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2009年8月28日 (金)

靖国神社/24回 嗚呼、靖国旅情~上野駅から靖国まで~(上)〈2007年取材〉

 以前からこの連載で、「九段の母」について言及してきた。それどころか、「九段の母を探す」という企画もやっている。
 ところで、「九段の母」とは一体どこから出てきたのか。その語源は、1939年にテイチクからリリースされた歌手の塩まさるの『九段の母』という歌のタイトルで、ミリオンセラーにもなった曲だそうだ。曲構成は、一番から四番まで。内容は、戦争へ行って戦死した息子に対する母の思いが描かれている。『新 ようこそ靖國神社へ』(近代出版社)には、「靖國神社の歌といえば、昭和歌謡史上不滅の名作『九段の母』」という紹介文が書かれている。

 では今回なぜ、上野駅から靖国まで歩くという企画を立ち上げたのか。
 歌詞をご存じの方ならばすぐに「ピ-ン!」とくるかと思われるが、この曲には上野駅から九段まで杖をたよりに一日がかりというくだりがある。
 この歌詞を初めて見たときから、「上野から靖国まで1日がかりってどういうことだ?」という疑問があった。今回はその疑問を晴らすべく、実際に歩いて靖国へ行くという「九段の母体験」をすることにした。
 まず、上野駅から九段下までの行き方だが、電車を使うとどれくらいかかるのかを調べてみた。
 最も早いのが、「上野(東京メトロ銀座線)→三越前(東京メトロ半蔵門線)→九段下」という行き方で、13分。最も時間がかかる行き方でも、「上野(東京メトロ日比谷線)→茅場町(東京メトロ東西線)→九段下」で16分。だいたい15分前後に、駅から境内までの時間を合わせると、30分もかからないくらいである(九段下はJRが通っていないので、地下鉄しか使用できない)。

 とりあえず当時、電車で行くことが可能だったのかを検証してみることにした。
 地下鉄でで最も古い路線が、東京メトロ銀座線だ。全線開通したのが、1939年。なぬっ、『九段の母』リリースの年と同じではないか!? しかし、日比谷線は1961年、東西線は1964年、半蔵門線に至っては、1978年に開業している。
 とりあえず、銀座線で日本橋か三越前まで行ってから九段下まで目指すことはできる。当時の銀座線はデパートへ行くときに使われていたという資料もある。ある意味ホットな電車だったということだ。日本橋といえば、東海道五三次の始発。三越前は、日本橋三越本店があるところだ。
 しかし、いくら東海道五三次や三越が戦前からあるとはいえ、靖国に祀られている英霊たちは全員が東京都民というわけではない。日本全国の英霊が祀られているのである。地方から息子に会いにやってきた母たちが、東京の地理に詳しいだろうか。
 現在ならば、ガイドブックやインターネットを使って靖国までの簡単で楽な行き方を調べることは容易だ。しかし、これはあくまでもすべての地下鉄が開通されていることが前提であって、当時は銀座線しかない。地図を見ながら行ったとしても、そこの土地に詳しければ別だが、初めて来た人にしてみれば思ったよりも大変だったかもしれない。
 とりあえずパソコンに向かってうなっているよりも実際に、歩いて疑問を解消したほうが早いのではないかということでその歌詞同様歩くことにした。

 まず自宅から台東区内を走るめぐりんというバス(100円)で上野駅まで行く。所要時間約35分。意外と遠い。途中、合羽橋や浅草周辺を見ながら上野駅へと到着。
 このところ連日徹夜続きのうえ、体内時計が狂って不健康な私ですが、やると決めたらやらないと原稿が落ちるので、上野駅前で気を引き締める。とりあえず地図もなにも持っていないので、車の行き先を表示している看板を頼りに歩くことにした。(奥津裕美)

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コメント

こういう発想はなかった! 続編を楽しみにしております。

投稿: ながた | 2009年8月28日 (金) 05時58分

地下鉄ではなく、JRではないでしょうか。上野から飯田橋に行って、そこから徒歩で靖国神社だと思いますが……。

投稿: Gパンおやじ | 2009年8月28日 (金) 16時03分

1939年頃であれば、上野~九段下を電車で移動するなら都電利用が普通でしょう。
国電(当時の呼称は省線)もありですが。
少なくとも地下鉄だけなんて事はありえないですよ。

投稿: すぎもと | 2009年9月 3日 (木) 10時38分

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