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2010年7月 8日 (木)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第78回 ひと思いに死ねたら……/伊都秀一さん(仮名)(67歳)

 私が4歳のときに、母が家を出ましてね。私は母の手に引かれて、上州名物の空っ風の吹くなかを、トボトボと歩かされたのを覚えています。母は5人の子どものうちから、末っ子の私だけを連れて家を出たんです。
 2人が向かったのは母の実家でした。ところが、その晩のうちに長兄が自転車で迎えにきて、私は家に連れ戻されてしまいました。母も「私もすぐに帰るから」と言っていましたが、それっきり戻ってはきませんでした。私はまだ小さくて事情はよくわかりませんでしたが、父と母は離婚したんですね。

 父は土工や樵をして働いていましたが、母との離婚をきっかけに、家督を長兄に譲って隠居しました。そのころ長兄は20歳くらいだったと思います。
 隠居した父はそのまま出奔して、伊豆の方に流れていったようです。なんでも農家の物置に住みついて、漁で使うイワシのエサを入れる竹篭を作って食い扶持を稼いでいたという話です。
 それから何年後かに、その物置で脳卒中で倒れ、誰にも見取られずに死んだらしいです。発見されたのは死後だいぶたってからで、身元もわからないまま共同墓地に無縁仏として葬られたようです。
 そんなわけで私は、間もなく結婚した長兄夫婦に育てられました。といっても、やがて長兄も出奔して紀州の方へ流れていきましたからね。ですから、私を育ててくれたのは兄嫁で、この人にはいろいろ苦労をかけました。

 父と長兄が出奔したりして、うちはちょっと変わった一家でしたね。それに父が行き倒れのような死に方をしたあとも、変な死に方をするのが多いんです。長姉の息子は冬の八ヶ岳に登って遭難死しましたし、長兄の娘はガス自殺を図り、その娘の後を追うように長兄も首を吊って死んでいます。2人が自殺した原因はわかっていません。
 そんなことが続くと、古い田舎の町ではよくない噂が立ちますからね。近所に「放送局」とあだ名されている人がいて、それがあることないこと言いふらして回るんで、私も肩身の狭い思いをして暮らしたのを覚えています。

 そんな田舎で暮らすのがいやで、高校を卒業すると同時に川崎に出ました。親戚が木工所をやっていて、そこで昔の電話交換機のボックスをつくる仕事に就きました。そこで20年近く働きましたね。
 辞めることになったのは、工場が火事で焼けてしまったからです。原因は漏電だったようですが、木工所というのは一旦火が出ると手の施しようがないんです。燃える材料がいっぱい置いてありますからね。消防もよそへの延焼を食い止めるのがやっとで、工場は丸焼けでした。
 それで軽井沢のゴルフ場に転職しました。グリーンの芝の管理が仕事で、芝の傷んだところに種を播いてその上にスダレを張り、養生しながら育てるのが仕事です。
 そこで働いているときに、キャディをしていた娘と好き合うようになって結婚しました。彼女は信濃追分に親と同居していて、私がその家に婿養子に入るかたちになりました。ちょうど40歳のときです。
 ただ、この結婚はうまくいきませんでした。嫁さんには難聴の障害があったのと、結婚してから梅毒にかかっていることもわかりました。そのうちに乳ガンも患ってしまいました。そんなこんなで、だんだんに気持ちが離れていったんです。
 それにゴルフ場の芝管理というのは、1つのゴルフ場を管理するだけではなくて、同じ系列の北海道とか九州のゴルフ場へも出張させられます。1回の出張が長くて家を空けることが多いから、嫁さんの方もだんだんに嫌気が差してきたんでしょうね。どちらからともなく別れ話が出るようになり、離婚することになりました。結婚生活は3年間でした。

 嫁さんと別れてからは、伊豆に行きました。西浦という町の観光ミカン園で働くようになったんです。仕事は楽でしたよ。夏の消毒作業がちょっと大変なくらいで、剪定作業もありませんでしたからね。観光農園ですから、本気でいいミカンを栽培する気はないんです。いかに手間暇をかけずに安くあげるか、そればかりでしたから仕事は楽でした。
 そこで働いて5年くらいしたときですが、作業中に脚立を踏み外して、ミカン畑の崖の下まで転がり落ちるという事故を起こしてしまいましてね。脚を骨折する大ケガでした。それで働けなくなって、クビになりました。
 それからは東京に出てトビになったんです。でも、トビの仕事で働けたのも60歳まででした。月7万円のアパート代が払えなくなっていき、アパートを引き払うと、あとはホームレスになるしかなかったですね。ただね、アパートの住所をそのままにしておいたのと、銀行口座を持っていましたから、年金がもらえているんです。月々8万5000円もらえますから、これでだいぶ助かっています。エサ(食べもの)探しをしないですみますからね。
 夜は風の当たらないところを探して適当に寝ています。野宿を長く続けていると、自然に抵抗力がつくんでしょうね。風邪ひとつひかなくなりましたよ。

 本当はね。ひと思いに死ねたらいいと思っているんです。これは私だけじゃなくて、ホームレスをしているのはみんなそう思っていますよ。夜、段ボールに潜り込んで、「このまま目が覚めなければいい」と思って眠るんです。でも、朝になると目が覚めてしまい「ああ、今日もまた1日生きなければならんのか」と、その繰り返しです。そうやって寿命がくるのを、毎日毎日ただひたすら待っているんです。(2002年11月取材 聞き手:神戸幸夫)

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