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2010年6月10日 (木)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第76回 寿司屋を開く夢破れて/沼田雅美さん(年齢不詳)

 生まれは東京・品川。歳がいくつかは、ちょっと勘弁してよ。
 オヤジはヤクザだった。組の名前は忘れたけど、関東一円を仕切っている大きな組だったようだ。オヤジはその組でいい顔だったらしい。ただ、オレが小学校に上がるころには、もう足を洗ってカタギになってたけどね。
 カタギになったオヤジがしたのは、汚穢船の船長。屎尿でいっぱいの船を、目黒川から海に出て伊豆大島の沖合まで捨てにいくんだ。途中で浦賀に泊まって、2日がかりの仕事だった。オレも手伝いで幾度か乗せられたけど、屎尿を捨てると辺り一面の海が真っ黄色に染まったからね。そんなことが許されていた時代さ。

 中学校を卒業して、オレも働きに出た。目黒のバネ工場とか、芝浦の倉庫とかで働いた。20歳前くらいのときだったと思うけど、「自分の脚で歩くと、どのくらいまで行けるんだろう」と思ってね。それで品川の家から1国(国道1号線)をテクテクと歩いてみた。横浜駅の東口まで行ったよ。そこでくたびれて歩くのをやめたんだ。
 その駅前にパチンコ屋があって、そこに「従業員募集」の貼り紙があったから飛び込んでいったら、すぐに雇ってくれた。その日から住み込みでパチンコ屋の店員だよ。
そして寿司職人に
 そのパチンコ屋にいたのは2ヵ月間。従業員の1人に大阪出身の男がいて、そいつが大阪に帰ることになって、オレを誘うからついていったんだ。その友だちの実家は寿司屋をやっていて、友だちといっしょに店に出て働くことになった。

 よく寿司職人の修業はきびしいっていうだろう。上(の人間)は「見て覚えろ」と言うだけで誰も教えてくれないとか、来る日も来る日もオカラを握らされたとかね。だけど、オレの場合はきびしい修業はなかった。店のオヤジさんが友だちの父親だったし、その友だちもいっしょに働いているわけだからね。すぐに握らせてもらえたよ。
 寿司を握るっていうのは、要領というかコツなんだよ。左手にネタを持って、右手でシャリを取る。そのときいつも決まった量のシャリを取って形にするのが、ちょっとむずかしいくらい。その要領さえ掴んでしまえば、あとは誰でも握れるよ。
 そこで働いているうちに、京都にも支店を出すことになってね。友だちとオレのふたりが任されることになって、京都の四条のほうに移った。それから10年以上も京都で寿司を握っていたんだ。

 結婚はしなかった。酒が好きだったからね。寿司を握っていると客から勧められるだろう。どうしても断れないからね。2升(3.6リットル)くらいの日本酒は平気で飲んだ。女遊びが好きだったわけじゃないし、ギャンブルもあまりしなかったしね。酒ばかり飲んでいたんだな。それとね。夢があった。いつか東京に戻って、自分の店を持つ夢。そのためにカネを蓄めていたから、結婚どころじゃなかったんだ。
 カネは蓄まったよ。京都っていう町は不思議な町でね。値段を高くすれば高くするほど客が入る。東京とも、大阪とも違う独特の町なんだよね。それに関西の寿司屋には「開店のスケ」という風習があった。新装開店の寿司屋に助っ人の応援をたのまれるんだ。この心付けが日当で3万円。当時の3万円はちょっとしたもんだったからね。だから、オレの羽振りもよかったし、カネも蓄まった。

 30歳をすぎてから、例の友だちと2人で東京に戻ってきた。2人でカネを出しあって、自分たちの寿司屋を始めるつもりだった。
 ところが、思わぬ横槍が入ったんだ。オレの兄貴さ。この兄貴はオヤジと同じヤクザをやっていてね。「オレが店の開店資金を出してやるから、オレを経営者にしろ」ってきかないんだ。だけど、ヤクザなんかをオーナーにしたら、どんなに掠め取られるかしれないだろう。かといって、それを断って開店したら、こんどは若い衆でも使って嫌がらせをされるに決まっているしね。
 東京に店を出しても、どの道うまくいかないことになって、友だちは関西に帰ってしまうし、店はあきらめるしかなかった。そのショックは相当なもんだったね。一度自分の店を持つ夢を見ちゃったからさ。もう、よそ様の店に行って、「使ってくれ」とは頼めないしね。人に使われて一からやり直す気力はなくなっていたんだ。

 しばらくブラブラしていると、中学校の同級生でペンキ屋をしているのがいてね。そいつが声をかけてくれてペンキ職人に代わった。新築の住宅とかビルのペンキ塗りが仕事。でも、それもバブル(経済)が弾けるまでだった。ペンキ職人っていうのは大工から仕事を回してもらうんだけど、バブルが弾けたのを境に、その大工がどんどん廃業していってね。それで仕事が回ってこなくなって、アパート代も払えないからホームレスになるしかなかったんだ。

 はじめは大森の駅のそばにテントを張って、そこで寝泊りするようになった。あそこは競艇場が近いから、その帰りのサラリーマンなんかが酒を差し入れてくれたり、なかには泊まっていくのもいたりして、なかなか面白かった。コンビニやスーパーが出す賞味期限切れの弁当なんかも手に入りやすかったしね。
 新宿に移ったのは3ヵ月前。とくに理由はないよ。ただ、こっちは弁当の入手がむずかしいのと、シラミ持ちのホームレスが多いっていうからね。そんなのをうつされたら大変だ。新宿にいてもあまりいいことがないようなら、また大森か大井町のほうに戻ろうかとも思っているんだ。(2003年1月取材 聞き手:神戸幸夫)

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