『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第72回 女に全財産を持ち逃げされて/山本典明さん(60歳)
いまは浜町公園の裏手の隅田川べりに、ビニールシートの小屋をつくって住んでいます。今日は天気がいいし、ここ(新宿中央公園)で炊き出しがあると聞いたんで来てみました。ここは初めてです。
ホームレスになってまだ数ヵ月ですから、食べもの探しができなくてね。炊き出しが頼りです。上野、隅田川、銀座、神保町、厩橋、いろな炊き出しを毎日回っています。ただ、月曜日だけはどこもやっていないんです。だから、月曜日は1日中小屋でじっとして、川の流れを眺めています。腹が減るからじっとしてるよりないですからね。
生まれは埼玉ですが、戦後すぐに千住(東京)に移ってそこで育ちました。4畳半ひと間の長屋です。そこに家族5人で暮らしたんです。オヤジは日雇い人夫でした。
私は中学生のころから不良でね。学校には行かないで、上野、浅草の盛り場をほっつき回っていました。よその学校の不良たちと「ガンと飛ばした」とか「ガンをつけられた」とか、ケンカばかりしてましたね。
中学を出てからは築地の河岸で働きました。場内の店に魚を運んだり、トラックに積み込むのが仕事です。給料はよかったけど、河岸は朝が早いでしょう。朝3時半には仕事が始まりますからね。若いもんにそんな仕事は長く続きませんよ。3年で辞めました。
そのあとは何となく東京がイヤになって、大阪に出てトビになりました。知らない土地に流れていって、なれるものといったらトビか土工くらいしかありませんからね。
21歳のときに、また東京に戻ってきました。東京オリンピックがあった年です。それからも仕事はトビです。仕事はいくらでもあって、「日当が安い現場には行けないよ」って、仕事はこっちで選べましたからね。
いつも半月契約で飯場に入ってカネを稼ぎ、そのカネがなくなるまで山谷のドヤ(簡易宿泊所)に泊まって遊び暮らす。なくなるとまた飯場に戻って稼ぐと、その繰り返しでした。私はギャンブルや女にはあまり関心がありませんでしたから、もっぱら酒。池袋のキャバレーに繰り出しては豪快に遊びましたよ。
仕事には熱心じゃなかったけど、トビの腕はよかったですよ。クレーンから何まで現場はまかされていましたからね。
50歳のときでした。成田(千葉県)の健康センターで30代半ばの女と知り合いましてね。私が山谷に帰ろうとすると、女もついてきて「おカネを持ってないから、いっしょに連れてってくれ」と言うんです。ドヤには女は泊まれないんですが、帳場に事情をを話して私の部屋に泊めてやり、女に「働く気はあるのか?」と聞くと「ある」と答えるんです。
翌日、私といっしょの飯場に入って、女はそこの賄いで働くようになりました。それから二人で尾久に小さなアパートを借りて、いっしょに暮らすようになりました。女にも、結婚にも、ずっと縁がなかったのに、50歳にもなって若い女と縁ができるんですから不思議なもんです。
ただね、その女には盗癖と放浪癖のようなものがありました。盗癖といっても、人様のものを盗むんじゃなくて、私のカネをくすねるです。それもせいぜい4、5万円程度の小金でした。そんなカネをくすねると、プイッと家出をしてしまう。そうしてカネがなくなると、また戻ってくる。10年近く同棲しているあいだに、そんなことが何回もありました。
はじめのうちこそ、ひどく叱りもしました。それが2度、3度と重なるうちに「そのうちまた戻るだろう」と思って、叱る気もなくなりました。
それが去年のことです。仕事から帰ってみると、アパートの部屋がもぬけの殻でした。女が持ち逃げしたんです。そのときはいつもの小金じゃなくて、現金から預金通帳まで金目のものが洗い浚いなくなっていました。
それが分かったときは目の前が真っ暗になって、腰からヘナヘナと崩れてました。威張れるような額じゃありませんが、それでも私にとっては全財産ですからね。こんどは女も戻ってはこないとわかりました。そのことがあって1週間ばかり、アパートの部屋で酒浸りになっていました。
それで一文無しですから、また山谷のドヤに逆戻りでした。
よくないことは続くもんで、それから数ヵ後には倒れました。深夜、ドヤのトイレで用足しをしているとき、ぶっ倒れて救急車で病院に運ばれたんです。意識を失い身体も硬直していて、あと10分遅かったら命はなかったといわれました。
病気は膀胱ガンです。それまで小便の出が悪かったり、血尿も出ていたし、よく貧血も起こして自覚症状はありました。でも、痛いわけじゃないし放っておいたんです。それがいけなかったようです。それでも手術を受けて、3ヵ月間の入院で治りました。
それで命は助かりましたが、退院しても現場には戻れなくなっていました。まあ、病気をしたことばかりじゃなくて、年齢のこともありますけどね。
それからは隅田川の川べりの小屋でホームレス生活です。
炊き出しのない日や雨の日は、1日中小屋から川の流れを見つめています。そのまま川に飛び込んだら死ねるのかと考えたりします。だけど、ダメでしょうね。私のことだから泳いで向こう岸に渡ってしまいますね。
これまでビル現場の足場から落っこちたり、車に跳ねられたこともありますが、いつも命だけは助かってしまうんです。死にたいと思っても、死なせてもらえないようになっているのかと思います。。(2003年4月取材 聞き手:神戸幸夫)
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