『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第70回 ケガと病気の人生だった/須藤好喜さん(49歳)
生まれは昭和29年で、神奈川の座間です。
父は大工をやってました。腕のたしかな大工だったようですが、ひどい酒乱でしてね。仕事以外のときはいつも酒に酔っていて、家族を相手に怒鳴りまくる、殴る蹴るの暴力をふるうで大変な父親でした。
小学生のころ私が風呂に入っていると、父が鉈を持って「ぶっ殺してやる」と踊り込んできたこともあります。私は素っ裸のまま家の外に走って逃げましたが、とにかく父には怖いという印象しかありません。母が一番大変だったんでしょうが。
私が小学校3年生のときに、その父が亡くなります。肝硬変だったようです。正直言って、家族全員がホッとした気持ちになったのを覚えています。ただ、そのあとの母は6人もの子どもを抱えて、いろいろ苦労したようです。製罐工場で働いたり、ペンキ屋で働いたりしていました。
私は横浜の工業高校を出てから、金属の硬度計をつくる工場に勤めました。ところが、入ってすぐにオートバイ事故を起こしましてね。右折する大型トラックに巻き込まれて、頭を激しく打つという事故でした。脳が頭の片側に寄ってしまうという大ケガで、2週間も意識不明だったんです。
4ヵ月間入院して退院しましたが、後遺症が残りました。時々激しい偏頭痛に襲われます。その激しい痛みは形容のしようがありません。いまでも病院で定期的に脳波の検査を受けていますが、アルファ波が不規則なのは一生直らないようです。
身体が回復してからは、叔父がやっていた電気工事店で36歳まで働きました。
結婚はしませんでした。3年ほどつき合った女性がいましたが、結婚に踏み切るにはエネルギーが必要ですし、相手に合わせるためには自分のなかの何かを捨てないといけないでょう。そんなことが面倒臭かったんですね。
叔父のところを辞めて、1年ほどブラブラしてから土建会社に入ります。孫請のさらに下の曾孫請くらいの会社で、日雇いに毛の生えたようなところです。
それがこの会社に入って1年もしないうちに、病気で入院してしまいます。父と同じ肝硬変です。血筋なんでしょうね。私も酒が好きで毎日浴びるように飲んでましたからね。特に仕事もしないでブラブラしていたときは、24時間酒を切らさなかったんです。それがいけなかったんでしょう。
病院には2ヵ月半入院していました。じつは私は健康保険に入ってなくて、点滴1本で1万円も取られました。入院治療費は相当な額になったようです。私には払えませんから、土建会社の社長と母とで半折して払ってくれました。
病院を退院して実家に戻り自宅療養をしたんですが、家を継いでいた長兄ともめましてね。大酒を飲んで身体を壊したうえに、入院治療費まで母に払わせたというんで、兄はカンカンなんです。3ヵ月間のリハビリを終えて家を出るときには、「もう2度とうちの敷居を跨ぐな」と言われました。兄から勘当されたわけです。
うちは兄弟姉妹が多いわりには、関係が希薄というか兄弟愛のようなものがないんです。子どものころは酒乱の父に怯えるばかりで、家庭の団欒とか、家族で旅行するとか、そういうことがまったくありませんでしたからね。兄弟愛なんて育ちようもなかったんです。
兄に勘当されて家を出てからは、また例の土建会社に戻りました。入院治療費を立て替えてもらった義理がありますからね。その会社の寮に入って、建築現場の土工で働きました。この(新宿中央)公園の近くにある新宿パークタワービルの工事なんかもやったんですよ。
そうやって土工で働いていたんですが、5年前の44歳のときに会社の健康診断で肺が引っかかりましてね。肺結核でした。こんどは8ヵ月もの入院でした。もう不況の真っ只中でしたから、会社は入院治療費をみてくれるどころか、そのままクビになりました。それで入院治療は川崎市の福祉から面倒をみてもらいました。
病院を退院しても、偏頭痛もちで肝臓と肺をやられた身体では働くこともできませんからね。それで多摩川の六郷土手のところにビニールシートの小屋をつくって、ホームレスの仲間入りをしました。新宿に移ったのは2ヵ月前からです。特に理由はありません。新宿は、以前にビルの工事で働いたことがありますから、ちょっと河岸でも変えてみようかくらいの気持ちです。
川崎では毎日パン券が配られて、それなりによかったです。でも、新宿のほうが人に人情味があって、ボランティアも親切だし、炊き出しもあるから暮らしいいような気がします。
ホームレスをするようになって、いろいろ考えますよ。酒乱の父親のせいでメチャクチャな家庭でしたから、そんな家庭に育ったのがいけなかったのかなとかね。ホームレスになってからも、ほかの人とコミュニケーションをとるのが苦手でいつも1人です。
ケガもしたし病気もしました。それもホームレスになる原因だったような気がします。身体はまだ完全じゃあないから早く治したい。でも、川崎の福祉を受けていたものが、新宿の福祉に変えるのは手続きが面倒らしいんです。だから、放ってあります。といって、私もまだ49歳ですからね。何とかしないといけないんですが……。
とにかく身体を直して普通の生活、畳の上での生活がしたい。いまはそれだけです。(2003年7月取材 聞き手:神戸幸夫)
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