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2010年6月17日 (木)

アフガン終わりなき戦場/第36回 熱と扇風機とタリバンと

 結果から言おう。今回の取材で、私は完全に失敗をした。
 2010年5月いっぱいを私はアフガニスタンで過ごした。目的はタリバンの取材だった。
 タリバンという組織は単なる武装組織という枠を超えている。現在では地方においてオーソリティ、すなわち行政の一部として機能し始めている。特に今回私が取材をした東部ニングラハル州ではパキスタンの部族地域が近いこともあり、タリバンの影響力は大きい。タリバンは地元の部族長と協議を進め、治安管理や物資供給を担当しているという。
 一種の政府と言っても過言ではない。けれど、世間一般の政府と違うところは、彼らが世界の誰からも認められていない、最も孤立した政府だということだ。会うのにはそれなりの準備が必要だった。
 タリバンの取材は近年ではあまり行われていない。06年頃から「タリバンに会わせてやる」と取材協力を外国人に持ちかけてくるアフガン人が表れ始め、ついていった記者が誘拐される事件が多発した。その多くはタリバンというよりは盗賊の類であったが、タリバン取材のリスクは飛躍的に増した。

 01年のアメリカ侵攻以降しばらく外国人記者に対して敵対行動をとっていなかった。タリバンは90年代中盤から自らをアフガニスタンを統治する政府と自称し、国際社会に求めてきた。まがりなりにも彼らは政府としての自負を持っていたのだから、タリバン政権の間、外国人記者はタリバン政府から記者証を与えられて取材をしていた。当時は1日30ドルで政府が通訳を紹介してくれて、安全の管理もしてくれたと言うのだから(もちろん取材規制はすさまじかった)、今よりも取材環境としてはずっと安定していたと言える。
 けれど、00年代中盤からは外国人記者は完全に攻撃対象になっている。記者の誘拐が多発し、犠牲になる記者は年間10人前後にもなっている。彼らが方針を変えた裏側には、自らをテロリスト扱いする外国メディアへの不信感があるのかもしれない。
 兎も角。私はタリバンへの取材をしたかった。
 昨年、私はタリバン政権時代外務大臣の地位にあったムトワキル氏を取材した。
「タリバンはアフガニスタンの一部だ。彼らを取り除くことは誰にもできない」
 アフガニスタンの一部であるならば、彼らを取材することは無駄ではないはずだ。と言うよりも、タリバンに対する取材が激変したため、アフガニスタン報道はNATO軍などに対する従軍取材に集中し、バランスが偏り始めている。どうしても取材の必要があった。
  と、大上段に構えていたのだが、見事に取材は失敗に終わった。
 結局私は誰とも会うことができず、手ぶらで帰国をした。

 まあ、言い訳が無いわけでもない。カブールの信頼するガイドの母親が病気になり、彼が来られなくなった。いざ行くぞ、とニングラハルに乗り込んでみたものの、急に40度近い熱が出て1週間近く行動不能になった。極め付けには、タリバンとの折衝役をお願いしていた地元有力者が諸事情で協力できなくなった。
 ついでに言えば、カメラにお茶をこぼしてダメにした。携帯電話が何故か使用不能になった上、それを盗まれた。三脚をどこかに忘れてきた。親戚で不幸があった。泊まっていたホテルのインターネットラインが自爆攻撃で使用不能になった。普段は平気なのだけれど、滞在期間中常に下痢に悩まされた。
 熱にうなされている間の記憶もあいまいだ。アフガニスタン東部は初夏でも暑い。気温は40度にも達しているが、私は毛布を2枚かぶりそれでもガタガタと震えていた。覚えているのは天井で回っている巨大な扇風機だ。何かのはずみでスイッチが入り、扇風機はまるでヘリコプターのローターのように轟音を立てて回転していた。
 スイッチをオフにしたいが、そこまで歩くこともできない。熱が下がって歩けるようになるまで、このボロホテルの部屋がこの扇風機と一緒に空高く舞い上がり、分解。地上200メートルから地上に叩きつけられるのだ、という譫妄に悩まされ続けた。 

 正直に言えば、あと1週間くらいは粘ることもできた。けれどここまでツいていないと、無理をした末に盗賊やらタリバンに拘束されるのでは、と弱気になったのだ。
 無神論者のくせに、吾ながら情けないと思うが、今回は迷信的にならざるを得なかった。無神論者を罰する呪いにでもかかったのかと本気で心配をした。
 帰国した後も40度近い熱を出して1週間寝込んだ。
 結果的には帰国してよかったのかもしれないが、やはり情けない。命を賭けた取材なんてやるつもりは無いけれど、今回はツキが無いからオシマイ、と帰ってくるのもあまりに根性が無い。
 しかし、思い返せば手ぶらで帰ってくるのは初めてだ。今までが出来すぎていたのかもしれない。神様なり仏様なりが「今までは運が良かっただけだ。これまでのことを実力でやってきたなどとゆめゆめ思うでない」などとノタマっているのかしらん。
 オーケー。そうかもしれない。
 余談だが、あの扇風機のぶわぁんぶわぁんという耳障りな音が今でも布団にはいると聞こえてくる。(白川徹)

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