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2010年6月19日 (土)

ロシアの横暴/第41回 治療受けるのも命がけ(1)

 人間はいくらかの虫食い情報から思いこむ動物である。
 数十年前、ソ連がまだ鉄のカーテンに覆われていたころのことである。よく見えないけど人工衛星などを飛ばしたりしているからにはきっとすごい国なんだろう、とソ連が大好きという人間はもちろん、ソ連は嫌いだ、いやだ、自由がない、と言う人までがそう思いこんでいた。
 実際の国力は社会福祉をはじめとする国民の生活の豊かさにあるから、日本のように社会保険なら1割、それ以外なら3割負担、出産は病気ではないから自費など、それ相応の医療費負担をしなければならない(それでも現在の日本の社会福祉よりはずっと豊かだった)国にいては「医療費はすべて無償!」と聞けば、医療水準の内容など考えもせず、羨望のまなざしを注いでいたものだ。
 1970年代にソ連を旅行すると「へぇー日本から!」と大いに珍しがられたものである。国境関連職員など、お役所を除けば人々は素朴で暖かく、そのことだけでも何だかいい国のような気がしてくるような時代だった。日本人だというので集まってくる人々は興味津々、当然質問責めが始まる。ロシア文学にもしばしば登場するように、たいていのロシア人は知りたがりやである。
「日本では病気になったらお金がかかるんだって?」
「出産もかかるの?」
「いくら?」

 これらの質問に答えると皆一様にため息をついたり、顔を見合わせたりする。医療費の額といっても円をドルに換算したもので、当時のソ連の通貨レベルや生活水準から見れば1000ドルは天文学的な数字に近かった。(当時は1ドルが230円ぐらいだったから日本人にとっても大金ではあったが)そこで出産費用が1000ドル近い、と聞くとだれもが呆れ果てるのだ。ため息のあとはもう一度顔を見合わせて「信じられない、俺たちのところじゃ全部無料だよね」と確認しあうのがパターンである。

 質問責めにしてくる人々のことを「西側から来た外国人にはこう質問してソ連の優位性を見せよ」と国民総プロパガンダ要員、とする向きもあったがこれは考え過ぎである。あまりにも質問が似通っているので、そう思うのも無理はないが、ごく一部のエリート層を除く庶民は本気で医療費有料の資本主義国家国民を憐れんでいたのだ。彼らは外国がどうなっているのか、まるで知らなかった、知らされなかったから知らなかっただけのことである。
 茶化すつもりはないが日本に来た外国人、特に欧米人に対して「ナットウは食べられますか、梅干しはどうですか」と質問するのと同じようなものである。そして「でも豆腐や納豆のほんとの味わいはわからないでしょう?」と結ぶところまで似ている。
 訊ねられる側も思いこみと誤解の上に立って答えるように、訊ねる側も自分の足下は見えない。
高社会福祉がうたい文句だったソ連無償医療は実はとんでもない様相を呈していたのだった。

 確かにソ連時代は病院や診療所に会計窓口はなかった。そのかわり、医師に直接手みやげを渡すのはごく当たり前のことで、それが「医療費」とはだれも思っていなかっただけである。手みやげは花束から始まり、病気の症状に応じてだんだんとグレードアップし、いつの間にか現金化して年収の半分ぐらいの札束が「手みやげ」になった。
 ソ連の医療費はタダという認識が世界中に流布していたのは国民が手みやげ代を勘定していなかったからとも言える。

 もっとも、日本でもそのころは大きな病気で入院・手術をする場合、治療関係者全員を丸抱えにして賄賂をはずまなければ手術が始まらない、といううわさが流れていたから大差はない。実態はともかく、日本のそれは明らかに賄賂だったのに対し、ソ連の場合は「ほんの手みやげ」であった。ちょっと人に会いに行くのに手ぶらで行くことはあり得ない。
 その反面、医療水準に国民が満足して誇りに思っていたかというとそうでもないから不思議である。外国人が有料で治療を受けている話を聞いたときだけ誇りなのである。(川上なつ)

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