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2010年4月27日 (火)

『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第71回 大阪に未練があります/Mさん(52歳)

 ずっと大阪におってね。そう、西成のあいりん地区。そこで暮らしながら、日雇いの土工やら、ブロック工、歩道の敷石工なんかをやっていたんです。けど、大阪では仕事が少なくなっていたし、東京に出ればなんとかなるかなと思うてね。2年前の夏に出てきたんです。
 新幹線? いや、いや、汽車賃なんか持っておらんからね。テッポウです。無賃乗車。普通電車を乗り継ぎながら、車掌に見つからないように隠れて、やっとの思いで出てきたんです。
 仕事にはありつけました。横浜の飯場に入って、1年間働きました。だけど、その飯場を出てからは、仕事にありつけません。手配師がおらんもんね。
 それでこの冬、ホームレスの「自立支援センター」に入ってみたんです。そう、大久保(新宿区)にあるセンターです。それでも働き口は見つけられませんでしたね。
 センターの入所期間は2ヵ月間で、その間休日以外は毎日ハローワークに通うんです。そこで求人票をチェックして、自分の条件に合う求人を見つけては面接に行く。それを毎日繰り返しました。でも、どこも雇ってはくれませんでしたね。結局、期間内に仕事が探せなくてセンターを出され、また路上に逆戻りしたわけです。

 センターの待遇は悪くなかったですね。部屋は2段ベッドが2つある4人部屋でした。職員は特別に親切というわけではないですが、意地悪をするわけでもないしね。ホームレス同士のいさかいもありませんでした。
 起床は朝7時。朝飯はトーストとサラダ、それにコーヒーがついていました。それで9時までにハローワークに行って求人票のチェックをして、面接に行くときは昼飯代の500円と交通費が支給されました。面接に行かないときは、センターでうどんとか、丼ものの昼飯が用意されました。
 門限は夕方6時。夕飯も同じ6時からでした。温かいご飯に味噌汁とオカズの夕飯。食事は賄いのおばさんがいて専門につくってましたからね。まあ、待遇はよかったですよ。
 仕事を見つけた人もいますよ。ただ、仕事が見つかったといって退所したのに、またホームレスに戻っている人を幾人か見ましたからね。本人の都合か、雇い先の都合か知りませんが、定着率はあんまりよくないと違うんかな。
こんな不況は経験したことがないです

 出身は能登の輪島です。大工の倅。高校を中退です。成績が悪くて赤点ばかり取っていましたからね。
 それで大阪に出て繊維問屋に就職しました。けど、性格がおとなしくて客商売には向きませんでした。2年で辞めて、自衛隊に入りました。でも、こんどは規律があんまり厳しいんで逃げ出してしまいました。末っ子のせいか甘ったれのところがあって、飽きっぽいというか、辛抱できないところがあるんですね。
 その次がミシン会社の集金人。あのころはミシン掛け金というのがあって、家庭の主婦なんかが月々積み立てていたんです。家々を回ってその掛け金を集金するのが仕事でした。ところが、そのカネを使い込んでしまって、こんどはクビになりました。
 アルサロ(アルバイトサロン)のホステスに入れ揚げたのが、使い込みの原因です。酒はそんなに好きじゃないのに、毎晩のようにそのホステス目当てに通ってね。よほどよかったんでしょうね。スケベな下心とかはないんですよ。ただ、彼女を相手にして酒が飲めれば、それで満足でした。世の中がスレてないで、まだ純情な時代だったんですよ。
 使い込んだカネは10万円。親に泣きついて尻拭いしてもらいました。うーん、やっぱり末っ子の甘いところがあるんかな。

 ミシンの集金人をクビになってからは、キャバレーで働いたり、パチンコ屋で働いたり。どこも長く続かないで、いくつも変わりました。そのうちに西成に流れていって、日雇いで働くようになっていたんです。
 この性格ですから現場が気にくわなかったり、仕事に飽きるとプイッとやめてしまう。そんなふうにしていても、仕事はいくらでもありましたからね。手配師もいっぱいおったし……そんないいかげんな仕事ぶりでも、なんとかやってこられたんですよ。
 これまでにも不況で仕事がなくなることはありましたけど、いまのように長いのは初めてでしょう。こんなのは経験したことがないですからね。
 東京と大阪を比べたら、そりゃあ大阪のほうがいいですよ。長いこと大阪で暮らしていたこともありますけど、人が親切だし、ホームレスも助け合って生きてますからね。炊き出しなんかも東京より頻繁にあります。

 いま新宿では西口地下通路で寝てますが、コンクリートの床に段ボールを敷いただけの恰好でしょう。場所取りも周りのホームレスに気を使いながらで、なかなか難しいです。大阪のあいりん地区には労働センター(西成労働福祉センター)というのがあって、そこがシェルターをやっています。夕方4時までに並べば、夜になると中に入れてくれて布団に寝かせてくれます。ホームレス向けの安い食堂もありますしね。
 大阪には未練がありますよ。帰りたいとも思う。だけど、汽車賃を持ってないですからね。テッポウはコリゴリ。もう車掌に怯えながら電車に乗りとうはないですよ。
 早く景気がよくならんかと思いますね。でも、景気がよくなっても、この歳だからもう使ってもらえんのかな。このまま歳を取っていって、野垂れ死ぬのを待つしかないのかな。そんなふうにも思いますね。(2003年5月取材 聞き手:神戸幸夫)

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