朝青龍明徳と大達羽左衛門
朝青龍は品格を欠くとして放逐された。大相撲は日本の伝統云々の講釈もある。そんなに大相撲の歴史は「品格」とやらを重視したか。明治期の大人気大関・大達羽左衛門の逸話を述べる。
大達は明治期最強の横綱・初代梅ヶ谷藤太郎とまみえた天覧相撲で有名だ。1884年3月10日、明治天皇の「お好み」として行われた指名試合は水入り2回の30分!引き分けで終える。この一戦が大達人気爆発の導火線であるのは疑いない。しかしそれ以上に江戸っ子が彼に肩入れしたのは、その悪童ぶりが楽しかったからだ。
この人のヒールなエピソードは事欠かない。まず、事実上の破門を2度食らって師匠を3回変えている。一度目は師匠に悪さばかりの日常をとがめられたのに逆上して逐電。相撲会所(現在の相撲協会)を除名された高砂浦五郎の元に走る。その高砂さえぶん殴って!破門。理由は関脇という番付が気にくわなかったというのだからメチャクチャである。それでも詫びを入れて伊勢ノ海門下で何食わぬ顔をして土俵へ上った。
朝青龍がしばしば批判された「仕切りで手をつかない」も大達の場合は朝青龍の比ではない。まず腰を下ろさず中腰のまま握り拳を相手の鼻先へ突きつける。怒った相手が低い立ち会い(当然だ。腰を下ろしているのだから)で突っかかってくると首根っこを押さえて放り出す。それを江戸っ子は「大達の中仕切り」「大達の徳利投げ」と名付けてヤンヤの喝采を送った。
土俵外の話はひたすら酒。それで体調を崩して横綱に届かなかったという。それでも会所は引退した彼に年寄千賀ノ浦継承を認めた。
朝青龍さん。今からでも遅くない。詫びを入れて平成の大達羽左衛門になりましょう。ただし番付は新弟子扱いから。これは初代梅ヶ谷藤太郎が大阪大関から東京へ転じた際に受けた扱いと同じだ。面白くなる。(編集長)
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