『転落 ホームレス100人の証言』出版記念 ホームレス自らを語る傑作選 第64回 オレの寿命もあと2、3ヵ月(後編)/関下新太郎さん(83歳)
昭和20年8月の終戦でニューギニアから復員して、またタイル張りの職人の仕事に戻った。若い衆5、6人を束ねた親方の仕事だよ。仕事は忙しかった。何しろ東京の建物の大半が、戦争で焼けてしまったわけだからね。仕事の注文はいくらでもあった。
そんななかで28か29歳のときに結婚する。見合い結婚で、嫁さんは7つ年下だった。昔気質の古風な女だったね。オレにはよく尽くしてくれて、気がきいて話のわかる嫁さんだった。
職人の仕事というのは、どうかすると途切れることがあるだろう。そうすると嫁さんが出かけていって、近所のカミさん連中と世間話をしながら、仕事の注文を取ってくるんだ。それで家に帰って「おとうさん、Aさんのところで台所をタイル張りに直したいって言ってるわよ」とか、「Bさんのところではお風呂場をタイル張りにしたいって」という具合さ。嫁さんが営業をしてくれたんだ(笑)。いや、ホントによくできた嫁さんだった。
夫婦仲もよかった。ただ、オレたち夫婦には、どういうわけか子どもができなかった。子どもでもいたら、オレの人生も変わっていたと思うけどね。
戦後の復興期から順調だった仕事だが、それに翳りが見えたのは70年代に入ってからじゃないかな。タイルに代わって、ステンレスとか、システムキッチン、ユニットバスなんかが幅をきかすようになってきたからね。それでも嫁さんと2人が食っていく分くらいの仕事はあったから、タイル職人ひと筋でやってこられた。
その嫁さんが、5年くらい前に中気(脳卒中)で倒れてね。そのまま死んじまった。それからは、ふっつりと仕事のやる気が失せちまった。誰のために、何のために働くのかわからなくなったんだ。
オレたち夫婦には子どもがなかっただろう。それに兄弟たちもみんな死んでたからね。このままオレが死んだら、家屋敷から財産まで国に持っていかれるのかと思うと、バカらしくなってね。どうせそうなるんなら、オレが死ぬまでに蕩尽してしまおう。そう考えるようになっていたんだ。
3年前に向島(東京・墨田区)の家屋敷を売り払った。1億2000万円になったよ。それでアパートの部屋を借りて、競馬場通いを始めた。ポケットに 300万円くらいのカネをねじ込んでは、毎日のように通った。賭け方も豪快だった。全部を1年で使いきるつもりだったからね。
ほとんどヤケを起こしていたんだけど、そういうときは独り暮らしというのがいけないね。誰も注意してくれる人がいないんだからさ。家族とか子どもでもいれば、叱ったり諭して、目を覚まさせてくれるんだろうけどね。1人だと控えることができないんだな。
ただ、1年で全部は使いきれなかった。競馬は時々当たるだろう。賭けるカネが大きい分、戻ってくる配当金も大きいからね。全部使いきるのに2年近くかかった。それでホームレスになった。きれいさっぱりしたもんだよ(笑)。
静かにお迎えを待つほうがいい
ホームレスになってから、ずっとこの(日比谷)公園で暮らしている。(紙袋に入った毛布を示し)この1枚の毛布にくるまって、公園の適当なところで寝ているよ。この毛布さえあれば冬でも寒くない。ホントだよ。
ここより新宿のほうが便利がいい? うん。たしかに便利はいいんだろうけど、新宿は街が騒々しいし、ホームレスにもやっかいなのが多いらしいからな。ヤー公もいるだろう。こっちのほうが静かでのんびりできていいよ。
食べるものの入手方法? ああ、オレは年金をもらっているんだ。それが月に7万円と少し下りるから、毎日の食べるものはそれで賄える。
去年の秋口だったか、年金が下りたんで、久しぶりに新橋の飲み屋で一杯ひっかけたんだ。そうしたら店を出たところでぶっ倒れて、病院に担ぎ込まれた。脳梗塞だった。前から血圧が高かったからね。
病院を退院するとき、役所の人が来て「福祉のほうで面倒みます」と言ってくれたが断った。福祉の世話なんかになりたくないよ。どうせ施設にでも放り込まれて、うまくもないあてがい扶持のものを食わされ、面倒をみてやっているという態度をされるんだろう。そんなのはゴメンだ。オレの場合は年金があるから、それで自分の好きなものを買って食えるからね。そっちのほうがいいよ。
この公園にいても時々役所の人が回ってきて、施設に入らないかと誘ってくれる。いつも「放っておいてくれ」と断っているよ。こうやって気ままにベンチに座って、静かにお迎えを待つほうがいい。
脳梗塞で倒れるまでは、足腰もシャンとしていたんだよ。朝この公園を出て、新宿から池袋を回り、夕方公園に戻ってくる。それを全部自分の足で歩いてね。健康のために日課のようにしていたんだ。
それが病気で倒れてからはいけないね。自分の足では 100メートルも歩けない。ほら、こんな具合だ(関下さんは立ち上がって歩いてみせようとする)。えっ、さっきもう歩いてみせた? 歳は取りたくないね。さっきしたことを、すぐに忘れちゃうからな。新聞だって読む端から忘れてるよ。ホントに歳は取りたくない。
そんなふうだからさ。もう寿命だよ。あと2、3ヵ月のもんだと思っている。日に日に衰えているのが、自分でわかるからね。もうこの冬は越せないないだろう。だから、こうやって静かにお迎えを待っているんだ。(2003年12月取材 聞き手:神戸幸夫)
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コメント
この83歳の人、久しぶりにおもしろく読ませていただいた。
職人さんが生き残るのは営業力だが、営業力のないやつも、みんな、どこかしらおもろいね。
ついでで悪いが、この一月、通りかかったので「あーとすぺーすMASUO」によって、モノクロ写真をただで見させてもらった。とても良い、と思った。
投稿: 田中洌 | 2010年3月29日 (月) 14時49分
田中様
面白く読んでいただけたとのことで何よりです。
また、写真展もご覧いただけたとのことですが、ひと声かけていただけたら、ご挨拶できましたのにと残念です。
投稿: 神戸幸夫 | 2010年3月30日 (火) 21時26分