Brendaがゆく!/日本でのコミュニケーション
昔の私だったら、道ばたとかで会った人と会話とかはしなかった。
微妙にイライラしてることが多いので。
知らない人とはなすのとかもすごい苦手だし。
しかし、ヨーロッパの暮らしの中では、うぜーよぉ~ってほどに、まわりがベラベラ、ベラベラ、ベラベラ、ベラベラ、天気のこととか、社会への害のない不満などを話しかけてきたり、井戸端会議していたり。
アタクシ、合理主義的には、会話に参加したい訳ではなく、その土地の言語を研くためにこのような場合は、あえて英語ではなくその土地の言語で自分もいいたいことをニコニコと(ここ重要!)しゃべることにしている。こうすれば、無駄な会話などない。しゃべりかたを学べる。言語学的に、しゃべりかたというのはこのような実践でしかもちろん学べんのだ。しかもネイティブ達と、無料で、願っても叶ってもないと思えば、日本では迷惑と思えるような会話も楽しめると言う訳だ。
じゃ、日本ではどうか?
話す理由がないよな。
がしかし、生活の習慣とはとてもいい意味で身に付いている物だと感じた。
先日の記事の中で書いた内容からのつづきであるが、
雨のスーパーの軒先で、天気を嘆くおばさんがいれば自然にそれに同調して会話ができる。むしろそんなことが新鮮で楽しいとさえ思える。この土地の人と会話をしている自分が嬉しい。
どこかいったさきで、わからないことがあり戸惑ったことがあればその場にいる人にきくのが一番素直で早い解決策ではないか。そんなことを相手が優しく受け入れてくれれば自然と感謝と感動が生まれる。(寿司屋での話)
日本人特有の微妙にこもった感じでそれ(会話)をするのではなく、いつものヨーロッパ的な感覚で話せば人には受け入れられるのだと感じた。(超個人的な感覚で読者諸君には理解しがたいと思うが)
あたしは、調子込んでいると思われるのがいやだから、そういう外人的な物を隠しているというのも今まではあったし。
とにかく、振る舞い(行動様式)が日本では全然違うところがネックとなって。
躊躇している自分がたくさんあったわけだ。
しかし、いつもどおりに普通に話せば日本でもいい感じになりますよって話。
これは、道ばただけの話だがな。
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コメント
調子を「込む」って、茨城で育った方なのかな。
茨城って大陸的というと微妙だけれども少なくとも北海道ばりに、公道で90キロで追い抜かれるからいい。
ヨーロッパ的な感覚で話したところが躊躇していた自分が消えて仲良くできたというのが嬉しかったです!
投稿: りえこ | 2009年7月12日 (日) 00時45分