サイテイ車掌のJR日記/車掌の故郷はこんなとこ
○月×日
車窓を眺めると、一面、黄金色に輝いた稲穂が整然と広がっている。どこまでも果てしなく続く庄内平野だ。その広大な田んぼの中で、黙々と農作業をしている人達の姿が点々と見える。
「あぁ、もう稲刈りなのか。秋の収穫の時期を迎えたんだな」としみじみと思う。と同時に、今年もまた豊作であってほしいと素直に願わずにはいられなくなる。
今月の帰省はこれで3度目だが、鳥海山が見えてくる鶴岡辺りに差し掛かると、あと少しで着くという安堵感と共に、いつも決まって胸がいっぱいになってしまうのだ。
それはこれまでの様々な思いが交錯するからであろうが、目頭まで熱くなってしまったのはさっきの欠伸のせいであり、何も気にすることではない。
最上川の鉄橋手前の線路脇には、05年の「特急いなほ脱線事故」で亡くなられた方々の慰霊碑がさみしく建っている。もうすぐ4年という歳月が流れるのだ。今はトンボが飛び交っているだけで、人がいるのは一度も見たことがない。
「やっと着いた」といつもの酒田駅で降りる。鳥海山を背に、車で町の中心地を通り抜けると10分もしないうちに日和山公園に着く。ここは港近くに位置した市民の憩いの場で、いつもキレイに整備されている。
公園入り口に続くなだらかな坂の途中には、今では観光スポットとしてすっかり有名になった洋館と和風の建物「旧割烹小幡」がある。御存知、映画「おくりびと」の舞台となった「NKエージェント」である。
中は映画のセットそのままにしてあり、入館料はたったの100円。酒田の人は欲がないのか大盤振る舞いなのか、もっと取れよといいたくなる。せめて200円に!? 「鶴乃湯」のお母さんの葬儀もここの座敷が使われたことを知る。
映画のシーンが鮮かに甦るのは勿論のこと、暫し感動の余韻に浸ってしまう。連日観光客で賑わっていると聞いたが、全国の人にもっともっと見に来てもらいたいものだ。
その坂を登り切ると(といってもものの30秒もかからないが)そこがてっぺんで眼下には公園が広がる。何とも心地良い潮風がそっと髪をとかしてくれる。髪の毛のないオヤジ達には地肌にやさしい風に違いない。
すぐの所に展望台があり、酒田南西半分の市街地と最上川河口から続く日本海が一望できるのだ。海にとろとろと沈んで行く夕日の美しさといったらない。絶景だよ、もう。それは1日の疲れを癒やしてくれるばかりか、過ぎ去った過去が走馬燈のように駆け巡り、ずっと遠い昔に思いを馳せてしまうのはどうしてなのだろう(知るもんか、そんなこと)。時は移り変わっても人々の心は変わらないのだとしんみりしっとりとしてしまうのは、これもやっぱりどうしてなのだろう(だから、知らないってば)。
しかし、ここでのんびりなどしてはいられない。辺りは急に暗くなり、夜の帳が足早に降りてくる。日が暮れてからは彼岸前といえどもぐんと肌寒くなる。誰もが海風に一抹のさみしさを感じることだろう。そうなればこれから心に灯をともすことを考えなければならない。そうです、飲みに行くしかないわけですね。やさしい月明りに笑い顔で別れを告げて。
いつも思う。私にとってのふるさと酒田はさみしい町なのだと。悲しみの酒田なのだ。そんな気持ちだけでも打ち消したいと一晩中飲んでいたい。先般、ついに政権交代が実現したが、日本は本当に変わるのだろうか。弱者に手の届く政治を期待したい。この酒田に限らず、年々疲弊していく全国の地方を何とかしてもらいたいなどとあれこれ思っているうちに、夜勤明けで寝てないせいもあり、すぐにウトウト気持ちよくなってしまっている。女将はいわなくてもタクシーを呼んでくれる。私は照れかくしに「もう一杯」と頼んで、早い時間にホテルへ直行。もうバッタンキューである。
朝起きると、前日とは打って変わってどんよりと曇っていたりする。「これだよ酒田は、暗いんだよな」としんみりとした気持ちになる。一年中曇り空ばかりという印象が強いのだ。
一通りの用を済ませて、また東京へ戻る。どんなに二日酔いで体調が悪くても、列車に乗りさえすればJRはやさしいのか東京へと運んでくれる。車窓から見えるふるさとは暗く荒んでいて、今にも分厚い鉛色の雲に埋もれてしまいそうだ。東京へなど戻りたくないのにJRは残酷なのか列車はどんどん酒田から離れて行く。
当たり前だけどね、思い通りにならないのは。何もかもがだ。不一。(斎藤典雄)
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