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2010年5月11日 (火)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第74回 マグロ船で世界の海を駆けた/津田さん(67歳)

 生まれは宮城県の仙台です。オヤジはマグロ漁船の漁船員でしたが、のちに船を下りて松島湾で海苔の養殖を始めました。うちのオヤジが松島湾で始めた最初になります。元祖ですね。そのあとカキの養殖にも手を広げていました。商才のようなものに長けた人でしたね。
 だから家は裕福でしたよ。周りの子どもたちがツギの当たったものを着ているときに、うちは7人兄弟でしたが、誰一人ツギの当たったものは着ていませんでした。砂糖が不足した時代でも、周りはズルチンを代用してましたが、うちはちゃんとした砂糖を使っていましたからね。
 テレビが入ったのも町内で一番早かったですよ。毎日夕方になると近所の子どもたちが集まって、いや、近所ばかりでなく遠くからも見にくる子がいて、多いときには100人くらいの子が庭をビッシリと埋めましたからね。

 私も高校を出るとマグロ船に乗りました。一人の兄がやはりマグロ船に乗っていて、その兄と同じ地元の船に乗るのがいやで、私は三崎港(神奈川県)の船に乗りました。乗員35人、350トンの船です。
 マグロ漁はインド洋と西大西洋が主な漁場でした。でも、マグロさえいればどこにでも行って操業しましたね。一度三崎を出航すると、2年間は帰れませんでした。
 マグロ漁ははえ縄といいましてね、長い幹綱に幾本もの枝綱がついて、その先の釣り針に餌のイカをつけて漁をします。早朝海に縄を入れて、1日中流して夕方から縄を捲くんです。捲き終わるまでに 17~8時間かかる。この間釣れたマグロを船に取り込んで冷凍処理をするんで、船の中は戦場のようでした。
 とくにインド洋はいつも台風並みの大波の中での作業で、マグロも大きいのになると 400キロを超えますからね。波荒い船上でそんなのと格闘するんですから、豪快な男の仕事でした。だから漁船員には気の荒いのが多くて、ケンカもしょっちゅうでしたね。

 漁の途中で数ヵ月に一度、水や食料の補給のために船が港に入ります。その3~4日間は漁船員にも休みが与えられ、みんなで町に繰り出します。たいがいは女郎屋に登って、船が出航するまで泊りで居続けたもんです。私もそうでした。漁船員は稼ぎがよかったから、遊び方も豪快でしたね。だから漁船員が遊んだあとに行く商船の乗組員たちは辛かったそうですよ。
 イタリアの地中海に面した港町があって、ジャッキーという町だったか……そこの女郎に惚れられましてね。結婚してくれといって、私から離れようとしないんです。それで25歳のときに結婚しました。ちゃんと教会に行って、牧師さんをたのんでね。
 彼女はそのまま女郎を続けて、私が年に1回くらい女郎屋を訪ねて、3~4日逗留するだけの変わった夫婦ですけどね。それで2年後には女の子が生まれ、私もイタリアで所帯を持つことを本気で考えました。で、船がその町に寄港したとき、そのまま私を下ろしてくれないかと船長にたのんでみたんです。でも、「そうしたいんだったら、一旦日本に帰ってから自費で来るようにしろ」と船長は許してくれませんでした。それで日本に帰ってみると、何だか熱が冷めてしまって、そのままになってしまいました。

 30歳をすぎて、こんどは日本でちゃんとした所帯を持ちます。見合いで結婚して、三崎に土地と家を買って住み、女の子が2人できました。
 ただ、この女房が気の荒い女でしてね。それにカネの亡者でした。女だてらにヤクザの賭場に出入りして、博奕に狂って借金まみれになっていったんです。私がそれを知ったのは、だいぶあとになってからです。何しろ一度漁に出ると2年間帰れませんから、私が留守のあいだに女房はそんなふうになっていたんですね。
 女房のほうにも言い分はあろうかと思います。2年間も放っておかれては、身が持たないとかね。それに漁船員は稼ぎがよくて、私もいいときは年間1000~1500万円くらいは稼ぎましたから、女房の金銭感覚がマヒしてしまったのかもしれません。
 ただね。45歳のときだったか、漁を終えて2年ぶりに帰ってみると、家がなくなっているんです。女房のしわざです。博奕の形に取られたのか、借金の形に売り払ってしまったかでしょうね。家は取り壊されて、更地になってました。それに女房は預金から有りガネまで全部持って逃げていました。30年近くマグロ船に乗って稼いできた財産が、一瞬のうちにスッカラカンですからね。そのときの気持ちは言い表わしようがないですよ。
 そのあと、もう一航海漁に出ましたが、仕事に身が入りませんでね。それで船は下りました。それからはほとんどブラブラして暮らすようになりました。ヤクザの使い走りをやったり、トビや日雇いで働いたりね。そのうち気がついたらホームレスになっていました。いつの間にかですね。

 やっぱり、あの女房に全財産を持ち逃げされたところで、私の人生は狂いましたね。いまでも女房に出会ったら殺してやろうと思っていますよ。でも、どこに逃げたのか、その後の消息はさっぱり聞きません。ホントに殺してやりたいくらいに恨み骨髄です。
 私の写真を撮りたい? 困るなあ。写真だけは勘弁してほしいな……(しばらく考えてから)いや、撮って。正面からドーンと撮ってください。私は世間様に背を向けなきゃならんことは何もしてません。正面から大きく撮ってくれてかまわないですよ。(2003年2月取材 聞き手:神戸幸夫)

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