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2010年6月

2010年6月30日 (水)

大河連載/第12回 そこに世界的偉人が存在する事を認めようとしない、一部日本人のかたくなな心を悲しみながらも、決して批判などせず、逆に暖かく包み込もうとする名誉会長の深い慈悲の心に涙して!!

4 『日本古書通信』なる古本マニア向けの月刊誌が。6月号は通巻971号。つまり戦前から続く老舗雑誌らしい。だが、好事家間だけでしか通用しない倒錯した一文を発見、憤りというより深い哀れみ感じた。「近頃の女子大生の読書傾向について」という問題の論文の著者は、女子短大で長年国文学科の教員を勤めた小林修。かつて女子大生に人気の高かった、樋口一葉、島崎藤村、川端康成、堀辰雄などが人気を落とし、江戸川乱歩、松本清張、向田邦子、村上春樹らが、夏目漱石、泉鏡花、谷崎潤一郎、芥川龍之介、三島由紀夫らと並び、卒論対象作家となっている現状を報告。ここまでなら予想の範囲内だ。法盗人・日顕の生ゲロさえ彷彿させる邪悪なたくらみは、突然炸裂する。

“中にはこちらの予想範囲を超えたものも時々出てくる。最近では池田大作(一瞬岸上大作かと思ったが)をやりたいと言ってきた学生がいたが、これは学生の方から太宰に変更を申し出てくれた”。最高学府の教育者の身で、よくここまで超ハレンチな態度が取れたものだ。明らかに揶揄した物言いの、“予想範囲を超えたもの”の下りに、当人の品性下劣、無知蒙昧さが凝縮。“異体同心”及び“報恩感謝”の精神に溢れた若き同志も、侮辱的な戦前の特高警察並の、日顕の走狗の暴挙にやむを得ず(心で血の涙を流しつつ)、太宰治に変更したのだ(太宰春台ではなかろう)。専門馬鹿の宿命とはいえ、世間知らずの厚顔無恥の徒の蛮行には、呆然とせずにいられない。

 はっきりと言おう。文部省の正式な調査こそないが(プライバシーの問題もある)、池田名誉会長が卒論の対象になる総数は、漱石、龍之介、治、由紀夫、春樹を合わせた数を遥かに凌ぐというのは、同志間では20年前からの常識だ(日本国内に限る。世界規模に拡大したら…言うだけヤボであろう)。何でも反対の共産党や、法盗人・日顕の残敵がいくら強弁しようとも、師弟完全勝利の正義の鉄壁の陣列は、1センチたりとも誰にも突破出来ない。異体同心なれば万事を成し、異体同心なれば勝ちぬ!(尚、調べた所によれば、岸上大作は若くして睡眠薬自殺した歌人。代表作は「装甲車踏みつけて越す足裏の清(すが)しき論理に息つめている」。そして名誉会長の、6月25日付け『聖教新聞』1面、「わが友に贈る」の“定(さだ)めた「誓(ちか)い」は 断(だん)じて果たす。それが信心だ(しんじん)!それが師弟(してい)だ!共戦(きょうせん)の友に光(ひかり)あれ!”。死者に鞭打つ気はないが、一薬物中毒無名歌人と、2世紀間に渡る世界的天才詩人との実力の落差が、残酷な程ストレートに作品に示されている)。

 蒸し暑い季節だ。が、『聖教新聞』1面に毎朝掲載される、名誉会長のカラー写真を拝見させていただく度に、軽井沢の高原にワープしたような清々しい気分なるのは、我ら同志の特権だ。それだけでは日本の夏は凌ぎ難かろうとの配慮だろうか、題名だけで息あがる新著が刊行された。『愛する北海天地』(潮出版社・本体743円)だ。実は2月に発売になっていて、しかもオールカラーで80ページ近い格安本なのに、今まで買うに買えなかった。全国の広宣流布の総仕上げに励む仲間よ、いかに出版不況が深刻かを想像、惻隠の情でもって小生を眺めて欲しい。

 赤帯に白抜きの、“恩師をはぐくんだ「喜多の国」は、私の心の故郷であり、「世界の希望のモデル」である”との、シャレも交えたタタキがさわやか。創価の同志の団結力は、つい歴史的に関西強しのイメージがあるが、この言葉に北海道の友も大いに満足だろう(何しろ牧口常三郎・戸田城聖の両先生が青春を過ごした希望の地なのだ)。珠玉の随筆はもちろん素晴らしいが、間の北海の大地を“天才写”した、何葉もの名誉会長御自身の写真芸術の威力にも改めて衝撃を。そのオーラにショックを受けた、土門拳が脳溢血を起こし、篠山紀進が天然パーマを総毛立たせ、荒木経惟がインポと化し、森山大道の腰が瞬時に曲がったという伝説も、あながちオーバーとは言えまい。

 北海道の同志が更に幸せと嫉妬したのは、掲載原稿が全て地元メディアに発表されたという点。2009年1月から12月にかけて、以下の先進的媒体に掲載されたと。『室蘭民報』『十勝毎日新聞』『釧路新聞』『苫小牧民報』『函館新聞』。北海道の大地と人々は既に完全に目覚めている。これが東京ならどうか? 名誉会長が一般誌に執筆されるだけで、嫉妬まみれの愚かな批判が出る。国連平和賞の他、全世界の300近い大学、学術機構から名誉博士、名誉教授などの称号を受けた偉人が、原稿依頼されるのは当然の事だ。なぜ日本人は、同胞が世界に飛躍している現実に、かたくなに両眼を閉ざすのか?

 考えれば黒澤明監督も、最初に認めたのは海外の映画人だ。今までは底意地悪く無視していたのに、それによって豹変するマスコミ、そしてアカデミズム。残念ながら一部日本人のこういう欠点は、今も変わっていない。ただ歴史の主人公、庶民は昔からもっと遥かに聡明である。外国人に指摘される前に、多くの若き同志は名誉会長を卒論に選び、全世界での神話的評価もしっかり素直に受け止めている。弟子の勝利が師匠の勝利であり、師匠の栄光が弟子の栄光である。

 君(きみ)ぞ立て 広宣流布(こうせんるふ)の 陣頭(じんとう)に 正義(せいぎ)の大道(だいどう) 勝(か)ちまくれ
『聖教新聞』6月26日付け「我らの勝利への大道」山本伸一より。

■塩山芳明…雑誌版『記録』にて『奇書発掘』を連載。エロ漫画編集者。著書に『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』(アストラ)、『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』(共に一水社・絶版)、『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)、『東京の暴れん坊』(右文書院)がある。

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2010年6月27日 (日)

速報! 楽歩さんトークショー大成功!

 先日、お伝えした大畑楽歩さんと灘波澄子・ゆみのコーポレーション代表のトークショーは大盛況のうちに終わりました。トークの時間は30分。

「何を話すのか、全然考えていないんですよ。どうしましょ~」と、トークショーの前に笑っていた楽歩さんですが、さすがに本番には強く、緊張の様子もなく舞台で楽しそうに話していたのでした。

Photo  トークショーが始まる前は、ちらほらだったお客さんも、話し始めて10分もたつころには鈴なりに。トークショーが終わった後は、サイン本を求める人が行列をつくりました。

 どうして、こんなに人が集まるのかはわかりません。ただ、みんなが楽歩さんと話したいのは確かです。おそらく楽歩さんに会うことで、何かしらの「ギフト」をもらえるのでしょう。もちろん訪ねていった私も。

Photo_4 「障害があってもなくても、人は一人では生きられません。だから支え合っていくんです」と いうトークショーでの楽歩さんの言葉は、深く心に響きました。楽歩さんの周りの人が彼女のお手伝いすることもあり、楽歩さんが周りの人を救っていることもあり、形を変えてお互いに助け合っているのを見ているからです。

 新しい講演依頼も舞い込んだらしく、どんどん楽歩さの活躍の場が広がっています。本を出版した関係者としても、何だか嬉しいのでした!(大畑)

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2010年6月25日 (金)

大畑楽歩さん、川西市にて講演会

『三重苦楽』の著者、大畑楽歩さんが兵庫県川西市にて6月27日(日)に講演会を行います。

■詳細■

第11回つるや薬局ほほえみ健康フォーラム

とき:6月27日(日)午前11:30~

■yuminoスペシャルトークショー
大畑楽歩(「三重苦楽」著者)×灘波澄子(ゆみのコーポレーション代表)

ところ:アステ川西1Fぴいぷう広場

近郊にお住まいの方は是非!

聞きに行ってみてください。

きっと、楽歩さんからパワーがたくさん貰えますよ!

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2010年6月24日 (木)

ロシアの横暴/第42回 治療受けるのも命がけ(2)

 ソ連時代は女性医師の方が多かった。女性も男性と肩をならべて学び働く、というソ連のウリを女性医師たちが体現していたのは事実である。
 ソ連時代の医師の勤務時間は1日4時間、一般労働者8時間の半分である。給与も一般労働者と大きくは変わらない。もっとも勤務が4時間だから割高感はある。だから自分の娘の給与が安くても気にならない裕福な親たち、工場責任者とか、役所の要職にある者などは女の子を医学部に入れようとしたものである。医者になれば勤務時間が短くてラクな上に医療事故を起こしても責任を問われることはない、という特権がつくからだ。

 こんな話がある。
 ある医師が薬を処方した。ソ連では院外処方だから外の薬局に行って買う(薬はなぜか有料だった)。処方箋を見た薬剤師が「この薬を処方通りに飲んだら死んでしまう。これは明らかに医師の書き間違い」と適正な量を出した。しかし処方した医師に対してコメントはしなかった。医師の方が立場が強いからだ。医師が一度書いたものは絶対に間違いない、と逆襲され、下手をすると薬剤師の仕事を取り上げられるかもしれないからだ。こういう場合は闇から闇に葬っておく方が賢明である。
 これをもし処方通りに出して患者が死亡して問題がおこれば「薬剤師の注意不足」となって罪をかぶらされる。医師は患者と向き合っているときは緊張状態にあるから、間違えて処方することはあり得る、というわけだ。医師の勤務時間が4時間と決められていたのも「緊張状態が続く職業」からの発想である。

 もちろん、実力があってほんとうに医者になりたくてなった者もたくさんいる。裕福な家庭の子供が将来の権威と安定、ラクを求めて医学部に進むのも可能だが、一般家庭の子供でも学力が高ければ医学部に入ることができたのは無償教育最大のプラスポイントである。実力があれば誰でも上級のエリート校に入学できた。そんな「黄金時代」はスターリンがいたころだと言われている。現在のような混乱の時代によくある懐古趣味の感も否めないが。
 スターリンが死去するとお決まりの「スターリン批判」が始まりいろいろな改革がなされた。真の意味でのソ連の誇り、教育の機会均等はだんだんと薄れ、最後には「医学部に行くのは頭が軽くて、ケツの重いヤツ。なぜかっていうと6年間も教室に座っていられるからさ」と言われるようになった。これは医学部に行くのは大半が裕福な家庭の、どちらかといえばあまり学力の高くない女性が多かったことを揶揄している。女性差別かもしれないが、的をえている。
 時代は流れて、ソ連は分解してロシアとなり、核と資源大国の強みを活かしてサミットだのG7だのに名前を連ねるようになった。いわゆる先進国と認められるには、男女平等度合いがチェックポイントとなっているから、女性の社会進出、とくに医者や研究者に女性が多かったロシアはここで大いに点数を稼いだものと思われる。

 実態の伴わない女性の社会進出、つまりラクに働いて権威を得られるから医学部に行くというものの考え方は自由ロシアになって一段と磨きがかかることになった。
 最近聞いた呆れた話がある。ロシアには医学専門学校というのがあって、これは日本の看護学校にあたる。ここに入学した女性は、ほとんど通学せず家でごろごろしている。試験の時期になったら試験料と言う名の賄賂をはらって進級する。そうやって数年後にはまさしく金で買った看護師資格をもって社会に出て行く。まともな勉強はしていないから、看護師といいながら腎臓がどこにあるかも知らない。これは医学部も同じで唯一の違いは医学部の方が「試験料」が高いことだけだ。こういった状況は程度の差こそあれロシア全体、あるいは旧ソ連構成国全体に蔓延している。
  こんな恐ろしい話もある。8ヶ月の妊婦が「胎児死亡」の診断を下され、入院した。胎児が死亡したら出さなければならない。人工陣痛を起こさせて母体から出したら胎児は生きていた。8ヶ月なら保育器などで充分生きられるが、「胎児死亡」と診断した手前、生きてました、とは言わずそのまま放置して死ぬのを待ち、死んでから産婦に手渡された。いくら弱くても産声ぐらいはあるのだからその時点で生きていることがわかったが、産婦も家族も隔離されて、生きている子供には会えなかった。「おなかの中にいても近々死んだ」がこの診断である。腎臓のあり場所もわからないレベルだから胎児が生きているかどうかも診断できないのだ。
 何でも金で解決できる自由なロシアの医療事情はこんなところにまできてしまっている。

 自由主義体制になったからかつての西側よろしく有料の診療所が出てきた。もちろん昔ながらの無料診療所もある。金持ちは有料へ、貧乏人は無料へ。しかし、両者の違いといえば診療所が清潔なことぐらいで医療レベルに大差はない。だから最近の富裕層は病気になったら迷わず外国に行く。富裕層の大半はソ連末期、ペレストロイカ以降の医学部事情をよく知っているからだ。

 一つだけ断っておけばソ連、特にスターリン時代の医学レベルは宇宙開発研究同様、高かった。それをロシアは後世に正しく引き継がなかった。国民の福祉よりも大事なことがあったものと思われる。(川上なつ)

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2010年6月22日 (火)

Brendaがゆく!/お金持ちの健康と労働について2

ポーランドに越す前は海外生活で体調悪化なんてことになるのではないかと思ってとても心配だった。
しかし、ポーランドに引っ越してから、唯一飲んでいたビオフェルミンさえ必要の無い日々に。

一言で言えばそんなものが必要なくなっただけ。

もちろんいろいろなストレスはあるけれど、とにかく何かが違う。

フランスに越してからなんてもっとストレスがある。
しかし、それでも、それが健康を害するような状態に至らないし、労働の仕方とか考え方とかが違うので、自分を滅ぼすに至らないということ。

しかし、このようなことを周りの人(直接の友達)には深く説明もしない
正直に言って、私の日本の友達は、30代で危険な病気を患うだろう人が幾人かいるが。
止めても無駄なので言わない。なぜなら日本で働く限り避けられない状況であったりもする。
特に、エリートの世界にそういう悲しい矛盾が存在している。
貯金は数千万はないと安心できないと言う若い彼ら。
でも!健康は今のところはしょうがないと思っている。
みんなそう。しかし、気がついた時にはもう遅いでしょう。。。

それでいつかは、日本を抜け出したいと、私を見ると言う人もいるけど。
もうその時に彼らは終わってるじゃないかと。。。せいぜい40代半ばで脱出できたとしても、微妙に何か患いながら暮らすのか。

いつも日本の現状なんか聞く度に、どこの国にもそれぞれの状況があると思うので批判とかはしないんだけど、なんか歯がゆいね。

ポーランドもめちゃくちゃ歯がゆいって言えばそうなんだけど、「結果君たちは勝ち組かもね」みたいな感じの見解でも見れる国なんだあそこは。

事実、フランス人とかドイツ人がポーランド人を馬鹿にしても、日本人の私から見ると彼らの方が滑稽に見えたりもするし。

しかし、日本に関してはなんかな、、、別に私はいいんだけど、でもねーって感じかしら。
お金に関してはどこまでも日本人とユダヤ人が勝ち組だと思うけどね。

でも、ほら、

お金ってどう使うかの方が重要だからさ!

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2010年6月21日 (月)

Brendaがゆく!/お金持ちの健康と労働について

貧乏暇なしもとても貧しいけれど

お金持ちの暇なしも貧しい

今フランスで生活してそれを痛感する

ポーランドでは、貧乏暇ありの人がたくさんいる

もちろんポーランドのお金持ちは時間と別荘がある。
それでも、ポーランドではみんな忙しい、忙しいと言っているけれど。

日本の友達の数人はなんてかわいそうなお金持ちなんだろうと思う。
日本の友達には、ぜったいに直接は言わないけれど・・・

彼らは、自分たちの生活は結構イケテルと思いながらも身体を壊しているし、日常的に何かと薬を飲む。風邪薬であれ、頭痛薬であれ、睡眠薬であれ、なんであれ、でもこれは健康ではないし、実は豊かではない。

しかし、私はそれが日本の暮らし方だと知っているので心から応援している。
だって、私のように日本から脱出してしかもその生活のなかで外国人としての成功を収めない限り、日本に住むしかないからね。

ところで私も日本に住んでいたときは、(薬)ビオフェルミンが手放せなかった。
って、ビオフェルミンって、良い薬の方にはいると思うけど。
とにかく過敏性腸症候群的症状もあったし。
それで腸炎になって入院までしたからね。
まあ自慢じゃないけど私は気付くのが早いのでこれくらいの状態ですんで重い病気にはならないですけど。

別に、大学院を出ていてもいなくても、バイリンガルであっても無くても、何も特技が無くても
健康に関して最高の知識を持っていることは、人間にとって一番必要な知性だと私は思う。

だから、私はこの点で、今の自分はとても知的だと思う。
何を失っても人間はゼロからだって生きていける力を持っていると思う。
しかし、健康は失うことだけは避けたい。

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2010年6月20日 (日)

『小金井駅は宇都宮線だもん』10回目

以前このコーナーで紹介した

『小金井駅は宇都宮線だもん』

「第10回目」が出版されました!

2080

今回のテーマは「酒とともに」。

「刀持ってない、給料安いくせに酒ばっかり飲む、もてない、もててもネガティブだからすぐふられてしまう、成長期をとっくに過ぎてるのに大飯喰らい。しかも酒も飲むから燃費悪い」がモットーの「サムりゃい」精神が息づく本誌にとって、ストレートすぎるテーマです!

酒におぼれたうちの一人ということで、私も寄稿させて頂いております(宣伝)。

そのほか連載もいつものようにもりもり。

ワールドカップ間近に書かれた記事ということで、スポーツ関連が大いに盛り上がっています。

個人的にツボだったのは「河田式文化コーナー」。

同年代が持つささやかな連帯感を、笑いが実証してくれる。

孤独ではないことを教えてくれるような記事です。(奥山)

(■「小金井は宇都宮線だもん 10回目」64P 300円/A5判/タコシェ、模索舎、イレギュラー リズム アサイラム、ガケ書房にて発売中)

 

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2010年6月19日 (土)

ロシアの横暴/第41回 治療受けるのも命がけ(1)

 人間はいくらかの虫食い情報から思いこむ動物である。
 数十年前、ソ連がまだ鉄のカーテンに覆われていたころのことである。よく見えないけど人工衛星などを飛ばしたりしているからにはきっとすごい国なんだろう、とソ連が大好きという人間はもちろん、ソ連は嫌いだ、いやだ、自由がない、と言う人までがそう思いこんでいた。
 実際の国力は社会福祉をはじめとする国民の生活の豊かさにあるから、日本のように社会保険なら1割、それ以外なら3割負担、出産は病気ではないから自費など、それ相応の医療費負担をしなければならない(それでも現在の日本の社会福祉よりはずっと豊かだった)国にいては「医療費はすべて無償!」と聞けば、医療水準の内容など考えもせず、羨望のまなざしを注いでいたものだ。
 1970年代にソ連を旅行すると「へぇー日本から!」と大いに珍しがられたものである。国境関連職員など、お役所を除けば人々は素朴で暖かく、そのことだけでも何だかいい国のような気がしてくるような時代だった。日本人だというので集まってくる人々は興味津々、当然質問責めが始まる。ロシア文学にもしばしば登場するように、たいていのロシア人は知りたがりやである。
「日本では病気になったらお金がかかるんだって?」
「出産もかかるの?」
「いくら?」

 これらの質問に答えると皆一様にため息をついたり、顔を見合わせたりする。医療費の額といっても円をドルに換算したもので、当時のソ連の通貨レベルや生活水準から見れば1000ドルは天文学的な数字に近かった。(当時は1ドルが230円ぐらいだったから日本人にとっても大金ではあったが)そこで出産費用が1000ドル近い、と聞くとだれもが呆れ果てるのだ。ため息のあとはもう一度顔を見合わせて「信じられない、俺たちのところじゃ全部無料だよね」と確認しあうのがパターンである。

 質問責めにしてくる人々のことを「西側から来た外国人にはこう質問してソ連の優位性を見せよ」と国民総プロパガンダ要員、とする向きもあったがこれは考え過ぎである。あまりにも質問が似通っているので、そう思うのも無理はないが、ごく一部のエリート層を除く庶民は本気で医療費有料の資本主義国家国民を憐れんでいたのだ。彼らは外国がどうなっているのか、まるで知らなかった、知らされなかったから知らなかっただけのことである。
 茶化すつもりはないが日本に来た外国人、特に欧米人に対して「ナットウは食べられますか、梅干しはどうですか」と質問するのと同じようなものである。そして「でも豆腐や納豆のほんとの味わいはわからないでしょう?」と結ぶところまで似ている。
 訊ねられる側も思いこみと誤解の上に立って答えるように、訊ねる側も自分の足下は見えない。
高社会福祉がうたい文句だったソ連無償医療は実はとんでもない様相を呈していたのだった。

 確かにソ連時代は病院や診療所に会計窓口はなかった。そのかわり、医師に直接手みやげを渡すのはごく当たり前のことで、それが「医療費」とはだれも思っていなかっただけである。手みやげは花束から始まり、病気の症状に応じてだんだんとグレードアップし、いつの間にか現金化して年収の半分ぐらいの札束が「手みやげ」になった。
 ソ連の医療費はタダという認識が世界中に流布していたのは国民が手みやげ代を勘定していなかったからとも言える。

 もっとも、日本でもそのころは大きな病気で入院・手術をする場合、治療関係者全員を丸抱えにして賄賂をはずまなければ手術が始まらない、といううわさが流れていたから大差はない。実態はともかく、日本のそれは明らかに賄賂だったのに対し、ソ連の場合は「ほんの手みやげ」であった。ちょっと人に会いに行くのに手ぶらで行くことはあり得ない。
 その反面、医療水準に国民が満足して誇りに思っていたかというとそうでもないから不思議である。外国人が有料で治療を受けている話を聞いたときだけ誇りなのである。(川上なつ)

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2010年6月18日 (金)

「あの事件を追いかけて」写真展開催!

お待たせしました!

人気連載、

「あの事件を追いかけて」と

「ホテルニュージャパン」

が、

『あの事件を追いかけて』(本体予価952円)

として7月中旬に発売されます!

巻頭カラーでは、ホテルニュージャパンの写真を掲載。

ブログでは見られない写真も続々!

廃墟ブームの前に撮られているため、貴重な写真であることは間違いありません。

さらに皆さんを涼しい世界にご案内するため…

出版記念写真展『あの事件を追いかけて』を開催します!!

日時:2010年7月14日(水)~7月19日

11:00~18:00(最終日16:00まで)

場所:北の丸tinyギャラリー

千代田区神保町3-11-1 03-3262-6889)

地図:http://kitanomaru-tinyg.sakura.ne.jp/access/index.html

事件現場の佇まいを、心ゆくまで味わってください。

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2010年6月17日 (木)

アフガン終わりなき戦場/第36回 熱と扇風機とタリバンと

 結果から言おう。今回の取材で、私は完全に失敗をした。
 2010年5月いっぱいを私はアフガニスタンで過ごした。目的はタリバンの取材だった。
 タリバンという組織は単なる武装組織という枠を超えている。現在では地方においてオーソリティ、すなわち行政の一部として機能し始めている。特に今回私が取材をした東部ニングラハル州ではパキスタンの部族地域が近いこともあり、タリバンの影響力は大きい。タリバンは地元の部族長と協議を進め、治安管理や物資供給を担当しているという。
 一種の政府と言っても過言ではない。けれど、世間一般の政府と違うところは、彼らが世界の誰からも認められていない、最も孤立した政府だということだ。会うのにはそれなりの準備が必要だった。
 タリバンの取材は近年ではあまり行われていない。06年頃から「タリバンに会わせてやる」と取材協力を外国人に持ちかけてくるアフガン人が表れ始め、ついていった記者が誘拐される事件が多発した。その多くはタリバンというよりは盗賊の類であったが、タリバン取材のリスクは飛躍的に増した。

 01年のアメリカ侵攻以降しばらく外国人記者に対して敵対行動をとっていなかった。タリバンは90年代中盤から自らをアフガニスタンを統治する政府と自称し、国際社会に求めてきた。まがりなりにも彼らは政府としての自負を持っていたのだから、タリバン政権の間、外国人記者はタリバン政府から記者証を与えられて取材をしていた。当時は1日30ドルで政府が通訳を紹介してくれて、安全の管理もしてくれたと言うのだから(もちろん取材規制はすさまじかった)、今よりも取材環境としてはずっと安定していたと言える。
 けれど、00年代中盤からは外国人記者は完全に攻撃対象になっている。記者の誘拐が多発し、犠牲になる記者は年間10人前後にもなっている。彼らが方針を変えた裏側には、自らをテロリスト扱いする外国メディアへの不信感があるのかもしれない。
 兎も角。私はタリバンへの取材をしたかった。
 昨年、私はタリバン政権時代外務大臣の地位にあったムトワキル氏を取材した。
「タリバンはアフガニスタンの一部だ。彼らを取り除くことは誰にもできない」
 アフガニスタンの一部であるならば、彼らを取材することは無駄ではないはずだ。と言うよりも、タリバンに対する取材が激変したため、アフガニスタン報道はNATO軍などに対する従軍取材に集中し、バランスが偏り始めている。どうしても取材の必要があった。
  と、大上段に構えていたのだが、見事に取材は失敗に終わった。
 結局私は誰とも会うことができず、手ぶらで帰国をした。

 まあ、言い訳が無いわけでもない。カブールの信頼するガイドの母親が病気になり、彼が来られなくなった。いざ行くぞ、とニングラハルに乗り込んでみたものの、急に40度近い熱が出て1週間近く行動不能になった。極め付けには、タリバンとの折衝役をお願いしていた地元有力者が諸事情で協力できなくなった。
 ついでに言えば、カメラにお茶をこぼしてダメにした。携帯電話が何故か使用不能になった上、それを盗まれた。三脚をどこかに忘れてきた。親戚で不幸があった。泊まっていたホテルのインターネットラインが自爆攻撃で使用不能になった。普段は平気なのだけれど、滞在期間中常に下痢に悩まされた。
 熱にうなされている間の記憶もあいまいだ。アフガニスタン東部は初夏でも暑い。気温は40度にも達しているが、私は毛布を2枚かぶりそれでもガタガタと震えていた。覚えているのは天井で回っている巨大な扇風機だ。何かのはずみでスイッチが入り、扇風機はまるでヘリコプターのローターのように轟音を立てて回転していた。
 スイッチをオフにしたいが、そこまで歩くこともできない。熱が下がって歩けるようになるまで、このボロホテルの部屋がこの扇風機と一緒に空高く舞い上がり、分解。地上200メートルから地上に叩きつけられるのだ、という譫妄に悩まされ続けた。 

 正直に言えば、あと1週間くらいは粘ることもできた。けれどここまでツいていないと、無理をした末に盗賊やらタリバンに拘束されるのでは、と弱気になったのだ。
 無神論者のくせに、吾ながら情けないと思うが、今回は迷信的にならざるを得なかった。無神論者を罰する呪いにでもかかったのかと本気で心配をした。
 帰国した後も40度近い熱を出して1週間寝込んだ。
 結果的には帰国してよかったのかもしれないが、やはり情けない。命を賭けた取材なんてやるつもりは無いけれど、今回はツキが無いからオシマイ、と帰ってくるのもあまりに根性が無い。
 しかし、思い返せば手ぶらで帰ってくるのは初めてだ。今までが出来すぎていたのかもしれない。神様なり仏様なりが「今までは運が良かっただけだ。これまでのことを実力でやってきたなどとゆめゆめ思うでない」などとノタマっているのかしらん。
 オーケー。そうかもしれない。
 余談だが、あの扇風機のぶわぁんぶわぁんという耳障りな音が今でも布団にはいると聞こえてくる。(白川徹)

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2010年6月14日 (月)

大畑楽歩さんの写真展、京都銀行・川西支店にて

『三重苦楽』の著者、大畑 楽歩さんの写真展第二弾が、京都銀行・川西支店内のギャラリーで開催されています。

一回目は行けなかった、という方

本を読んでくださって、楽歩さんの生き方をもっと知りたい、と思っている方

障害者が自身でプロデュースし、みんなの力を借りながら実現したイベントをその目で見たい、と思っている方

ぜひとも、おでかけ下さい!

■■■大畑楽歩写真展■■■

日時:2010年6月12日(土)~25日(金)

場所:京都銀行・川西支店にて(地図↓)

http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=4&pg=1&grp=kyoto_bk&ino=BA728446

会場の様子は楽歩さんのブログから↓

http://ameblo.jp/rabu-snoopy/page-2.html#main

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2010年6月13日 (日)

夫婦円満なら妻は浮気をしない?

 タイトルの質問に多くの夫はうなずくかもしれない。しかし逆に「家庭がうまくいっていれば、男性は浮気をしない」との説に全面的に賛成できる男性が、どれだけいるだろうか?
 残念ながら妻も浮気をする。連絡手段である携帯を持ち、出会いの場である職場や同窓会やネットがあれば、「妻の恋」はいとも簡単に始まる。それが円満な家庭であってもである。

「ポール(夫)は特別な人なの。人生を過ごしていく上で。
 もともと私は結婚願望なんて全然なかったの。いま結婚しているから、こんなことを言えるのかもしれないけれど、結婚せずに恋人のままだったとしても、ポールは私にとって大切な人。いっしょにいるのが楽しくて抵抗感もなかったから結婚したの。

 結婚自体は、それほど特別なものだとは思っていません。好きだったら、籍が入っていてもいなくても一緒にいるはずだし。うまくいかなくなれば、離婚するはずだから。ポールとは、籍がどうこうよりも気持ちの問題かな。 いまでもポールといると本当に幸せ。夫婦仲もいいんですよ。ちょっとした私のワガママも全部聞いてくれる。本当にやさしいの。

 家事をやってるかって? へへへ、料理はポールの担当なの。それ以外は、私が全部やってるけどね。
 もちろん浮気がバレたことなんてない。ポールは、私が浮気するなんて考えてもいないと思う。絶対に疑われてないもんね。自宅ではラブラブだし。だから、私がオールで飲んで朝帰りしても、ポールは文句を言わないの。『飲みに行くことだけは教えてね。いきなり帰ってこないと心配になるから』とは言われてるけど、信頼はされている。だからこそ、たまに思うんだけどね。
『私って、最悪かも』

 どこか放っておけない。そんな魅力にあふれた彼女を思い出し、もし自分が夫なら、彼女の浮気を見抜けるかと考えてみた。正直、とても自信がない。どこかに飛んでいきそうな危うさは常にあると思う。でも、夫のことを話すときの彼女の嬉しそうな笑顔を思い出すと、一緒に居て浮気を疑う気にならないと感じるからだ。

「私の知るかぎり、ポールは浮気していない。タイプ的にしない人。まじめだから。
 浮気して落ち込んだり私しないんですよ。そうなったら、たぶん浮気しなくなると思う。
 もちろん浮気したあとに、ポールへの対応が変わることなんかないよ、たぶん……。でも浮気したあとだと、家庭がより円満になるかもしれない」
 そう言って、彼女は微笑んだ。

結論:家庭が円満でも浮気する妻は浮気する

 彼女が実際にどんな恋をしていたのかは、「妻の恋」(アストラ)で。
 購入は→こちらから

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2010年6月12日 (土)

Brendaがゆく!/セーヌ川沿いのでのピクニック!

朝からなかなかいい感じのsmsがきて。

今日の18:30にセーヌ川沿いでピクニックするのでよかったら来ない?
というsmsが。

10年前はセーヌ川沿いでのピクニックなんて想像しただけで憧れたと思うが。

実際、あの付近は川沿いをはしる大きな道路の影響で空気が悪く、そのイメージとは随分かけ離れた環境である。

行くか行かないか迷ったがパス。

私は、充分忙しくfull dayばかりを過ごしているので、よほど目的が無い限り出かけたり、食事に行く事も無い。よほど目的がある行事にしかなるべく出かけないようにしている。

なんとなく出かけるとか、何となく誰かに会うということは・・・めったに無い。

とにかくアタクシの願いは、家で過ごしたいということなのだ。
しかし、家でゆっくりする時間は、あまりないのだけれど・・・。
何かするとしても、例えば次の旅の準備でも、こういうのもゆっくりやりたい。
急ぎでするんじゃなくて、ある程度楽しみながら。

この間などは、体調に不安があったので、荷物もできてないまま、救急病院にかけこんで、それから急いで家に帰って荷物つくってタクシー拾って空港へGO!だったし。。。涙

今はピアノの練習をたくさんしているからという訳ではなく、普段から、できれば、なるべく出かけないようにしている。

しかし、パラドックスは、このようなアタクシがとにかく忙しく、パリだけではなくいろいろな場所に出かけまくっていることだ。

自分から望んだ結果ではなくそうなったことがほとんど。

アタクシは自分から物事を計画するのが好きではないのでいつも波に乗って生きている。

今の望みは、とにかくバカンスが必要。
パリではないところに座っていたい。
緑の庭で、何か冷たいアルコールを飲みながら、バーベキューがしたい。

ビーチは好きではないので。

でも、もうすぐ旅againで、南フランスに行く予定(でもどこに行くかは知らない!)
コンサートで行く場合はいつもこんな感じ。
北か南か山か海辺かぐらいしかわからっていない。
でも、楽しみだ!!!

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2010年6月11日 (金)

大畑楽歩さんのブログから/私…障害者は苦手です。。。

ずいぶんと挑戦的なタイトルじゃないの、と思われることでしょう!

「障害者のクセに障害者が苦手」。。。

こんな障害者は珍しいと思います。

あなた何様?とお叱りを受けるかもしれません。

でも、私はこれまで、接してきた障害者の方はみな

往々にして… 「社会に対して被害者意識が強く、

障害者は何も悪くないのに、差別する健常者に

問題がある。国が社会が悪い…」 と、わめき

差別する側にのみ、環境や人に問題を押しつける…

私は自分もおもいっきり障害がある人間の側だからこそ、

この甘え心を大目に見ることができないのです。

断じて目をつぶるわけにはいかない。

それを許すというのは、『24時間テレビ』の安っぽい同情に

感動するのと同じぐらい障害者をバカにすることだから…

まがりなりにも障害者として生きてきた私のプライドが許さない。

この(楽歩さんの)ブログをこよなく愛して下さっている皆様には

今更…説明するまでもありませんが、

私が“脳性まひ児”で、“障害”という運命を背負って

生きてきたという障害者ストーリーのみならず、

朝から晩まで、義務教育もけっちらかして

ひたすら健常者になるために、オリンピック選手なみの…

と言えば随分カッコイイけれど、トドのつまりが

開けても暮れてもリハビリに励んできた。。。

という特殊な体験故に?!

障害者らしくない、でも見た目は思いっきり“障害者”という

今の私の一端を作り出したのだと思います…

若干7歳の少女が、学校も行かず、友達とも遊べず、

ただ障害を克服するのがあなたの仕事だと言われ、

冬場は未だ夜が明けていない5時半から起床し

延々、黙々とこなし続けて、夕暮れがせまっても、

まだ運動プログラムは消化できていない…という過酷な毎日の中、

幼心に、どれだけ運動したって、血がにじむようなトレーニングに

耐えても、脳性まひがきれいさっぱり治るなんて、あり得ない…と

確証しつつも、親の期待に逆らい切れず、特殊な幼少期を

歩んできた私は、幼少の頃から真剣に

“生きる”とは何なのか?

“健常者”だったならば幸せなのか?

“障害者”はなぜ卑屈に生きなければ叩かれるのか?

親や世間から発せられる様々な矛盾と戦って「私」という

人格が形成されてきたのだと思います。

健常者と障害者… いくら同じ人間だと言ったって、

生活環境が違えば理解しきれない部分も

当然生じてくるもんです。

ましてや障害者と呼ばれる人間に、

多くの健常者の人たちは、「障害者」という言葉は

知っていても実際に、(遠巻きにでも)見たり、触れ合ったことなど

ない人がほとんどなんだから、理解できなくて当然

たまに、見かけたら、そんなに悪気はなくてもジロッと見てしまう

ことだってあるはず

見てもらわないと、観察できないし、観察してもらわないと

違いがわからない。違いがわかって、はじめて同じ部分が

見つけられるんですから

その為に、障害者と健常者の接する機会が増え、

距離が近づくことは非常に嬉しいことではあるのですが…

これで、スカッと解決に、至らないのが、

今の日本の現実なんです

障害を抱えて生きていく以上、障害に応じて、他人さまの手を

借りなければ生きてはいけません。

所詮、人間なんて五体満足であっても一人じゃ生きていけないの

だから、障害者に限ったことではない…とスネてみたところで

日常的に他人さまの手を煩わすのは“障害者”なんですから

重度も軽度も大差ありません

しかし、やってもらわなければならないから、

卑屈になることもなければ、大人びた行動を振舞ってはいけないという

ことではないんです。

障害の克服に励むことも大事ですが、もっとも障害者が磨かなければ

ならないスキルは、社会性を身につけること

そうしなければ、

(悪意はなくとも)介助者のなすがままになってしまいますし、

ノーマライゼーション社会を目指すには、先ほども言ったように

健常者と障害者の距離が縮まなくては実現不可能だと

思いますが、今の現状だと、距離が近くなって困るのは

現状に甘えて努力を怠っている障害者側なのでは?と思っちゃうほどです。

自分も障害者なのに“障害者”は苦手だと、一種の“近親憎悪”に

近い状態で生きてき、障害者問題を見てみぬフリして生きてきた

紛れもない障害者≪脳性まひ者≫一種一級のワタクシ。。。

出版を機に毎日、様々な障害者の方から人生相談を受ける中、

同じ障害者として、この問題を他人事にしていてはならない

いま、私の中で新たな戦いが始まろうとしています。

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2010年6月10日 (木)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第76回 寿司屋を開く夢破れて/沼田雅美さん(年齢不詳)

 生まれは東京・品川。歳がいくつかは、ちょっと勘弁してよ。
 オヤジはヤクザだった。組の名前は忘れたけど、関東一円を仕切っている大きな組だったようだ。オヤジはその組でいい顔だったらしい。ただ、オレが小学校に上がるころには、もう足を洗ってカタギになってたけどね。
 カタギになったオヤジがしたのは、汚穢船の船長。屎尿でいっぱいの船を、目黒川から海に出て伊豆大島の沖合まで捨てにいくんだ。途中で浦賀に泊まって、2日がかりの仕事だった。オレも手伝いで幾度か乗せられたけど、屎尿を捨てると辺り一面の海が真っ黄色に染まったからね。そんなことが許されていた時代さ。

 中学校を卒業して、オレも働きに出た。目黒のバネ工場とか、芝浦の倉庫とかで働いた。20歳前くらいのときだったと思うけど、「自分の脚で歩くと、どのくらいまで行けるんだろう」と思ってね。それで品川の家から1国(国道1号線)をテクテクと歩いてみた。横浜駅の東口まで行ったよ。そこでくたびれて歩くのをやめたんだ。
 その駅前にパチンコ屋があって、そこに「従業員募集」の貼り紙があったから飛び込んでいったら、すぐに雇ってくれた。その日から住み込みでパチンコ屋の店員だよ。
そして寿司職人に
 そのパチンコ屋にいたのは2ヵ月間。従業員の1人に大阪出身の男がいて、そいつが大阪に帰ることになって、オレを誘うからついていったんだ。その友だちの実家は寿司屋をやっていて、友だちといっしょに店に出て働くことになった。

 よく寿司職人の修業はきびしいっていうだろう。上(の人間)は「見て覚えろ」と言うだけで誰も教えてくれないとか、来る日も来る日もオカラを握らされたとかね。だけど、オレの場合はきびしい修業はなかった。店のオヤジさんが友だちの父親だったし、その友だちもいっしょに働いているわけだからね。すぐに握らせてもらえたよ。
 寿司を握るっていうのは、要領というかコツなんだよ。左手にネタを持って、右手でシャリを取る。そのときいつも決まった量のシャリを取って形にするのが、ちょっとむずかしいくらい。その要領さえ掴んでしまえば、あとは誰でも握れるよ。
 そこで働いているうちに、京都にも支店を出すことになってね。友だちとオレのふたりが任されることになって、京都の四条のほうに移った。それから10年以上も京都で寿司を握っていたんだ。

 結婚はしなかった。酒が好きだったからね。寿司を握っていると客から勧められるだろう。どうしても断れないからね。2升(3.6リットル)くらいの日本酒は平気で飲んだ。女遊びが好きだったわけじゃないし、ギャンブルもあまりしなかったしね。酒ばかり飲んでいたんだな。それとね。夢があった。いつか東京に戻って、自分の店を持つ夢。そのためにカネを蓄めていたから、結婚どころじゃなかったんだ。
 カネは蓄まったよ。京都っていう町は不思議な町でね。値段を高くすれば高くするほど客が入る。東京とも、大阪とも違う独特の町なんだよね。それに関西の寿司屋には「開店のスケ」という風習があった。新装開店の寿司屋に助っ人の応援をたのまれるんだ。この心付けが日当で3万円。当時の3万円はちょっとしたもんだったからね。だから、オレの羽振りもよかったし、カネも蓄まった。

 30歳をすぎてから、例の友だちと2人で東京に戻ってきた。2人でカネを出しあって、自分たちの寿司屋を始めるつもりだった。
 ところが、思わぬ横槍が入ったんだ。オレの兄貴さ。この兄貴はオヤジと同じヤクザをやっていてね。「オレが店の開店資金を出してやるから、オレを経営者にしろ」ってきかないんだ。だけど、ヤクザなんかをオーナーにしたら、どんなに掠め取られるかしれないだろう。かといって、それを断って開店したら、こんどは若い衆でも使って嫌がらせをされるに決まっているしね。
 東京に店を出しても、どの道うまくいかないことになって、友だちは関西に帰ってしまうし、店はあきらめるしかなかった。そのショックは相当なもんだったね。一度自分の店を持つ夢を見ちゃったからさ。もう、よそ様の店に行って、「使ってくれ」とは頼めないしね。人に使われて一からやり直す気力はなくなっていたんだ。

 しばらくブラブラしていると、中学校の同級生でペンキ屋をしているのがいてね。そいつが声をかけてくれてペンキ職人に代わった。新築の住宅とかビルのペンキ塗りが仕事。でも、それもバブル(経済)が弾けるまでだった。ペンキ職人っていうのは大工から仕事を回してもらうんだけど、バブルが弾けたのを境に、その大工がどんどん廃業していってね。それで仕事が回ってこなくなって、アパート代も払えないからホームレスになるしかなかったんだ。

 はじめは大森の駅のそばにテントを張って、そこで寝泊りするようになった。あそこは競艇場が近いから、その帰りのサラリーマンなんかが酒を差し入れてくれたり、なかには泊まっていくのもいたりして、なかなか面白かった。コンビニやスーパーが出す賞味期限切れの弁当なんかも手に入りやすかったしね。
 新宿に移ったのは3ヵ月前。とくに理由はないよ。ただ、こっちは弁当の入手がむずかしいのと、シラミ持ちのホームレスが多いっていうからね。そんなのをうつされたら大変だ。新宿にいてもあまりいいことがないようなら、また大森か大井町のほうに戻ろうかとも思っているんだ。(2003年1月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2010年6月 8日 (火)

靖国神社/36回 映画『靖国』を鑑賞した〈2008年4月取材〉

 少し前に話題になった映画『靖国 YASUKUNI』を見てきた。
 国会議員が試写会という名の検閲を求めたり、続々と上映中止が決まったりと、公開前から大フィーバーしていた作品である。
 『靖国』が日本で公開されるという情報を得てから、公開日まで指折り数えて待っていたのに、上映中止が相次ぎ見るのは夢のまた夢かと思っていた矢先、渋谷のシネアミューズという映画館で公開しているという情報をつかみさっそく「特攻」してきた。
眠るSP、対面状態の警備員
 映画館はビルの4階にあり、看板はあるものの分かりづらい。

 ビルに近づいていくと入口付近に警備員が立っていて、危険人物を敷地内にいれないという意志が感じられた。熱意が伝わります。でもそれなら1人ではなくもう2、3人増やして欲しかった。ネタになるし。
 劇場に入り、辺りを見回すと中年以上の観客が多く、座席も8割がた埋まっていた。やはり見るなら最前列と思って前へ行くと席の上には「関係者席」の貼り紙が。スクリーン横にはガードマンが1人。映画が始まると観客と向き合うようにして座った。
 始まる直前に黒いスーツに身を包んだSPがやってくる。本当に厳重にしていると感心していたら、彼は始まってすぐに寝た。仕事しろ。中盤に差し掛かるころには寝息まで聞こえてきて素敵なBGMになっていた。
 行く前から気になっていた右翼や左翼の活動家たちだが、残念ながらいなかった。がっかりである。8月15日だけではなく、なんでもない休日にも彼らに出張って欲しかったよ。バラエティジャパンによると興行収入が1000万円を超えたそうで、さらに各地で続々と公開が始まっている。

 今こそさらなる抗議活動を……と書くとあらぬ誤解を受けそうなので扇動するようなことは書かないが、この『靖国』を巡る騒動に関しては首を傾げたくなる。
 人は騒がれれば騒がれるほど気になり関心を持ち、関心を持ったら見たくなる。騒いでいる人間は、「映画が偏ったメッセージを送っている」だとか言っているが、私自身はメッセージは受けとらなかった。
 そもそも映画なんだから、メッセージ性があってもいいんじゃないだろうか。いずれにせよ文句をいう奴は言うんだし、だからといって垂れ流しのようなものを作ったら作ったで、「日本人の誇りを弄んだ」とかいうのだろう。
 議論だけが先走り、当の受け手側は置いてけぼりになっていたが、実際に見た感想は、「何じゃこりゃあ!」。松田優作降臨。
 よくできたドキュメンタリーで、騒いでる人はなんでかな? というくらい普通。深夜に放送しているような類のドキュメンタリーに近いし、8月15日の映像では当時のことを思い出し微妙な気分にもなれた。どうしてこれで騒いだのか理解に苦しむ、というのが本音だ。

 細かに見ていくと、首を傾げたくなる部分がちらほら。というわけで、お待ちかねのハイパーツッコミタイムをはじめたい。
 まずこの映画の主題である「刀」。ご神体が日本刀なんて聞いたことない。初耳。パンフレットには、「昭和8年から終戦まで12年の間、靖国刀と呼ばれる8100振りの軍刀が靖国神社の境内において作られた。(中略)246万6千余柱の軍人の魂が移された一振の刀が靖国神社のご神体である」とあるが、靖国側は「ご神体は神剣と神鏡」といっている。しかし、2008年4月2日付けの朝日新聞夕刊に出ていた映画の広告の解説を見ると、「ご神体は刀と鏡」と書いてあった。パンフレットの印刷が先か、新聞の広告が先かはわからないが統一してほしい。それと鏡のこともきちんと明記してほしい。

 次に、監督は「10年にわたって取材を続けてきた」といっているが、映像を見る限りでは同意しかねる。
 後半に出てくる国民の集いの映像で看板が映っていたが、そこには「戦後60年国民の集い」と書かれていた。戦後60年といえば2005年8月15日。私が24時間取材をした年である。
 ちなみに靖国側が製作をした龍影に送った資料に書いてあったのだが、撮影許可の申請は2005年8月15日、2005年10月17日、2006年8月15日の3回。これらを総合して推測すると、たぶん劇中に出てくる靖国騒乱はこの2年分だけだと思われる。
 だとすると、残りの8年はどこへ行ったのだろうか。空白の8年ということだろうか。ぜひ知りたいものだ。 ところでこの映画の靖国そのものに関する映像は「8月15日」の様子が8割を占める。

 たしかに、参道の集会や参拝に来る右翼、抗議をする左翼を映すのは、終戦の日(英霊の日)の風物詩でわかりやすい。それに加え、合祀の取り下げを求めて抗議をする場面も映しているのだから、本殿に祀られていない人や世界の紛争で亡くなった人の御霊を鎮めている鎮霊社も映してほしかった。あの施設こそどうかとは思わないのだろうか。8月15日の靖国の状態もよいが、鎮霊社の存在こそいろいろな人に知ってもらいたい。
 全体的にカメラアングルが近く、人々の興奮や息づかいが嫌でも伝わってくる。酔ってしまいそうな映像の中、監督は頑張った。撮影相手ともめてテープやカメラを奪われたこともあったそうだ。確かに毛穴が見えそうなほどのズーム、密着率の高そうなアングル。止めてと言われても止めないカメラ回し。私が到着伝殿で張り込みをしていたとき、本殿付近でどんなことが起こっていたのかがわかったことは評価したい。

 8月15日が靖国イベントのクライマックスだとしたらこれほどおもしろい日はない。だからこそ監督は、8月15日にこだわり続け取材をしてきたのだろう。私自身も、この日は普段は見かけることのない人がたくさんくるので取材が楽しい。
 しかし、映画を通して「靖国」とは何かを問いかけたいのであれば、その日だけにこだわらず例大祭、みたままつり、そして何もないただの平日も映すべきではないだろうか。混沌と混乱にまみれた特別な日に日本人が騒ぐのは当然だ。
 靖国ブームが来る前、来たあとの「何もないただの日」にこそ「日本人の靖国に対する思い」が見えるのではないだろうか。8月15日に騒いでいるような人は来ていない。純粋に慰霊をしにきている人だけだから。これが7年取材をしてきた私の素直な感想である。(奥津裕美)

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2010年6月 7日 (月)

●ホームレス自らを語る 第75回 死の彷徨の果てに(前編)/金武修さん(仮名・44歳)

1006  金武修さん(仮名・44歳)は沖縄本島の南部の村で生まれ育った。男ばかり6人兄弟の家は、赤貧洗うが如しの状態だったという。
「父親が朝から酒浸りで、まったく働かない人でしたからね。代わって、母親が土方仕事に出て家計を支えていましたが、これ以上ない貧乏な生活でした。オレは6人兄弟の上から4番目でしたが、着るものは上着から下着まで全部オサガリでした。新品が買ってもらえるのは長男だけで、6番目の弟は悲惨でしたね(笑)。正月になると、子どもたちが親戚からお年玉をもらうでしょう。でも、その全額を母親に回収されて、家の生活費に回されていましたからね」
 それでも生活保護を受けるまでには至らなかった。貧窮の度合いがギリギリまで達すると、何となく親戚が助けてくれたのだそうだ。血脈の濃い沖縄ならではのことだろう。それに兄弟全員が高校までやってもらった。母親の精一杯の矜持ではなかったかという。
「高校を卒業したのが1983年でしたけど、沖縄は就職難でしてね。1年間の就職浪人の期間があって、米国資本のジュース工場に雇われて働くようになりました。1年で就職できたのは、いいほうだったですよ。工場のラインに入って、製品検査をするのが仕事でした。その工場は2年で辞めます。友人が軽貨物便の会社を始めることになって、その運転手に誘われたからです」
 だが、待てど暮らせど、友人の会社は発足しなかった。業を煮やした金武さんは、別の仕事に就いてしまう。飲食店にオシボリを配達して回る運転手の仕事である。ところが、この仕事が彼のその後の人生をを狂わす凶事を招くことになるのだ。
「オレがあまりにも世間知らずだったんですよね。親しくなった運転手の仲間から、サラ金から金を借りたいから保証人になってくれとたのまれ、深く考えないで『いいよ』って二つ返事でOKしてしまったんです。すると彼は3つのサラ金から150万円の金を引き出して、そのままトンコ(逃走)です。その借金の督促がオレのほうに回ってきて、支払わされるハメになりました」
 金武さんはひどい人間不信に陥り、人づき合いの悪い陰鬱な性格に変わってしまったと語る。決して高級とはいえない運転手の給料から、自分には責務のない金が毎月引き落とされていくのである。やり場のない憤りに、性格も変わろうというものである。
「兄の一人が、オレの落ち込み方のひどいのを見かねて、内地への逃走の手筈を整えてくれましてね。それで密かに沖縄からの逃走を図るんです」
金武さんが29歳のときのことだ。

 金武さんが逃走した先は神奈川県である。そこで某自動車メーカーの孫請け企業に雇われる。そのときバブル経済崩壊から数年後のことで、バブル時代の不動産への放漫融資のツケが表面化して、いわゆる平成不況といわれる出口の見えない長期不況に突入していた頃だ。
「だから、その孫請け企業の募集も就業期間半年間の季節工で、しかも経験者だけという条件つきでした。オレの場合はジュース工場で働いていたときに、フォークリフトの運転経験があって、それで採用されたんです」
 まじめな性格で仕事熱心な金武さんは、職場の上司たちからも働きぶりが認められた。それで就業期限の切れる半年後に、さらに半年間の期間延長を打診される。金武さんのほうに異論のあろうはずがない。その半年後には準社員に登用され、結局、この企業で39歳の年まで働くことになる。
 最近は沖縄出身の人にもスマートな人が多くなったが、金武さんもそんな一人だ。細身の身体は華奢なくらいで、顔はハンサムな醤油顔である。この自動車メーカーの孫請け企業時代に、同じ季節工で働いていた女性と恋仲になる。
「それで彼女と同棲を始めました。オレには結婚する気がなくて、それでもいいかと聞くくと、『それでもいい』と言うんで同棲しました。季節工での採用から準社員への登用とか、彼女との同棲とかもあって、内地に来てからの2、3年が、オレの人生で一番よかったときでしょうね」
 その順風満帆だった人生に翳りが見えるよになったのは、内地に来て3年目くらいのときだ。金武さんが彼女と同棲していたアパートが、サラ金業者のネットワークに探しあてられてしまったのだ。
「また、知人のつくった借金を毎月返済する生活が始まりました。しかも、3年近く返済を放ってあったから、金利が上乗せされて、以前の倍近い金額の返済になっていました」
 それでもまじめで几帳面な金武さんは、サラ金業者の指定する金額を毎月コツコツと払いつづけた。そのうちに奇妙な現象というか、奇妙な感覚が金武さんを襲うようになる。
「毎月毎月、指定された金額を支払うことに、快感を感じるようになっていたんです。とくに残業代などが多く支給された月には、指定された金額より多く支払ったりして、何ともいえない快感、エクスタシーに近いものを感じるようになっていました。借金返済の原因をつくった知人のことは、以前は憎くて憎くて仕方なかったんですが、その頃にはすっかり許せるようになっていましたね」
 その奇妙な快感は、借金を返済し残高が減っていくたびにエスカレートしていた。そして、金武さんが39歳のときに借金は完済する。これで借金返済地獄も終わり、ホッと安堵の胸を撫でおろすところだが、彼の場合はそうはならなかった。
 それどころか、同棲していた女性との問題や、職場での問題が、借金完済の問題に輻輳して絡まり、彼はさらに激しい地獄の責め苦を味わうことになるのだ。 (この項つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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2010年6月 6日 (日)

大河連載第11回 池田大作より他に神はなし/本当は各惑星の一流大学から、数千数万の名誉博士号を池田名誉会長は既に授かっているのかも知れない。各地で目撃されるUFOはその使者なのだ。それを米国CIAと結託した邪教集団、日顕一派が卑怯にも…!!

 当初は出版社の売らんかなの商業主義や、賞に名を冠された文学者の、厚顔低能遺族の名誉&金銭欲が不快な文学賞も、与えたド田舎出の新人の成長と共に(10人に1人くらいはまぐれで売れっ子に成長、業界のボスに)、自然と権威を帯びて行く。無論ほとんどの文学賞は、受賞新人の9割がそうであるように、遺族の生臭い野望にもかかわらず、冠作家が死後あっという間に読まれなくなる結果、賞の基金も即枯渇して消滅(馬鹿息子&娘が館長を勤める、税金で建てた記念文学館も閉館)。すがすがしい。

 言葉も同じ。<公明正大>。60年代、子供心にも嘘っぽい言葉と。成長すれば、理想を説いたのだと納得するが、世の中の矛盾に気付き始めたばかりのガキには、言葉の機微は理解出来ない。だがはな垂れ小僧にも、次第に単なる理想を語ったのではなく、同名の実践してる人々が所属する政党が実存すると知り、自然と日本語の意味合いの置き換えがなされる。<公明党>。無論同党が、戦後政党史におき傑出した存在なのは言を待たない。だがそれ以上に、息絶え絶えだった空疎な日本語を、理想と理論と行動を通じて甦らせた、文化的意味合いも含む前衛政党だと理解しないと、指針を与えていただいた池田名誉会長に申し訳が立たない。

 例えば今、公明正大を辞書で引くと、”心が公明で堂堂としている様子”(三省堂版『新明解国語辞典』)とあるが、実に極端なイデオロギー交じりの解釈だ。息づく日本語に対する冒涜でさえある。なぜ正しく端的に、”心に池田名誉会長の教えを刻み込んだ美しき人々が堂堂としている様子”と記せない?この犯罪行為は三省堂に限らない。全国の弟子は愛用の辞書をチェック、滅びた解釈のみを掲載、良しとしている各版元の怠慢を糾弾する運動を開始すべきだ。無論、敗北の日顕一派の残敵や、何でも反対の共産党が陰でうごめいてる可能性もあるので、細心の用心を忘れる事なく。

 新聞・出版・テレビ・ラジオ他の、旧来のいわゆるマスコミの衰退が叫ばれて久しい。特に新聞は、20代の若者間では、購読してるといじめられるといのは冗談としても、マジで変人奇人扱いされると。嘆かわしい時代と言うしかない。”池田大作全集第55巻が発刊””創価家族が晴れ晴れと 全国で前進・勝利の座談会””カンボジアSGIが発足10周年 バンデット新理事長と出発!”(いずれも5月12日付け)等の、リードを見るだけで血湧き肉踊る、『聖教新聞』を毎日隅々まで眼を皿にして熟読してる我らには、想像もつかないが…。

 ただ我々同志の間でも、いま1つの評判のメディアが実はある。『公明新聞』だ。周囲の弟子間でも購読者が少ない。名誉会長を師と仰ぐ同志が、いくら何でも読むに値しない新聞を出すはずがない。かつては全く信用しなかった。しかし当時は斜め読み程度。大きな口は叩けない(何ぶんにも出版不況で、さすがに名誉会長関連の全出版物までは…)。今回機会があって初めて熟読、同志の凛と澄み切った眼はやはり侮れないと痛感。

 例えば5月13日付け1面はこうだ。”口蹄疫 予防、救済を万全に””「緑の底力」伸ばす農政””民意はニ大政党に失望”等、実にそっけなく陰気なのだ。確かに政治が空論を語っても仕方ないので、具体的にぎらつくのは仕方ない。けれど余りに紋切り型というか、言葉使い、紙面レイアウト、使用写真に熱い情熱が感じられない。何となく官報さえ連想、義理で出してるようなムード。名誉会長が関わるメディアで、ここまで覇気が感じられない媒体は初めて。これが政治か?いや、他党ならともかく、”師弟共戦”を胸に誓った我らには、一切の弁明は許されない。こんな事で”悪侶の卑劣な謀略”に打ち勝てるはずがない。

 そのくせ、つまらない事に神経質。例えば同日付け7面(いわゆる3面)のトップ記事はこうだ。”障がい者雇用の拡大へ 中小事業所に援助金”。静岡県御殿場市の公明党市議の活躍を報じる写真入り記事だ。常に弱者の先頭に立つ、勝間田博文市議の抜群な行動力には、何ら異議はない。ただ紙面での”傷がい者”との表現はどうか?確かに”害”の文字は障害者にたいしてあんまりだ、との主張があるのは承知している。だがこれは思慮なき稚拙な対処だ(臭い物にふた!)。そもそも順序が逆ではないか?

 死滅しつつあった<公明正大>との日本語を、理想と理論と行動を通じて、意味合いの大転換を成さしめた、世紀の勇者とは誰か? その偉業を支えた、熱血の全国の戦士とは何者か? 言うまでもあるまい(冗談にも「敗北の日顕一派だ!」などとは言わないように。例のアル中の知人なら口にしかねないが、幸い今日は黄ばんだむくみ顔を見せない)。

 それだけではない。よりによってこの新聞の一面には、名誉会長のお写真(気を付け!)が一葉も掲載されていない。更に驚愕すべき事に、池田大作名誉会長、人間革命、創価学会、人間主義他の言葉さえ影も形もない。い…一体何なのだこの赤新聞は?聖教分離等の問題があるのはわかる。しかし私はそういう、卑劣な裏切り者じみた屁理屈に、謙虚かつ公然と反論したい。池田名誉会長の尊い教えは、単なる一宗教なのかと。”宗教を超越した宇宙次元の大真理”ー少し長いが、師の教えはもはやこう表現するしかあるまい。

 私は確信する。アンドロメダ星雲の、地球人は名も知らぬ小惑星の、足が8本ある宇宙人も進んだ科学によって、名誉会長の『人間革命』の存在を知り、精読してるに違いないと。そして地球俗世間のデマ攻撃に染まってない聡明な彼等は、素直に毎日叫んでるだろう。「ダイサク・ダイサク・ダイサク…ずっと下がってアラー・キリスト・シャカ!!」
(つづく)

■塩山芳明…雑誌版『記録』にて『奇書発掘』を連載。エロ漫画編集者。著書に『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』(アストラ)、『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』(共に一水社・絶版)、『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)、『東京の暴れん坊』(右文書院)がある。

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2010年6月 5日 (土)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第41回 結局ペット霊園って信用できないの?

 今年、埼玉のペット霊園「花園ペット祭典」であった惨事はまだ記憶に新しいだろう。飯能市の山林に、火葬すると言って引き取ったペットの遺体を棄てたとして同社の経営者が逮捕された事件は、ペット愛護者たちに衝撃を与えた。火葬後に受け取った骨は、いったい何の骨なのか? ウチの子ではなかったのかと、ショックのあまり鬱状態に入ってしまった被害者もいると聞く。

 ペット霊園に関する被害は数多ある。東京都板橋区の「さかうえペット霊園」は、火葬炉を備えた新建物を建設する際に地域住民の反対運動にあい、建設後は異臭を問題視されて抗議運動の末、2009年に動物火葬炉では異例の使用差し止めを受けている。

 なお「火葬途中で打ち合わせ以上の金額を要求され、拒むと生焼けのまま出すぞと脅された」「遺骨の焼き方に失敗したのか、真っ黒コゲだった」など、利用者側からの報告はかなりの数に上る。

 トラブルが多い原因のひとつとして、ペット火葬についての明確な法規制がないことが挙げられる。多くは地域の条例でカバーしなければならない状態だ。これからの懸案事項だが、今まさに余命短いワンちゃんやネコちゃんはどうなるのか。

 記者はちょうど一年ほど前にペット火葬について調べる機会があり、何十という数ではないがペット霊園を取材のためまわった。その際の印象としては、確かに格差はある。何の格差か。「この霊園が信用できるかどうか」、信用度数の格差である。

 ホームページで確認するとちゃんとしているように見えるのに、実際に行ってみると「特上」と「普通」の火葬炉の違いがどんなに説明されても納得いかない、納骨ロッカーが市民プールのもののようにお粗末だ、墓のまわりに雑草が目立って侘しすぎるなど、人間のための霊園や火葬場だったら当然配慮されるべきところが全く「なってない」。

 人間の火葬場をつくるよりはるかに簡単なのだからピンきりがあって当然だ。大事なのは、そのピンきりをどうやって見抜くか。

 シンプルな結論としては「事前下見をしておく」というものだが、それはまあ、最低限のこととして、一つには「その火葬炉のルーツを知ること」が大事だ。

 個人が新しく始めた事業なのか、檀家減少に困ったお寺がペット霊園・火葬炉も運営しているのか、人間を扱っていた葬儀社が競争に負けてペットにまで手を伸ばしたか。

 以上のどれも記者としては余りお勧めしないけれど、そんな風に決め付けてしまうのは早計だ。だって個人で始めたようなところでも、ペット好きが高じて、という純粋な動機から始めたところは当然手厚く葬ってくれるだろうし、人間でしくじったからこそと力を入れる葬儀社もあろう。

 そういった可能性を取り払って、前向きに「おすすめのペット火葬場」を紹介するとすれば、それは「人間の火葬場に併設されているペット火葬場」だ。

 取材した感触でもそうだとうなづけるが、もちろん他に理由がある。

 人間の火葬場での実績があるところは、ペットのなきがらを家族の遺体のように扱う利用者の悲しみが手に取るようにわかる。必ず丁寧に接してくれることだろう。さらにペット火葬というのは「いちげんさん」が多いからこそ、利用者を大事にしない業者が多く出てくる。しかし人間の火葬場と隣り合わせのペット火葬場ならどうだ。対応がよければおじいちゃんも安心して任せられる。常に人間の火葬場側を利用する人々からの視線もある。もしペットのほうで警察沙汰になれば、人間のほうも共倒れだろう。そういった「いちげんさん」にならない可能性のある利用者の監視や、人間の火葬場との連帯感が良いペット火葬場をつくるのだろう。

 今、ペットを失うかもしれない悲しみに襲われている方は、勇気を出してペット火葬場の下見に出かけて欲しい、そして冷静な判断が出来るうちに安心できる業者を見極めておくのが良い。後悔しないために、それを切におすすめする。(小松)

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2010年6月 4日 (金)

Brendaがゆく!/暗譜に関する気持ちの爆発

ピアニストの人生は 暗譜

これにつきてしまう。

残念ながら。

ユダヤ人の少数のピアニストは、暗譜に対する不安さえ無いという特殊な人もいるが。

驚いた事にフランスでは、フルートの試験では、譜面を置いてもいいらしい。

ピアニストと比べれば覚えるべき情報量は格段に少ないはず。

それでも、譜面を置かないと弾けないわけ?とピアニストとしては思う。
私はバイオリンも習っていたので、出来ないくせに言ってるわけではない。

ある、才能のある若手のためのコンサートでフルーティストがやはり、楽譜を置いて弾いたのを見て、私は、ピアニストとしては、興ざめしたというか妬み?で、「これぐらいの曲を暗譜で舞台で弾けない時点で、フルートの世界のアマチュアとプロの差はそこまでないのでは?」と思ったほど。

あたしぐらいのさらい魔だったら、フルートぐらい趣味で弾いたるか?というような意気込み。好きじゃないので弾かないけど。
プロのフルーティストが読んだら、かなりむっとされてしまうと思うけど。

でも、これはあながち嘘ではない。
なぜなら、私は、英語とフランス語とポーランド語を勉強して普通に例えば外語大の英文科かフランス語学科かポーランド語学科を出た一般的な人(学者を除く)よりも、

英語については、私のレベルの方がはるかのはるかーーーーーーに上だと思う。
(ま、英語についてはよちよち歩きの時からやってるから、比べる対象が間違ってるかもしれないけど、でもアマチュアだ、だって英語をしゃべる国に一度も住んだ事が無いもの)

フランス語については、ちょっと上。

ポーランド語については、会話でいえば、ポーランド人との意思疎通は私の方ができると思う。しかし文法や読み書きは、まったく間違えだらけだけれど。

語学の話は置いておいて、楽器に関して例えばフルートと比べれば、

ピアノの世界は、アマチュアとプロの境界線が明確だ。

弦だって

オケで弾けばアマチュアオケも可能だが、すべての時代を通したフルのリサイタル形式弾けるソリストというのはやはりプロでなければ難しいと思う。

暗譜について各楽器の考察をすると

他の鍵盤楽器である、オルガンやチェンバロ。
楽譜を見て演奏する。

なんで?
ゆるせないんですけど!!!怒

ちなみに、私はパイプオルガンも習った事があるが、はっきり言う、テクニック的にはピアノよりは簡単だと思う。指のトレーニングが必要ないから。足は入るので複雑だけれど。

ただ、楽譜を読む力はものすごく必要、声部が多いので。

それで、ピアノはテクニック的に難しく、足は無いけど(ペダルはあり)。声部は多く、オーケストラ並みの情報量で。
だから、暗譜しなければ弾けないほど難しい訳?

それで、私たちは暗譜しなければいけないのでしょうか???

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2010年6月 3日 (木)

「あの事件」のツイッター始めました

「あの事件を追いかけて」のツイッターを始めました。
 僕は取材前に現場周辺をグルグルと歩き回るようにしています。犯人は何を考えて歩いたんだろう、周辺住民にとって事件現場はどんな風な場所だったんだろう。そんなことを思いながら、地域に体をなじませていくのです。現場になじんだからといって、必ずしも取材がうまくいくわけではありません。でも、たまに見えてくる世界が変わることがあるんですよ。
 
 酒鬼薔薇聖斗の事件を取材したときには、現場となった山や首を洗った池などをグルグルと回りました。殺害現場のタンク山の獣道を突っ切れば、舗装された道路をたどるより早く目的地に着けること。住民がバーベキュー大会を開いていた公園の裏に、地元住民すらほとんど知らない池がひっそりと存在すること。福祉の充実を目指すスローガンが、町のあちこちで見られること。
 そんな町の雰囲気を感じてから取材を始めたとき、犯人の万能感や疎外感、彼と住民の気持ちのズレが少しだけわかったような気がしたのです。

 そんなグルグル歩きを携帯で記録して、つぶやいてみようと思っています。ちょうど7月初旬の出版に向けて、過去に取材した事件現場の撮影に回っていますので、試行錯誤しながら進めてみたいと思っています。
 すでに井の頭公園バラバラ事件とスチュワーデス殺人事件のつぶやきはアップしました(事件名を入れるの忘れたのですが……)。携帯を横にして撮影して送ったおかげで、写真がひっくり返ったりしていますが許してください。
 もしよければ暇つぶしにのぞいてくださいませ。
 明日は現場の撮影に行く予定です。どんどんつぶやきます!(大畑)

登録の名前:taroohata
アドレス:https://twitter.com/taroohata

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2010年6月 1日 (火)

鎌田慧の現代を斬る/特別編 スポーツ支配に手を伸ばすトヨタ

 トヨタは71年ぶりの赤字から、たった1年での黒字回復となった。この業績について、豊田章男社長は「まだ嵐の中にいるが、遠くに晴れ間も見える」(『毎日新聞』10年5月15日)と語った。
 しかし前期から6000億円以上を「カイゼン」させた手法は、相も変わらずのものだった。下請いじめの部品調達の見直しや労働者いじめの人件費削減によってである。3700億円の販売減、円高の影響による3200億円もの減収を1兆円もの合理化でカバーしたのだから尋常ではない。

 そうしたなか、愛知県労働組合総連合が主催する「第26回トヨタシンポジウム」で、名城大学の谷江武士教授は、09年3月期のトヨタの内部保留が13兆円にのぼることを明らかにした上で、次のように語っている。
「内部保留を活用して、賃金に回したり、下請け単価の切り下げをやめたりすることで景気の回復につながる。なぜそれをやらないのか」(『朝日新聞』10年5月17日)
 これは当然の主張だ。誰もが幸せになることなく、ただただ企業だけが肥え太って、どうするというのか。
 米国での民事訴訟の解決もこれからで、米国では10億ドル(約930億円)もの和解金が必要だとも報じられた。それに急加速に絡む事故で死亡した89人の補償問題もある。国内最大の田原工場でも3本のうち2本の生産ラインを、ことし11月末までに統合する計画が進んでいる。生産能力に販売が追いつかないのだ。販売を支えてきたハイブリッド車プリウスの新車効果もそろそろ切れ、エコカー補助金も9月末までの新車登録までとなっている。
 こうしたマイナス要因を、すべてコストカットで乗り切るなど、もう企業倫理としては許されない。ひたすらため込んだ内部保留を、いますぐ吐き出すべきだ。

 トヨタでもう一つ気になったニュースは、日本体育協会の次期会長に張富士夫トヨタ自動車会長に内定したことだ。「スポーツ界に精通し、政財界へのパイプを持つことなど条件に人選」(『毎日新聞』10年5月12日)という。
 前任がサメ頭の森喜朗前首相だったことを考えれば、ただの名誉職とも思えるが、またトヨタかとも思う。トヨタのスポーツへの取り組みは、必ずしも褒められたものではない。F1ではホンダから日本GPの開催を強引にもぎ取たものの、初年度は大会運営に失敗してブーイングの嵐。次年度やっとまともな開催ができたものの、翌年には撤退を発表。
 柔道の谷亮子選手やフィギュアスケートの安藤美姫選手など、オリンピックをにらんだ選手の抱え込みも激しい。外から見ている限り、本当にスポーツそのものの振興を考えているかどうか。その谷選手は、小沢チルドレンの一人に成り下がりそうだ。

 米国でのリコール問題すら解決していないのに、トヨタがスポーツにまでしゃしゃりでてくるのには違和感がある。「政財界へのパイプ」として「活躍」する前に、自社の労働者や下請の声を真剣に聴くべきだ。

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