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2009年10月31日 (土)

ロシアの横暴/第26回 ロシア的泥棒物語(上)

「ほんものの泥棒」というものがかつての日本にいたようだが、現在のロシアにも存在する。ただし、普通泥棒とは盗みを生業とするが、ロシアではもっと広義に「殺人」なども含んでいる。「盗賊」といったほうがわかりやすいかも知れない。
 最近、「ヤポーネツ(=日本人)」と呼ばれていた大物泥棒がギャング団同士の抗争の果てに死んだ。この大泥棒「日本人」は、自分たちが「法律に沿った泥棒=ほんものの泥棒」であることを強調していたそうだ。
 この大泥棒「日本人」の物語はロシア革命(1917年)後のころに遡る。当時活躍した伝説の大泥棒に「ヤポンチク=(日本人ちゃん)」という者がいた。今回死んだのはその伝説を彷彿させる大泥棒だったというわけだ。

 なぜ「日本人ちゃん」なのかわからない。現在ならば「仕事がきわめて正確」「交通信号に至るまで法律をよく守る国民」とか「サムライ・ブシドウ」となりそうだが、日露戦争直後の対日感情を考え合わせればやや無理がある。「小柄でやることが半端でない」あたりが妥当と思われる。ひょっとしたら「小ずるい」かもしれないが、ロシアで「ケチとズル」のやり玉にあげられるのはドイツ人とユダヤ人だからこの解釈もあたらないだろう。
 ではこの最近死んだ「日本人」は、ロシア泥棒史上最後の大物かといえば、この程度の泥棒を擁するギャング団などいくらもあるというから、驚きである。
大泥棒たちが「法律に沿った」ことを強調して自称するくらいだから、当然「ほかの泥棒とはちがう」ことを意味する。では法に沿わないほかの泥棒とはどんな仕事をしているのだろう?

 文豪プーシキンの代表作に、1700年代の後半、エカテリーナ女帝の統治時代にロシアを震撼させた農民一揆を題材にした『大尉の娘』がある。女帝エカテリーナに忠誠を誓った中流の地方貴族たちが主人公だから、ソ連とは相いれないはずだが、「独裁者エカテリーナ女帝に刃向かった勇敢な農民一揆の首謀者、英雄エメリアン・プガチョフ(ドン・コサック出身の貧農で、やっていたことは盗賊)」の物語として半ばこじつけで学校教科書にもとりあげられていた。ソ連の都市のややはずれた地区のどこかに必ず「プガチョフ通り」というのがあるのはその名残である。ソ連政府としては、プーシキンの素晴らしい作品を「皇帝賛歌」だからとして切り捨てるのは「ソ連(ロシア)の損失になる」ことがわかっていたと思われる。ちなみにプーシキン広場は必ず市の中心部にある。ロシア・ソ連にとってプーシキンは「マルクス・レーニン」並に偉大なのだ。
 話が横道にそれてしまったが、その英雄プガチョフが「皇帝ピョートル三世(妃エカテリーナの腹心に暗殺された)」を僭称して君臨していたときの将軍、盗賊流にいえば子分の二人が口げんかをする場面がある。

 子分Ⅰ「どうもこの客人も吊したほうがよさそうですぜ」
 子分Ⅱ「おめえは二言目には絞めるだの斬るだの、人を殺すことばっかりだな。まったく、血も涙もないやつだ」 
 子分Ⅰ「ほう、そういうおめえはどんな聖人かい?」
 子分Ⅱ「そりゃ俺だって罪深いさ。この手で異教徒の血をたっぷり浴びたからな。だが、俺は暗い森の中でやったよ。おめえみたいに、ペチカにあたりながらやってはいないね。斧の峯ではやったが、女みてえに口先ではやらなかったぞ」

 子分Ⅱが本物の盗賊魂というわけだ。ペチカにあたりながらやる殺人は本物の盗賊のやることではない。
 従って『大尉の娘』から導く「本物の泥棒」論からみればエリツィンが1994年末に始めたチェチェン戦争はまさしくペチカにあたりながらやった「法に沿わない」殺人である。皇帝を僭称した盗賊プガチョフとは逆に、大統領エリツィンが泥棒・盗賊をやっていることになり、泥棒の風上に置けない。本物流なら改革だの民主主義だの議会だの言わず、黙って誰にも知られないように暗い森の中でやるべきなのだ。(川上なつ)

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