●ホームレス自らを語る 第79回 山登りに明け暮れて(後編)/神田弘幸さん(65歳)
東京都内の赤羽公園(北区)を根城に起居している神田弘幸さん(65)は、高校生の頃から登山の魅力に取り憑かれ、山登り中心の生活をしてきた人だ。
「私の登山は一人で行く単独行ばかりで、毎年6回は山に入っていましたね。北・南・中央アルプスのめぼしい山はほとんど登りました。ほかに丹沢山系、朝日連峰の山々、谷川岳などもね。そんな登山に明け暮れた生活を、30代の半ばまで続けていたのです」
高校卒業後、大学受験に失敗した神田さんは保険会社に就職。そこで山岳保険の営業を担当する。ただ、この保険は内容が特殊なために利用者が限られ、うま味の少ない仕事で5年ほどで辞めてしまう。
「しばらく印刷工場のバイトでつないでから、電機メーカーS社の製品販売を専門にする子会社に就職しました。仕事は特約店担当で、季節ごとに行う展示商品のレイアウト変更を手伝ったり、セールのときには店員といっしょにお客様の相手をしたりで、ほとんどが特約店回りの毎日でした」
その販売会社は7年間勤めて、30代半ばで辞める。ちょうど岳人生活を引退した時期と重なるが、直接の関係はないそうだ。「友人があるビジネスホテル内にレストランを出していて、そこの店長に誘われたからです。電機メーカーの販売会社より、いい給料の提示を受けたことが転職の一番の理由です。ただ、その分きつい仕事でした。ビジネスホテル内のレストランですから、朝は6時半に店を開けて、閉めるのは夜11時。家に帰っている時間がないから、毎日レストランの本店に泊り込んで働きました」
神田さんは友人の誘いにのって、レストラン店長に転職したことが、自分の人生の岐路だったのではないかと述懐する。
「転職しないで、電機メーカーの販売店で働き続けていたら、ホームレスにまで堕ちることはなかったような気がします。少しばかり給料がいいのに目移りしたのが運の尽きでした。そのレストランでは6年間働きました」
その後の神田さんは、企業のダイレクトメールを発送する会社で働いたのをはじめとして、築地の鮮魚卸店の配達、友人が経営する町工場の手伝い、電気メーカーT社の製品配送などの仕事を転々とする。
「この間、37歳のとき母親を失い、50歳のときには父親も失います。父親が亡くなって、それまで住んでいた長屋を出され、アパートの部屋を借りて一人暮らしをするようになりました」
電気メーカーの配送の仕事をしながら、アパートで一人暮らしをはじめた神田さんだったが、しだいに配送の安い給料で、その生活を維持するのは困難になっていた。
「それで住み込みの仕事を探したんです。すると運良く不動産管理会社に採用されました。用賀(世田谷区)のマンションに住み込んで、そこの維持管理をする管理人の仕事をするようになったのです。13階建て100戸からなるマンションを、一人で管理するのは大変でした。朝から晩まで働き詰めで、60歳近い肉体には結構こたえましたね」
だが、その働きぶりが不動産管理会社に認められることになり、やがて神田さんは会社直属の管理人遊軍的な部署に抜擢される。遊軍的部署というのは、管理人に欠員ができたマンションに赴き、次の管理人が着任するまでつなぎの管理人をするのが仕事だ。
「ということは、マンションを転々とするわけで、住み込みで働くわけにはいかなくなりました。といって、民間のアパートを借りたら前と同じことになりますから、公団(UR)のアパートを探したんです。そうしたら赤羽台(北区)の団地に部屋が借りられました」
神田さんは赤羽の団地から、世田谷のマンションまで通って管理人遊軍の仕事で働くようになる。ただ、すでに60歳を越えた身体には、通勤とマンション管理人の肉体労働はさらにこたえることになった。
「それでも3年間は何とかがんばりましたが、去年、とうとう身体がもちこたえられなくなって、不動産管理会社を辞めました。リタイアしたわけではなくて、世田谷までは通いきれないから、赤羽周辺の不動産管理会社に再就職しようと思ったんです」
しかし、神田さんの前に再就職の道は開かれなかった。いくら経験者といえども、64歳という年齢が大きなネックになった。
「だんだんに手持ちの金はなくなってくるし、それで今年の5月に公団を出て、この公園で寝起きするようになりました。ちょうど2ヵ月になります。この公園では支援団体の炊き出しとか、行政の援助とかは、まったくありませんからここで生活していくのは大変です」
ホームレスを始めてまだ2ヵ月の神田さんは、現金収入の方途をもたない。それは食べものの入手が著しく困難だということを意味する。
「この公園で知り合ったホームレスの一人が、アルミ缶拾いをしていて、彼が仕事に行っているあいだ私物の番をしてやっています。それを3日間やると100円もらえ、その金で生うどんの麺が3玉買えるんです。1日1玉を水道の水で戻して食べています。もう何日もそればかりですね」
そんな生活をいつまでも続けるわけにはいかないだろう。これからにの見通しについて聞いてみた。
「いまでも3日置きにハローワークに行って、住み込みで働けるマンション管理人の仕事を探しています。根気強く探せば、きっと見つけられると思うんですよ」
だが、年齢のことを考えると、マンション管理人にばかりこだわっている場合ではない気がする。そのことを言うと、「そうなんですけどね……」と未練断ち切れない様子の神田さんであった。(聞き手:神戸幸夫)
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