『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第66回 ホームレスになるしかない/堤昭義さん(65歳)
おとといの午後、木更津(千葉県)を出て、夜もずっと歩き通して、いまさっき新宿に着いたばかりです。新宿で仕事を探そうと思って来たんですけどね。どうしたら仕事が探せるのかわからないし、思案に暮れていたところなんです。
それよりも、飲まず食わずで2晩寝ずに歩き通しましたから、脚は痛いし、眠いし、腹は減ってるしね。カネは1銭も持ってないんです。(とりあえず弁当を差し入れて、それを食べながらの取材になった)
ずっと左官をやって働いてきました。それがおととい急に「おまえはクビだ」といわれて飯場を出されました。まあ、私も65歳ですから、いつクビにされてもおかしくはなかったですけどね。
飯場を出されても行くあてがないから、新宿に来ればなんとかなると思って歩き始めたんです。だけど、途中の船橋のあたりでへばってしまい、もう歩くのをやめようかとも思いました。でも、船橋あたりでは仕事なんて探せないだろうし、ホームレスになるにしても不便でしょうからね。それで気を取り直して、新宿まで歩いてきたんです。
だけど、やっとの思いで新宿に着いてみても、何をどうしたらいいのかわからないし途方に暮れるばかりでね。ホントに困っていたんです。(そこで、筆者の知っているホームレスに関する情報を教えてやった。65歳で仕事に就くのは、新宿でも大変なことも)
やっぱり、この歳で仕事に就くのはむずかしいですか? このままホームレスになるしかないのかな。
子どものころから悪ガキでね
私の生まれは東京です。世田谷の等々力で生まれ、オヤジは小さな時計店を営んでいました。
昭和13年の生まれですから、戦争のことも覚えています。空襲警報が発令されるたびに防空壕に逃げ込んでね。実際に空襲に遭ったこともあります。壕の前に爆弾が落ちて火柱が上がるのも見ていますよ。
上の兄たちは学童疎開がありましたが、私は終戦のときが小学2年生でしたから疎開はしませんでした。あれは3年生以上だったんじゃないのかな。
子どものころの私は、手のつけられない悪ガキでね。「ガキのころから手クセが悪く」はそのまま私のことですよ。友だちをカツアゲするし、店屋で万引きはするし、それも常習でしたからね。
小学校を卒業するころには完全にグレてしまって、家出をしてしまいました。だから中学校にはまったく行ってないです。それで渋谷とか世田谷の盛り場をほっつき歩いては、ガンを飛ばされたとか、肩が触れたとか因縁をつけてはカツアゲしたり、物をかっぱらったり、そんなことばかりを繰り返す毎日でした。中学生の分際で女郎屋にも出入りしてましたからね。渋谷の円山町にあった女郎屋ですよ。
私はいつも一匹狼でした。チンピラたちのようにグループや徒党を組むのは好きじゃなかった。集団で弱い者をいじめたりするのは性分に合わないんです。
でも、一匹狼とかいって1人でイキがってると、地回りのヤクザに目をつけられますからね。幾度か捕まってヤキを入れられたこともあります。だけど、私は恐くはありませんでした。死んでもいい覚悟で、ヨタを売ってましたからね。死んでもかまわないとなったら、恐いものはなくなりますよ。
警察のやっかいになったこともあります。それも1度や2度じゃありません。ネリカン(練馬にある少年鑑別所)に入れられたこともあります。あんなところに入っても、かえって悪くなるだけですけどね。
そんなふうにして25歳くらいまで、ヨタを売ってブラブラした暮らしをしてました。ただ、いくらなんでも25にもなれば、そんな暮らしをいつまでも続けられるわけがないと気づきますからね。それで足を洗いました。
それからは真面目になって働きました。左官の仕事です。はじめのうちは全国の飯場を転々としていました。そのうちに木更津の飯場に落ち着いて、そこに30年くらいいました。おとといクビになるまでね。
結婚はしませんでした。ちょうど全国の飯場を転々としていた時期だったし、最初からそんな気はありませんでしたからね。
私が木更津に行ったころは、町にも活気がありました。アクアライン(東京湾横断道路)の計画があって、あちこちで宅地が造成されたり、デパートやショッピングセンターが建てられたりしましたからね。仕事は忙しかったですよ。アクアラインの海底トンネルの工事もやりました。あの工事は10年近くかかりましたからね。
だから、バブル(経済)が弾けたあとも、木更津だけは景気がよかったんです。それがアクアラインが開通(97年)したころからガタガタっとなって、いま町は火が消えたようになってます。
そのころから、私も老眼が進んで水糸(左官の現場で水平基準を示す糸)が見えにくくなって、コテが持てなくなりました。それからは練りの作業のほうに回ってましたが、ここ何年か左官の仕事は減ってますからね。それでおとといクビにされたわけです。
新宿にも仕事がないとなれば、今夜からホームレスになるしかないわけですね。ペンチとドライバー、それにハンマーも道具はみんな持ってきたんですけどね。仕事がないんじゃ仕方ないな……。(2003年11月取材 聞き手:神戸幸夫)
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