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2010年8月

2010年8月31日 (火)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/出そうよ!死亡届

 行方不明老人騒ぎが連日報道され、年金詐取も立件になっている。こういった犯罪は、始めるときにはあまり深刻に考えない危険性がある。「何もしなくていい」からだ。でも、自滅へのカウントダウンは死亡を秘匿した時点から始まっている。最初のうちはほっといて、ある程度の年金をもらってからふと「このままではいられない」ことに気付く。知らんふりして死亡届を出そうと思っても、医師や警察による死亡診断書や死亡検案書が必要だし、たとえ医師を犯罪に巻き込んだとしても、葬儀社、搬送者、火葬場職員…全ての目を潜り抜けるなどということは絶対にできないと言っていいだろう。「すぐ言おう 死亡したなら 警察に」を訴えたい。

 最近は「葬式代がないから遺体を放置していた」と言い、死体遺棄容疑で逮捕される事件がちらほらある。もしかしたら年金の件もあるけれど、「葬式がめんどくさい」という考えもふと頭をかすめて、結局放置してしまうという向きもないとは言い切れない。葬式をしたら100万も200万もかかると思っているのかもしれない。死亡の手続きは葬儀屋がやるものと思ってるのかもしれない。しかしどちらも錯覚だ。

 人が死亡するというのは、とても自然な現象だ。誰かの手を借りたほうが処理しやすいことは確かだが、葬儀社の人間が絡まないと人一人送れない、などという決まりは存在しない。簡単に言えば、火葬場を予約して、死亡届を提出して、役所でもらう火葬許可証を握りしめて火葬場まで遺体を運ぶ能力があれば、誰だって身内をきちんと葬ることができるのだ。

そんな最低限の葬り方を以前この連載でご紹介したので、良かったら読んでみてほしい。
冠婚葬祭ビジネスへの視線/第30回 棺だけで自力葬(前編)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第31回 棺だけで自力葬、やってみようよ「おくりびと」(後編)

棺代ももったいないよ、という方、故人が国保加入者なら葬祭費、国民年金加入者なら死亡一時金が出るはず。死亡届を出す際に市役所で確認しよう。役所はこっちが支払う金に対しては忠告の葉書代を惜しまないが、もらえる金に関しては一回しか言わない傾向がある。がっつり質問すべし。(小松)

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2010年8月30日 (月)

もし菅首相が「『小沢』か『脱小沢』か」で解散総選挙を打ったら

菅直人首相が代表選ではどうやら劣勢らしい。そこで耳寄りなアドバイス

憲法53条で「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる」とある。さっそく閣議を設けて衆議院解散の了承を取る。反対する閣僚は罷免する。そして臨時会を開き冒頭で7条解散するのだ。大義を聞かれたらこう言えばいい。「身内の代表選挙で首相を決めてはいけない。ここは私の『脱小沢』か『小沢』かを国民に直接ご判断願いたい。信を問う!」と格好良く決める。

むろん民主党は割れる。しかしこうなってみると小沢氏に付いていく議員は意外と少ないのではないか。多かろうと少なかろうと小沢支持派には刺客を送り込めばよろしい。

自民党が漁夫の利を得るか?たぶんそうならない。小泉郵政解散の時も同じような議論があったけど結果として野党第一党は埋没した。それは自民党議員も知っているので「脱小沢」に賛同する(これならば賛同しやすい)自民現職をスカウトして除名した小沢支持派の刺客に据えれば一石二鳥である。その際に森喜朗氏のような「古い自民党」が潜り込まないよう「排除の論理」も忘れずに。これもまた菅さんが民主党を立ち上げたときに経験している

それに。やせても枯れても菅直人vs小沢一郎は政界屈指の好カードだ。1政党の代表選でやるなんてもったいない。サッカーW杯決勝トーナメント1回戦でドイツvsブラジルを見るようである。菅直人vs小沢一郎の構図に「谷垣」が入る余地は少ない。どちらでもなく谷垣を首相にするかあ……との選択肢は有権者になかろう

それに谷垣さんでは菅直人vs小沢一郎の構図を壊せるほど面白いテーマを掲げられないだろう。「真面目に、政治」とか「『脱小沢』の本家本元自民党」とか「もっと大事なことがある」とかだろうよ。その間に菅民主党だけでなく小沢支持派も自民党分断に走る。これは見物だ

こんな国難の時期に効果があるかとの疑問もあろう。それも郵政解散で実証済み。何ら必然性がなかった郵政民営化でさえあれだけ盛り上がったのだ。それより「小沢」の方が重要と国民は思うだろう

どうしてもその1テーマだけで不安ならば菅さんは「公務員給与の半減」ぐらい言えばいい。どうせこうなれば風任せの選挙なのだから官公労は不要である。バッサリ切って小沢さんに差し上げても見返りの方が大きそうだ。選挙期間中になって公選法の縛りがきつくなる前に「脱小沢だ」「給与半減だ」「刺客だ」「分裂だ」「腹案だ」(おっとこれは違った)と騒ぎ立てればメディアは沸騰する。そんな日本のありさまにあきれて円売りが進むかもしれない

これで菅さんが勝てば「政権たらい回し」にはならない。自民は壊滅するので参院の構図も変わるだろう。逆にここまでやっても小沢さんが勝てば、それはそれで頼りになるリーダーであろう(編集長)

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2010年8月29日 (日)

日曜ミニコミ誌!/フリー&フレンドリー「Inside Out」

 久々にみじんこさん(ヒト/女性)のほっこりした笑顔に会いたい、と思い立ち、高円寺南口の線路沿いをひたひたと歩いた。1分も経たないうちに「のっぽのサリー」を通り過ぎ、次の角を右に曲がれば「まんまみじんこ洞」がある。どんぶりものが何と280円から食べられる、さりげなく牛丼屋に対抗するお食事処&バーだが、店主がミニコミをつくっており、さらに集め手でもあり、行けば珍しい個人出版物ばかりを読むことができるというのがこのお店の一番すごいところ。この日も、素晴らしい出会いがあった。

 「この雑誌、知ってます?」と言ってみじんこさんが差し出してくれたのは、水玉模様が夏らしい「InsideOut」という雑誌。パラパラめくってみると文芸誌のようだ。ふうん、と読み始めようとして「これね、タダなんですよ」という、次のセリフに恐れ入った!
 この厚さでこの内容なら600円くらいかな、と心の中で思っていたから。次の瞬間、強烈に「会ってみたい!」と思い、早速取材を申し込んだ。

 取材に応じてくださったのは、代表の川端さん、イベントを主に担当している本多さん、最近制作に関わり始めた三井さんの3人。社会人の疲れた体をおして来てくれた川端さんにまず聞いたのは、この雑誌を作ったきっかけ。

川端さん(以下川):振り返れば、学生時代に僕が友達と作りかけて、でも途中
で立ち消えになってしまった文芸誌がもとになっています。企画だけが宙に浮いたまま、1人でやろうとしていた頃に本多くんと知り合ったんです。それから1号が出るまで1年くらいかかって、創刊してからは3~4年になるでしょうか。
 雑誌のコンセプトは、1号の「『InsideOut』創刊にあたって」という文章に全部詰まっています。誌名は「Syrup16g」というロックバンドの曲からとりました。内面を外にめくって裏返しにするといった意味の英語らしく、これは表現のことをあらわしているのかなと考えて。とても印象に残っていたので誌名にしました。

 創刊宣言には「いつでも描き手になり得る。誰でも読み手になり得る。」「誰でも参加できる場を提供したい」とある。さらに「私たちはジャンルという作られた垣根を取り払いたい」とも。大変フレンドリーだ。

川:この雑誌には、1号ごとにテーマがあるわけではありません。売りはジャンルなし、テーマなし、無料。本当の意味でのフリーな雑誌を目指したかったんです。テーマを決めた方が良い、と言ってくれる人もいるんですが、決めることによってそがれてしまうものがあるんじゃないかなと、なんとなく感覚的に思って。

 そんなフリー、かつフレンドリーな姿勢は創作の現場にも表れている。誌面にも登場する「InsideExplorer」というイベントがある。その中で参加者は共に話し合い、創作についてのインスピレーションをふくらまし、表現の「種」として持ち帰ったり、その場で表現したりするのだ。

本多さん(以下本):イベントでは、喫茶店や合宿所などの会場に10人程度が集まってまず素材についてのおしゃべりをします。1時間半くらいしゃべったあとで、それぞれテーマに沿った創作を始めます。創作自体のスタイルは自由で、小説、絵、漫画なんでも可です。制限字数もなしで、その場で作品を完成させることが大事ではなく、同じところに集まって新しい知識や考え方を知ることが大事と考えています。創作の種を見出すというか。
 方法は毎回変わりますが、例えば直近でやったことで言うと、机の上に模造紙を広げて、最初と最後の設定だけを与えておく。で、文章やエピソードを書いた付箋をペタペタはりながら物語を作っていくんです。終わったら、そのうちのワンシーンを広げて物語を書く。基本的に自由な創作の場なので、他に書きたいものがある場合は勿論、そちらを優先してもらいます。
 合宿では、2人組で物語を作るなど、文学の場の共同性みたいなものを生かして書いていきます。その即興性がすごく面白いんですよ。1人で書いているときとは違うものが書けるし、イマジネーションも膨らみます。

川:次の7号では、このイベントと誌面とのつながりを、もっと強めていこうという話をしています。具体的には、イベントで生まれた作品の種の中で僕らが気になったものを、その種を生んだ本人も書きたいという気持ちがあるのであれば、良い作品になるよう手助けをしながら育てていこうという試みです。要するに編集作業をしっかりするということです。さらに育てた作品を本誌で発表して、またイベントでそのフィードバックを行おうと思っています。

本:書き手と読み手のリンクって何だろうと考えたときに、フィードバックがいっぱい返ってくるのが一番うれしいと思うんです。さらに「書いたことはないけれど、書いてみたい」という人が書き手になるということも、大切なことだと感じます。でも、どちらもまだまだ今の段階ではできていません。今までの投稿型とは少し違う形になるかもしれないけれど、今から1年くらいかけてじっくり7号を作っていこうと計画しています。

三井さん:次回からはコンセプトの刷新ということを考えています。ロゴや誌面のデザインも、コンセプトに合わせた形で新たに作らせてもらうことになっています。「自らの内面を形にする」「表現の連鎖」という2つのコンセプトを1つにまとめあげて、それを表面的にも、内面的にも表現していきたいですね。

 今の表紙は6号ともにドット柄をパターン化した、かわいらしいつくり。新しいコンセプトを得て、見た目がどう変わるか。とても楽しみだ。最後に、これからの課題や理想とするものを自由に語っていただいた。

川:活動を続けるにあたって皆によく言われるのは、「本を読め!」ということ。ぼく自身が文学にまだまだ精通していないので、彼らからしてみれば本当の評価の軸に沿ってないと感じるのでしょう。次号から試みる、イベントと誌面のつながりをもっと強める試みのためにももっと編集力が必要ですし。小説に使われている技法などにもっと詳しくなって、批評力をつけることが今後の課題です。エンタテイメントとアートなど、相反するベクトルが一番高いところで交わったところが究極の表現になるのではないかと思っているんですが、それに繋がる面白さというのも、感想だけではなくきちんと説明できるようにならなければと感じています。

本:音楽ってジャズのスタンダードナンバーは、誰の作品かというのはあまり意識されないじゃないですか。ああいった風潮は文芸の世界にはないな、と感じていて。よく「場の文学」という言葉を使うんですが、誰かのパーソナリティーを吸い上げた作品というよりは、人の集まりが場として立ち上がってきて、そこから引き出される作品というものの面白さを伝えていきたい、と思っています。

1号につき1000部を発行している「InsideOut」。フリーとはいえ何かお金に繋がらないと、ということで広告だけは入れているとのこと。もっともっと刷りたい、万は刷らないと、と川端さんが意気込んだ。配るのは主に文学フリマなどの即売イベント。みじんこ洞などのお店で配る事も。たくさん配るには、ビジュアルアップがやはりポイントの一つとなる。7号が、今から楽しみだ。(奥山)

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2010年8月28日 (土)

もし菅直人が小沢一郎に負けても首相を辞任しなかったら?

9月14日の代表選で小沢氏が勝つとする。民主党代表は小沢氏となる。でもその時点で首相は菅氏だ。皆「そうなれば首相は小沢になる」と見立てる。本当にそうなるのだろうか。

代表選の結果後「小沢新内閣を支持するか」との世論調査で3%とか5%と消費税並みの支持率しか出なかったら「党内世論と国民世論は違う」と菅首相が居座るのも可能である。

むろんそうした醜態を野党が見逃す訳もなく総議員の4分の1以上の要求で臨時会の開催を迫り、そこで内閣不信任決議案を突きつけるだろう。その時に民主党はどうする。
まさか「粛々と否決」するわけにもいくまい。衆議院の議席は野党が約3分の1。民主が半々に割れたとしても(菅支持派が否決に回る)決議案は賛成多数となる。そこで菅首相は2つのカードを手にする。一つは総辞職。しかしここまで居直って総辞職はあるまい。すると……解散総選挙だ

これが当たると面白いな。きっと私はほめられる(編集長)

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2010年8月27日 (金)

Brerndaがゆく!/フランス生活の期待と現実

日本人の間の噂では、フランスの役所は対応が悪い、遅い、待たされる、並ぶ。

しかし、私個人としては、こういうことを、「ほとんど」と言っていいほど、パリでは経験していない。

むしろ感動することの方が多い。

健康保険もほぼ即日発行!
役所は、ほぼ予約制なので訪れてもいつが自分の番かイライラすることもなく。

笑顔でたいていの場合は、問題なく終わり。

しかし、その笑顔が気に入られ過ぎると
頭のキレる窓口職員は。

ひとつだけ書類を渡し忘れた振りをして、後から追いかけてきてそれを渡す振りをして、電話番号を聞かれる。笑

ふ~ん、頭良いね~。感心。

「私の電話番号なんて知りたければどうぞ!」

何か疑問や手違いがあることに気がつけば、役所を訪れるのは面倒なので手紙を書けば良い。
フランスの生活の中で、書類を受け取ったり送ったりすることが大変重要だと言うことに気がついた。

参考記事
(これは私の物事の受けとめ方の違いかもしれませんけど・・・ )

なので、最近、この手紙方式に切り替え、私は気になることがあれば手紙送りまくり。
ちょっと切手代がかかるね~と、びんぼっちゃまな気分にもなるが。

そして、返事はとても早い。
即対応。

あまりに感動するので、最近手紙の最後に一言、その対応の早さに感動して組織の運営の素晴らしさに感心している旨まで書きたくなる。

相手に良い対応を期待してのことではなくて、本当にいいと思っているから書く。

どんな、職業についても仕事のクオリティーってとても大切だと思う。

日本は、礼儀正しくてすごくすばらしいけれど、フランスと比べるとやはり成熟した社会とは言いがたいと思う。
それは、政治が成熟していないからかもしれないし、フランス革命の時からの歴史などを研究してみると、その違いがなんとなくわかってくるような気がする。

ここに住めて、幸せだぁ~~~!

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2010年8月26日 (木)

ロシアの横暴/第43回 スターリンも青ざめる専政君主ラムザンの愚かさ(1)

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という有名な口上で始まる平家物語の冒頭部分「祇園精舎」は、当時として知りうる限りの外国の伝説的な支配者を引き合いにしながら平清盛という人物の栄華と専政ぶりを語っていく。どんな専政者でもやがて滅びる運命にあるのは理(ことわり)だが、平清盛公の栄華と専政ぶりは言葉に尽くせない、と。
 平家が栄華を誇ったのは12世紀のことであるが、21世紀のロシア・チェチェンでも同じような現象がおきている。人々は他の国の専制者を引き合いにして罵倒しながらラムザン・カディロフの専政ぶりを語る。大統領世襲を固定化した隣国アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ公、世界中に恐怖政治の本家として名をとどろかせたヨシフ・スターリン公など、チェチェン人の知りうる限りの専政者が登場する。最近ではあのウラジミール・プーチン公ですら引き合いに出されるようになった。
 そして平家物語と同じように、いつの時代にも専政者はいるが、ラムザン・カディロフほどの専政者は類をみない、だが、ひとつだけ他の専政者と違う点は、ばかげたことを臆せず堂々とやってのける「愚かさ」だと人々は言う。
 もちろん読み書きを修了していないことと愚かさとは別のことだが、ラムザンの場合は読み書きも危うい上に、ほんとうに「愚か」だというのだ。

 たとえばラムザン公の2才か3才の息子の誕生日には全機関が休みとなり、テレビは全チャンネルを占領して「お祝いに訪れる人々と幸せな王子さまのご様子」を一日中放映し続ける。子供は一人ではないから年数回、この「ご子息の生誕祭」が行われる勘定になる。さらに2004年に爆殺された父親アフメド・カディロフ公の命日関連、母親であるアイマニ・カディロヴァ国母の生誕祭、そのほか何かにかこつけてしょっちゅうお祭り騒ぎをやる。プーチンの専政ぶりを引き合いにする人々は「あの悪党といったって、自分の娘の誕生日の様子をテレビで流さないでしょ」と言う。
 こうしてふたこと目には行事を設定し、その都度学校は休校にするので2008年度は実質3ヶ月程度しか授業は行われなかったそうだ。ロシアの教育プログラムによれば年のうち3ヶ月が学年末夏休みとなっているから、9ヶ月は授業が開かれていなければならない。こんな愚かなことはロシア・ソ連を通じて誰もやっていないとのことである。

 もし、チェチェン人が徳川五代将軍綱吉公の「生類哀れみの令」を知っていれば、「日本人とチェチェン人は似ている」と思うだろうし、バレエ「眠りの森の美女」で国王が糸つむぎ禁止令を出すくだりを観れば、これはラムザン国王だ、と思うにちがいない。「眠りの森の美女」の糸つむぎ禁止令の段というのは、ある国にお姫様が生まれたが、関係者のちょっとしたミスで祝いの宴に招待されなかった魔女が逆恨みして呪いをかけ、「15年後に糸つむぎの針に刺されて死ぬ」と予言したので、国王は国中の糸つむぎ機をとりあげ、禁止令を出すストーリーに基づく場面である。
 ラムザン大統領が発する政令というのは、まさしく「事実は小説より奇なり」ならぬ、おとぎ話より奇なのだ。

 今年、チェチェンのある大学では突然休校が発表され、学生全員が市内清掃のボランティアにかり出された。無償労働はボランティアと言われることが多くなったが、ロシアでは今でもスボータニク(土曜日無償労働を意味する。 スボータは土曜日の意味)と呼ばれている。ソ連が8時間労働週5日制を導入したあと、レーニンの誕生日に一番近い土曜日に、全員が休みを返上して無償労働に出よう、と呼びかけたことから発生した行事である。以後、土曜日でなくても無償労働奉仕はスボータニクと言われるようになった。当初のスボータニクの内容といえば、常日頃の生産活動で手の届きにくい窓ガラスの清掃とか、草取りとかであったが、そのうちに土曜労働にかこつけていくらかの清掃作業のあとみんなで飲んだくれるのが通常となってソ連崩壊まで続いた。ソ連に蔓延していたアル中も、この日ばかりは憂さ晴らしではなく、社会に役に立つ無償労働に楽しく参加したあとのうまい酒を飲んだわけである。

 ところが今年チェチェンで実施された「スボータニク」はソ連時代のもののように甘くも楽しくもない。年1回ではなく10日間毎日、9時から5時まで、交通費なし、昼食なし。そのくせ遅刻したらその日は欠席とみなされ、学年末試験受験資格に傷がつく。ホウキやチリトリといった清掃用具は学生たちの奨学金から100ルーブル(3ドル強)ずつ天引きされた。これでホウキを買えば集めたゴミよりもホウキのほうが多い計算になるのに、なぜか1グループに4本だけだったそうだ。計算が合わない分はカディロフの一声に応えて学生たちを「自主的に」市内清掃に参加させた教務のフトコロに入る寸法になっている。
 この大学生による市内清掃無償労働の様子は全テレビで放送された。コメントは「学生たちは自主的に喜びをもって大統領とともに市内清掃に参加した」である。コメントどおり、カディロフ大統領も「自主的に」この清掃作業に参加した。テレビ放映用撮影の時だけなのは言うまでもない。カディロフが思いつきで出した「市内清掃」も大学生たちの自主的な意志で行われたことになってしまった。
 市内清掃無償労働10日間をクリアすれば学年末試験の受験資格が発生する仕組みになっていて今年は7月の上旬にようやく学年末試験が実施されたそうだ。(川上なつ)

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2010年8月24日 (火)

もう一度募集!「あったらいいな、こんなお葬式」

「あったらいいな、こんなお葬式」アイディア大募集!

「終活」なんて言葉も市民権を得てきた(?)今日この頃。

他人事じゃなくなってきた「お葬式」について、ちょっと楽しく考えてみませんか?

最近、花火大会に行って来て

「あ! 花火葬、なんていうのもいいかも…」

と、ちょっと思わせられました。

遺骨を花火の中に込めて、一緒に打ち上げる。

なかなかのロマンですよね。

もちろん、イイ!と思うか、微妙!と思うかは、あなた次第ですよ。

 例えば、「死後、宇宙に行きたい」
 こんな、以前なら絵空事だった願いも、今は叶います。
 遺灰をロケットに入れて打ち上げてくれるサービスがあるんです。
 しかも100万円で。
 宇宙に夢を追った人なら、きっと安いと思いますよね。

 例えば、「透明の棺に収まって、白雪姫のように眠りたい」
 かなうかなう、こんなお葬式も。
 透明棺を取り扱っている会社があります。
 もっと白雪姫感を出したいということなら、通夜室や葬儀場をガーデンのように演出することも可能です。

 こんなに自由なのに、いつものように住職呼んでいつものように香典返しはお茶にして、全部葬儀社におまかせにしたのに費用が高いと愚痴るのは、もう終わりにしませんか?

 あなたなりの、自由な発想で、「こんな葬式、あったらいいな」を考えてみてください。
 いいアイディアがあれば、その内容で真剣にお見積もり、させていただきます。

●募集要項●
内容:1000字程度で希望する葬式の青写真を描いてみてください。
形式:テキストもしくはWORD
送付場所:astra0911●gmail.com(●を@に変えてください)
〆切:2010年9月30日

さあ、あなたも「お葬式」に、ワクワクしてみませんか。

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2010年8月20日 (金)

Brendaがゆく!/パリで心の余裕の生活。ハッハッハ!

この2年間一番あったものは、「心の余裕」ではないかと思う。

海外に引っ越す日本人、特にパリに住む人は、「パリ症候群」などと言っているようだが

私にとって、これまでの人生でここまで「心の余裕」を感じた生活はなかったと思う。

ポーランドでの生活は、恵まれているように見えて、心の中にどこか闇というか、陰があったと思う。
それでも、今の生活はポーランドにいる時間も含めてのパリ生活であると思うので、ポーランドの生活が無くてはぜんぜん成り立たないパリ生活なのである。

お金と時間の余裕も大切だが、一番大切なのは「心の余裕」だと思う。

なにより自分の表情が変わったと思う。

しかしながら、パリは、心の余裕の無い人の集まりみたいな街なので。笑

自分だけ穏やかな表情でいるとスリに狙われそうなので表情を引き締めてみたり。

両親や親友からみると心配で仕方が無いこの海外生活だが、パリに来てからというもの実は心の一番底の部分は誰よりも満たされているのが私である。

細かいことはどうしようもないことや。ある意味どうでもいいことばかり。
やはり心の奥底が明るくないとだめですね!
そうであれば特に派手な楽しみも必要なく、淡々と毎日の中に喜びを見つけられるもの。

最近の私の楽しみは、久々にパリの街を楽しむことが、「楽しみ」になっています。
サンジェルマンのカフェや大きな公園で普通のフランス人がするようなデートをしてみたり(通常は私の趣味ではない)
わざわざバスで家に帰ってみたり(いつもなら時間の無駄だと思うこと)
ぶらぶらと食材の買い出しにでかけたり(普段は絶対にしない)
いろいろなレストランでタルタルステーキを食べること!(神経質な性質が最近改善されて食べるようになった)

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2010年8月17日 (火)

靖国神社/37回 靖国で後期高齢者医療制度を憂う〈2008年4月取材〉

 今年4月に後期高齢者医療制度が施行された。長寿医療制度ともと呼ばれているが、後期医療制度とは、満75歳以上の人に無条件で加入を義務づけられる制度である。
 75歳以上が後期高齢者をカテゴリするのは非常に直接的で大胆だ。しかも、後期高齢者とあるが、65歳以上75才未満でも寝たきり等の一定の障害がある場合、広域連合(後期高齢者医療広域連合)から認定を受けるとこの制度の被保険者になる。
 75才の誕生日を迎えると自動的に国民保険から脱退し、これまでの保険制度の利用ができなくなる。
 後期高齢者医療制度の被保険者となると、年金から天引きされるか口座振込、振替することになる。その保険料も地方自治体により額はばらばらで、資料によると一人あたりの平均額が、月6000円、年に換算すると7万2000円となっている。最も高いところが、神奈川県で9万円超。逆に安いところが青森県4万6000円程度。約5万円もの差がある。
 東京や政令指定都市などのリッチ層が多いところへの国からの補助金が他の地方都市に比べると少ないということが、個人の負担額が多くなった背景にあると思われる。
 しかし、いくら都市部に高所得者が多いといっても、中にはプア層がいるのも確かだ。この制度は生活保護世帯は除外されるというが、生活保護認定を受けられるほど収入が低くもなく、だからといって年金から保険料を天引きされると日常生活が困難になるという世帯の場合、生活が苦しくなるのは目に見えている。現在の年金生活者は比較的裕福だと言われているが、今年金を払っている若い世代が年金支給をされるころにもこの制度があった場合を想像すると悪寒がしないでもない。

 ここで気になってくるのが医療費負担額はどうなるのかである。
 70才以上74才以下の前期高齢者は、来年3月まで1割で据え置かれるが、それ以降は2割負担に変わる。
 後期高齢者は現行の老人保険制度同様、1割負担のままだが、現役並みの所得がある場合は3割となかなか挑戦的。現役並み所得とはいくらかというと、社会保険庁の資料によると単身世帯で383万円以上、夫婦世帯で520万円以上をさすそうだ。
 その資料には「高齢者の方々にふさわしい医療を目指します」と白々しく書かれているが、提供する医療の質が高くあるのは当然だ。国庫からの余計な支出を社会福祉のほうへまわす配慮も「高齢者にふさわしい医療の提供」の一つではないだろうか。
 いくら健康で暮らしていたとしても老いには勝てない。身体機能も年を重ねれば重ねるほど老化する。そうすると、病院に通う機会も増えていく。人によってはほぼ毎日どこかしらの科に通っている。そうなってくると、毎月の医療費もばかにならない。
 長寿医療保険というと聞こえはいい。長寿の人に対しての特別措置にも聞こえるからだ。しかし、実態は支払い能力が乏しい高齢者からも保険料を取るというなかなか悪どい制度であることに間違いなさそうだ。
 最近よく耳にするようになったワーキングプア層(働いているのに貧しい層)にいる若者と並び、これまで敬われてきたはずの高齢者も生きづらい世の中になってきたと言える。

 さて、高齢者医療制度のことを書き連ねてきたが、靖国とどう関係があるのかと思った読者が多いかもしれない。
 一見、関わり合いがないように見えるが、実は大ありで、靖国に訪れる参拝客は今は減ったとはいえ若者も多い。しかし、英霊の多くは20歳前後で戦死している人が多い。戦後60年たち、もし英霊の大部分が生きていたとしたら80才を超えている。そうでなくともその妻が前期高齢者枠に入っていてもおかしくはない。その子供たちが仕送りをしているとしたらそのうちの数割が年金の補填として消えるだろうし、それをふまえて仕送り額を増やしたとしたら……と考えたらキリがない。
 簡単に言うと、靖国で祀られている英霊の関係者の多くが前期または後期高齢者枠に入っている確率が高く、その子供たちはそれらカテゴリーに入っている人を家族に持ち近々仲間入りする可能性が高いということだ。
 以前、靖国神社のバリアフリー化について書いたが、参拝に訪れる多くが高齢者に属する人たちだ。例大祭での昇殿参拝時や8月15日に参道で行われる集会には高齢者が多い。
 というわけで靖国に訪れる高齢者に後期高齢者医療制度について聞いてきた。

 6月半ば。梅雨に入ったような入っていないような微妙な天気だが、晴れてはいた。非常に暑い。参道は白く照り返しがあり目が開けられない。
 大鳥居を入ってから数メートルごとにいる警察官。きっと映画効果によるものと推測。年々、取材規制が敷かれ神社から離れていっているような気がしないでもない。 いつも通り大鳥居へ向かう坂付近で待つが来ない。やってこない。暑いからだろうか。
 意気消沈しながら待つこと数十分、白髪の男性がやってきたので聞いてみると「興味ないから」とのこと。
 興味がないというのはどういうことだろうか。それからまた取材をするが興味がないひとがほとんどである。いずれ自分の身に降りかかる事なのに関心がないということに驚くとともに、「後期高齢者」という名前自体に嫌悪感を示し関心を持ちたくないと思っているのかもしれない。いずれにしろバリアフリーの時よりも取材のハードルが高い。

 そんな中、取材をした女性は、「私は今75才になったばかりなんだけど、後期高齢者医療保険や、長寿医療保険と呼ばれようが私は賛成です。高齢者に税金を使うよりも、これからの若い人達に税金を使った方がいいと思いますよ」。
 ここまでハッキリと賛成の意を唱えられるとスッキリするが、高齢者に対して税金を使うことと若者に対して税金を使うことを天秤にかけることはできない。この制度には批判の声が多いが、このように考える人も中にはいるのだと驚いた。
 意外と実りのない取材だったが、靖国に祀られている英霊たちが後期高齢者医療制度の存在を知ったとしたら、雲の上で憂いたりするのだろうか。自分たちが守った国がこんな状態になっているなんて、と。(奥津裕美)

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2010年8月16日 (月)

縦書きコンテンツの限界と電書フリマ

 InDesign内の機能を使って電子書籍を作ろうと試行錯誤、いや七転八倒していたら、一つのことがわかった。作れない、ということが。いや厳密には作れるのだ。でも、未だにTVのつなぎ方すらわからない私にとっては難しすぎる、「縦書きで作る」ということが。
 「そんなの縦書きで作ってPDFに書き出せばすぐじゃん」という向きもあるかもしれない。でもパソコンの中の人は誰も、それに本っぽいパーツ(めくる機能とか付箋とか書き込みとか)をつける方法を教えてくれず、無料で提供してくれる親切な人もいない。でも、ちょっと考えると、ブラウザで本を閲覧する時って縦書きよりも横書きの方が便利なのだ。ブラウザのサイズが小さい場合、縦書きのものを快適に読むには1行ずつ上下にスクロールしながら文字を追わなければならないからだ。縦書きの電子書籍を購入してみればわかることだけれど、行数がけっこう短い場合が多いのはそのためだろう。四六判の縦書き本を家庭用の小さいスクリーンで読もうとすると、慣れるまでけっこうつらい。それであきらめてリアルな書籍の方を求めてくれればとても嬉しい。

 そういう事情も考えると、横書きのコンテンツしか作れないことってそんなに不利にはならなくなってくるのかな? とも考える。横書きの電子書籍と聞いて、ある光景が頭に浮かんできた。今年7月8日に行われた「電書フリマ」だ。

 「電書フリマ」は「電書部」という団体の活動で、決まった日にイベントをもうけて電子書籍を対面販売するという試みだ。せっかく電子書籍なのにネットで買えないの? と思うかもしれないが、やはりイベントを開くことが電子書籍の営業にとっては第一歩なのだなと思い知らされる。ネットで売っているだけでは、埋もれるのだ。
 にしても盛況だった。ただでさえ広いとは言えない渋谷のコラボカフェで、ひしめき合うようにしながら購入の順番を待つ列に、汗だくで並んだ。「文学フリマ」とけっこう客層がかぶるかな、と思われる10代~20代の男女がたくさん。100円、200円といった格安の電子書籍が次々と売れていく。10冊まとめて買うと1000円というから、かなりお得だ。

 早速家に帰って読んでみた。購入は、その場で購入する本の番号を売り子の方に申請し、自分のメールアドレスにダウンロード用URLを送ってもらうという仕組み。PC用、Kindle用、Ipad用とある。PC用をダウンロードした。

 読んでみると、これが横書きなのだ。少なくとも私が購入した書籍はオール横書き。シンプルなつくりで、う~ん、これだとPDF資料を読んでいるような…気持ち?? と、失礼ながら思ってしまった。KindleやIpadならめくる機能も使えるのだろうけれど、私の環境にはそれもなし……。紙面を工夫することの大事さを思い知らされる。
 そして横書きだと、そしてパソコンに向かっているからこそ、どうしても無料コンテンツであるHPやブログと比べてしまう。「ブログ記事をまとめた」という電子書籍が多かったが、ブログが出版媒体になるという「記念」的な意味のあるリアルな本よりも、オトク感は出にくいのではないか。

 寝っ転がっても、お風呂でも、いつでもどこでも楽しめるのが本で、PCは端末ありき。それだけが簡単に見つけられる「本とWEBのちがい」だったのに、本の背後にインターネットがいつでも控えている状況で、果たしてエンタメとして打ち勝つことが出来るか。接近戦の予感に、頭が朦朧としてきた。(奥山)

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2010年8月14日 (土)

画廊誕生100周年記念大賞展開催

 今年、日本に画廊が誕生して100年目に当たる。それも弊社のご近所、高村光太郎が神田淡路町につくってからというからなのだ。そもそも『智恵子抄』で有名な高村光太郎が、現在の東京藝大を出た彫刻家だったことには、もっと驚くのだが……。

 さて、そんな歴史を記念して神田の5つの画廊が手を組んで、「画廊生誕100周年記念大賞展」が開かれる。審査委員長には美術評論家としても有名な瀬木慎一氏が、映像作家やエッセイストとしても有名な萩原朔美氏、絵本作家の葉祥明氏などのビックネームも審査員に名を連ねる。また来場者のスタンプラリー形式による審査も開催されるという。

 そもそも地域のギャラリーが手を組んで、美術の賞を企画すること自体が珍しい。この賞を企画した北の丸tinyギャラリーの中澤ゆうこさんは、「出品する方が集まっていただけたので、なんとかです」と謙遜して笑うが、実現はかなりの苦労があったと思われる。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のように、街が芸術祭とともに盛り上がるようになれば、かなり面白いことになるだろう。

 神田の歴史はけっこう古い。江戸期には、商人や職人の街として栄え、日清戦争後には中国からの留学生が住む中華街となり周恩来も学んだという。その後、古本屋街となり、70年安保ではパリのカルチェ・ラタンにならい、学生が「神田解放区」をつくったことでも知られる。
 懐が深くて、自由な街としての伝統は、今もどこかで息づいている。5つの画廊をめぐりながら、そんな歴史を感じてみるのもおすすめだ。8月16日(月)~20日(金)まで開催されているので、お時間のある方はぜひギャラリーを訪ねてみてほしい。(大畑)

◆第1会場 北の丸tinyギャラリー
住所 神田神保町3-11-1 安田神保町マンション1F
OPEN 11:00~18:00(最終日 16:00迄)

◆第2会場 一ツ橋画廊
住所 一ツ橋2-6-2 日本教育会館1F
OPEN 10:00~18:00(最終日 17:00迄) 

◆第3会場 文房堂ギャラリー
住所 神田神保町1-21-1 文房堂ビル4F
OPEN 10:00~18:30(最終日 17:00迄) 

◆第4会場 ギャラリー江府お茶の水 
住所 神田小川町2-8
OPEN 11:00~18:00(最終日 16:00迄)

◆第5会場 ギャラリーf分の1
住所 神田駿河台1-5-6
OPEN 11:00~18:30(最終日 17:00迄)

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2010年8月13日 (金)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/「墓じまい」もビジネスになりうる

 お盆だから墓のことを考えましょうというわけではなく、いつも墓や葬式のことばかり考えている(こう書くと誤解が生じそうだが、商売柄、どうしてもそうなる)と、最近、新聞や雑誌に墓やら葬儀の特集が多い気がする。「週刊現代」「週刊ダイヤモンド」「宝島」「東京新聞」「朝日新聞」等々。ブーム云々だけでなく、読者がそういうことを考える年代にさしかかってるんだなと思うと購買層の高齢化っぷりに多少寂しくなる。

 先日は朝日新聞に「墓じまい」についての取材記事があった。都市部に家を持つ息子は故郷に戻ってこないだろうと察した父親が、受け継いだ墓をバラす決心をするのだ。カロートの中にある先祖の骨を取り出し、散骨葬に参加する。のちは自分も散骨してくれるように、と息子に頼む。家制度の解体が招いている、墓の後継者不足。父親は生きているうちに始末をつけるため、先祖の骨を海に撒き墓地を解約する。それを「墓じまい」と称しているのが新鮮に感じられた。

 お墓の引っ越し、つまり「改葬」は結構面倒だ。家族にしてみれば「ウチの先祖の骨を移すだけじゃん」と、何の気なしに取り出したくなってしまうかもしれないが、役所に行って改葬申請をしなければならない。現在の墓地管理者から埋葬証明書を発行してもらい、移転先の墓地管理者から受入証明書を発行してもらい、それを市町村役場に届けて改葬許可証を発行してもらい……と、3カ所で書類をもらわなければならない。その上、眠っている場所がお寺であればお骨を取り出す時に何らかの儀式が必要かもしれず、こだわりある住職からの反対を受けるかもしれず。思い立って「勝手に・すぐに」は出来ないやっかいごとだ。散骨や自宅保管の場合は改葬にはあたらないので移転先の受入証明書は必要ないが、これも自治体によって解釈が分かれるところのようだ。お墓から離れた人がいざ動こうと思っても、何回かは往復が必要になってしまう改葬。この土地に住むのは自分の代で終わりだ、と自覚した時点から準備を進めておくのは、確かに賢い。

 散骨をはじめとして、墓標のかわりに木を植えたり巨木に沿って遺骨を埋める「樹木葬」、バルーンの中に遺骨を入れて打ち上げる「バルーン葬」、オブジェに遺骨を込める手元供養など、お骨の行き先は墓以外にたくさん広がっている。ということは残された墓の始末もつけなくちゃならないんだな、という当たり前の事実を今回、新発見。残される子どもに迷惑かけないように葬式のダンドリをつけておこう、と「終活」する人が増えているが、もうちょっと全体的に「始末をつける」ことを考えるのが大事になってくるだろうと思われる。するとそこにプチプチと需要が生まれるわけで、葬儀業界は幅広くそれらを拾い集めることが今後の課題となるだろう。葬儀や供養ばかりでなく、トータルなエンディングプランの助け手となることが求められてくる。(小松)

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2010年8月12日 (木)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第80回 ひと思いに死ねたら……/白石力さん(67歳)

 私が4歳のときに、母が家を出ましてね。私は母の手に引かれて、上州名物の空っ風の吹くなかを、トボトボと歩かされたのを覚えています。母は5人の子どものうちから、末っ子の私だけを連れて家を出たんです。
 2人が向かったのは母の実家でした。ところが、その晩のうちに長兄が自転車で迎えにきて、私は家に連れ戻されてしまいました。母も「私もすぐに帰るから」と言っていましたが、それっきり戻ってはきませんでした。私はまだ小さくて事情はよくわかりませんでしたが、父と母は離婚したんですね。
 父は土工や樵をして働いていましたが、母との離婚をきっかけに、家督を長兄に譲って隠居しました。そのころ長兄は20歳くらいだったと思います。
 隠居した父はそのまま出奔して、伊豆の方に流れていったようです。なんでも農家の物置に住みついて、漁で使うイワシのエサを入れる竹篭を作って食い扶持を稼いでいたという話です。
 それから何年後かに、その物置で脳卒中で倒れ、誰にも見取られずに死んだらしいです。発見されたのは死後だいぶたってからで、身元もわからないまま共同墓地に無縁仏として葬られたようです。
 そんなわけで私は、間もなく結婚した長兄夫婦に育てられました。といっても、やがて長兄も出奔して紀州の方へ流れていきましたからね。ですから、私を育ててくれたのは兄嫁で、この人にはいろいろ苦労をかけました。

 父と長兄が出奔したりして、うちはちょっと変わった一家でしたね。それに父が行き倒れのような死に方をしたあとも、変な死に方をするのが多いんです。長姉の息子は冬の八ヶ岳に登って遭難死しましたし、長兄の娘はガス自殺を図り、その娘の後を追うように長兄も首を吊って死んでいます。2人が自殺した原因はわかっていません。
 そんなことが続くと、古い田舎の町ではよくない噂が立ちますからね。近所に「放送局」とあだ名されている人がいて、それがあることないこと言いふらして回るんで、私も肩身の狭い思いをして暮らしたのを覚えています。
 そんな田舎で暮らすのがいやで、高校を卒業すると同時に川崎に出ました。親戚が木工所をやっていて、そこで昔の電話交換機のボックスをつくる仕事に就きました。そこで20年近く働きましたね。
 辞めることになったのは、工場が火事で焼けてしまったからです。原因は漏電だったようですが、木工所というのは一旦火が出ると手の施しようがないんです。燃える材料がいっぱい置いてありますからね。消防もよそへの延焼を食い止めるのがやっとで、工場は丸焼けでした。
 それで軽井沢のゴルフ場に転職しました。グリーンの芝の管理が仕事で、芝の傷んだところに種を播いてその上にスダレを張り、養生しながら育てるのが仕事です。
 そこで働いているときに、キャディをしていた娘と好き合うようになって結婚しました。彼女は信濃追分に親と同居していて、私がその家に婿養子に入るかたちになりました。ちょうど40歳のときです。
 ただ、この結婚はうまくいきませんでした。嫁さんには難聴の障害があったのと、結婚してから梅毒にかかっていることもわかりました。そのうちに乳ガンも患ってしまいました。そんなこんなで、だんだんに気持ちが離れていったんです。
 それにゴルフ場の芝管理というのは、1つのゴルフ場を管理するだけではなくて、同じ系列の北海道とか九州のゴルフ場へも出張させられます。1回の出張が長くて家を空けることが多いから、嫁さんの方もだんだんに嫌気が差してきたんでしょうね。どちらからともなく別れ話が出るようになり、離婚することになりました。結婚生活は3年間でした。

 嫁さんと別れてからは、伊豆に行きました。西浦という町の観光ミカン園で働くようになったんです。仕事は楽でしたよ。夏の消毒作業がちょっと大変なくらいで、剪定作業もありませんでしたからね。観光農園ですから、本気でいいミカンを栽培する気はないんです。いかに手間暇をかけずに安くあげるか、そればかりでしたから仕事は楽でした。
 そこで働いて5年くらいしたときですが、作業中に脚立を踏み外して、ミカン畑の崖の下まで転がり落ちるという事故を起こしてしまいましてね。脚を骨折する大ケガでした。それで働けなくなって、クビになりました。
 それからは東京に出てトビになったんです。でも、トビの仕事で働けたのも60歳まででした。月7万円のアパート代が払えなくなっていき、アパートを引き払うと、あとはホームレスになるしかなかったですね。ただね、アパートの住所をそのままにしておいたのと、銀行口座を持っていましたから、年金がもらえているんです。月々8万5000円もらえますから、これでだいぶ助かっています。エサ(食べもの)探しをしないですみますからね。
 夜は風の当たらないところを探して適当に寝ています。野宿を長く続けていると、自然に抵抗力がつくんでしょうね。風邪ひとつひかなくなりましたよ。
 本当はね。ひと思いに死ねたらいいと思っているんです。これは私だけじゃなくて、ホームレスをしているのはみんなそう思っていますよ。夜、段ボールに潜り込んで、「このまま目が覚めなければいい」と思って眠るんです。でも、朝になると目が覚めてしまい「ああ、今日もまた1日生きなければならんのか」と、その繰り返しです。そうやって寿命がくるのを、毎日毎日ただひたすら待っているんです。(2002年12月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2010年8月 9日 (月)

●ホームレス自らを語る 第79回 山登りに明け暮れて(前編)/神田弘幸さん(65歳)

1008 「生まれたのは昭和20(1945)年で、東京・南麻布(港区)の長屋でした。ひとりっ子です。長屋で生まれ育ちましたが、父親は東京ガスの営業所所長をしていましたから、生活状態は良いほうだったと思いますよ」
 そう語るのは、東京都内の赤羽公園(北区)で暮らしている神田弘幸さん(65)。ホームレス歴はまだ2ヵ月という人である。終始にこやかに諄々と語られていく語り口は、神田さんの出自のたしかさを物語っているようだ。
「小学生時代はよくできる子でしたね。通信簿は体育が3のほかは、オール5。将来は弁護士になりたいと思っていました。テレビドラマあたりの影響だったんでしょうね。中学からは私立の中高一貫校に進みました。ところが、ここで自分が思っているほど、頭がよくないことを思い知らされるんですね」
 頭がよくないというか、神田さんは徹底した文系人間だったのである。国語や社会では相変わらず抜群の成績をあげながら、数学、物理、化学などの理系科目の成績がまったく奮わなかったのだ。さらに、文系人間でありながら、英語を大の苦手としたのも致命的であった。
「大学受験は某有名私大の法学部一本に絞って受験しました。でも、英語が苦手では、いかんともしがたいですからね。三浪までして4度受験しましたが、ことごとく跳ね返されました。もう20歳を超えてしまいましたから、それで大学進学は諦めることになります」
 大学進学を諦めた神田さんは就職することになるのだが、これより前の高校2年生のときに、ある趣味と出会う。
「高校2年生の冬に妙高高原でスキースクールがあって、そこで山岳の魅力に取り憑かれてしまうんです。山岳の秀麗な美しさや、その山頂を極めて征服する喜び、それに尾根や山頂からの眺望のすばらしさ。そうしたものの虜になってしまうんですね」
 神田さんが趣味の登山を始めるのは、大学受験の浪人中からだが、本格化するのは就職して社会人になってからである。
「平均して、年に6回は山に登っていました。ボクの登山は常に単独行で、冬山にも毎シーズン入りましたが、やはり一人でした。自分の登山のペースが、他人によって乱されるのが嫌いだったんです。それとボクは職場をいくつか替えましたが、どの職場でも登山のための休暇が取れることが入社の条件でした」
 高度経済成長の人手不足の時代で、雇われる側が条件をつけられたのである。長引く不況で、就職難の続くいまの時代では考えられない事態だ。

「新宿駅を夜12時前に発車する松本行普通列車が、北アルプスの山々をめざすアルピニスト御用達の列車でした。網棚にはキスリングという大型のリュックサックがズラッと並んでね。ボクもよく利用しました。それで南北、中央アルプスのめぼしい山はほとんど登りました。ほかに丹沢山系、朝日連峰の山々、谷川岳などもね。ただ、富士山にだけは登ったことがないんです。それに幾度も繰り返し登った山というのもありません。新しい山を次次に征服していくのが、ボクの登山の醍醐味でしたね」
 一つの山の登頂を果たして下山すると、その山麓にある温泉に浸かって疲れを癒すのが愉しみだった。
「それとね。帰りの列車で1合(180ml)のカップ酒を開けて、登頂の祝杯を挙げるのが、もう一つの愉しみでした。ボクは酒が好きで、強いほうです。でも、山登りをしていた頃は、帰りの列車で飲む1合のカップ酒のほかは、一切口にしませんでした。山に登るためには常に体調を維持しなければなりませんから、その緊張感で肉体が酒を求めなかったんですね。山登りをやめてからは、普通に飲むようになりましたが」
 神田さんの登山歴のなかでのハイライトは、20日間かけて敢行した北アルプスの縦走。20代半ばでのことだ。
「若い頃は山登りに夢中で、女性とデートをすることなど眼中にありませんでしたね。気がついたときには、結婚適齢期を逸していました。それにボクはひとりっ子で、両親と同居して面倒をみなければならないという事情があって、それも結婚を億劫にさせた理由かもしれません」
それほど夢中になった山登りだが、30代半ばでやめてしまう。単独行での登山は、そのあたりが体力的に限界だったからだという。山登りをしていた時期は好きな酒を断ち、体力の限界を感じるとさっと身を引くなど、なかなか潔い神田さんの山岳人生ではあった。
 山に関しては潔かった神田さんも、実生活ではややルーズな面があったようだ。それが今日のホームレス生活に繋がっていると、当人自身も認める。その来歴を辿ってみよう。
「4回の受験に失敗して大学進学を諦めると、就職して働くようになります。その最初が保険会社での山岳保険の営業でした。山岳保険というのは、遭難時の捜索費用が特約になった保険です。その営業の国家資格を取得して、保険会社に就職したわけです。ただ、山岳遭難の捜索というのは莫大な費用がかかるため、保険料も高額になり個人で加入する人はほとんどいません。営業の狙いは山岳会などの組織になります」
 それもある程度以上の規模の山岳会ということになり、そうなると東京都内にある山岳会でも数が限られてくる。その小さなパイを各保険会社の営業が奪い合うことになり、あまりうま味のある仕事とはいえなかった。そんなことで、この仕事は5年ほどでやめてしまう。
 以後、神田さんは山登りを中心に据えた生活で、職業を変転していくことになる。(この項つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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2010年8月 8日 (日)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/終活ファッションショーに行ってきた!

 7月31日、デセオ(NPO法人人生と死を考え、将来設計を実現する会)が主催した「終活ファッションショー~わたしが最後に着たい服~」に参加した。まずデセオ代表理事の司法書士・安田祥子氏が「終活のススメ」と題した、老いから葬儀・墓・供養・相続までをふくめたエンディングプランについて講演し、あとに一般人13名が人生の最期に着たい服をまとってウォーキングするというもの。大阪のいきいきエイジングセンター、300人収容のホールは半分ほどが埋まり、年齢層は幅広い。50代~シニアの人々が前の席をのきなみ陣取ったものの、後ろのほうにはゴスロリ風の女の子たちもいる。出演者の家族と思われる子連れの夫婦なども見えて、まさに老若男女が集まった。

 まずは講演。司法書士の方と聞いていたが、出演者のうちの1人とばかり思っていた女性がさっそうと登壇したのでびっくり。なぜ見間違えたかって、鮮やかな青と水色が混ざり合った綺麗なドレスを着ていたからだ。彼女は「よく占い師と間違われるんですよ」と笑いながら快活に話をした。関西弁もまじって、親しみやすい印象が「司法書士」の堅いイメージを打ち破った。それどころか、このようなファッションショーまで主催してしまうのだから、そのパワーは計り知れない。
 安田氏は講演の中で、葬儀の希望等について書きこむ「エンディングノート」の流行に触れ、しかしノートに向かってもなかなか書き出せない人が多い現状を語った。葬られ方の一部しか見ていないと、ノートは埋まらない。弔いといっても、葬儀・墓・供養・相続など様々な場面があるのに、「散骨してもらいたい」「葬式は必要ない」「墓はいらない」など一部分の希望しかなければ、それ自体をかなえるのが難しくなってしまう。一番の希望をかなえやすいように、周辺のパーツも整えていくべきだ。例えば「葬儀は必要ない」と書いたとする。加えて墓に関しての希望を一切書かなければ、菩提寺の墓に埋葬されることだろう。菩提寺の住職が理解ある場合は良いが、葬儀で受戒も与えなければ引導も渡していない故人の魂をそこで祀ることを是としないかもしれない。せめて戒名はつけなければならないかもしれない。弔いを全体の流れとして知っておかないと、トラブルになりやすいのだ。安田氏は「老、死、葬、墓、供養までのトータルデザインを考える」ことの重要性を訴えた。

 さらに安田氏は「生前の意思決定をかなえてくれる人を見つけておくことの大事さ」を語った。いくら精密に死後のことを考えたとしても、本人がそれをすることはできない。血縁でも、生前契約システムでもよい。自分のプランを実行してくれる誰かが必要なのだ。「孤独死」「無縁死」が取りざたされている中、氏の言葉は胸に響いた。

 第二部はいよいよファッションショーだ。自分が送られるときに着たい服を着て、流してほしい曲にあわせてウォーキングする。人生の中で思い出に残る写真を5枚だけ選び、それについての説明も加えるという趣向だ。
 トップバッターは死とは無縁に思える、若々しい女の子だった。しかもチアリーダーの格好をしている。彼女は初めて振付をした曲だと言い、チアリーディングのパフォーマンスをした。会場内は手拍子に包まれ、死についてのイベントにもかかわらず大変はつらつとしていた。
 次の出演者は70代男性で、奥様とカラオケでデュエットしている曲をかけながら登場。黒いTシャツには今までの職歴がプリントされている。3番手はサリーを着た女性で、「月の砂漠」にのって登場。写真を見ながら父親の思い出について語ると、思わず涙ぐんでいた。

 さらにどう見ても50代には見えないパンクな衣装の女性、シャンソンをうたう女性、作務衣を着てMACのノートパソコンに礼拝する僧侶、女性牧師とユニークな面々で彩られていく中、トリに登場したのはウェディングドレスの75歳。ハワイアンにのって登場し、ウェディング・フラを踊った。ゆったりとした動きはとても優雅で、集団生前葬とでもいうべき企画なのに、生の横溢が感じられた。「いきいきした葬儀」って、矛盾が感じられていい。

 一つだけ残念だったのは、せっかく本人から家族や伴侶へのメッセージが読まれる企画なのに、「遺族」ともいうべき当事者の参加が少なかったこと。葬儀はもちろん、死者だけのものではない。残される人が参列してはじめて葬儀であるといえるだろう。それに日頃は言えないことをつたい合えるチャンスでもあるのだから、もっとノリよくしてほしいなあと個人的には思った。死んだつもりの人と話すなんて、なかなかできないことですよ。(小松)

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2010年8月 7日 (土)

Brendaがゆく!/病児の保育から見る日本の労働問題

新聞などで最近議論されている病児保育に関して。

確かにそのような制度が万が一のために、例えば両親共にの出張や、重要な会議などの変わりの聞かない仕事の際に必要であっても、日常的に子供が病気になる際に必要になること事態がおかしいのではないか。

日本人の労働者の多くが一般的に有給が余っているはずではないのか?

病児保育を充実させるというような、面倒な社会福祉を整えるのではなく、子供が病気の時に両親のどちらかがその役を全う出来る社会にするべき。

そのような労働環境を整備すべき。

日本は間違った方向に行っていること間違えなし。

子供は特別に病気になるのではなく、日常的に小さな風邪や発熱そのような状態を繰り返して、成長していくのが普通ではないのだろうか?

私の知る限りのポーランドでは、子供が病気の時に誰かに預ける人など(祖父母以外)聞いたことが無い。またフランスの特にパリの労働環境はポーランドよりも厳しいが、子供は学期中にさえバカンスと言う休暇がしょっちゅうあり。病気になる以前に、とても余裕がある時間環境になっている。子供がいればまず親は少なからずその子供の余裕のある学校のスケジュールに合わせて労働することになる。そしてもちろん、子供が風邪や発熱ぐらいの病気になってその世話ができない話は聞いたことが無い。

フランス人においては、親が体調を崩し2週間ぐらいは家で寝ている人を見たことがあるが。。。

しかし、どこの国を見たって夫婦の共働きは、時間的に厳しい。
それにしても、日本の子供を産み育てていくことに関する政策は間違った方向に行っているとしか思えない。

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2010年8月 6日 (金)

らぶの夢は果てしなく!!

最近、講演会や福祉のイベントなどに参加させて頂く機会に恵まれ、あたかも脳性まひ者・あるいは身障者の代表として様々なご質問にお答えする場面が多々あります。
思えばワタクシ、年間おそらく、今までは335日ほどは自分が障害者(児)だってことを、意識上、完全に忘れて、ただアッチャコッチャ不良個所が目立つカラダやね~というぐらいにしか捉えておらず、福祉にアツイ人たちが「バリアフリー」がどうだとか、「ノーマライゼーション」とは何なのか?「生きにくい世の中だよね~」なんて言われても、まるで他人事みたいに、そんなの障害者自身の心意気の問題で

ほっときゃ~いいのよ

そりゃ環境や社会がイイに越したことはナイけど、周りに文句言う暇があったら、自分のせいだと思えば、自分を変えればいいだけなんだし、みんながそうしていけば、

いつの間にか社会だって変わっているハズ なのに…

それをしようとしないで、とりあえず文句ばっかり言ってるから「障害者はワガママ」だとささやかれちゃうんだわよっ

と、自分も思いっきり障害者と呼ばれる側の人間であるというのにずいぶんと醒めた目で傍観していたワタクシなのでした。
勝手に育っていってちょうだいね~ といわんばかりの非情とも言えるクールなこのワタクシが…
自信を持てないで消極的にしか生きられないハンディを抱えた人たちや子ども達にこそ、ワタクシの持っている特殊ともいえる強烈なウィルスを、繁殖させていかなくてはならないのではと、思い始め…
そう考えると、次から次へと疑問点が浮かび上がってくる今日この頃。

その中の一つに、小児の通所施設や、訓練・リハビリを受けられる施設は沢山あっても、障害児の子ども達が日常的な遊びや生活の中で自信が培われように誘導していく専門家がなぜイナイ

おかしいではありませんか????? 

機能回復訓練も、もちろん大事だけれど、リハビリですべてを取り戻すことは、はっきりいって不可能なことです。ハンディを抱えてしまった以上、一生モンと考えなくてはいけません。
ならばリハビリの前に、外見も中身もひっくるめた自分のすべてを好きになり、誰になんと言われようが、自分だけは自分を愛せるという自己のアイデンティティを確立することが先決なのではと思うのです。
これは障害児に限ったことではなく、健常児にも言えることだと思いますが、健常の子より、肉体的ハンディを抱えた子の方が自己肯定が育ちにくい環境で過ごさなければならないのが問題なのです。
自分の幼少期を振り返ってみても、家庭でも、学校でも、訓練所でも自分のカラダをそのままに受け入れられない状況に追い込められて常に、周りの大人からは『障害児がそのままでは、不十分であり、フルに機能することに、少しでも近づくために、訓練あるのみ』と態度や言動すべてに、無意識のうちに、至る所にこのメッセージは流され、障害児からすれば常に健常児に、その水準や速度は合わせられており、社会で認められるには、このパターンの中の尺度に当てはまらなければならないと、無意識のうちに思い込んでいくのです。

こういう環境で、無理せず、のびのびと、その子らしさが育つ訳がありません 思いません

それなのに、それをサポートする専門家がイナイってちょっと、おかしいのではございません?

たとえば、ですよ

車椅子に乗るときと、そうじゃない時のトータルファッションは当然違ってきます。決して同じでは映えないのです。このことをもし、自然と幼少期から身につけていたならば、曲がった手足が何ともならなくたって、車椅子が手放せなかったとしても、思春期を堂々と迎えられると思うのです。

思春期は誰にとっても痛みなくしては、通り過ぎることができない人生の大事な通過点なのでしょうが、障害者の場合は、普通の痛みにプラスアルファがどうしたって付くのですから、その痛みの逃がし方ぐらいは、早いうちから身につけておいた方がいいと思うのです。

この術を身につけておくか、おかないかで思春期の悲惨さが変わってくると思いますし、思春期の乗り越え方で、その後の人生の充実度合いも全然違ってくると思うのです。
特に身障者の場合は、思春期の乗り切り方が、その後のカギを握るのではないかと。

この術を教えるスペシャリストは、障害の有無は関係なく他の専門職と同等に、あくまで向き不向きの問題が大きいかと思いますが、やはり、障害を持った本人が身を持って、子ども達に伝えていくことは、とても大きな意味を持つと感じます。
養護学校や、病院などに、そういうスタッフを常備しておくのもいいでしょうし、また、お稽古事のように、障害児たちを集めて遊びの中で、自信が持てるような言葉掛けや接し方をしていくサークルや、遊びの学校のような場があればいいのに…と切実に思うのはワタクシだけなのでしょうか。

Office-楽歩で新たな事業を展開しようかしら

その名も親子で育む『LOVE塾』 (*^ー^)ノ

Office-楽歩のオンナ社長の夢は広がるばかりなのでしたっ!

幻想をいくら抱いてもニーズがないとねぇ( ´艸`)

真夏の夜の夢に終わらせないためにも、今できることをしっかりとしていかなきゃ! ですね。

大畑楽歩さんのブログはこちら→http://ameblo.jp/rabu-snoopy/

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2010年8月 3日 (火)

池田大作より他に神はなし 大河連載第13回/人間の思想や信条、人格や教養は外見にストレートに出る。名誉会長の御尊顔の磁力の並外れた威力には、ただただ感嘆して平伏すのみ。

 昨今一番の楽しみは、魂を抜かれたようなマヌケ面をした、“未来永劫の仏敵”菅直人首相を、テレビや新聞で見る事だ。市民運動家出身でありながら、いつの間にか庶民、大衆の心をケロリと忘れ、権力の甘味に溺れた、かんなクズ男の断末魔! その過程では平然と我らを薄汚い言葉で罵倒、心ある知識人、市民のヒンシュクを買って来た。それがもはや我が同志の協力なしでは、にっちもさっちもよっちも行かない。かんなクズ男、本当は我らの前に土下座したくて仕方ない。権力保持のためなら何でもする、信念も大衆への愛もない人間に、“異体同心の黄金のスクラム”を組む我らが、これっぽっちでも同情を抱くと? 大衆の無垢な良心を悪用して上り詰めた人間は、同じ大衆の“師弟共戦の人間主義パワー”により、いつの時代でも葬り去られる運命なのだ。“最後(さいご)の最後まで、追撃(ついげき)の手をゆるめない。正義(せいぎ)の勝利(しょうり)のためには、「徹底(てってい)する」以外にない。「執念(しゅうねん)」以外にない。”(1999年2月2日 全国県長会議での名誉会長のスピーチより)

 顔は大切だ。無論、美醜について述べている訳ではない。人間の思想や信条、人格や教養は外見にストレートに出る。以前も書いたが、筆者の朝の最大の喜びは、『聖教新聞』1面で名誉会長のカラーお写真を拝見させていただく事だ。慈愛に満ち溢れた御尊顔の磁力で、昨日までのうっせきは瞬時に吹き飛ぶ。その後、「御聖訓」を噛み締めるように熟読(お写真がすぐ上にレイアウトされてる日は、うれしさ倍増で涙が出そうに)。7月12日付けでは、カラーお写真の真下にこうあった。“日蓮が慈悲曠大(じひこうだい)ならば 南無妙法蓮華経は 万年(まんねん)の外(ほか)・ 未来(みらい)までもながる(流布)べし”。地獄の出版業界殲滅戦下(一時的不況でななく、存続自体の危機なのだ)、正直に言って出社拒否症に近い精神状態に時に追い込まれもする。が、「御聖訓」を一読後は、元気モリモリで「どっからでもかかって来い!」の心境に(名誉会長のお写真とお言葉は、ポパイにとってのほうれんそう以上の効果が。本当にありがたすぎる…)。

Ike  ビジュアル面からの名誉会長の不肖の弟子を自認する者にとり、月刊『グラフSGI』(聖教新聞社)は必携の媒体だ。名誉会長激写のお写真がカラーでたっぷり鑑賞出来るだけではなく、古今に渡る創価の同志の大活躍が視覚的に満喫出来る(何しろ縦335ミリ、横255ミリもある大型紙面のため、昔1度見た写真も鮮明で迫力があり、テレビでしか観てなかった映画を、大型スクリーンの映画館で再体験する気分だ)。7月号は、トップページの「わが友へ」(池田大作)で、母への崇高な思いを吐露した一文を味わった後(添えられた、牡丹を激写した名誉会長の“写真力”の素晴らしさ!)、おもむろにページをめくる。“世界に輝(かがや)く最高学府(さいこうがくふ) 明年創立(そうりつ)100周年 中国・精華(せいか)大学から「名誉教授」称号 顧(こ)学長「中日友好に絶大(ぜつだい)な貢献(こうけん)」”ま…またもやられたのだ!

 これでSGI会長に贈られた、世界の大学・学術機関からの名誉学術称号は、な…何と合計288と!未来永劫の仏敵・菅直人や、全面敗北のド畜生集団・日顕一派が国内でいくら盲動を繰り返そうが、公平で理性的な世界の眼は、真実をしっかりと把握している。5月13日、会長出席の元、創価国際友好会館で行われた、名誉教授称号授与式のカラー大型写真が、筆舌に尽くし難い素晴らしさだ。右手壇上の落ち着き払った、常に謙虚で涼しげな表情の会長。一斉に拍手をする左手の聡明そうな全参加者。最前列は女性。手前から白、黄、淡い青、黄赤ベタ、濃い青、オレンジ、そしてまた黄、淡い青のスーツと、まるで計算されたかのように、カラフルで芸術的な美しさだ。真実と美は表裏の関係と、誰もが納得する歴史的偉業の瞬間である。

「計算されてんのに決まってんだろう。写真の宣伝効果狙ってよ。婦人部の服装の色まで命令されるとは、さすがは日本を代表するカルト組織だ!」しばらく姿を見せなかった、半失業状態の知人のフリーライターがまた下品な顔を。こういう歪んだ性格ゆえ友達も少なく、行く所もない。「赤い独裁国家が法華経を唱える日本のヒトラーに勲章か。筋の通った話だぜ」「勲章じゃない。名誉教授称号だよ!」「似たようなもん。それよりなんだよこの写真は。一斉に同じ方角見て拍手してるが、手の角度まで同じ。創価学会って中国に北朝鮮ミックスしたと思えば間違いねえ。それに何だ、さっきまで名誉会長だったのに、今度はSGI会長って、この池田ってペテン師野郎も、自分の称号くらい統一しろっての」「そ…それは創価学会が名誉会長で、SGIは会長で…」「部外者にもわかるようにしろ!」「そ…それは…」「それより、最大の仕事先がこの秋で廃業だってよ。泣きっ面に蜂だいね」「どこ?」「三崎町のT社(SM雑誌の老舗)」「あんな歴史のあるエロ本屋がねえ…」「倒産と違って、編集費はちゃんともらえるからいいけど、今後の生活を考えると…。カンビールもらうぜ!」(彼のための冷蔵庫ではないのに)

 我ら同志と違い、彼はオンボロアパートに帰っても、更にヤケ酒をあおるしかない。肝硬変になるのもすぐだ。はっきり言って、未来永劫の仏敵・菅直人同様に明日はない。人間とは愚かなものだ。愛と真実と美に眼を閉ざし、鼠の大群のように死が待つのみの湖に突進する。ただ菅総理はともかく、彼は古い友人だ。何とか立ち直って欲しい。こっそりボロボロの彼のバッグに、『聖教新聞』を数部忍び込ませた。名誉会長の御尊顔が醸し出す、愛と美と真実のオーラに、いつか彼も目覚める事を期待して。(つづく)

■塩山芳明…雑誌版『記録』にて『奇書発掘』を連載。エロ漫画編集者。著書に『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』(アストラ)、『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』(共に一水社・絶版)、『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)、『東京の暴れん坊』(右文書院)がある。

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2010年8月 2日 (月)

アフガン終わりなき戦場/第38回 お呼ばれしたら王様気分で!?

 他人の家に来て、ホストの前で寝転がるというのは始めての経験だった。私が少し困った顔をしていると、彼は朗らかに言う。
「これで私もくつろぐことができます。では私も横にならせてもらいます。お互いカブールからの長旅で疲れましたから」
 そう言うと彼はキキッと悪びれずに笑った。彼の下の兄弟の一人が灰皿を持ってきた。どうやらマホメットは私がタバコを吸うだろうと思い、前もって兄弟に灰皿を用意させていたようだ。マホメットが、さあ吸って吸って、と急かす。まあ、そう仰るなら、と日本から持ってきたマルボロを一本取り出す。彼に一本どうだと薦めると、彼は客人の前でタバコを吸うことはできないと固辞した。

 私もアフガン人の家にやっかいになっとことは何度もあったが、ここまで「王様扱い」されたのは初めてだ。マホメットは待っていましたとばかりに理由をしゃべりだした。誰でも自分の文化を話すときはうれしそうな顔になる。
「では、白川さん説明します(オホン)。アフガニスタンに『客人は神から贈り物』という言葉があるのは知っていますね。その通りなんです。ですので、私たちは門に鍵なんてかけたりしません。例えば見知らぬ誰かが家に入ってきたとします。『あなたどちら様?』なんて無粋なことはお聞きしません。何も言わずに『よくいらっしゃいました』と客間に通し、お茶と食事でもてなします。もちろん、日が沈めば『どうぞお泊りください』と申し出ます。私たちのいる部屋は当家で一番立派な部屋です。こちらでくつろいでいただきます。そして朝になって朝飯をともにしながら、そこではじめて『どちらさまですか?』と聞くことができるのです」

 私は素直に驚いた。
「それは今でもやれているんですか?治安は最近すごく悪いし、大丈夫なのかな?」
 マホメットは少し悲しそうな顔をした。
「私の家では大丈夫ですが、もうカブールでは無理でしょう。タリバン時代中は、少なくとも治安は良好でしたので、アフガニスタン中でそうでした。私はカブールに仕事でよく行くのですが、いつもアポ無しで親戚の家にとまりに行きます。その家もなかなかの名家ですが、門のドアはいつも硬く閉ざされています」

「タリバン時代のことを懐かしく思っている人が多いように思うんだけど、あなたもそう思う?」
「さあ。ただ治安がよかったことだけは確かでしょう」
 マホメットは少しとぼけた顔をした。迂闊には話せない、という顔だ。彼も含めて、アフガン人はアフガニスタンの文化に誇りを強く持っている。タリバンは暴力的であったが、その暴力性によってアフガニスタンの治安と文化を保護していた。

「タリバン時代は盗みをすれば即腕を切り落とされます。だから泥棒なんてほとんどいませんでした。けれど、今は皆ポケットを守るように歩きます。今の政権も盗みには厳しく当たるべきです」
 盗みをしたら腕を切るというのはイスラム法で定められている。けれど、今のアフガニスタン政府がそのような法律を成立させれば、欧米諸国からの反発は必至だろう。たぶん、そうはならない。私は失礼だと思いながら、尋ねてみた。

「けど、泥棒をしたら腕を切るなんて暴力的じゃないのかな? 貧しくて、盗みをしなければ生きていけない人たちもいるんだと思う」
「もちろんそれは分かります。街中で盗みをするのは殆どが家の無い子供たちです。タリバン時代はマドラサ(神学校)がそのような子供たちを保護していました。けれど、今はマドラサという存在自体がタリバン養成所のように思われ、活動できません。ああ、でも私はタリバンを支持しているわけではありませんよ。ただ、そういう面があったというだけです」
 もしかしたら彼もタリバン時代が懐かしいのかもしれない。けれど、それは責められることじゃない。タリバンはいわゆる「近世」の考え方をもった集団だった。彼らには彼らなりの秩序があったし、それで安定もしていた。私たちの尺度では測れないことも多い。ある文化を「遅れている」と否定することは簡単だけれど、人の文化を自分たちのものと違うからおかしい、という人間側の文化レベルも底が知れている。

 私はやはり気が引けるし、自由に振舞えと言われてもできないので、翌日ホテルに移った。別れ際にマホメットが客人を歓待する文化のカラクリを教えてくれた。
「こうやって客人を泊めると、近所の人たちから尊敬を得られるんです。だから別れ際もちゃんと門の外までお送りするのです」
 ちょっと意地悪そうな顔をして彼はそう教えてくれた。日本の昔の富豪と似たような発想だ。でも、それを教えてくれるところがアフガニスタンらしくて、サッパリしている。
 ただ、家を出て行くときは車で移動することになった。治安のことを考えて用意してくれたのだ。これでは近所の人に見せられない。
 だから平和になったときはアポ無しでぶらっと彼の家にまた逗留したいなあ。(白川徹)

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