ドーマン法に生きていた私~脳性まひ者の告白~/第4回 診察までの長い道のり
前回、ドーマン法の治療を受けられるまでのプロセスを書きましたが、実際にウェイティングリストに名前を書いてもらうためには、両親が二人とも揃って所定の講義を受けていなければなりません。今は、この講義も東京と神戸で受けられるようになっているみたいですけれど、私の時はアメリカの本部にまで、この講義を受けに行かなければなりませんでした。(しつこいですけれど、これだけでもすごい費用ですよね……。)
それで、ひたすら受診できる日を待ち続ける日々……。
私の場合もそうでしたが、大抵は、もうこの段階で訓練に取り組み始めます。
親はすでに講義やドーマン博士の本などで知識は仕入れているので、それを元にプログラムメニューを組み、見よう見まねでドーマン法に乗り出すのです。
そうして、待ちに待ち続けた最初の診察の日、朝の9時から辺りが暗くなるまで診察を続け、最後にドーマン博士の娘であり、スタッフのジャネット・ドーマンから言われた言葉は「脳障害児でおめでとうございます」という一言でした。
“なぜならば、脳障害なら、私たちはそれを治すお手伝いができるからだ”という説明を受けるのですが、目を潤ませながら、それを喜んで聞きいれているように見える両親を横目に、当時9歳だった私は「なんかアホくさない?ここまで来るまでに、あらかじめ報告書やプロフィールを送ってて、それで違たらどうする気なん、この人たち…。うさんくさすぎるやん。私は、もうすでに学校も休学して生活すべてを犠牲にしてるんやっちゅーのに! 日本の病院みたいに2時間待って診察2分ちゅーのも、どうかと思うけど、丸一日かけて脳障害オメデトウって…。いったいどういうこと? しかもパパたちは私が“障害者”っていうことをあれほど拒絶していたクセに何を喜んでんの?」と一人冷めた目でいました。
さりとて浮かないようにニコニコと楽歩ちゃんスマイルを振りまきながら、これから先、前途多難な人生が私を待ち構えていることを感じつつ、両親の後をトボトボと見失わないように必死についていくしかありませんでした。(大畑 楽歩)
楽歩さんのブログはこちら→http://ameblo.jp/rabu-snoopy/
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