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2010年4月 9日 (金)

ホームレス自らを語る 第65回 人生は知恵と工夫だ(前編)/青木実さん(69歳)

1004  東京・世田谷区の羽根木公園で話を聞いた青木実さん(69)は、取材のあいだ倦むことなく話し続けた。能弁家である。能弁家であるが、時々「?」と思うことを言う。その真偽のほどは読者諸兄の判断に任せたい。で、青木さんの語る、その半生を聞いていこう。
「昭和16(1941)年に横浜で生まれて、育ったのは東京の八王子。オヤジは土方をやっていたけど、足場から落ちたり、バスに跳ねられたりと不遇でね。ボクが15歳まで、家は大変な貧乏だった。学校の給食費やPTA会費などを払う金もなかった。それを小・中学校とも担任の先生が、ポケットマネーで払ってくれてね。あの先生たちの熱意がなかったら、いまのボクはなかったと思うな」

 小学4年生までは成績の芳しくなかった青木さんだったが、そんな先生たちの温情に応えるべく猛然と勉強するようになる。以後、中学卒業まで成績はクラスのトップ5を落ちたことがなかった。特に数学が得意で、中学生のときには全学年420人のトップに立ったこともある。
「だから、高校、大学へと進みたかったんだけど、家の経済事情が許さなかったからね。中学を出て鋳物工場に就職した。これには理由があって、その頃のボクは小柄でクラスでも一番小さかったんだ。鋳物工場では鉄のハンマーを振るって仕事をするから、身長が伸びると思ってね。ホントに伸びたよ。1年間で25㎝伸びた。ウソじゃないからね」

 青木さんはその鋳物工場を1年ほどでやめる。工場の騒音に耐えられなかったこともあるが、何より父親の仕事が好転したからだ。
「ちょうど八王子で大規模な都営住宅の建設が始まって、オヤジは土方から左官に替わったんだ。その才覚があったんだろうな。メキメキ頭角を現して親方になったと思うと、たちまち300人の左官職人を束ねる三多摩で一番の親方になっていたんだ。暮らし向きも、それまでの最低生活から、一気に最高の生活に変わったよ。貧乏のどん底にあった頃は見向きもしなかった親戚が、追従笑いを浮かべながら、オヤジに擦り寄るようにしてきたり、人間が変節するあさましさも見たね」

 父親の成功で、長兄に次兄、それに青木さんの3兄弟は、その父親の許に弟子入りして左官修業を始めることになる。
「ボクが18歳頃のことだが、オヤジと跡継ぎのことで話し合ったことがあってね。ボクは5人や10人の左官を束ねるんだったら、兄貴たちでもできるだろうけど、300人にもなるとそれなりの器量が備わらないと務まらない。その適任はボクしかないと、世阿弥の『風姿花伝』を例にして主張したんだ。それを聞いたオヤジが、兄たちをないがしろにしてと烈火のごとくに怒り出してね。それでボクの左官への熱も冷めて、やめることになった」それから5年ほどは定職に就かずに、家でブラブラして暮らすようになる。「風姿花伝」が出たついでに述べておくと、青木さんの趣味は読書。小学生の頃は学校の図書室の蔵書のうち親鸞聖人の伝記1冊を除いて、ほかの全冊を読破したという。ホームレスをしているいまも、片時も本を手放さない読書家である。しかも、読書から得た知識を血肉化していて、万葉集所載の好きな歌とか、日本国憲法や刑法の条文を諳(そら)んじていたりと、その博覧強記ぶりにはすごいものがあるのだ。

 青木さんが左官業から身を引いてブラブラしていたという5年間だが、いたずらに無為
なる日々を重ねていたわけではない。
「はじめのうちは通信教育でペン習字や速記術を習って覚えた。それからある師匠について、2年間ほど武道を習った。非常に危険な武道で、吸った息を吐き出さないで腹に溜め込むのが極意の武道だった。ボクの師匠は水中に2時間も潜っていられたからね。何でも忍者を養成するための武道ということだった」

 師匠には及ばないまでも、青木さんもある程度の術は会得したようだ。そうこうしているうちに、世の中は高度経済成長の時代に入り、青木さんも23歳になっていた。
「いつまでもブラブラしていられないからね。新聞の求人広告で見つけた北千住の読売新聞の販売店に、専従社員として雇われることになった。その頃、ボクは自転車に乗れなかったんだけど、中古の自転車を買ってきて、夜、こっそり練習して乗り方を覚えたりね。いや、新聞配達のためじゃない。配達はアルバイトの配達員がするんだ。専従社員は配達員の先まわりをして要所、要所に新聞の束を置いていくのが仕事なんだ。配達員は配達する全部の新聞を、一度に自転車に積むことができないからね」

 このほかに専従社員の仕事としては、折り込み広告の挿入作業、集金業務、それに販売拡張(購読勧誘)などがあった。
「新聞販売店では朝刊の配達を終えると、昼まで仮眠を取るんだけど、ボクは一度も仮眠したことがないからね。それで店に入って2日目には、ボクが担当する600軒の配達先を全部覚えてしまったんだ。これには店の主人も『こんな社員は、いままでに一人もいなかった』とびっくりしていたね」

 一を聞けば十を知る機転をもち、仕事も早くてそつがない。仮眠も取らずに身を粉にして働く青木さんだったが、ただ一つ苦手とするものがあった。
「人に頭を下げることができない性格でね。新聞購読の勧誘だけはできなかった。販売店に就職して1年近く1件の契約も取れないで、自分は営業職には向かないから店をやめようと考えていたんだ。そのことを、ある顧客に話したら『バカヤローッ。その仕事に自分が向いているかどうかなんて、一生かかってもわかるもんじゃない。仕事は続けることに意味があるんだ』と叱られてね。それで目が覚めて、ボクの人生の活路が開けることになったんだ」(この項つづく)

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