ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第14回 厳密な食事メニュー
マスクのメニューも地味に大変なのですが、ドーマン法に取り組む母親が最も大変な仕事は、生理プログラムの中の徹底した栄養バランスのとれた3度の食事作りと、その報告書作成(献立表の開示)なんです。
なんたってお砂糖からお塩、カルシウムや炭水化物に至るまでこと細かく一日の摂取量が決められていて、普通に作っていたのでは確実にアウト! おそらくこの数値では栄養士さんでさえ献立作りに苦労するんじゃないか?という値がズラリなんですから!!
第12回目の知性プログラムでも語ったように、これだけの超過密リハビリメニュー(運動面)をこなしながら、とても落ち着いて知性プログラムなんかに向き合えないのと同じで、親に厳密な栄養バランスを求めた食事作りを課すのは、これまた無茶です! 一日中子どもの訓練に付き合って、夜は夜な夜な夜なべして知性プログラムの教材作りで慢性の寝不足状態……買い物すらまともに行けないし、三度三度も落ち着いて作ってられないそんな緊急事態が強いられた日常生活の中で、栄養士の資格も知識もない者が、栄養専門書を片手に、いつ献立を作成しろというのでしょう!
生理面のスタッフが献立表を作って「その指示通りの食事を与えなさい」というならまだしも、≪タンパク質は最低55g~最高65gまで……≫などと数値だけを与えるだけなんて……しかも高い診察料払っているのにおかしいじゃありませんかぁぁぁ!
少なくとも“好きなモノを好きなだけ好きな時に食べたい”お嬢様育ちの母に到底太刀打ちできる訳がなく、栄養面に関してはとてもルーズでした。(笑)
その代わり、馬鹿ほどサプリメントを飲まされていましたョ。(苦笑~)まだ日本の薬局屋にビタミンを置いているところも少なく、稀に置いてあってもべらぼうに高い!高い上に内容量は少なくて2週間持たないのですもの。楽歩の摂取量も並みではありませんでしたが、なぜか「130歳まで俺は生きる」といって父も毎食、ごっつい父の手のひらに溢れんばかりにカラフルなビタミン剤が父の胃袋へと納まっていってましたので、最初の頃は研究所から箱買いし、そのうちハワイのビタミン専門店から定期的に届くシステムになっていました。私はお食事でもなんでも、とにかく飲み込むという作業が苦手なので、毎回このビタミン剤を飲み込むのにはホトホト苦心しておりました。食道でつっかえちゃって二進も三進もいかないこともしばしば。そうなってしまったら、もうビタミン剤が溶けていくまで、ひたすら我慢です(笑)なので今は一切ビタミン剤を摂取していませんが、父は相変わらず130歳目指して、その種類を増やして飲み続けているようです。
話が逸れてしまいましたが、報告書に添付する献立表は、父が会社でせっせと栄養成分表などの専門書と格闘しながら架空の献立リストを作り上げ、毎回切り抜けていたようでした! 私も再診時、スタッフに、ついうっかり日常を口走って架空の献立表がバレないように、診察の前の晩には、必ず成分献立表と父が作成した架空の献立表ぐらいは頭に叩き込んで協力していましたョ。
そう思うと…一番苦労を強いられるはずの母が一番楽をしていたということになりますね~(大畑 楽歩)
楽歩さんのブログはこちら→http://ameblo.jp/rabu-snoopy/
| 固定リンク
「ドーマン法」カテゴリの記事
- らぶの夢は果てしなく!!(2010.08.06)
- 大畑楽歩さんのブログから/私…障害者は苦手です。。。(2010.06.11)
- 読売テレビ「かんさい情報ネットten!」で大畑楽歩『三重苦楽』紹介2!(2010.04.18)
- 読売テレビ「かんさい情報ネットten!」で大畑楽歩『三重苦楽』紹介!(2010.04.10)
- ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/番外編 本を書きました!(2010.03.05)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント