ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第17回 愛猫チロに見守られ
一日中、ワケのわからない無謀な訓練に明け暮れる少女にとって、カチコチとリズミカルに刻んでいってくれる“時”と、飼い猫のチロの存在が大きな支えでした。犬も2匹(親子で)飼っていましたが、中型犬でしたので生活の場がお庭だった愛犬達は、散歩にも連れていってやれない私にとっては身近にして遠い存在なのでした。
その点、チロは屋外・屋内ともに自由に行き来していて、気がつけば常に傍らにいるのですから孤独な私にとって、いつしか兄姉よりも心通わせる存在になっていたのです。
犬と違って猫は、飼い主に対して忠誠心のカケラもなく、機嫌が悪い時にかまえば、飼い主だろうがおかまいなしに、ひっかくマイペースな生き物。ペルシャと雑種が混ざった真っ白い毛を身にまとったチロも、そんな猫の特性を前面に出した猫の中の猫!! という感じの性格でおまけに、寂しがり屋なクセに抱かれるのは大っキライというツワモノでした。小西家の王子と呼ばれた程に、勝手者でマイペースなチロでしたが、不思議なことに訓練の間中、どんなときもずーっとチロは私のことを見守り続けていました。床運動を行う為に上の階へ上がれば、誰が呼んだわけでもないのに、その部屋の隅っこで丸くなりながら熱心に毛繕いをしたり、時には退屈そうに眺めながらも、必ず視線は私を見据えていました。メニューによって目まぐるしく内外問わず訓練場所を移動してプログラムを進めていくのですが、いつも気がつけば必ずチロは何をするでもなく隅っこで丸まっていたのです。
私の大キライなメニューの時ほど、チロは心配そうに丸くなりながら私を見つめていました。中でもブレキエーションは、手のひらのマメが痛いのと、落ちたら捻挫か骨折か…という迫りくる恐怖と闘いながら、バーに手をかけつつも、なかなかぶら下がれないでいると視線の先にチロの姿が…。丸まりながらも耳はピーンと立てたまま、ジーっとこちらを見つめて『落ちるの気にしてたらできへんがな。どうせせなあかんねやから、バー一本でも進まな自由時間が無くなるだけやでぇ。はよしなはれや~。』と語っているようで、何度猫のチロから励まされたことか…。また隣の公園で歩行訓練するときも、公園のどこかにチロの姿は必ずありました。雨や雪がふっているときには滑り台の下で、より一層、寒そうに体を丸めながら…、真夏の炎天下、モーレツに暑い日には、木の木陰のなるべく涼しい場所で、歩行訓練が終了するのを、ただひたすらチロは待ち続けてくれていたのです。
マスク(マスキング)をつけている間は、猫じゃらしを片手にチロと戯れられる束の間の時間でした。知性プログラムの一環でバイオリンを弾き始めると迷惑そうに耳をひくつかせながらも、そこから立ち去らなかったチロ。
一日のプログラムがすべて終了しようやく手に入れられる自由なひととき…。よく私は、母には内緒で、チロの大好物な味付けのりやマタタビ、缶詰めなどをこっそり部屋で与えていました。だから…じゃないですよね?! チロが私に懐いていたのは!!(笑)
もちろん、寝るときも一緒。チロは寝像の悪い私に蹴飛ばされながらも懲りずに私の足元で寝ていましたョ。
そんなチロも天寿を全うし、17年の生涯を閉じるときの場は…やはり私の部屋でした。部屋には私とそれから、たまたま遊びに来ていた主人の二人に看取られ、静かに息を引き取っていったのでした。それは、私たちの結納から僅か4日後のことでした。
私には、チロが自分の役割を主人にバトンタッチして、ようやく天国へ旅立てたという気がしてなりません。
花嫁願望が芽生え始めた5歳の時からお嫁に行く22歳まで、まさに私の激動期の苦楽を共にしてきた猫のチロ。
今でも私は夢の中や、庭の片隅にチロの気配を感じることがあるんですが、すっかりオバさんになってしまった私と自分の役割を託した主人が、チロの目にはどのように映っているのでしょうか。(大畑 楽歩)
楽歩さんのブログはこちら→ http://ameblo.jp/rabu-snoopy/
| 固定リンク
「ドーマン法」カテゴリの記事
- らぶの夢は果てしなく!!(2010.08.06)
- 大畑楽歩さんのブログから/私…障害者は苦手です。。。(2010.06.11)
- 読売テレビ「かんさい情報ネットten!」で大畑楽歩『三重苦楽』紹介2!(2010.04.18)
- 読売テレビ「かんさい情報ネットten!」で大畑楽歩『三重苦楽』紹介!(2010.04.10)
- ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/番外編 本を書きました!(2010.03.05)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント