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2009年10月 5日 (月)

●ホームレス自らを語る/第41回 後悔先に立たず 野口康三さん(仮名・61歳)

0910  私は昭和23(1948)年生まれで、茨城県鹿島郡の出身です。鹿島といっても内陸部のほうで、交通の不便なすごい田舎でした。家は農業をしていました。主に栽培していたのは米と葉タバコですね。
 子どもの頃は、毎日のように野山を駆けまわり、川でドジョウを獲ったりして遊び呆けていました。勉強が嫌いでね。宿題もしないで遊んでばかりでしたよ。ガキ大将ではなかったですね。どちらかといえば、おとなしいほうでした。

 中学校を卒業して、東京の食品メーカーに就職しました。酒の肴の珍味を製造している会社で、日本のトップメーカーです。私はサキイカ製造の部門に配属になって、そこで働きました。
 ただ、そのメーカーは1年半で辞めてしまいます。理由は給料があまりにも安かったからです。当時の中卒の初任給は月6500円というのが、世間的な相場でした。ところが、その食品メーカーは5500円。その頃は高度経済成長の真っ只中で、私たちは「金の卵」ともて囃されて引っ張りダコでしたからね。そんな給料の安い職場で、我慢して働くことはなかったんです。
 それで洋食レストランのコックになりました。コックの仕事は20年近く続きます。といっても、ずっと同じ店にいたわけじゃありません。もう、数え切れないくらい店を替わりましたからね。
 コックの仕事を始めた頃から、酒を飲むことを覚えましてね。仕事を終えたあと、毎晩浴びるように飲んだのですが、私の場合はそのうえ酒癖も悪くてね。同僚のコックはもちろん、先輩コックであろうと、上司であろうと、構わずに突っかかっていっては、ケンカをふっかけてしまう。それで居られなくなって、店を替わる。それを幾度も繰り返していたんです。
 それにギャンブルにものめり込むようになって……競馬ですね。中央競馬のある土曜、日曜は、必ず後楽園の場外馬券売り場に行ってました。働いて稼いだカネは、酒と競馬にみんな注ぎ込んでいました。気持ちも、生活も荒んでいくばかりでした。
 そんなですから結婚もできませんでした。自分の生活の基盤もできていないのに、結婚どころではありませんからね。

 30代半ばでコックの仕事から足を洗います。酒のうえでの失敗ばかりを繰り返していたし、競馬にも入れ揚げていましたからね。コックの仕事よりも日雇い作業員でもするほうが、自分には合っているんじゃないかと考えたんです。
 で、日雇いの作業員になりました。現場作業は何の経験も資格もありませんからね。手元という一番下っ端の作業員で、職人の助手についたり、現場の資材の片づけや清掃などが仕事でした。
 しばらくしてバブル経済の時代がやってきます。空前の建築ブームが始まり、私ら下っ端の作業員も引っ張りダコで、金の卵のとき以上でした。それまで手元の日当は7000円くらいでしたが、バブル時代には12000円にまでなりましたからね。
 先見の明のある人なら、こういうときこそ将来に備えてしっかり蓄えたりするんでしょうが、私ら凡人はあればあるだけ遣ってしまいますからね。それでホームレスという最悪の境涯に堕ちてから、あのとき蓄えておけばこんな生活をしなくてすんだのにって反省するんです。まさに後悔先に立たずですね。
 だけど、バブル経済絶頂の只中にいて、それが崩壊して20年にも亘る大不況が襲ってくるなんて想像できた人はいませんからね。みんなあの繁栄が、いつまでも続くような気がしていたんですから。そうでしょう? 苦境に陥って、はじめて目が覚めるんですよ。

 ホームレスの生活をするようになったのは50歳のときです。バブル経済が崩壊して日雇いの仕事が少なくなって、仕事にあぶれるようになったからです。蓄えなんてありませんから、公園で野宿するしかありませんでした。はじめ戸山公園(新宿区)で始めて、山谷(台東区)に移り、1年くらい前からこの(新宿中央)公園に移ってきました。
 こんな生活をしていますけど、なるべく役所とかボランティアの世話にはならないで、自分の食い扶持くらいは、自分で稼ぎ出そうと思ってアルミ缶拾いをやっています。私の場合はほんとうに道端に落ちているのを拾い集めているだけですが、なかには住宅地のゴミ収集所に出ているのゴッソリ失敬してくる人もいます。私にはできませんけどね。
 まあ、私のようにボツボツ拾っていても、週5~6000円くらいの稼ぎにはなります。贅沢をいわなければ、これで1週間分の食いものを確保することはできます。ただね。どうしても酒を飲みたくなるときがあって、1パックだけと思っても、1パックでは終わらないで、2パック、3パックと空けてしまうんですよね。そんなときにはボランティアの炊き出しのお世話になっています。
 いまは生活保護待ちの状態ですね。65歳になれば無条件で生活保護が受けられるということですから、ひたすらそれを待つしかないですね。でも、私はいま61歳で、まだ4年もあります。4年後の日本の経済事情がどうなっているのか、いまより落ち込んでいたら受給できないかもしれませんよね。
 このあいだの衆院選挙で政権交代がありましたが、こんどの新政権は我々ホームレスの救済措置を、何かしてくれるんでしょうか。やっぱり、ホームレスまでは手がまわらないのかな。(聞き手:神戸幸夫)

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