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2010年1月

2010年1月31日 (日)

川口市のギャラリーにて写真展を開催

先日、下北沢で行われた「ホームレス100人の写真展」が好評を博した神戸幸夫氏が、
新刊『転落 ホームレス100人の証言』の出版を記念して、地元・埼玉にて写真展を開催します。

■『転落』出版記念写真展「路上生活者の貌(かお)」
とき:2010年2月22日(月)~2月28日(日)
ところ:masuii R.D.R gallery & shop(JR京浜東北線川口駅東口より徒歩6分)
地図:http://www.masuii.co.jp/rdr-map.htm

写真展では、出来立ての新刊を販売。どうぞお越し下さい。

新刊『転落』のご予約はこちら↓。必要事項をご記入の上、送信してください。

http://form1.fc2.com/form/?id=512104

料金のお支払いにつきましては、本に同封する振替用紙にてお振り込み願います。

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2010年1月30日 (土)

ポーランド留学時代の冬の思い出

浅田真央ちゃんがロシアで練習しているとかでyoutubeのロシアの映像を見るとやはり私はポーランドを思い出します。

食べ物とかも結構似ているし、気候も似ているし、雰囲気もやっぱり似ていますね。着ている物とか。あとは人間の様子とか。

もしこんなことをポーランドで言ったら怒られちゃうけどね。笑

留学を始めたのが冬だったので、寒い中(マイナス4度とかだったので本当に寒かった!)
自分なりにどうにか防寒してレッスンに出かけた日々が懐かしいです。

やっぱり私は愛国心があるな~→ポーランドに対してね。笑

パリにいるとね~なんだか夢の中にいるみたいで。
あー私こんなところで何してるんでしょ~って思う時もあるな。。。

でも、私はこういう気持ちとかを少し減らさないとダメなのかも。
感じすぎているのは良くない。

バレエの世界の子は言う。学校を去るとき、もしくは誰かが去ったとき、あえてみんなはその話をしなかったって。それは、感情的になりすぎて、感じすぎたりして、自分の心に傷をつけたり、周りの士気を下げたりしないためなんだって。

今では、世界中のバレーカンパニーにいる学校の友達と会って、「あの時は本当はこういう気持ちだったけどみんな話してはいなかったよ」とか話すって。

でも、今、私は、本当の気持ちをここで言いたい。

あーーーポーランドに帰りたいよーーーー。

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2010年1月29日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第19回 現実逃避は何も生まない

 どうもうちの親は、両親ともに現実を逃避するクセがあるようです。
 というのも、私がドーマン法を始めたのは7歳。つまりうちの親がドーマン法と出会うまでの7年間の間、私が脳性マヒだということすら気がつかずに過ごしていたというのですから!!
そんなバカな! とお思いでしょうが、これは紛れもない事実なんです。私が両親にとって第一子であったならば、まだわからなくもありませんが、しかし明らかにヨタヨタした歩き方でろれつは回らず体はフニャフニャしていれば、やっぱり疑うのが普通だと思います。ましてや私は両親にとって3人目の子どもだったのですから。
うちの両親の目が余程の節穴だったというより、現実を受け入れたくなかった、あるいは受け入れられなかったのでしょう。それほどに両親の中に「障害児」に対する深い偏見が住み着いていたともいえるのではないでしょうか。

 ドーマン法のことを知ったのは、日本の連絡窓口が神戸に開設されたというテレビのニュースがきっかけでした。翌日には新聞にも掲載されており、報道の仕方が「障害児」という嫌悪感を抱かせる前に「障害児も治る」が前面に押し出されており、おそらく両親は、わらをもすがる思いで、とっさに無理矢理OFFにしていたスイッチをONに切り替えたのでしょう。
 すぐに開設したばかりの事務所へ問合せ、ドーマン法を受けたいと申し出ましたが、受け入れ数はオーバーしており、すぐに申し込んでも2,3年は待たなくてはなりませんでした。本当にやるかどうか、申し込む前にドーマン博士が書かれた「親こそ最良の医師」という本を読むように言われ父は早速、最短で手に入る方法で必死になってその本を入手。むさぼるように一心不乱に読んでいた父の姿を私は覚えています。
知識は本で吸収しろ!というぐらい無二の本好きである父は、私が7歳のときまで、たった一度たりともその手の本を手に取ったことがなかったのです。

 後年ドーマン法での回復が「めざましい」「奇跡だ」「驚異だ」と騒がれ、私が脚光を浴びる中で、様々なメディアの取材にたいして父は『治る方法がないのに娘が脳性まひだと診断されたところで、僕たちの生活は良くならないし、娘の障害が良くなる訳でもない。だったら知って落ち込んで暗い生活を送るぐらいなら知らない方がいい』と語っていました…。
 心底、父の弱さを垣間見てしまったインタビューでした。
 治る方法がたとえ無くとも、私が脳性まひを抱えちゃっていることに変わりはないのですから「逃げず」に、現実を「受け止めなくちゃ」なりません。逃げていて、なにか一つでもいいことがあるのでしょうか? いくら辛かろうが私の命ある限りそれを受け入れることでしか未来は切り開けないと私は思うのです。現実逃避したままでも、時間と言うのは確実に未来へと誘ってはくれますが、それは本当の意味で“生きている”ことになるのでしょうか? ドーマン法によって、ようやく娘が脳性まひであることを受け入れられた両親でしたが、結果として、私は正真正銘未だに脳性まひ者なのです!!

 父のものさしでは果たして今、この矛盾とどのように付き合っているのでしょうか?

 えっ!? とっくにもう闇に葬られてしまったのか!!(笑) (大畑 楽歩)

楽歩さんのブログはこちら→ http://ameblo.jp/rabu-snoopy/

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2010年1月26日 (火)

大好評大河連載第7回 池田大作より他に神はなし/ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ダイサク!!ローマ法王はいつになったら名誉会長へ謁見に訪れるのか?

Toudai “家族の未来をひらく子育て・教育応援誌”『灯台』(第三文明社・定価390円)を買ったのは、恥ずかしながら今回が初めて。教育雑誌とはつゆ知らず。表紙のイメージから、てっきり中高年女性向け雑誌と誤解を。池田名誉会長の不肖の弟子を自称しながら、何たるザマか…。1963年創刊の由緒ある雑誌なのに。豚児が幼い頃から本誌を読み教育すれば、もっとまともな大人に成長したかも…。我々凡人は自らの恥を隠す穴を掘りつつ、日々馬齢を重ねる事しかないのですか、名誉会長!? 教えて下さい!!

 会長の各誌での連載はその多くが、一般的な奇数ページからの片起こしで はなく、見開き両面起こし。同誌の大黒柱である連載てい談、「人間教育(にんげんきょういく)への新(あたら)しき潮流(ちょうりゅう)ーデューイと創価教育(そうかきょういく)ー」もそうだ。右手偶数ページは、上段の約3分の1が名誉会長自らの撮影からなる、東京牧口記念会館のカラー写真。堂々たる威容がまず眼を射る。一見は何でもないギリシャ辺りの素人観光写真風だが、虚心になり再び眼をやるやいなや、3Dどころか6D、いや100D級の迫力で瞬時に心を支配される。巨大な石柱が大映特撮映画『大魔人』の両足のように、ズンズンと迫って来る!!助けて下さい名誉会長!!!写真芸術の威Toudai2力恐るべし。

 率直に言って、一葉の写真にここまで心を動かされたのは、56年の生涯で初めて。土門拳の『筑豊のこどもたち』、石川光陽の『痛恨の昭和』、森山大道の『犬の記憶』、篠山紀信の『サンタフェ』他、種々の写真集をめくっては来た。が、会長の一見は凡庸だが、実ははるかに奥深い心象風景に比すれば、全てが単なるアート紙の紙クズだ。無国籍風、いやインターナショナルな牧口記念会館の偉大さ、その見事な写真芸術化に、ただただ黙して酔うのみ(ロバート・キャパ、あるいは写真集団マグナムが、束になってもかなわない域だ。ましてやアラーキーなど問題外)。

 一方で、発行元、第三文明社のスタッフは明らかに怠慢だ(聖教新聞社、潮出版社もなのが、弟子としては情けなくてならない)。今度で3回目とあるが、デューイ博士本人ならともかく(1952年に死去してるので無理だが…)、ラリー・ヒックマン(ジョン・デューイ協会元会長)、ジム・ガリソン(ジョン・デューイ協会前会長)って、あ…余りにも小物度が過ぎる。本来なら、会長がパリで乗る籠のかつぎ手がいいトコ(本連載2回目参照)。驚くのは、”20世紀の生んだ最大の天才の1人”と、内外の多くの識者が口を揃える会長が、そんな籠かきに対して、愛情と謙虚さとに満ち満ちた、公平な口を利かれてる点だ。特に冒頭での次のお言葉が素晴らしい。

 ”二00八年の夏には、光栄(こうえい)にも、貴協会より、意義深(ふか)き「終身名誉会員(しゅうしんめいよかいいん)」の称号(しょうごう)を賜(たまわ)りました。改(あらた)めて、心より感謝申(かんしゃもう)し上(あ)げます”。

 偉人の名前を付けた財団や博物館、記念館の類いのほとんどは、故人に寄生して来た馬鹿親族や、無能な弟子の飯の種と化してるのが普通(あるいは天下り役人の養老院に)。推測するにこの協会も似たり寄ったりと。故人の名声や遺産も時と共に勢いに陰りが。そこでまだバリバリの現役で活躍する、世界の偉人に接近、当人は少しも欲しがってないのに、無理矢理に称号を与え、その行為により自分達が名声を得ようと図るのだ。無能無恥の末裔共が、いかにも企みそうな下賤な思惑だ。しかし名誉会長は、裏事情は百も承知してるのに、読んでの通り鷹揚な対応を。部下の力不足にも、相手の知的貧困にも、邪悪な日顕一派の策謀にも耐え得るこの精神。神々しいとの日本語を、こんな時に使うのをためらう者は、もはや人間とは言えない。

 特にガリソン君のヨイショたるや、読売(ナベツネ)新聞の調活費泥棒集団・東京地検特捜部による違法なクーデター捜査への、応援ヨタ飛ばし記事並。

 ”二者(にしゃ)に加(くわ)え、私は三者(さんしゃ)の関係(かんけい)が、より重要(じゅうよう)に思われます。ソクラテス、プラトンにアリストテレスを加(くわ)えた三代(だい)の関係が、西洋思想史(せいようしそうし)における最(もっと)も重要(じゅうよう)な教師と生徒(せいと)の学究(がっきゅう)の関係、ないし師弟(してい)の関係にあったことは、疑問(ぎもん)の余地(よち)のないところであり、これを否定(ひてい)するひとは、まずいないでしょう。/そして、私にとっては、牧口会長、戸田会長、池田会長の三代(さんだい)の師弟(してい)こそ、師弟の関係(かんけい)の連続性(れんぞくせい)を示す意義深(いぎぶか)き事例(じれい)であると思います。(中略)牧口会長の最大(さいだい)の業績(ぎょうせき)は、戸田会長でした。戸田会長の最大の業績は池田会長であると思います”。

 俗物毛唐の卑屈かつ安っぽい比喩には、多くの心ある人が嘔吐感さえ感じるに違いない。凡人なら(つまり筆者なら)、多分殴り倒してるはずだ。名誉会長の神々しい精神でさえ、忍耐の一線を超えるのではと心配しつつ行を追った。ところが…。

 ”創価の師弟(してい)ヘの深(ふか)いご理解(りかい)に、心より感謝申(かんしゃもう)し上(あ)げます”と、軽い皮肉でいなしたのだ。俗物への烈火の怒りさえ、ユーモアの種にしてしまう、お茶目な面もあるアリストテレス、いや池田名誉会長。いつまでも長生きして、私達の人生航路の指針をお示し下さい。世界的写真家としての腕前も、多忙ではありましょうが時には見せて下さい。 (つづく)

■塩山芳明…雑誌版『記録』にて『奇書発掘』を連載。エロ漫画編集者。著書に『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』(アストラ)、『嫌われ者の記』『現代エロ漫画』(共に一水社・絶版)、『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)、『東京の暴れん坊』(右文書院)がある。

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2010年1月25日 (月)

書店の風格/第40回 ブックファースト梅田店

 大阪に出張に行った折、ここだけは行っておかないとと思って立ち寄ったのが、ブックファースト梅田店。ブロック型でゴツゴツした印象が強い新阪急ビルの、1階から3階までが本屋さんだと言われても俄に信じがたいだろう。しかし入り口をくぐると、広大なフロアが出迎えてくれる。530坪の大型書店だ。

 1階は雑誌や新刊は勿論のこと、話題書・実用書・児童読み物などが密集していて、このフロアだけでも普通の本屋さんとして成り立ってしまうほどの充実ぶりだ。1階にこんなに盛り込んで大丈夫? と思いながらエスカレーターをあがると、2階に広がるのはビジネス書と、人文・社会・法律など専門書の世界。

ここで驚くのは、尋常でないビジネス書の充実っぷりだ。社会人一年生から実業家を目指す人まで、あらゆる立場のニーズに合わせたビジネス書が置いてある。それほど仕事への意識が高い人々が多いということで、大阪の伝統芸がここにもあらわれているのか? と、ついつい思ったりした。

 3階では、買った本を読みながらゆっくりお茶を飲めるスペースがある。

一定金額以上の書籍を買うと、ワンドリンクサービス券がついてくるのが嬉しい。さっそく三階にのぼると、ひっそりと落ち着いた喫茶スペースが待っていてくれた。全体的な照明は若干暗めだが、本を読むのに邪魔になる暗さではない。目が疲れない程良い明るさを保っている。集中して読んで、ふと窓の方に目を向けると、もう夜であった。

大きな窓から大阪の夜景を眺めることができ、旅行者にはなかなか感動的な時間だった。(奥山)

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2010年1月24日 (日)

日曜ミニコミ誌!個人的な冬コミチャンプ『広域交付住民票の愉しみ』

 日頃は誰の目にも留まらないものが、魔法のように面白いものに変わってしまうことがある。
 むしろそう変えてしまうことが「編集」という仕事の使命だと思う。

 この雑誌との出会いは、冬コミだった。一部の人びとには言わずと知れた、東京ビッグサイトで例年行われる素人紙媒体の祭典だ。素人とはいえ、ほとんどの雑誌はプロ級、いやそれ以上のクオリティで作られている。だからこそ出版人が魅せられて、うじゃうじゃ名刺を配るのだ。

 各日、知り合いが出店している中で、仕事の面から選んだ30日にその収穫はあった。廃村を研究している、最近知り合えた方のところで挨拶し、隣の秘宝館ブースをチラ見しながら素通りすると、そこに「旅貯の会」はあった。
 
「りょちょ」ってなんだろう。見本誌をめくると、「旅行貯金」のことらしかった。色んな郵便局で貯金をし、通帳にその局のスタンプをもらうということを繰り返すのだ。一見地味でも、局のスタンプはそれぞれが独特で、並ぶと圧巻だ。ただの文字モノでもデザインやフォントが少しずつ違うし、色を出しているところもある。例えば、「どんぐりの里 上更別局」、「風と昆布の街 えりも郵便局」など。

 しかし、さらに心惹かれるものが並んでいた。それが『広域交付住民票の愉しみ』だ。

 広域交付住民票とは、居住していない地域で申請する住民票の写しのことだ。住基ネット(懐かしい響き)の情報をやりとりすることで可能となるので、住基ネットに参加していない地域では申請ができない。

これを北海道の様々な市町村で申請し、各々の住民票の写しを公開しているだけなのだが、紙質や申請料に若干の差異があり、それを比べるだけでも面白い。

透かし彫りのしてあるリッパな紙だったり、ただのコピー紙だったり、200円だったり、500円だったり、本当に様々なのだ。
それは各市町村の財政状況を暗に示しているかも知れず、想像を掻き立てられる。
まさに「広域交付住民票の愉しみ」である。

もっと広く広く活動してほしい、そう思わされる表現者に、この冬も出会った。(奥山)

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2010年1月23日 (土)

ロシアの横暴/第32回 寅年記念! 大トラで儲けるロシア政府(1)

「アル中撲滅」を目指していたミハイル・ゴルバチョフの禁酒令は撲滅どころか、逆に増やしてしまった。それから20年以上経った今も、ロシア社会の主要な敵は「アルコール関連」である。 アルコール中毒、とか依存症という病名は日本でもおなじみになってきているが、ロシアにおける「アル中」のレベルは日本人にはとても想像できない。
 ロシアは寒いからウォッカがないとやっていけない、とか、ソ連は自由を束縛されているからアルコールに溺れやすい、とか、どうみても日本人の思考回路から発生したアル中原因諸説がまことしやかに流れている。ロシアのアルコール問題は「別世界のできごと」なのかも知れない。
 
 ペレストロイカ以前、つまり、ソ連停滞の時代もアルコールは社会問題だった。もっと遡って帝政ロシア時代もアルコールが社会の軸であったことがロシア文学から伺える。帝政ロシアにアルコール対策があったかどうかは別として、少なくともソ連時代の1970年代にはそれなりに対策をとっていた。
 当時の対策のひとつに「一泊お泊まり」という軽い罰金刑があった。この「お泊まり」の対象になるのは酔っぱらってその辺で転がっている善良な市民である。罰金を払う分だけサービス(?)が受けられる。お茶とかシャワーとか、酔い覚ましのためのサービスだ。日本に適用すれば昨年夏に酔っぱらって一騒ぎしたジャニーズの某タレントなどが、この「お泊まり」の対象となる。
 ところがこの対策は別の問題を発生させた。酔っぱらいを捕まえて放り込んで職務遂行、捕まえた人数がノルマとなるお国柄だから、当然のことながらノルマに追いかけられる警官が出てくる。捕まえたトラの持ち物を失敬するのは普通のこと、そのうちに失敬ではなく強奪が当たり前になってしまったのだ。罰金、つまり酔い覚ましサービス料は国家の収入となり、警察官には何の実入りもない。彼らの給料はこうして追い剥ぎでもしないとやっていけないほど安い。所持品の少ない不運なお泊まり客は「戦利品不足」の腹いせに殴られて青あざのおみやげをもらうことになる。
 身ぐるみ剥がれて帰宅すると「警察も悪いが、酔っぱらって街を歩くアンタが悪い、いい薬になったでしょ」と、家族からもう一杯バケツ水をかけられる。
 かつてのソ連で(あるいは今のロシアでも)若い女性の恋人選びの第一条件は「飲まない人」だった。家庭内のあらゆる不幸は「アルコール」から始まる、と社会が認識していたわけだ。
 
 さて「一泊お泊まり」の次の段階として「15日間お泊まり」がある。これは街で警官に喧嘩を売ったり、公務執行妨害のようなことをしでかした者、および妻にDVをはたらいた者が対象である。アルコールに限っているわけではないが、どうせこれらの軽犯罪の原因はアルコールだから、広義でアルコール対策といえる。
 効果のほどは、というと15日間酒を断って改善の方向に向かうことはまずない。アル中対策ではなく、単なる刑罰であって、改善させるのが目的ではないからだ。従って16日目から元通りに、しかも飲めなかった15日分を挽回するとして大酒を飲むのが相場である。DVも同様で、通報した妻がもっとひどいDVに遭うことは火を見るより明らかである。もっとも大半の妻は15日以前に離婚してしまうだろうが。

(妻側からの一方的な離婚調停申し出は簡易裁判所みたいなところで扱われる。アルコールがもとで15日お泊まりをした夫ならば無条件に離婚許可が下り、しかも夫側には罰金まで科せられる。罰金であって妻に対する慰謝料でないところがミソで、離婚調停による「罰金収入」が国家に入ってくる仕組みだ。ソ連の離婚率が高かった原因のひとつに「アルコール」があるが、国家はそれに悪のりして罰金収入を得ていたことになる)(川上なつ) 

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2010年1月22日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第18回 オリンピックでも目指せと?

 ドーマン法の理論を端的に言うならば、正常な赤ん坊の発達段階をもう一度辿ってやり直してみよう! という極めてシンプルな理論なのです。“脳”という繊細かつ複雑なメカニズムに、このような単純な理論が通用するとは思えないのですが、しかし“シンプルイズザベスト”という言葉が時に問題解決において重要な働きをしてくれることも否めません。
 徹底的に赤ちゃんの工程からやり直す…つまり、腹這いやハイハイを気が遠くなるほど繰り返し、正常な腹這いの仕方をインプットするべく博士が開発したパターニングもあやしいリハビリだと言えば、大概あやしいのですが、正常な発達を辿っていくという点においては、まだ一理あるかも?と、どこかで頷いてしまいます。
 でも、ドーマン法のプログラムの中には、驚くべきことに機械体操の床運動や平均台やトランポリン、クラッシックバレエなどが織りこまれていくのです。

 そもそも、まともに歩けないから、学校にも行かず訓練に明け暮れているというのに目指せ!! 池谷幸雄ですかぁぁぁ???? ヒョェ~~何かが違うんじゃ…。
 さらに研究所は、これらは『習いに行け!』つまり、習わせろ!と言い放つのです。
 普通は、ここで「ちょっと待って下さい。」とつっかかりたくなりますよね。
 なんたって莫大な診察代をドーマン研究所に支払っているのですから。
 勉強についていけないから塾に通わせている子に、塾の先生から突然『お宅のお子さんに今日から算数の家庭教師もつけて下さいネ』と言われるようなものです。おかしすぎますよね!!
 基本的にドーマン法は、セラピストではなく親がトレーナーになって日々のプログラムを消化していくのが鉄則なので端から特殊なのですがね。つまりバレエや機械体操なんぞ親が教えられないでしょうから「習いに行きなさい」ということなのでしょうが…。
 年に2回、親子揃ってスタッフの診察を受け、新たなプログラムメニューを組んでもらい、その際、指導のポイントやゴール達成までの目安段階などをスタッフから親へ伝授するという独特の手法なのです。スタッフが子どもの状態にあったメニューを作りだす、まさにこれだけの為に高い治療代を支払っているようなものなのに、ある程度のレベルに達して、赤ちゃんの工程から徐々に人間らしいメニュー「水泳」「バレエ」「機械体操」へ移行し始めると…スタッフの口から発せられることと言えば『いい感じの伸び率です。かなり運動年齢レベルも上がってきましたので、今後は新たにバレエと体操を習わせて下さい。○○時間はクラッシックバレエで○○時間は床運動の時間に充てて下さい』とオリンピック並みの練習時間を言い放って診察終了! って…そんなのアリですか???って思いません?もはや習いごとの範疇ではございません!!(笑)

 ウチの親はさほど不思議そうでもありませんでしたが…でも…私の中ではウサン臭さがこんなに炸裂してるのに「パパとママは、どうも気付いてなさそうだぞぉ…ウチの親、大丈夫なのかしら?」と不安に感じつつも、一日中ジャージ姿で家のカーペットの上を這いつくばってる少女にとって、習いに行くという行為が唯一、まともな服に着替え、からまりまくった髪に櫛を入れられ、外の空気を思いっきり吸えて、母親や家族以外の人と触れ合える貴重な貴重なヒトトキだったので、あえて矛盾に気づかぬふりをするのに大変苦労していたんですョ~。ホホホ。(大畑 楽歩)

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2010年1月20日 (水)

「ホームレス 100人の写真展」が大好評のうちに終了

去る1月12日~17日、下北沢のギャラリー「あ~とすぺ~すMASUO」で「ホームレス100人の写真展」が開催されました。

写真家は、2月に弊社から『転落~ホームレス100人の証言~』を出す神戸幸夫氏。
これまでも著書に『ホームレス自らを語る』『新ホームレス自らを語る』(ともにアストラ)があり、15年ものあいだ路上生活者にインタビューし、写真を撮る活動をしています。

連日、各新聞に取り上げられました。(クリックすると大きく表示されます)
↓読売Photo_2新聞(09年12月30日)

↓朝日新聞(1月11日)

Photo_3

↓東京新聞(1月14日)

72

↓毎日新聞(1月17日)

Photo_4

写真展は、大反響のうちに閉幕。

Photo この度の写真展に使われた写真の人々の、それぞれの人生は
2月発売の『転落~ホームレス100人の証言~』で読めます。

発売日を随時お知らせいたします。
予約はこちら→astra0911@gmail.com
お名前・ご住所・電話番号をお知らせ下さい。
料金は書籍に同封する振替用紙にてお支払い下さい(送料は無料です)。

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2010年1月15日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第17回 愛猫チロに見守られ

Img002  一日中、ワケのわからない無謀な訓練に明け暮れる少女にとって、カチコチとリズミカルに刻んでいってくれる“時”と、飼い猫のチロの存在が大きな支えでした。犬も2匹(親子で)飼っていましたが、中型犬でしたので生活の場がお庭だった愛犬達は、散歩にも連れていってやれない私にとっては身近にして遠い存在なのでした。
 その点、チロは屋外・屋内ともに自由に行き来していて、気がつけば常に傍らにいるのですから孤独な私にとって、いつしか兄姉よりも心通わせる存在になっていたのです。
 犬と違って猫は、飼い主に対して忠誠心のカケラもなく、機嫌が悪い時にかまえば、飼い主だろうがおかまいなしに、ひっかくマイペースな生き物。ペルシャと雑種が混ざった真っ白い毛を身にまとったチロも、そんな猫の特性を前面に出した猫の中の猫!! という感じの性格でおまけに、寂しがり屋なクセに抱かれるのは大っキライというツワモノでした。小西家の王子と呼ばれた程に、勝手者でマイペースなチロでしたが、不思議なことに訓練の間中、どんなときもずーっとチロは私のことを見守り続けていました。床運動を行う為に上の階へ上がれば、誰が呼んだわけでもないのに、その部屋の隅っこで丸くなりながら熱心に毛繕いをしたり、時には退屈そうに眺めながらも、必ず視線は私を見据えていました。メニューによって目まぐるしく内外問わず訓練場所を移動してプログラムを進めていくのですが、いつも気がつけば必ずチロは何をするでもなく隅っこで丸まっていたのです。

 私の大キライなメニューの時ほど、チロは心配そうに丸くなりながら私を見つめていました。中でもブレキエーションは、手のひらのマメが痛いのと、落ちたら捻挫か骨折か…という迫りくる恐怖と闘いながら、バーに手をかけつつも、なかなかぶら下がれないでいると視線の先にチロの姿が…。丸まりながらも耳はピーンと立てたまま、ジーっとこちらを見つめて『落ちるの気にしてたらできへんがな。どうせせなあかんねやから、バー一本でも進まな自由時間が無くなるだけやでぇ。はよしなはれや~。』と語っているようで、何度猫のチロから励まされたことか…。また隣の公園で歩行訓練するときも、公園のどこかにチロの姿は必ずありました。雨や雪がふっているときには滑り台の下で、より一層、寒そうに体を丸めながら…、真夏の炎天下、モーレツに暑い日には、木の木陰のなるべく涼しい場所で、歩行訓練が終了するのを、ただひたすらチロは待ち続けてくれていたのです。

 マスク(マスキング)をつけている間は、猫じゃらしを片手にチロと戯れられる束の間の時間でした。知性プログラムの一環でバイオリンを弾き始めると迷惑そうに耳をひくつかせながらも、そこから立ち去らなかったチロ。
 一日のプログラムがすべて終了しようやく手に入れられる自由なひととき…。よく私は、母には内緒で、チロの大好物な味付けのりやマタタビ、缶詰めなどをこっそり部屋で与えていました。だから…じゃないですよね?! チロが私に懐いていたのは!!(笑)
もちろん、寝るときも一緒。チロは寝像の悪い私に蹴飛ばされながらも懲りずに私の足元で寝ていましたョ。

 そんなチロも天寿を全うし、17年の生涯を閉じるときの場は…やはり私の部屋でした。部屋には私とそれから、たまたま遊びに来ていた主人の二人に看取られ、静かに息を引き取っていったのでした。それは、私たちの結納から僅か4日後のことでした。
私には、チロが自分の役割を主人にバトンタッチして、ようやく天国へ旅立てたという気がしてなりません。
花嫁願望が芽生え始めた5歳の時からお嫁に行く22歳まで、まさに私の激動期の苦楽を共にしてきた猫のチロ。
今でも私は夢の中や、庭の片隅にチロの気配を感じることがあるんですが、すっかりオバさんになってしまった私と自分の役割を託した主人が、チロの目にはどのように映っているのでしょうか。(大畑 楽歩)

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2010年1月14日 (木)

ホームレス自らを語る 第49回 帰る家はあるんだが…/山崎明さん(70歳)

 生まれは昭和10(1935)年で、台湾の新竹という町でした。父親が大手石油会社の社員で、新竹の支店に勤務していたんです。そこを拠点にして南方のジャワ、スマトラなどの石油の買い付けをしていたようです。
 台湾には敗戦で引き揚げる小学5年生までいました。植民地台湾での日本人の生活は特権的でしたから、私の人生でのいい思い出は大半がこの時代のものです。計画的に造成された日本人街の整然とした美しさ、日本人学校の豪華で立派な造りなど、いまでもありありと蘇ってきます。
 日本に引き揚げてからの戦後の生活が大変だっただけに、台湾での生活がことさら美化された思い出になってしまうんでしょうね。
 我が家の一家、両親と兄弟7人が引き揚げたのは昭和21(1946)年6月で、両親の故郷の柏崎(新潟県)に落ち着きました。父親はそのまま同じ石油会社で働きました。
 私は地元の小学校、中学校を出て、高校は工業高校の化学科で学びました。「日本の復興には化学の力が必要だ」とか、生意気に考えて化学科への進学を決めたんです。
 高校を卒業したのが昭和28(1953)年で、この年はひどい就職難でね。クラスの40人のうち大手企業に就職できたのは2人だけで、それも縁故就職でした。じつは、その1人が私でした。父親の仕事の関係で、大手のM鉱業に就職できたんです。
 勤務地は北海道の夕張炭坑で、そこの開発課で働きました。新しい石炭鉱脈をボーリングして、鉱脈の深さを探るのが仕事です。新しい鉱脈の位置は過去の地層のデータでわかっていましたが、問題はその深さでした。当時、採炭の限界は地下1000メートルといわれ、我々の仕事は鉱脈がそれより浅いか深いかを調査することでした。
 ただ、炭坑というのは私が就職したときには、すでに斜陽産業のレッテルが張られ経営不振は深刻でした。合理化に次ぐ合理化が行われていて、しだいに嫌気が差して26歳のときに辞めてしまいます。
 それで東京へ出て、大手のM製菓の工場に就職しました。菓子の製造ラインに入って働く工員の仕事です。そこに46歳までいました。寮に入って、工場と寮を往復する生活を20年間続けました。

 結婚はしませんでした。そんな女の人とはめぐり会わなかったし、そんなチャンスもなかったですね。
 右目を失明したのは30歳のときで、草野球をやっていてボールがぶつかったためです。外傷性緑内症という診断でした。
自分の会社を立ち上げたが…
 46歳で製菓工場を辞めたのは、新潟で会社を興したからです。建築に使う鉄骨部材を加工する町工場ですけどね。それでも最終的には従業員20人、年商約3億円くらいまでになりました。私の年収も3000万円ほどになって、200坪の土地を買って5LDKの家を新築しました。
 そんなふうに儲かっていた会社ですが、設立からわずか4年で廃業してしまいます。理由は従業員の死亡事故を起こしてしまったからです。その従業員は高所作業中に品物といっしょに墜落して、床に叩きつけられて死亡してしまいました。
 原因はその従業員の不安全行動でした。それでも人間1人が死亡したということは、安全管理に問題があったとして、社長の私の責任が問われることになりました。それに補償問題でいろいろゴタゴタしたこともあって、工場を続けていく気力を失っていたんです。設立したばかりで、せっかく軌道にのっていた会社でしたが廃業することになりました。私が50歳のときのことです。

 それでまた東京に出て、こんどは建設会社の営業マンになりました。その建設会社の営業マンというのは、別の建設会社の営業マンたちと談合して、受注の調整をするのが仕事でした。談合というと、いま世間では風当たりが強いですが、あれがなかったら日本の企業、とくに建設業界は成り立たない仕組みになっています。工事を発注する役所も、それを暗認のうちに認めていたんですからね。
 その仕事は定年直前の58歳までやって辞めました。それからも食わなくてはならないから働きましたよ。日雇いの土工をしたり、営業の仕事をしたり、たのまれれば何でもしましたね。そうやって、おととしの68歳の年まで働いていました。
 ホームレスになったのは去年の7月からです。といっても、私には帰る家があるんです。借家ですが、埼玉に一軒家を借りています。だけど、家に帰ったところで、女房、子どもがいるわけじゃないし、家にいてもすることがないでしょう。

 だったら、この(上野)公園のベンチに座って、ボケーッとしているほうがいいですからね。それにここにいれば差し入れや炊き出しがあるから、食うことにも困りません。自然にここに居着くようになりました。人間が元々いいかげんなんですよ(笑)。
 公園にいてもホームレスの仲間をつくったりはしません。1人でいることが好きなんです。1人でボケーッとしているのがいいんです。
 昼間はこの公園のベンチですごして、夜は近くのビルとビルのあいだに段ボールを敷いて寝ています。そこは屋根があって雨露がしのげますし、段ボールで仕切って風も防げます。あと毛布が3枚あるから、寒さ対策も万全。快適ですよ。
 これから先のこと? 行くところまで行くしかないです。あとは野となれ山となれの心境ですね。(2005年1月取材 聞き手:神戸幸夫)

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2010年1月12日 (火)

ロストジェネレーション自らを語る/女、28才、主婦(後編)

(後編)
 大手の文系職であれば、全国に転勤する可能性がついてまわります。そうすると、彼とは一緒に暮らせませんから、せっかく合格しても全て蹴ってしまっていました。実際に興味のある分野はマスコミ系でしたが、もともと真面目で成績がよいだけで多方面に興味があるわけではない私は、あらゆる分野から出題される筆記試験に戸惑い、すべて落ちてしまいました。自分の希望する職には就けない、受かったところは蹴らなきゃならないで、自分自身の中でも大混乱し、気持ちに折り合いがつかなくなっていきました。結局、迷いながらも転勤のない通信関係の企業に就職したんです。

 会社に入ると、女として振る舞わなくてもよかった今までの状況から一転して「仕事なんか出来なくてもいいから、職場の花になれ」と要求されるようになりました。出来ない、と男性に甘えたり、バカなフリをすればするほど周りにちやほやされるという環境についていけなくて、鬱状態に陥りました。もともと眠れない質なんですが、その状態が悪化して。日中どうしても眠くなり、駅で歩きながら寝てしまい、倒れたこともありました。行きたくなかったんですよね、会社に。そしてその頃、彼氏とも別れてしまい、もう、ボロボロでした。

 結局その会社を9ヶ月で辞めた後、大学時代にかなり認めてもらっていたバイト先である進学塾の方に声を掛けられ、またそこで講師の仕事を始めます。でも、進学塾の仕事は給与はいいけれど徹底した実力主義で、成果を出せなくなればいつクビになるかわからない。正社員ではないので福利厚生も全くありません。なんとかして安定して続けられる仕事をしないとまずいな、と思ってはみても、もう社会人としての自分に自信を失ってしまっており、就職活動をはじめることがどうしてもできません。鬱で判断がおかしくなっていたこともあり、もう、人並みに仕事が出来ないんだったら結婚しかない!とヤケになって婚活を始めます。まだ、婚活という言葉がない頃でしたが…

 しかしここで、大学時代にはなかった壁が立ちはだかりました。それは私の学歴です。私に会う前にプロフィールを知った男性は、出身大学名だけで完全に引いてしまって。親しみやすくする努力をしてみましたが、全くうまくいきませんでした。安心してつきあえそうな同じ大学の男性は、みんな振ってしまったあとです。無理なことばかりして、もう八方塞がりで毎日死にたくて、でも、元々の男友達が、そんな私を救ってくれました。その人は専門学校を出ていて、そこで得た知識で仕事をしているので変な学歴コンプレックスがなく、安心してお付き合いすることが出来ました。今は、その人と結婚して、1歳の子どももいます。講師の仕事は産休も育休もないので、妊娠を機に年度末で契約を終了しました。

 贅沢しなければ夫のお給料だけで暮らしていけますが、心配なのは、子どもが大きくなったときのことですね。子どもの選択の幅を狭めたくないな、と思ったら、私も働きに出なければならない状況になるかもしれません。そんな時、私は働けるのかな? と思って。以前アルバイトに出ていたときに経験があるんですが、スーパーのパートとかだと高学歴すぎて上司や同僚に引かれるんです。「何で○○大卒でこんなことしてるの?」とはっきり言われたこともあります。扱いづらいんでしょうね。かといって正社員で就職しようとしても、最初の9ヶ月間の仕事のあとはアルバイトばかりで履歴書が真っ白でしょう。採用していただけるかどうか……。特別な資格もないし、塾に戻ろうにも夜が中心だから子どもの世話が出来ないし。

 雑誌なんかを読んでいると、子どもを持ちながら働いている活き活きした女性を沢山見ますよね。本当に落ち込んでしまいます。中高の同級生も、みんな専門職でバリバリ働いているから、こんな状態で本当にごめんなさいって思ってて。大学まで出してくれた親にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。結局、高学歴ニートのようなものじゃないですか、私……。(聞き手:奥山)

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2010年1月 9日 (土)

Brendaがゆく!/☆バカンス☆パーティー☆大疲労☆

12月20日に仕事納めをしてから、クリスマスのバカンス。
パリの北駅からタリスという列車に乗ってブリュッセルまで。
そこからまた長い(過酷な)旅が、、、機会があればあとで書きます。

毎日、パーティーとかディナーの連続だったのですが、ひどいかぜをひいて、お昼過ぎに起きては、やっとシャワーを浴びてとりあえずエレガントな服ででかけていました。病院に行くのがめんどうなので(救急病院の診療はめんどくさい)、パーティーには、必ず誰かしらお友達のお医者さんがいて、何度か合間に診てもらったり。キッチンの戸棚の薬を分けてもらう日々でした。

食事も作る余裕も買い物に行く元気さえもなし。起き抜けに、前の日のパーティーでもらったケーキとコーヒー。それから何も食べずに、パーティーで1食だけ食べてました。おかげで痩せましたよ。クリスマスとお正月は普通太るんだけどね!

でも、あまりに精神的に調子がいいので、誰も病気だとわかってくれなくってね。汗

しかし、パリの家に戻ってからは、疲労で家からでることもできないほど。。。
ピアノさえも弾けないめずらしい状況です。大晦日から年が明けて今日まで指一本ピアノに触れてないんだから。

パーティー&ディナーの日々で疲れて。
そのあと自宅に戻り、引きこもりのように、食べて寝るだけの日々。
まさに夢見たいな日々ですけど。笑

でもね、疲れだけではなくてこのように病気になったのには実はわけがあります。
ホテルに不備があった。裁判しそうな勢い。
今裁判するか考え中です。
回復しないとそこまで攻撃的なパワーもでてこないのでね。
これで人生3つめの裁判ですかしらね。

まったくアタクシらしいんですけど、最近はこんな感じ。
久々の更新でした。

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2010年1月 8日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第16回 CO2??

 盆と正月すら関係なく、学校へも行けず、ただひたすら365日、延々と繰り返される訓練生活の毎日。
「気がついた時には、すでにそんな環境に置かれてしまっていた…」私には、そんな感覚だったのです。
 それでも、ただ一つ明確だったことは、この異常な生活を強いられている目的は、私が障害児から“健常児”へと生まれ変わる!ただそのためだけに家族全員が犠牲になってしまっている、ということでした。
 好きでその道を選んだ現役のスポーツ選手ですら、オフ日もあれば、お正月の三が日ぐらいはプライベートな時間は保証されていることでしょう。何よりもそれは「自分の意思で」選びとった選択なのですから多少の犠牲や苦労は厭わないはずでし、ましてや家族までもを巻き込むという悲惨な事態にはならないはずです。
 私のモチベーションが底辺に達してきたと感じると、いつでも両親は『あなただけじゃないのよ。ほら世の中の立派なスポーツ選手達はね…… ほらほらあの金メダリストだってね………』と長~いお説教が始まるのですが、そんな話を聞かされてもモチベーションが回復する訳がありません(笑!)それどころか行き場のない憤りを感じ、どうにもこうにも身の置き所がなくなっていくだけでした。
 ≪そもそも私は好きで障害児になったわけでもないし、そりゃ五体満足にこしたことはないけれど、健常児がなんなのよ! ちょっと、そのいい方は差別もいいとこじゃないの!! だいたいね、あなたたちだって、いつ何時“障害者”になっちゃうかもしれないのに、何ぃよ~その上から目線はぁぁぁ!!!!!!! ほんまに腸煮えくりかえるっちゅーねん!! 健常なら幸せなんやったら、世の中もっとハッピーになってるでしょうがぁぁぁ~!! 私が目指したいのは、健常者やない。そりゃなれるもんならなりたいよ。でも無理なんやもん。いいやん障害者でも。なんであかんの???≫

 とお説教を受ける度、この思いはより強くなっていくばかりでした。このことは何度も両親に訴えてきましたが、いつも答えは同じでした。『あほちゃうかおまえは。世の中のことをわかってへんだけや。逃げてるだけや!』と…。若干8歳足らずの子どもが、父親から上から目線で、こう怒鳴られたら口を噤んでしまっても仕方ありませんねー。でも私は、尚も心の中では≪そんなことあるかいな!逃げてるのはパパの方でしょうがぁ~!!≫と思っていたんですけどね。(笑) 見た目とは裏腹(?!)に随分と気の強いムスメなのでした。

 おっとプログラム紹介を忘れるところでした。ドーマンのプログラムはどれも奇抜なものばかりですが、いまだに私の中でも謎のプログラムがあります。それは生理面のプログラムなのですが、その当時、開発されたばかりの研究プロジェクトで、試験的にとりいれられた「CO2」というプログラム。
 二酸化炭素20%と酸素80%を混合した特殊ガスを1分間吸うという非常に怪しげな訓練なのです。特に害も無かった気がしますが、メリットも…???(笑)ただ臭かったという記憶しか…残っていませんねぇ~(大畑 楽歩)

楽歩さんのブログはこちら→http://ameblo.jp/rabu-snoopy/

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2010年1月 5日 (火)

『ホームレス 100人の写真展』が開催されます

100nin 先日、新刊の発売をお知らせした神戸幸夫氏の個展が下北沢で開催されます。

2010年1月12日(火)~1月17日(日)
AM11:00~PM6:00(最終日PM5:00まで)

〒155-0031
世田谷区北沢1-32-3
(井の頭線池ノ上駅より徒歩1分/下北沢駅より徒歩7分)
03-3465-5222
あ~とすぺ~すMASUO

300人ものホームレスを撮ってきた著者が選び抜いた、100枚の写真。

どうぞ見に来てください。

新刊『転落』のご予約はこちら↓。お名前・メールアドレス、本文に送付先を明記の上、送信してください。
http://form1.fc2.com/form/?id=512104
料金のお支払いにつきましては、本に同封する振替用紙にてお振り込み願います。

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2010年1月 4日 (月)

冠婚葬祭ビジネスへの視線/第37回 イオンが葬儀業界に参入

 掲題のような衝撃の事実を知ったのは、今月号の「プレジデント」を読んでのことだった。

イオンといえばジャスコ。「いいモノ安く」の代名詞みたいなところが入ってきたら、今の葬儀業界なんてひとたまりもないのでは? と思って読み進めてみたが、なんのことはない、葬儀社の斡旋業をやるとのことであった。亡くなったときにイオンに連絡してくれれば、信頼してお任せできる全国400の特約葬儀社から近いところを選んで、イオンのプランに沿ったお葬式を手配しますよ、ということだ。

 お客様にしてみれば、とんでもないぼったくりも未だにあり得る葬儀業界からたったの一社を選ぶ苦労をしなくてもよい安心感がある。葬儀社からしてみれば、激しいシェア争いの中、紹介してもらえれば営業合戦を緩めることができるというメリットがある。じゃあ、イオンの利点は? イオンはなにで得するの? それは当然のことながらマージンと、きっと一手に引き受けることになるであろうお返しもの、で得をするのだ。ジャスコで日本茶を100本買うことは日常生活においてあり得ない。しかし葬儀であれば、あり得る。

 マージンの面はどうだろう。イオンのHPには、様々なプランと内訳が詳細に書かれている。

一番安いプラン→「29万8千円プラン」
(1)祭壇設営費用 生花装飾含む
(2)お柩 お柩・搬送用シーツ
(3)納骨容器・骨壺 骨壺・桐箱・骨覆い・風呂敷・収骨箸
(4)枕飾り一式 経机・花立・香炉・ローソク立て
(5)線香/ローソク お参り用・式典用各種
(6)ドライアイス ご遺体保全処置(2回分)
(7)納棺の儀 ご遺体納棺・仏衣・風習用品(編み笠/わらじなど)
(8)ご遺影写真 カラ―(4つ切)・写真額(リボン付き)
(9)位牌/野位牌
(10)生花アレンジ 装飾用アレンジ花(檀上/お別れ/焼香花等)
(11)炉前花/枕花 火葬場用生花・枕飾り用生花
(12)祭壇用供物 果物(季節による)
(13)各種案内看板 式場看板
(14)運営管理費用 セレモニースタッフ(通夜/告別どちらか1名)
(15)会葬礼状  オリジナル会葬礼状(100枚)
(16)受付事務用品 記帳書類・記帳用筆記用具(小規模用受付)
(17)焼香設備 式典用焼香道具・抹香・香炭
(18)後飾り祭壇 後飾り祭壇(木製)・盛り菓子

 もちろんこれだけでは葬儀はできず、他に「お返しもの」「お料理」「お布施」などが負担となってくる。
しかしこれが葬儀の基本セットと言っていい。
独断で恐縮だが、底値と照らし合わせると一般の葬儀社では18万円~25万円でできる額であるため、一件あたりのマージンは4万~10万円と言ってよいかと思われる。さらにこれは一番安いプランなので、高いプランになるほどマージンも大きくなってくるだろうことが考えられる。

 葬儀はグレーゾーンの多い「商品」であることを考えれば、そんなに高いマージンではない。むしろ注目したいのは、葬儀の際に集まる個人情報である。その家の住所やら連絡先はもちろん、兄弟・親戚・尊属関係が丸裸になってしまうのが葬儀の場だ。これがそのまま、いち企業にわたったとしたら。個人情報の秘匿については、特約葬儀社と結ぶものだから安心だと思うが、穴がある、かもしれない。だったらちょっと、考えてしまうなあ。

 そして400の特約葬儀社を持つイオンは、仏壇・仏具に関してはただ1つ「お仏壇のはせがわ」と業務提携しているのであった。
 なぜ?(小松)

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ホームレス本第3弾『転落』出版準備着々!

本ブログでも大好評連載中の「ホームレス自らを語る」。

写真入りで自らの半生を語っていただく姿には、切々としたものを感じます。

取材者は、フリールポライターの神戸幸夫氏。神戸氏はなんと足かけ15年ものあいだ、いっしんに路上生活者を取材してきました。その数、300人にものぼります。

多くの転落事例を見てきた筆者は、とくに100人の半生を選び出し、何が彼らの人生を狂わせたのかを突き止めようとしました。

人はどんな失敗に足を掬われうるのか?

「降りる」覚悟ができるのは、何が起こったときか?

浮き彫りになってきたそのきっかけは、私達にも当然に起こりうるアクシデントだったりします。

誰もが職を失う危険性のある昨今、皆さんに届けたい1冊。

もうすぐ出版間近です。少々お待ち下さい。(編集部)

新刊『転落』のご予約はこちら↓。お名前・メールアドレス、本文に送付先を明記の上、送信してください。
http://form1.fc2.com/form/?id=512104
料金のお支払いにつきましては、本に同封する振替用紙にてお振り込み願います。

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2010年1月 2日 (土)

Brendaがゆく!/美容院代を節約する

これは、さすがにアタクシもまだ完全にはまねができませんけど・・・。

アタクシの周りの白人女性の多くが美容院に行ってません。

その理由は、高いから。

それで、お金がもったいないから。

彼女達は、ショービジネスの世界で働いている人もいるし、シャネルの広告のモデルをしている子さえいます。

しかし、モデルだからと言ってお金持ちな訳ではなくて、普通です。

他の数億の家に住む友達も美容院代が高すぎると言ってこの10年も美容室に行っていないと言っていました。

私もフランスの美容院には行きません。

どうせ行っても満足な仕上がりにはならないだろうから。

私は、日本では、お風呂場で切ってもらいました。
美容師の友達に!

その後、カットモデルをしたり。

結果的に私の髪は日本人の美容師が切っていますが、最近は、周りの影響で美容院に行くことは、「本当にもったいないことなんだ」と思うようになってきました。汗

ポーランドにいたときは、さすがにそんなことは考えたこと無かったし、ポーランドでもなかなかいい美容院に行っていました。友達もあまり自分で切ったという人は聞いたことがありませんでした。

フランスでばっさり前髪を自分で切ってみたのですが、けっこういい感じ。

でも、さすがにまだ後ろとか横を切る勇気はないですけどね。

上流階級で上品で、でもドケチなフランス人からも学ぶところは多くあります。

お金がなければ!
なおさら美容院など行く必要は無いのではないでしょうか。

それが貧乏臭いと思うのは、本当に貧乏な証拠。

言い換えれば、それを決めるのは自分の心です。

私の周りの白人女性達のように、あえてお金があっても行かない人もフランスにはたくさんいますから。。。

フランス流って感じかしら。笑

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2010年1月 1日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第15回 呼吸の機械

 あけましておめでとうございます!
 2010年のトップページを私の「ドーマン法」でかざってもよろしいのでしょうか?!
 この上なく恐れ多いことです!! どうぞ皆さま本年もよろしくお願いします。

 去年から引き続き、生理面のプログラムについてご紹介して参ります。
 元旦を飾るにふさわしいプログラムを…と考えても出てくるわけもないのですが、なかなかの大がかりなプログラムということで「呼吸の機械」についてご説明していきましょう!

 「呼吸の機械」といっても医療機械ではなくて、ドーマン博士が開発した呼吸パターニングを指すものです。「正」と「負」それぞれ種類の違う2パターンの呼吸パターニング法があり、私がプログラムに取り組んでいた頃は、機械で行えるものと、パターニングのように人の手で行わなければならない呼吸パターニングと2種類ありました。
 日ごろの呼吸のレートを図り、機械の場合はレートを入力し、あとは誤差が生じていないかチェックするだけ。手動の場合はレートに合わせ一定のリズムを図る為、メトロノームを使用していました。手動の呼吸パターニングの場合、人手が2人必要でしたが、通常のパターニングの場合は人手を3人要するとはいえ、1回5分間を15回程度のセクションに対し、呼吸の機械は1日に8時間ぐらい消化することが求められるのですから、2人をこれだけの時間拘束するのは至難の業です。私たちファミリーはこの局面をどう乗り越えたかといいますと、実は研究所には内緒で、ドーマン法の先輩で手先の器用なお父さんがお作りになった、機織り機の様な形をしたパターナー一人で行える手動マシンをお譲り頂き乗り切りました。これを使いますとパターナーは一人で機織りをしているかの如く手と足を動かして、眠気を誘発させるメトロノームの音にメゲズ、ひたすら単純作業に耐えるだけ。(笑!)母はだいたい再放送ドラマを楽しみにしながらおこなっておりました。

 一方で機械の方は、これまた奇奇怪怪で、先ず宇宙スーツのようなビニール製のワンピースを着用します。必ずうつ伏せの状態で行う為、お腹の面には板を(ワンピースの中に差し込み)背中部分には亀の甲羅のような堅いアーチ型の網をスーツの中にいれ、首・手・足の部分から空気が外へ逃げないようにマジックテープやクリップなどを駆使して密封します。そして音も形も掃除機のような呼吸の機械をホースでスーツの背中(のジョイント部分)にはめ込み設置完了!! となる訳ですが、一回入ってしまうと、ちょっとトイレなどとは言い難いぐらいセッティングに手間ヒマがかかりました。今はどのような形でこの「呼吸パターニング」が処方されているのかわかりませんが、私の時は、一時昼も夜もこの機械に入っていた時がありました。そうです! 睡眠中もプログラムしていたというわけです!! アンビリーバボォですよね?!

 だいたいこの機械、スイッチを入れると掃除機以上の大きい音を出すんです。一軒家だった我が家でも特にシーンと静まり返った夜中などは騒音と振動とが家じゅうに轟き渡り、ご近所迷惑から苦情がきちゃうんではないか?と気がひけたものでした。
音の問題もさることながら、入っている本人は朝まで寝がえり一つ打てないんです。脳性麻痺児は呼吸が上手く行えないことから様々な障害が生み出されているのは事実なのですが、しかし、私の体験から言えば、呼吸が楽になるメリットよりも、一定の姿勢を強要され、かつ圧力が加わるのですから、関節がゆるゆるでズレやすいアテトーゼ型脳性まひ児には、残念ながら拷問に近いプログラムであったと言わざるを得ません。
しかも結構、この機械、スースゥーと風が身体中を駆け抜ける構造になっていて寒いのなんのって…布団が振動でずれ落ちても自分じゃ直せないし、となりで疲労困憊して深い眠りに落ちている親は、そう簡単には起きてはくれないし…で入っているだけとはいえ、かなり過酷なプログラムなのでした!(大畑 楽歩)

楽歩さんのブログはこちら→http://ameblo.jp/rabu-snoopy/

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