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2009年9月10日 (木)

『橋の上の「殺意」』(平凡社)書評

Hasi  2006年6月、自身の娘と近所の男児を殺害したとして畠山鈴香は逮捕された。その暗い眼差しを覚えている人も多いだろう。本書は犯人の畠山鈴香の事件の真実と同時に、あらゆる場面で叩かれ続けてきた彼女人生も記録している。幼い時分から父に殴られ続け、学校ではいじめられ、恋人には裏切られ、事件後は警察や検察、マスコミから徹底的にいたぶられ続けた。
 事件後の性格検査で行われた「言語連想検査」の結果が本書にある。一部を抜き出してみよう。

 「暗闇」→「安心」、「友達」→「裏切り者」、「他人」→「怖いもの」、「恋人」→「裏切り者」、「男」→「不安」、「死」→「尊いもの」、「敵」→「まわり」、「過去」→「つらいもの」。
 あらかじめ用意された単語に対する鈴香の連想は、彼女の人生がいかに荒廃したものかを物語っている。

 この事件の裁判の争点の1つは、娘の彩香ちゃんへの殺意があったかどうかだった。米山豪憲君の殺害については、動機こそあやふやだが、殺害そのものを認めている。しかし娘の殺意について、彼女は裁判で認めていないのだ。彩香ちゃんが亡くなった前後のことを、よく覚えていないと主張し続けていたからだ。ただし調書には殺意がハッキリと記されている。怒鳴りつけ、反省しなければ情状酌量にならないと脅し、後で訂正すればいいと騙して署名させ、刑事と検事が「殺意」を作り上げたからだ。冤罪事件のたびに批判されてきた警察・検察の得意技である。
 しかし彼女が記憶を無くしたと思える証拠はいくらでもある。娘が死体で発見された後、事件性がないとして捜査を打ち切った警察には出向いて抗議までしている。また、娘の情報を求めるチラシを配っている。そもそも警察は鈴香に殺害の動機が見つけられないからこそ、事故として片付けたのである。そうした事実を検察はなかったことにして裁判を進めたことがを、本書を読んで初めて知った。
 メディアも検察や警察の意図的なリークから犯人像を作り上げてタレ流し続けた。凶暴で、娘を虐待し、男出入りが激しい女といったイメージだ。確かに娘の彩香ちゃんは気に入った服ばかりを着続け、お世辞にもこざっぱりとした格好ではなかったらしい。自宅も散らかっていたようだ。しかし体や心の病と闘いながら、彼女は必死に子どもを育てていた。それなのに彩香ちゃんが痩せていたわけでもないのに、食事を与えていないかと疑わせる記事まで流れた。さらに地裁や高裁で被告に死刑判決が出ないとわかると、不当裁判とばかりに報道した。
 結局、彩香ちゃんの死亡時の記憶がないことも、立件のため無理な「自白」を検察が被告に押しつけたことも、きちんと報じられないまま裁判は終結したのだ。その大いなる空白を著者の鎌田慧氏は2年半もの取材で埋めてくれた。

 司法の厳罰化は進んでいる。そのうえ、これだけマスコミに取り上げられた事件である。裁判所としても検察の求刑通り死刑判決を下した方がラクだったはずだ。しかし検察に迎合しがちな裁判所が死刑判決を出さなかったのは、死刑にするのにかなりの無理があったからだ。その意味をきちんと伝える報道関係者がほとんどおらず、裁判を傍聴し続けた鎌田氏が書籍で報じたことに、この国のジャーナリズムの貧困が見てとれる。
 鎌田氏が判決前から死刑はないと予測していたのは、死刑反対論者だからではない。多くの冤罪事件取材を通して、検察側の無理な調書に気づいていたからだろう。警察や検察からのリークをいち早く伝えることで評価を得てきた新聞記者との違いといってもよい。

 これだけ話題になりながら、真実のほとんどが伝えられなかったことに唖然としつつ、まだ伝える人物がいたことにホッとした。
 そういった意味でも怖い書籍であった。(大畑)

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