●ホームレス自らを語る 第72回 人生は知恵と工夫だ(後編)/青木実さん(69歳)
「23歳のときに、北千住(足立区)の読売新聞の販売店に専従社員として雇われた。ボクは、みんなが仮眠している時間も惜しんで働いたからね。店の主人もびっくりするくらいの働きぶりだったんだ」
そう語るのは、世田谷区の羽根木公園で野宿している青木実さん(69歳)である。人に率先して働く青木さんだったが、一つだけ弱点をもっていた。
「ボクは人に頭を下げることができない性格でね。どうしても新聞購読の勧誘だけはできなかったんだ。販売店に就職して1年近くたっても、1件の契約も取れないで、自分は営業職には向かないから店をやめようと考えてね。そのことを、ある顧客に相談したら『バカヤロー。その仕事が自分に向いてるかどうかなんて、一生かかってもわかるもんじゃない。仕事は続けることに意味があるんだ』と叱られてね。それで目が覚めることになった」
はじめからできないと決めるのではなく、まずはやってみよう。青木さんは当たって砕けろの精神で、購読勧誘を始めた。
「これが、やってみると面白いように契約が取れるんだ。初日の契約数が14件、その翌日は13件という具合でね。たちまち、営業成績で店のトップに昇っていたよ」
やがて、店主から次に出店したら、その店を任せるという約束を取りつける。入店数年にして、この約束は異例の出世であった。だが、青木さんには運がないというか、そうしたチャンスを掴んで開花させることができない運命にあったようだ。
「20代の後半になって、販売店が新しい店を出すことになった。ところが、時を同じくして、オフクロがガンで入院してね。その看病や、家に一人残ったオヤジの面倒もみなければならないしね。新しい販売店を任せるという話をもらいながら、両立はできないから断らざるを得なかった」
母親は数年間の闘病生活の後、青木さんが29歳のときに死去する。それからも他地区の販売店店主の座に空きができたときなど、その後釜への誘いがあったが、青木さんはすべて固辞し続けた。
「最初に仕えた店主の誘いを断っているだろう。そんなボクが、他地区の販売店にホイホイと行くような真似はできないからね。その店主には義理も恩義もあるからさ」
古臭いといわれようが、不器用だといわれようが、青木さんにとってはそういう生き方しかできなかったのだ。
30代に入って、青木さんの人生を変えるできごとが起こる。ある人妻と道ならぬ恋に落
ちたのだ。
「その人妻は夫と娘がありながら、ボクのアパートに転がり込んできて、同棲をするようになったんだ。だけど、彼女の夫にしたら、それではすまないからさ。ボクたちが暮らすアパートや、ボクの仕事先を求めて探しまわるようになってね。それで長く世話になった北千住の店だけど、迷惑がかかりそうだしやめるしかなくなっていた」
それからの青木さんと人妻は、彼女の夫の影に怯えながら、新聞販売店を転々とすることになる。
「都内やその周辺の販売店をいくつも替わったよ。だけど、読売系の販売店を替わっているだけでは、すぐに探し出されてしまってね。それで朝日系の販売店に移り、ようやく彼女の夫の追求をかわすことができたんだ」
ふたりの逃避行は数年間に及んだ。夫の追求がやんで、彼女は自分の娘をコッソリ引き取り、青木さんとともに育てた。
「その娘は高校から専門学校までやって、結婚式もボクが出してやった。娘が結婚して、彼女が娘夫婦と暮らしたいというんで別れることになった。ちょうど50歳のときだったんじゃないかな」
青木さんが新聞販売店の仕事をやめたのは、それから9年後の59歳のとき。最後はクビ同然のやめさせられ方だったという。
「その販売店の店主は、働くのが嫌いな男でね。『現状維持でいい』というのが口癖の男だった。だが、ボクには常に1~2割の業務拡張をしているのが現状維持だという認識があった。だから、新規の購読契約を取ってまわっていたんだ。店主には、それが面白くなかったんだろう。ある日、突然クビを言い渡されて、店を追い出されていたんだ」
いくらやり手であっても、60歳近い男を雇おうという店はない。青木さんは路上生活に転ずることになる。
「40年近い新聞販売店での仕事は、知恵と工夫で切り開いてきたからね。世田谷の公園でホームレスの生活をするのは、普通考えれば不便なんだけど、これも知恵を出して工夫すれば何とかできるもんなんだ」
その知恵と工夫については教えてくれたが、文章にすることは禁じられたから、残念ながら書けない。ただ、いかにも青木さんらしい工夫を考えついたとしておこう。
羽根木公園で暮らすようになって10年。話し好きで、世話好きな青木さんは、いまや来園者たちとも顔馴染みになった。
「若い人たちと話す機会が多くてね。派遣社員の人とか、受験生などから悩みごとの相談を受けることも多い。だから、人生相談の相談員でもしているような気分だよ」と笑う。
そして、青木さんは最後に辞世の句というのを披露してくれた。
我涯ては野辺に隠れし石仏
雨にさらされ苔衣着て
これを詠んだのは29歳のときだそうだが、すでに40年も前に、いまの境涯をピタリと言い当てているのだ。筆者は戦慄に近いものを感じた。早熟というか、老成といおうか、計り知れない人である。(2010年3月取材 聞き手:神戸幸夫)
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