ホームレス自らを語る 第31回 この生活も愉しい/山口さん(73歳)
ボクの人生には語りたくないことが多いんですが、そんな中途半端な話し方でもいいんなら、話してみましょうか。
ボクが生まれたのは東京の渋谷です。7人兄弟の下から2番目でした。
父は外交官をしていました。この父は苦学の人で、あの松方正義(元首相で公爵)の書生をしながら大学に通い、苦労して外交官になった人です。
その後、父は中国の領事館勤務になり、母と小学生だったボクと弟が、いっしょに行きました。ほかの兄弟は母の実家に預けられました。たぶん、学校の関係だったんでしょう。
はじめて中国に渡ったときの印象は、怖かったですね。言葉や風俗の違う人々のなかに、いきなり放り込まれて怖かったです。慣れるのにだいぶ時間がかかりました。父親の転勤で中国国内や満州(いまの中国東北地方)の領事館を3回ほど変わりました。
昭和20年8月の終戦は、中国国内某都市の領事館で迎えました。その終戦の日の数日前から、父はどこかの機関に出頭したまま帰ってきませんでした。いつまで待っても帰ってこないし、それで母の機転で日本に引き揚げました。小倉(いまの北九州市)にあった母の実家に弟と3人で身を寄せました。
そのうちに父も帰ってきて、一家で東京に戻りました。その間、父が何をしていたかは、よくわかりません。
終戦のとき、ボクは旧制中学の生徒でした。日本に引き揚げて転入し、その間に学制改革があって新制高校に変わりました。大学は学習院の政経学部に行きましたが、なぜ学習院だったのか、そのへんの事情は語りたくありませんね。
そのころから、ボクはジャズ歌手の真似ごとをして、金を稼ぐようになっていました。都内のクラブで歌うのが主でしたが、日劇のミュージックホールで歌ったり、進駐軍のキャンプを回ることもありました。平尾昌晃はそのころいっしょにまわった仲間です。
そんな歌手の真似ごとをしているうちに、学業との両立が難しくなって、大学はやめました。中退です。だからといって、本気で歌手になる気もありませんでした。そこまでの実力がないことは、自分でもよくわかっていましたからね。
そのうちに世の中が落ち着いてきて、案の定、歌手の仕事は減ってきました。それでも何とかして食わなければならないから、いろいろ働きました。日雇いの肉体労働以外の仕事は、たいがいの仕事をやった気がします。
結婚はしましたよ。相手は九州・熊本出身の女性です。子どもは女の子が2人。結婚して、子どもができたのに、職業を転々とする根無し草の生活をしているわけにもいきませんからね。それで商売を始めました。
木材の輸入業を始めたんです。東南アジアやアメリカの木材を輸入して販売する会社です。といっても、そんなに大きな会社ではありませんよ。従業員が一番多かったときで5人の会社ですからね。商店のようなものです。
そんな小さな会社でしたが、女房と娘たちには、不自由な思いはさせずに、世間並みのことはしてやれたと思っています。商売は地道にやりましたから、大きく儲けることもなかった代わりに、大きく損をすることもなくてね。まあ、堅実な会社でした。
娘はふたりとも結婚して、2人とも孫がいます。女房は先年に亡くなりました。病気でしたが、これについては語ることもないでしょう。というより、この話も語りたくないな。 ボクは歴史に興味があって、それを調べるのが好きでしてね。娘2人が嫁いで、女房も亡くなって暇ができるようになり、仕事の休みを利用して神社、仏閣めぐりをするようになりました。私の場合は建物や庭園の結構を愛でるよりも、そこに所蔵されている古文書を見せてもらうのが目的でした。
ボクの愉しみは古文書を解読すること。歴史上の特定の事件などを調べているわけではないから、古文書なら何でもいいんです。室町時代のあたりから江戸時代のものまで、脈絡なく片っ端から解読しています。
古文書には楷書で書かれたものはむしろ少なくて、行書体や草書体のものが多い。なかには漢文のものもあります。解読には手間取りますが、それだけに読めたときの喜びも大きいわけです。
それでボクはしだいに古文書にのめり込むようになって、仕事も従業員まかせになっていました。もう会社には出ないで、毎日竹橋(千代田区)にある国立公文書館のほうに通って、古文書三昧の生活になっていました。
それがいけなかったんですね。ボクが最も信頼して仕事をまかせていたベテランの従業員が、店の金のありったけを持って逃げてしまったのです。それで店は倒産。ボクは住むところも失って、路上で生活する身となりまた。2年前のことです。
こうなったのもボクの責任です。商売をそっちのけにして、古文書にうつつを抜かしていたわけですからね。悪いのはみんなボクです。誰も恨めません。
じつは、ボクは楽天論者でしてね。こんな路上生活の身に落ちぶれながら、自分ではこの生活を愉しんでいるんです。だいいち、もう誰に気兼ねすることもなく、公文書館に入り浸って、心いくまで古文書の解読に没頭できますからね。ボクにとってはこれ以上の幸せはありません。
身体はいたって健康、足も健脚、動けるうちは古文書を求めて東奔西走を続けるつもりです。それから先のことは、そのときに考えればいいでしょう。(聞き手:神戸幸夫)
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