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2010年4月 2日 (金)

津山30人殺し事件の現場を歩く

「聞いている話Img_7067_2はありますけども、お話しするようなことはありませんでな」
 津山30人殺しの現場に着いて最初に声をかけた老女は、そう言って口をつぐんだ。彼女が黒豆の選別作業を再開した途端、見えない扉が目の前で閉まったような気がした。山が色づき始めた初冬の日溜まりの中、下を向いて作業を始めた彼女にかける言葉がみつからなかった。
「こんにちは」とあいさつをすると、地元の人はほほ笑みながらあいさつを返してくれる。人懐っこい表情に、こちらもふっと緊張が解ける。ただ事件の話をした途端、住民の口は重くなってしまう。
 事件からもう71年が経過した。当時の詳細を知っている人も、ほとんどいない。それでも地域住民にとって事件はタブーのままだ。その意味で、犯人の都井睦雄はまだ「生き続けて」いる。
 いくつかの事件現場を取材したが、ここまで地域住民の口が堅かった経験はない。70年以上前の有名な事件ならばなおさらだ。記憶に残ったエピソードを、ときに笑いを交えながら語ってくれるのが通例だからだ。

Img_7040  タブー視される理由の1つは、この地方に残る夜這いの風習が事件の原因だと報じられたことだ。事件後1年をかけて事件を調査した岡山地裁の塩田未平検事も「凶行の外的原因」の1つとして「部落の一部に存する淫風」を挙げている。
 また犯人が残した3通の遺書にも4人の女性への恨み辛みが書かれていた。ただし、その4人のうち二人は都井によって殺され、残る二人のうち一人は検事調書で関係を否定している。
「離婚した理由について、あるいは自分が犯人都井睦雄と情交関係があったためのようにいわれているようだが、自分は犯人が自分のことをどう思っていたかは知らぬが、絶対に同人との間に情交関係はなく、かような理由で離婚となったものではないと信じている」(『津山三十人殺し』筑波昭 著 新潮社)
 都井が部落中の女性を追い回していたことは、生き延びた部落民の事情聴取からも間違いない。
 事件発生前に犯人のただならぬ気配を察して京都に逃げた女性も、「最近には女とさえ見れば関係をさせさせというと、世間で専ら評判になっておりました」「村中で睦雄は色気狂いである、肺病の癖に側に寄ると変なことをするから避けておれ、と皆がいい合っておりました」(同上)と語っている。
 しかし犯人と村の女性が本当に関係していたのか、正確なところはわからない。ただ当時の警察は、この事情に深く立ち入ろうとはしなかったようだ。実際、都井との関係を否定した女性の夫の供述調書には、次のようなかっこ書きを検事自らが記している。
「(その背後に隠れたる事情あるやも測られざれども、都井の事件に関しては、部落民はなるべくこれに触れざるようにしている旨、暗に自己もまた右以上に内情を吐露するを欲せざるかの如く諷示したるをもって、人情上強いて追求し得ず)」(同上)

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