面白いだろうにって。

そして思うことは、いろいろ経験するのはいいけれど、その話とか体験を共有できる人がいなければ意味のないことだということ。

私は電話したり人に会ったりすることで自分の経験を共有してるけど、それだけでは足りないような気がする。

そしてそこでは満たしきれない感情がお互いにあったり。

それは特に抱きしめることだったり。

日本では友達同士とか、医者と患者とか、教師と生徒とかスキンシップはほとんどしないけれど、私にとっては中程度のスキンシップがいつも必要。

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2010年9月16日 (木)

靖国神社/38回 この夏おばけが熱い!〈2008年7月取材〉

 夏が暑いのは当たり前だが、私の中のお化け屋敷熱のホットさといったら尋常ではない。そもそも怖いもの嫌いでお化け屋敷なんてもってのほかで、ホラー映画なんて見た日にはトイレに行けない……なんていうのは遠い昔のこと。今年のこの企画のために鍛えた。あらゆる恐怖に次ぐ恐怖を体験し、今ではちょっとの怖さぐらいならばたいしたことなく思えるまでに成長した。
 で、お化け屋敷である。みたままつりの風物詩といえば、提灯、つのだ☆ひろのライブ、一日中続く奉納芸能だと思っていたが、毎年行くたびに気になっていたところではあった。
 軽くお化け屋敷の歴史を書くと、天保元年(1830年)に、瓢仙という医師が自宅の庭に小屋を設けて壁や天井に化け物の絵を描き、人形を置いた屋敷を作ったのが起源とされている。どうやらそれは3ヶ月くらいで撤去させられたそうだが、きっと当時は斬新だと思われたに違いない。さらに調べると、遊園地内にお化け屋敷が造られはじめたのは1950年代半ばから60年代にかけてだそう。
強気な入場料

 さて、靖国に話を戻して。隣に出している見せ物小屋はすでに取り上げた。「今日見逃したら明日は見られないかもしれません」のせりふに誘われフラフラ~っと入った気が。しかし、お化けは見て見ぬふりをしていた。 しかし今年は思い切って編集部の面々を誘って行ってきた。メンバーは、古参編集部員と新人女性編集部員の3人。古参編集部員に関しては、「お化け見たーい」とうるさかったので参加メンバーに入れた次第。
 午後16時半。夕方近くにも関わらず、夏真っ盛りということもあって暑いし明るい。太陽がさんさんと照らしている中でお化けというのは味気ないし、雰囲気に欠ける。それに、このお化け屋敷はどうみてもベニヤとビニールシートと少しのぬくもりでできているとしか思えない。いくら頑張って設営したとしても少しの隙間からでも日が射しこんでしまいそうだ。ついでにいうと、設置場所は大鳥居を抜けてすぐ右に曲がったところの奥。木で覆われているから少し暗いものの、葉っぱの緑色がさわやかさを演出し、健全に見えてしまう。
 とりあえず外観をじっくりと観察し、入り口に近づいてみると、生首3つと口から血を出した人形が「アロハー」とお出迎え。今年のテーマは「四谷怪談」だそうで、昨年は「ゲゲゲの鬼太郎」だったそうだ。
 入場料は大人一人500円と結構高めの料金設定。入口から出口までに約50分を要するお化け屋敷と同じ値段である。
 受付のおばちゃんのスラスラと年季の入った口上スキルに魅せられ(魅せられなくても入るが)入場料を払う。
 おばちゃんお金を受け取り、「3名様入ります。両手に花でいってらっしゃい」と言ったあと、頭上の鐘をゴーン。あまりにも突然、前振りなく鳴らすものだから全員で「ギャーッ!」。まだお化けいない。中に入ってもいない。
 ひとしきり驚いたあと入場。直後にお人形がお出迎え。お化け側の先制攻撃に、記録チーム再び「ギャーッ!」。
 中は真っ暗、妖しく辺りを照らすブラックライトの青い光が行ったことはないがクラブ(踊るほう)っぽい……などと思っていたら前から、ベニヤをバンバン!と叩きながら「ガァーッ!」とシーツのようなものを着て、顔は映画『スクリーム』に出てくるマスク(ムンクの『叫び』のあの顔に似た感じ)をつけたお化け登場。威嚇音が聞こえているにも関わらず「ギャーッ!」(三重奏)。大人三人がそろって大声で叫ぶ。目の前にジェイソンが現れたときのよう。私の脳裏に、叫んでいる女優の顔が浮かんだのは言うまでもない。
 さらに先に進むと、広い空間にたどりつき、真っ暗でまわりがよく見えない。進行方向もわからずとにかく手探りで道なりに歩くと外に出た。
 外に出てほっとしていると、ひゅーっと頭上を何かが駆け抜けた。たぶん生首。馬並みの速度だったため、実はよくわからないがきっとそうだと思う。しかし、この安心した瞬間に何の前触れもなく驚かされるのは、暗闇のお化けよりもタチが悪い。後ろを振り返ると、入り口のおばちゃんが何事もなかったようにヒモを何かにくくりつけていた。おばちゃん、タイミング良すぎ、いい仕事してるぜ。

 気を取り直して、再び中に入ってすぐお化けの奇襲。このお化け、驚かせたあと「どうぞ」という風に先に進ませる。紳士なお化けに編集部員一同、「どうも」と先に進みほっとした瞬間、後ろからお化けが「わ゛ーーー!」。編集部員「ギャーッ!」。これが数回続くわけです。   
  「わーっ!」→「ギャーッ!」→「どうぞどうぞ」→「ほっ」→「わ゛ーっ!」→「ギャーッ!」のループ。ずっとお化けのターン。アイツラ……。
 ヤツらがいるのはわかっている。そこを曲がれば出てくるのはわかっている。だけど驚いてしまうのがお化け屋敷クオリティ。 
 そして2回目のお外タイム。そこでもまた頭上を何か(たぶん生首君2号)が駆け抜け「ギャーッ!」。いい加減、学習しろ。
 意を決し、再び中にはいると、「あの人について行こう」という声と同時にかばんが重たくなった。どうやら入り口付近で固まって怯えていた小学生の女の子たちにかばんのヒモを掴まれたようだ。
 しかし、入った瞬間、お化けが「わ゛ー!」と出てくると、少女たちはパニックになり、ギャーギャーいいながら私の周りを回るだけ回って外に出て行ってしまった。 
 取り残された私、かばんのヒモが足に八の字で絡まって動けず涙目。どうしたらこんな絡み方するんだよ。
 さらに、ついてこない私を心配した編集部員が、「奥津さんが行方不明だよ」と探しに来て「大丈夫?」と腕を引っ張るも動けずさらに涙目。       
  「ちょwwwムリwww動けないwww」とかいっていたらさっきのお化けが助けてくれた。「ありがとう、王子様」なんてうっとりするが、顔はゾンビ。ムードなんてない。しかも、振り返るとついてきている。気配消すな。 行く前はバカにしていたが、かなりおもしろかった。ただ怖いお面をかぶって驚かせているだけなのに、なんであんなにビビッてしまうのだろうか。普通に回れば5分もかからないであろう構造だが、軽く20分くらいは楽しめる。そう考えると、500円は結構安い。おばちゃんもお化けもいい仕事をしていたので、お化け屋敷はおすすめだ。要健康体が条件だが。

 お化け屋敷を出たあと、興奮を冷ますべくかき氷を食べ、恒例である朝青龍のぼんぼりを見に行った。今年の朝青龍、驚くことに漢字をやめたのである。毎年、彼の漢字を見るのが楽しみだっただけに残念。
 お化け屋敷は楽しかったが、目玉の朝青龍ぼんぼりににがっかりしながら靖国をあとにした。(奥津裕美)

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2010年9月14日 (火)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第81回 世の中悪くなるばかり/山根さん(51歳)

 最近悪い手配師や飯場が増えましたからね。私もこの1年ばかりのうちに2度も引っ掛かりました。
 ひとつは小田原(神奈川県)の現場。仕事を終えて飯場を出るときにカネを払ってくれないで、「1ヵ月後に払う」と言って追い出されました。1ヵ月後にわざわざ小田原までもらいに行くと、会計の担当が代わっていて「前の担当から何も聞いてない」の一点張りで払ってくれないんです。結局、タダ働きでした。
 もう一つは八王子(東京都)の現場。1日働くと2日間休みを取らされるんです。15日間の契約で行って、45日間も飯場に入っていました。ここでもいくらのカネももらえませんでした。2日間ずつ取らされる休みのあいだも、食費と飯場の宿泊代が引かれる計算だからです。

 両方とも手配師と飯場がグルになってやっているんですよ。いま仕事がないから、こんな話にも飛びついてしまうんですよね。ただ、2度もひどい目に遭うと、もう手配師の話は信用できなくなります。タダ働きをさせられるくらいなら、公園のベンチで日向ぼっこをしているほうがマシですからね。
 この(新宿中央)公園では、ホームレスが芝生広場に立ち入るのが禁止になったんですよ。表向きは樹木の剪定作業の邪魔になるからということですが、体のいい追い出しですね。新宿区では区長が代わって、これからホームレスの対策は厳しくなるともっぱらの噂です。「なぎさ寮」(東京都などが運営する冬期間のホームレス臨時宿泊施設)も、この冬は開かれないことになったようです。
 ホームレスはどんどん増えていて、ホームレス新法もできたというのに、実際には厳しくなっている。いったいどうなっているんだと言いたいですね。
ヤクザに騙され会社は倒産

 私の出身は島根です。高校を卒業して、東京の建築会社に就職しました。従業員10数人の小さな会社でしたが、ちょうど建築ブームのときでしたから仕事は忙しかったですね。民間住宅の建築が中心で、ほかにアパートやマンションもつくっていました。
 私の仕事は現場監督でした。小さな現場ばかりの監督でしたが、根切り(基礎掘削)から竣工までを一人で賄いますからね。担当を分担するゼネコンなんかの現場監督より、工事全体の流れや手順については、私のほうが詳しいという自負はあります。
 会社に入って10年ほどして、その会社が倒産してしまいましてね。原因はヤクザです。ヤクザがクライアントだと知らないで、注文住宅を数棟受けてしまったんです。連中は工事中からあれこれクレームをつけて、工事をやり直しさせる。コンクリートを3回も4回も打ち直しさせられたところもあります。挙げ句の果てに、完成しても工事代金を一銭も払おうとしないんです。小さな会社だったから、それでカネが回らなくなり、どうにもならず倒産でした。
 それからは型枠大工になりました。コンクリート工事の現場で、コンクリートを流し込む型枠を専門につくる大工です。そういう大工ばかりを束ねている会社のようなのがあって、その紹介で現場に出て働きました。2年前の49の歳まで、ずっと型枠大工でやってきたんです。

 結婚はしませんでしたが、同棲はしました。相手はアパートの近くのコンビニで働いていた女性で、私が毎朝弁当を買いに寄って話すうちに、彼女の出身が岡山で田舎が近いこともあって親しくなったんです。それでアパートで一緒に暮らすようになりました。私が34歳のときですね。
 その同棲も3年間でした。彼女が高齢の両親の面倒をみるために岡山に帰ることになって、それで同棲は解消になりました。あとは浮いた話もなく、真面目にコツコツと型枠大工の仕事をしてきたわけです。
 それが45歳をすぎたあたりから、高齢を理由にだんだん仕事が回してもらえなくなりましてね。現場から求められるのが、図面なんか読めなくてもいいから、安く使える若い大工に変わってしまったからです。

 2年前のことでしたが、そうした若い大工ばかりを送り込んだ現場で、壁の内と外の寸法を間違えて10センチずれた壁を立ち上げてしまうということが起こりました。ちゃんと図面を読める大工がいなかったのが原因です。
 結局、その壁は全部ハツリ(削り)落として、つくり直しになりました。その費用の数千万円は、大工の頭出しをした会社の負担になります。会社といっても親方が一人でやっているだけのところですからね。ひとたまりもなく倒産でした。我々もそこから仕事を回してもらっていましたから、それからは型枠大工の仕事は一切なくなりました。あとはたまにある日雇いの仕事をしながら、野宿するしかなくなっていたんです。
 サラリーマンの世界でも我々と同世代の人たちは、リストラなどで苦労しているようですが、ベテランの経験とか知恵は必要ないと切り捨ててしまうのは狂っていますよ。

 いまの壁の話にしても、図面も読めない若い大工だけにやらせたのも問題ですが、その間違いを指摘できなかった現場監督の責任も大きい。ゼネコンでもベテラン社員をリストラして、経験も知恵もない若い社員に監督をやらせているでしょう。だから、そんなことになるんです。
 こんなことをしていたら日本は沈んでしまいます。いや、もう沈み始めていますよ。みんなが自分勝手にてんでんバラバラで、方向性のないことばかりしていますからね。世の中は悪くなるばかり。ホームレスになってみて、それがよくわかります。(2002年11月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2010年9月13日 (月)

書店の風格/MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店

 渋谷・東急百貨店本店の7階に突如現れた大きなフロアを持つ書店。渋谷では最大級の広さというだけあって、淑女がおっかなびっくりウロウロしている姿をそこかしこに認めた。
 エレベーターを上るとそこに広がるのは意外や意外、本棚の羅列だ。普通、おススメの新刊はこれですよ、とか、雑誌コーナーが近いところにあったりとかするけれど、このお店は入った時点からズラっと本棚が並んでいる景色が目に入る。そして四方八方が棚、棚、棚の世界。

 気ままに歩いていると、ポツリポツリと陳列棚がランダムにある。ジャンルに関係なく棚ごとに特集が組まれていて、こっちの棚は著者特集、あっちの棚はテーマごとの特集…と遊びにあふれており、書店や図書館というよりは本の博物館に近い。博物館なら足の向くままに、楽しみながら見て歩いてよいはずだ。と、欲しい本を探すとかジャンルでブラウズするとかいった通常の本屋でするような行為を控え、流れに身を任せてみる。なるほど落ち着いて本を眺められる。

 気がついたら普段は全く興味がなくスル―する棚の前に立っていた。その奥は喫茶室だ。室、といっても何かで区切られているわけではない。本棚を越えるとおじさんが椅子に座ってコーヒーを飲んでいるのに遭遇し、おっと何だかすみません、ここはどんな空間ですか? と尋ねたくなってくる。まるでウサギを追いかけていたらお茶会に迷い込んでしまったアリスのよう。そんなメルヘンな例えが通用するか否かは、人によるだろうが。

 ホームタウンと都心では選書が全く違うように、地域が本屋をつくっていく。網羅的な品ぞろえのジュンク堂と、洋もの豊富な丸善が、渋谷という独特な文化があふれる街に触れてこれからどんな棚をつくっていくか、とても楽しみだ。(奥山)

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2010年9月11日 (土)

Brendaがゆく!/NYの女達

NYに来れて幸せ。

まさかこんなにステキな場所とは思いませんでした。

もちろんピアノのことはとても大変ですが、こういう感じの日々って興奮で気分が爆発しそう。
いつもいつもある感情ではなく、本当に特別な気持ちです。

ところで、NYで歩いていると何度も何度も、同じことを知らない女性から言われて

すごく嬉しかった!!!

それは、何かと言うと

「すごい靴が素敵ですね!」って。

今回は手が悪かったので、荷物を多く持つことが出来ずに、靴は2足しか入れられなかった。
それでも、私のコレクションの中から良いものを入れて。

それで、どちらを履いていても、とにかく街角の見知らぬ人、ホテルの人、マネージメントオフィスのスタッフにも、「靴がすごく素敵」と言われてうれしかった。まあ服のことも言われましたが、靴が特に。

そして!
フランスの女達ってそういう感じではない。とあらためて気がついたのです。
ポーランドでは女性同士かなりいい感じで好き合いますが、フランスは、かわいい女、おしゃれな女は特に嫌われる気が・・・。黒とか、グレーとかダークな色のものを着て、目立たず、男勝りに決めるのがフランスのカッコいい。であって、おしゃれ=かわいいとかまたは、おしゃれ=フェミニン、おしゃれ=エレガント、このような考え方は特にパリではクールじゃないのですね。

でも、クラクフでもNYでも、おしゃれ=エレガントは、はやりではないし、現地の女性達はそういう服装をあまりしていませんが、でも、その『エレガント』な物に反応して、良いコメントを残す人が多いのです。

それがすごく違うところかな。
今回は靴が2足しかなかったので、私の得意なファンキーなカジュアル服はきることができなかったので、毎日がエレガントすぎた服で過ごしたので余計感じるところが強かったと思います。

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2010年9月 9日 (木)

アフガン終わりなき戦場/第39回“安全保障を脅かす”男が明らかにした米軍の真実

 今年7月末に民間団体ウィキリークス(Wikileaks)によって、アメリカ軍のアフガニスタン関連の機密資料7万5000点がネット公開された。アメリカでは歴史上最大の漏洩事件とまで言われ、公開から1ヵ月以上が経ってもメディアを騒がせ続けている。
 ウィキリークスはオーストラリア出身のコンピューター・プログラマー、ジュリアン・アサンジ氏が設立したNGO団体。08年には米軍戦闘ヘリコプターが民間人を銃撃する映像を公開し、一躍名を上げた。ウィキリークスはネット上の百科事典ウィキペディア(Wikipedia)に似たスタイルのホームページで、内部告発文章なら原則誰でも匿名で投稿することが可能だ。約10名程度の常駐ボランティアスタッフが在籍し、アサンジ氏によるとサーバーは情報保護法制の整備されたスウェーデンやベルギーに置かれているという。現在日本語を含めた9つの言語に対応している。言論の自由の無い中国や、不敬罪が施行されているタイからは接続が規制されている。

 アフガニスタン関連の機密文章はカブール・ウォー・ダイアリーという特設ページに置かれ、日にちや場所、事件の種類ごとに検索をかけることができ、月ごとの事件の件数をグラフ化して見ることもできるようになっている。ロケーションも事件ごとにGoogle Mapで表示される。
 私も自分が従軍していた時期の文章を調べてみたが、残念ながらその作戦についての文章は無かった。08年の3月に東部ホースト州で従軍した前線部隊は、私が3日の滞在で離れた後に攻撃を受けたと聞いた。全ての軍事行動が記載されている訳では無いようだ。
 公開された文章は軍隊内部でのみ通用する単語も多く使われており、多少読むのに苦労したが、読み進めていくと民間人への銃撃や拘束が日常的に行われているということが見えてくる。
 イギリスの新聞ガーディアンは「アフガニスタン戦争の失敗を衝撃的に描写する内容」と酷評している。

 文章はどれも淡々としている軍隊内の報告書に過ぎないが、その行間には人間、一人一人がいる。Detain(拘束)という項目の報告書では、その行間に武器を持った米兵に囲まれて連行される、怯えた男の顔が浮かんでくる。Killed in action(戦闘中死亡)の文字からは、体のどこかを吹き飛ばされた若い米兵の苦悶を浮かべた顔が浮かんでくる。
 同サイトで戦闘ヘリコプターが民間人を銃撃する映像をリークさせた米軍諜報機関の男性は現在情報漏えいの罪で軍に拘束されている。今回のアフガニスタンのリークを行った人物も相当の危険を覚悟で情報を持ち出したはずだ。現代においては情報はコンピューターで管理され、どこから漏れたかは時間をかければ間違いなく発覚する。ベトナム戦争の時のように紙束を抱えて運び出す苦労は無いが、身元が割れるリスクは格段に高いだろう。その人物の勇気に心から敬意を表したい。
 ウィキリークス代表のジュリアン・ユサンジ氏は英ガーディアン紙で情報の公開についてこう語っている。

 「優れたジャーナリズムは、本質的に物議を醸すものだ。権力者の横暴と戦うことこそ、優れたジャーナリズムの役目。そして権力というものは、挑戦されると決まって反発するものだ。つまり、物議を醸している以上、情報公開は良いことなのだ」

 現在にいたってもアメリカ政府とユサンジ氏は激しく言い争っている。先週には滞在中のアイスランドでセクハラ疑惑で逮捕されかけるも、急に容疑が取り下げられるという珍事があった。ユサンジ氏はアメリカ政府の陰謀と非難。国防総省のモレル報道官はばかげている、と一蹴。米政府は一貫して氏を「国家の安全保障を脅かした上、偏った見方をしている」と非難している。氏の「物議を醸す」という目的は達せられたわけだ。
 最も重要なのは今後、このリークされた膨大な情報をいかに整理し、今後に活かすかということだ。欧米メディアの注目ははすでに公開された資料そものものではなく、ユサンジ氏と米政府の批判合戦そのものに移っている。
 資料に載っている名も無き人々の声にこそ耳を傾け、そこから新しい事実を掘り出していかなければいけない。危険をおかし、情報をリークさせた人物がいる。彼または彼女は責任を果たした。それを読んでいくことは、我々市民の側の責任だろう。(白川徹)

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2010年9月 7日 (火)

【新連載】アラサー財布事情/第1回 Sさん(26歳)女性 職業:営業 小金井市在住

09071  部屋は1Kで家賃は67000円です。給与を考えると高いですが、立地がいいので仕方ないと思います。
 貯蓄は、雀の涙ほどですが、定期預金にして貯めています。

 生活費や交際費などが5~6万円。残ったお金の使い道は、貸し漫画屋で借りたり本屋で買ったりと、主に漫画代に使っています。 好きな漫画のジャンルは特になくていろいろ読むことと、貸し漫画屋は1冊50円と格安で借りられるということで、毎日のように通っています。ただ、行く頻度が多いのと借りる冊数が多いので、最近は借りる漫画が少なくなってきて困っています(笑)。とはいっても、そこは3000冊はあるんですけどね。
 一時期ハマって借りていたのは、『焼きたて!!ジャぱん』『DEATH NOTE』『医龍』です。リアクションが大きいキャラクターがいる漫画が結構好きですね。大人向けの漫画って1冊1000円くらいして高いので、貸し漫画屋は重宝しています。
 出たらかならず買う漫画家は、こうの史代と宇仁田ゆみです。今度、『うさぎドロップ』が映画化しますね。
 漫画以外で買うのは、新刊本ですね。本屋でブラブラしながら欲しい本を見つけるというより、目的の本が出たら買いに行くというスタイルで、読み終わった本は、ブックオフに売りに行っています。なんだかんだいって本を買ってしまって、結構お金がかかるので古本屋もよく利用してますね。

 それ以外で使っているのは、洋服代かな。
 よく買っているところは、新宿、吉祥寺が多いですね。
 このところ結婚式ラッシュで、パーティードレスを買う機会が多いです。ただそういうドレスって、日常使いができないものが多いので、1回着て…か、2、3回着たら古着屋に売りに行っています。他は、仕事が営業職なので、スーツやオフィス用の服も買ってますね。
 好きなブランドは、オズモーシスと、なかなか手が届かないんですけど、セオリーも好きです。最近は、買いに行く以外に通販も利用してます。(聞き手:奥津)

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2010年9月 6日 (月)

●ホームレス自らを語る 第79回 山登りに明け暮れて(後編)/神田弘幸さん(65歳)

1009  東京都内の赤羽公園(北区)を根城に起居している神田弘幸さん(65)は、高校生の頃から登山の魅力に取り憑かれ、山登り中心の生活をしてきた人だ。
「私の登山は一人で行く単独行ばかりで、毎年6回は山に入っていましたね。北・南・中央アルプスのめぼしい山はほとんど登りました。ほかに丹沢山系、朝日連峰の山々、谷川岳などもね。そんな登山に明け暮れた生活を、30代の半ばまで続けていたのです」
 高校卒業後、大学受験に失敗した神田さんは保険会社に就職。そこで山岳保険の営業を担当する。ただ、この保険は内容が特殊なために利用者が限られ、うま味の少ない仕事で5年ほどで辞めてしまう。
「しばらく印刷工場のバイトでつないでから、電機メーカーS社の製品販売を専門にする子会社に就職しました。仕事は特約店担当で、季節ごとに行う展示商品のレイアウト変更を手伝ったり、セールのときには店員といっしょにお客様の相手をしたりで、ほとんどが特約店回りの毎日でした」
 その販売会社は7年間勤めて、30代半ばで辞める。ちょうど岳人生活を引退した時期と重なるが、直接の関係はないそうだ。「友人があるビジネスホテル内にレストランを出していて、そこの店長に誘われたからです。電機メーカーの販売会社より、いい給料の提示を受けたことが転職の一番の理由です。ただ、その分きつい仕事でした。ビジネスホテル内のレストランですから、朝は6時半に店を開けて、閉めるのは夜11時。家に帰っている時間がないから、毎日レストランの本店に泊り込んで働きました」
 神田さんは友人の誘いにのって、レストラン店長に転職したことが、自分の人生の岐路だったのではないかと述懐する。
「転職しないで、電機メーカーの販売店で働き続けていたら、ホームレスにまで堕ちることはなかったような気がします。少しばかり給料がいいのに目移りしたのが運の尽きでした。そのレストランでは6年間働きました」
 その後の神田さんは、企業のダイレクトメールを発送する会社で働いたのをはじめとして、築地の鮮魚卸店の配達、友人が経営する町工場の手伝い、電気メーカーT社の製品配送などの仕事を転々とする。
「この間、37歳のとき母親を失い、50歳のときには父親も失います。父親が亡くなって、それまで住んでいた長屋を出され、アパートの部屋を借りて一人暮らしをするようになりました」

 電気メーカーの配送の仕事をしながら、アパートで一人暮らしをはじめた神田さんだったが、しだいに配送の安い給料で、その生活を維持するのは困難になっていた。
「それで住み込みの仕事を探したんです。すると運良く不動産管理会社に採用されました。用賀(世田谷区)のマンションに住み込んで、そこの維持管理をする管理人の仕事をするようになったのです。13階建て100戸からなるマンションを、一人で管理するのは大変でした。朝から晩まで働き詰めで、60歳近い肉体には結構こたえましたね」
 だが、その働きぶりが不動産管理会社に認められることになり、やがて神田さんは会社直属の管理人遊軍的な部署に抜擢される。遊軍的部署というのは、管理人に欠員ができたマンションに赴き、次の管理人が着任するまでつなぎの管理人をするのが仕事だ。
「ということは、マンションを転々とするわけで、住み込みで働くわけにはいかなくなりました。といって、民間のアパートを借りたら前と同じことになりますから、公団(UR)のアパートを探したんです。そうしたら赤羽台(北区)の団地に部屋が借りられました」
 神田さんは赤羽の団地から、世田谷のマンションまで通って管理人遊軍の仕事で働くようになる。ただ、すでに60歳を越えた身体には、通勤とマンション管理人の肉体労働はさらにこたえることになった。
「それでも3年間は何とかがんばりましたが、去年、とうとう身体がもちこたえられなくなって、不動産管理会社を辞めました。リタイアしたわけではなくて、世田谷までは通いきれないから、赤羽周辺の不動産管理会社に再就職しようと思ったんです」
 しかし、神田さんの前に再就職の道は開かれなかった。いくら経験者といえども、64歳という年齢が大きなネックになった。
「だんだんに手持ちの金はなくなってくるし、それで今年の5月に公団を出て、この公園で寝起きするようになりました。ちょうど2ヵ月になります。この公園では支援団体の炊き出しとか、行政の援助とかは、まったくありませんからここで生活していくのは大変です」
 ホームレスを始めてまだ2ヵ月の神田さんは、現金収入の方途をもたない。それは食べものの入手が著しく困難だということを意味する。
「この公園で知り合ったホームレスの一人が、アルミ缶拾いをしていて、彼が仕事に行っているあいだ私物の番をしてやっています。それを3日間やると100円もらえ、その金で生うどんの麺が3玉買えるんです。1日1玉を水道の水で戻して食べています。もう何日もそればかりですね」
 そんな生活をいつまでも続けるわけにはいかないだろう。これからにの見通しについて聞いてみた。
「いまでも3日置きにハローワークに行って、住み込みで働けるマンション管理人の仕事を探しています。根気強く探せば、きっと見つけられると思うんですよ」
 だが、年齢のことを考えると、マンション管理人にばかりこだわっている場合ではない気がする。そのことを言うと、「そうなんですけどね……」と未練断ち切れない様子の神田さんであった。(聞き手:神戸幸夫)

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2010年9月 4日 (土)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/葬儀社紹介所ってどうよ

葬儀社を紹介するNPO法人がある、と聞くと、皆さんはどう感じるのだろう。NPO法人だから安いかな、NPOだから安心かな、良心的かな、と思うのだろうか。

葬儀系のNPO法人は「全国」「ネットワーク」「協議」「消費者相談」などの言葉を団体名に持ってくることで、全国的に網羅していますよ、至って真面目ですよという安心感を演出しているが、ちょっと待った!

相談する前に、自分の住んでいる地域の葬儀社をどのくらい網羅しているか、尋ねてみよう。

NPOに限った話ではないが、葬儀社紹介所は、提携してもらう葬儀社あってのもの。全国の葬儀社になりふり構わず見積もりを打診するわけではなく、契約会社の範囲内で情報を流す。だから、どんなに大規模な気がしても「こちら●●に住んでいるんですが、周辺の葬儀社は何社くらいカバーしているんでしょうか?」と聞いてみるのがいい。都市部であれば、その数がひとケタの場合は違うところを考えたほうがいい。他のところは……つまり田舎だったら、周辺の葬儀社なんてたかが知れているはずだ。わざわざ紹介所を使うまでもない、ネットで検索して数社に見積もりを依頼すればいい。葬儀社紹介所は成約に至った葬儀社からマージンをもらうのが普通だろうから(じゃないとどうやって運営してるのか説明がつかないし)見積もりが少し割高だったりするかもしれないのだ。周辺に葬儀社が5社しかないのに、紹介所に紹介を頼むなんて優雅すぎる。「もしかしたらごく新しい葬儀社とか、知る人ぞ知る葬儀社があるかもしれないし」と思う方もいるかもしれないが、新しすぎる葬儀社や認知度が低すぎる葬儀社が良い施行をする確率はかなり低いだろう。

以上のことを踏まえ、それでも楽したいというのであれば紹介してもらうのもいいだろう。なぜかと言えば、さすがにあまりに悪徳な葬儀社とは付き合いがないだろうから。あとのクレームが痛いからね。でも、複数のところに紹介を頼んでみたほうがいい。膨大な量の見積もりがくるだろうけれど。
ネットで頼めばPDFファイルなどで送ってくれるだろう。各社、数種類の見積もりが来る中で、比較的良心的な葬儀社を見極めるポイントが2つある。

1、多数のプランを提示してくれているか
インターネットで見積もりを申し込むときに入力する個人情報は、微々たるもの。「なるべく安く」とか、希望を書きこむ場合もあるが、それだけの情報で「コレ!」と一つだけ見積もりを送ってくるところは、ちょっと乱暴な気がする。限られた予算の中で、会場がこれなら、棺を豪華にするなら、祭壇を花でいっぱいにするなら…と、様々なバージョンで送ってきてくれるところのほうが、実際に施行に至ったときも積極的にこちらの意向を聞いてくれることは容易に想像できる。

2、会館情報や祭壇、棺の掲載をしてくれているか
具体的にどんな葬儀になるのかイメージがわく見積もりづくりをしてくれると、けっこう安心する。字面だけでは分からない葬祭品のグレードも、一つ写真を添えてくれればわかるのだから載せていただきたいものである。なお、実際に施行に移った時も、見積書の内容と実際のものを見比べることができる。

以上の2点を兼ね備えた見積もりは、自然に容量が多くなる。というわけでPDF見積もりが来たら、まず容量の大きいものから開いてみることをお奨めする。(小松)

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Brendaがゆく!/NY滞在の生活の中で

本当にこの街は食事が最高!
湯葉とか蕎麦のビーガン用のお惣菜的パスタがパックですぐ食べられるように、普通のスーパーで売っている!

急いでいてお腹がすいている時でも湯葉とか蕎麦の麺でしかもビーガン用なら最高。

パリは急いでいる時にそんなもんはないよ。なんで?
私は蕎麦とかが食いたいんだよ!!!と思ったことさえなかったね。涙

NYでは、そんなすばらしい物が5ドル以下で売っている!!!
5ドルって何ユーロだよ?
3ユーロ?4ユーロ?マックよりも安いじゃん!
アメリカに住んでいたらマックなんて食べないね。

醤油もめちゃ安いし、照り焼き用の醤油も安いよ!

パリが最高と思っていたんだけどNYもなかなかいいねー。

ていうか、アメリカは食事は良くないと思ったのでこの機会にダイエットしようと思っていたけど、おいしい物を食べ過ぎてしまいそうだよーーー。

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2010年9月 3日 (金)

池田大作より他に神はなし 大河連載第14回/師弟直結の一級戦士になるために、私たちが耐えねばならない、周囲に溢れる日々の原爆との闘いの困難さと、打ち勝つ事の崇高な喜び。

 私は心底怒っている。相手は「三省堂書店」の、神保町にある本店だ。元祖巨大書店で知られる同店、人文系コーナーは4階に。今回の『香峯子抄(かねこしょう) 夫・池田大作と歩んだひとすじの道』(主婦の友社)も、ここで購入。以前から名誉会長の御本を多数在庫、立派な一流書店と思っていた。大馬鹿だった。万人を輝く世紀へと導く御高著群を、名前を出すのも口が汚れるインチキ教団や、UFO関係の駄クズ本がグルリと取り囲んでいたのだ!!今まで気付かなかった私もうかつ者だが、世界的な宗教及び哲学指導者の書籍の隣に(詩人・カメラマン・教育者としての業績は略させていただいた)、裏本や鬼畜系ロリコン漫画(見た経験はないが、知り合いの公明党都議会議員に実情をうかがった。健全な青少年育成のために、1日も早い取り締まり都条例の強化を!)が鎮座ましましてると、一体誰が考えよう?キリストやシェイクスピア、ゲーテやマルクス、あるいは『万葉集』や『源氏物語』に隣接するのなら、誰もが瞬時に納得しよう。が、カルト邪宗教団や空飛ぶ円盤の隣組みとは!!  きっとこの階の責任者の中に、ハレンチ・敗北・逃走・落日の日顕一派の残党が潜り込んでいるのだ。レジで本書を買う際も気色悪い男性店員が、侮蔑的な微笑みを浮かべていた気が。付近の同志の皆様、同店に売り場の即時変更を、強硬に申し込もうではありませんか!(個人的には1階の、村上春樹や宮部みゆきの隣が最適と)

10090_2  真っ白な表紙に眼の覚めるような、赤、桜色、白のダリアのカラー写真!(撮影・池田大作)副題と帯はブルーが基調。すがすがしくて、灼熱のJRのホームから、クーラーの効いた総武線に、信濃町駅から乗車した気分だ。品性そのものを、ズバリ具体的に突き出された造本センスだ(装丁・池田雅彦)。お茶目な名誉会長が、奥様の言葉に聞き耳を立てる、ユーモラスな写真に添えられた、帯の言葉がまた胸を鋭く打つ。“妻との結婚は、私の人生にとって、かけがえのない幸せでした。池田大作”。並の馬鹿夫婦なら、ゴキブリも喰わないノロケになりかねない言葉だ。が、肺腑を抉るこの衝撃はなぜなのか? 無論、名誉会長の言葉は奇をてらうものではなく、わかりやすい日本語で素直に心情をつづったに過ぎない。あるいはそれゆえにこその感動か? 同じ包丁を用いても、手練の板前と駆け出しでは全く違う料理をあつらえると、昔雑誌で読んだ。ましてや名誉会長は、世界的な宗教&哲学界の指導者だ。同じ日本語を使えるのは名誉だが、天才は同じ空気を吸いながらも、現世だけではなく、未知の世界や遥か宇宙空間とも、精神の往復運動をしているのかも(だからと言って、UFO本を周囲に置くのは間違いだ!)“妻との結婚は、私の人生にとって、かけがえのない幸せでした”。筆者がシラフで妻に向かって言ったら、「熱中症になったの?」とマジで大笑いされかねない。“師弟直結の一級闘士”への研鑽が、まだまだ足りない事の証である。

 “-プロポーズの言葉は? 「信頼(しんらい)してついておいで」と言ってくれました。でも、いまになって考えてみると、私のほうが主人(しゅじん)の人間的(にんげんてき)な魅力(みりょく)にひかれて、まっしぐらという感(かん)じでした。(笑)”(70p)。希有な天才は、美しい才気ある女性をも自然と惹き付ける運命らしい(正直に言うと、名誉会長に少し嫉妬してしまいました…)。71pには1954年当時(結婚は52年)の御夫妻の御写真が。モノクロではあるが、既に御2人共に当時から気品やオーラに満ち溢れ、神々しくさえもある。決めた! この御写真を拡大、額に入れて私の部屋に飾らしていただこう(謙虚な名誉会長が、自らの神格化に強く反対してるのは承知しているが、私にも偉人を尊敬する自由はある!!)。

「ついて~来る~か~い~♪過去の~ある~ぼ~く~に~♪ お前の大好きな小林旭のヒット曲じゃん。大作の野郎もキザな台詞で口説いたもんだ。かみさん、随分とスイカの喰いやすそうな口元してんな。“シェー!!”で有名なイヤミそっくり。お前が拡大して飾るっていう、71pのかみさんの写真は不自然だな。意識して口元引き締めてるから。出っ歯人間が良くやるポーズだけど、余計に目立つのがわかんねえのかしら?」またもや昼間から酒臭い息まき散らしながら、失業状態の友人のフリーライターが乱入。当方の原稿を勝手に覗き見るは、御高著を乱雑にめくるはのし放題。復活のない地獄の出版不況下、都内に同類がどれだけいる事か。強がりを言ってるが、毎日自宅を出ても筆者の事務所か、浅草の映画館くらいしか行く所がない(男色者が多くて怖いと)。“屋根付きホームレス”をむげには出来ない。

10091  「それよかこの写真のタッチは何だ?肌がやたらテカっちゃって、露骨な修整した証拠だ。ヒトラー、スターリン、金日成…独裁者の肖像写真は皆こう。おっと、121pの3人ガキの写真も凄いね。次男なんて小学6年生で体格だけはオヤジ並。今はもっと立派になってんだろね。ピ…ピギーーッ!! 173pは傑作中の傑作。わざとらしく大公(名誉会長の事か?)が老母おぶってんだろう。ニセ右翼の笹川良一も、そっくりなポーズのテレビコマーシャル、昔は派手に流してたよ。本当の親孝行者はよ、これ見よがしげに他人の前でこんな真似すっかよ!?」

 古い友人でなければ、とっくに殴り付けている。しかし、今の私には耐えられるのだ。他でもない、名誉会長の弟子となったその日から、弱き者の自暴自棄な振る舞いに、いちいち動じない心構えを習得した。愚劣な生き方しか出来ない人間を救ってこそ、真の人間主義だ。“「自分さえよければ、人はどうなってもかまわない」-そういうのは原爆(げんばく)と同(おな)じ思想(しそう)です。悪魔(あくま)の思想です”(『聖教新聞』8月17日付け、「青春対話と私」より)。けど、私が買った冷蔵庫のカンビール、1本ならともかく、2本も3本も飲むのはやめて欲しい。「い…いいかげんにしろ、アル中野郎!!」(心の声)(つづく)

■塩山芳明…雑誌版『記録』にて『奇書発掘』を連載。エロ漫画編集者。著書に『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』(アストラ)、『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』(共に一水社・絶版)、『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)、『東京の暴れん坊』(右文書院)がある。

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2010年9月 2日 (木)

ロシアの横暴/第44回 スターリンも青ざめる専政君主ラムザンの愚かさ(2)

 しかし10日間の市内清掃と学年末受験資格とを引き換えにするという、まだかわいいレベルの政令のほか、恐怖政治に直結するのが出された。
 20才すぎても結婚しない女性は大学生なら退学、就労中なら解雇。なぜなら女性の天職は子どもを産んで育てることであり、天職を全うしない者は非国民という論理である。
 では大学や職場を追っ払われても結婚しなかったら、できなかったらどうなるのだろう?
 出したばかりの政令だからそこまでは考えていないのか、それともカディロフ令に従わない者はあり得ないから特に罰則はないのか。でもラムザンなら20才過ぎた娘を嫁がせないダメ親には何らかのお仕置きをやるだろう。これは市民権剥奪につながる実に恐ろしい政令である。現在は職がなく無収入期間が長ければわずかな生活保護費みたいなものを一定期間受け取ることができるが、その申請資格がなくなる。もちろん、仕事も学業もなくなるのだから、羽根をもがれた小鳥同様、何もできない。
 ところが市民権とか、生存権とか、ナントカ権とは何か、いわゆる人間の権利について何の関心もないのがカディロフ大統領だから始末が悪い。人権侵害とは何のことだかわかっていないのだ。
 「政令」からややはずれるが、チェチェンの就職関連情報として、これまた不思議な、通常の感性では理解できない、独特のシステムがある。採用されるためにまとまった額の「カネ」を支払うシステムである。賄賂といえば賄賂だが、それにしては堂々としすぎている。そして職場職種の安定度に従ってその金額はハネ上がる。
 大学の入学や卒業資格を金で買えるのは今や旧ソ連諸国の常識になっているが、就職をするのに金を払う国はチェチェン以外どこもない。今後何年間かに受け取る予定の給与はなんのことはない、もとはといえば自分が前払いしたものである。
 もっともこのおかしな慣習はラムザン公の政令ではなく、どちらかといえば国民が自主的に積み上げていったという色合いが強い。「人事関係局」にすわったラムザン公の親類縁者である係員が、堂々とあからさまに何事にも賄賂を要求する、という慣習を作り出したことは確かだが、それに応えて自分だけは他の人よりも安定した職を得たい、と思う心が賄賂の相場をつり上げていったからだ。チェチェン人の誇りを捨ててでもそうせざるを得ないのが戦争である。
  
 またこれは政令ではないが、あるとき若者に携帯電話を配布するという得体の知れないキャンペーンがあった。携帯番号を取得するにはそれなりの金と手間と手続きが必要だが、これがすべてタダ同然でしかもさっさと配布されるというのだ。青年たちは喜んだが、ソ連時代を経験している大人たちはふるえ上がった。当たり前のことだが、携帯番号取得にはパスポート登録が必要だ。最近の携帯電話はすべて衛星回線を使うため、居場所を突き止めることも簡単である。携帯を使ってどこかの誰かとおしゃべりし、不用意に「反体制」的なことを口にしたら、居場所が特定されるだけでなく、どの登録番号の、つまり誰の携帯電話なのか容易につきとめられてしまう。もしつきとめられたら反体制を口にした本人だけでなく、すべての親類縁者まで粛正される。こんなことは恐怖政治で有名なヨシフ・スターリン公だってやらなかったというから恐ろしい話である。
 平清盛公統治のころ、「かむろ」という少年スパイが町中に配置されていた。子どもが正直なことを利用したもので、立ち話でうっかり平家の悪口を言おうものならたちまちのうちに拘束され、消されるという恐怖政治が行われた。現在のカディロフ政権は「かむろ」のかわりに携帯電話を使おうとしている。

 カディロフという愚か者をチェチェン大統領に据えたのはプーチンである。プーチンの思い通りにロシアを統治するには、チェチェン人同士食いあうことが必要で、それには「はだかの王様ラムザン公」がうってつけだったわけだ。父親アフマド・カディロフは「愚かさ不足」で不適任だったから、ロシアが反カディロフ派のテロにみせかけて爆殺したという噂も充分頷ける。
 
 だがここでひとこと、警告しておきたい。「はだかの王様ラムザン公」はよその国のこと、前世紀の遺物と、傍観していてはいけない。ここでヤリ玉に挙がった恐怖政治と大して変わらないことを日本でもやっているからだ。「不審尋問」のノルマ達成のために、ちょっと崩れた雰囲気の青年に不審尋問をし、何が何でもしょっぴこうとするオイコラ警察がいることを知っていてほしい。ある日公安調査庁が「じゃ、割り出してみようか」と思えばたった今から「政府に逆らう輩」を割り出せるようになっている。その精度には「愚かさ」も手落ちも情状酌量もない。(川上なつ)

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