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2010年1月29日 (金)

ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第19回 現実逃避は何も生まない

 どうもうちの親は、両親ともに現実を逃避するクセがあるようです。
 というのも、私がドーマン法を始めたのは7歳。つまりうちの親がドーマン法と出会うまでの7年間の間、私が脳性マヒだということすら気がつかずに過ごしていたというのですから!!
そんなバカな! とお思いでしょうが、これは紛れもない事実なんです。私が両親にとって第一子であったならば、まだわからなくもありませんが、しかし明らかにヨタヨタした歩き方でろれつは回らず体はフニャフニャしていれば、やっぱり疑うのが普通だと思います。ましてや私は両親にとって3人目の子どもだったのですから。
うちの両親の目が余程の節穴だったというより、現実を受け入れたくなかった、あるいは受け入れられなかったのでしょう。それほどに両親の中に「障害児」に対する深い偏見が住み着いていたともいえるのではないでしょうか。

 ドーマン法のことを知ったのは、日本の連絡窓口が神戸に開設されたというテレビのニュースがきっかけでした。翌日には新聞にも掲載されており、報道の仕方が「障害児」という嫌悪感を抱かせる前に「障害児も治る」が前面に押し出されており、おそらく両親は、わらをもすがる思いで、とっさに無理矢理OFFにしていたスイッチをONに切り替えたのでしょう。
 すぐに開設したばかりの事務所へ問合せ、ドーマン法を受けたいと申し出ましたが、受け入れ数はオーバーしており、すぐに申し込んでも2,3年は待たなくてはなりませんでした。本当にやるかどうか、申し込む前にドーマン博士が書かれた「親こそ最良の医師」という本を読むように言われ父は早速、最短で手に入る方法で必死になってその本を入手。むさぼるように一心不乱に読んでいた父の姿を私は覚えています。
知識は本で吸収しろ!というぐらい無二の本好きである父は、私が7歳のときまで、たった一度たりともその手の本を手に取ったことがなかったのです。

 後年ドーマン法での回復が「めざましい」「奇跡だ」「驚異だ」と騒がれ、私が脚光を浴びる中で、様々なメディアの取材にたいして父は『治る方法がないのに娘が脳性まひだと診断されたところで、僕たちの生活は良くならないし、娘の障害が良くなる訳でもない。だったら知って落ち込んで暗い生活を送るぐらいなら知らない方がいい』と語っていました…。
 心底、父の弱さを垣間見てしまったインタビューでした。
 治る方法がたとえ無くとも、私が脳性まひを抱えちゃっていることに変わりはないのですから「逃げず」に、現実を「受け止めなくちゃ」なりません。逃げていて、なにか一つでもいいことがあるのでしょうか? いくら辛かろうが私の命ある限りそれを受け入れることでしか未来は切り開けないと私は思うのです。現実逃避したままでも、時間と言うのは確実に未来へと誘ってはくれますが、それは本当の意味で“生きている”ことになるのでしょうか? ドーマン法によって、ようやく娘が脳性まひであることを受け入れられた両親でしたが、結果として、私は正真正銘未だに脳性まひ者なのです!!

 父のものさしでは果たして今、この矛盾とどのように付き合っているのでしょうか?

 えっ!? とっくにもう闇に葬られてしまったのか!!(笑) (大畑 楽歩)

楽歩さんのブログはこちら→ http://ameblo.jp/rabu-snoopy/

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