梅川昭美 三菱銀行北畠支店強盗殺人事件の現場を歩く
犯人の梅川昭美が猟銃を持って三菱銀行北畠支店に押し入った翌日、『読売新聞』朝刊の社会面で画期的な記者ドキュメントが掲載された。犯人や警察関係者の動きを時系列で伝えるだけではなく、新聞記者の動きそのものも短い文章で追いかけた記事だった。記者の作戦本部となった喫茶店の主人から「パッチ」(ももひき)を借りた話題なども載ったという。
この記事の衝撃について、当時のデスクだった田村洋三氏は『ドキュメント新聞記者』(読売新聞大阪社会部 角川書店)で、次のように語っている。
「今度の事件では目が洗われる思いがした。発生の夜、早版のドキュメントを見た社会部長が、動きがないのなら、こちらの動きを書こうといったときである」
またテレビの現場中継されるのに、警察や銀行内部の動きがわからない大衆の「隔靴掻痒感」に、この記事が応えたと分析する。さらに「大衆のテレビによる臨場感がこの記事によって増幅された、とも言える。その意味で、記者ドキュメントは、新聞が長すぎる長い間手探りしていたテレビ時代の社会面のあり方を、やっと、探りあてた気さえする」とも述べた。
映像以上のリアリティーを現場の人間の動きから味わう。この手法は、ネット上のつぶやき「ツイッター」に近い。当時、この紙面が評判だったのも当然だろう。
もちろんテレビも高視聴率を記録した。犯人逮捕を報じたNHK総合のニュースは39・3%、関西ローカル報道番組でも関西地区で平均視聴率33・3%を記録している。
犯人が銀行を襲ってから42時間、国民はこの事件に釘付けとなった。
また犯人の梅川も、メディアの目を意識していた。籠城から13時間ほどたった午前3時半にはラジオを差し入れを要求し、到着が遅いと銃を発砲している。また、午前9時半には朝刊を、その日の夕方には夕刊、翌日の朝刊も差し入れを求めている。警官が突入し、彼を撃ったときも新聞に掲載された自分の記事を読んでいたところだった。
事件2日目の未明に、梅川が高級フランスワインである「シャトー・マルゴー」の69年ものを要求したことについて、『破滅 梅川昭美の三十年』(毎日新聞社会部編 幻冬舎)は「テレビやラジオ、新聞を通して、自分に集まる全国の目を意識した精一杯の見栄だった」と分析している。
また犯行前日には、わざわざパーマをかけてアフロヘアにし、犯行当日もチロルハットにサングラス、黒いスーツと着込む。もともと金を奪ったらすぐに逃走するつもりだった梅川が、どうして印象に残るような格好を選択したのは定かではない。ただ30歳にもなったことを理由に、「何か一発でかいことをやらんとあかん」と口癖のように語っていたことを考えれば、犯罪こそが「晴れ舞台」、服装や髪型は舞台衣装だったのかもしれない。
ここにメディアと犯人が競うようにボルテージを上げていく42時間もの劇場型犯罪が「上演」されたのである。
もちろん観客であるやじ馬も熱狂した。近所でクリーニング店を営む店主は、当時のことを思い出して次のように語った。
「『銀行強盗や事件やでー』って、おばちゃんが店に飛び込んできてな。そら見に行くかって、角まで行ったらパンパンパンって音がして、こりゃ危ないわって引き返してきたからな。
それからしばらくして警官がロープ張ってやじ馬が入れないようにしたから、外からはわからんようになったけどな。ただ、それでも見ようとしていた人たちが駐車場の金網の張り付いて見ていたの。それで金網が潰れてしまってな。地主が怒って警察に苦情行って、ロープの位置がもっと後ろに下がったがな」
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