« Brendaがゆく/ふと思い出した喜ばしい別れ | トップページ | 書店の風格/第32回 啓文堂書店渋谷店 »

2009年5月10日 (日)

ホームレス自らを語る 第30回 昔ツッパリ いま仏様(後編)/新垣智之さん(仮名・63歳)

 新宿西口地下通路に、段ボールハウスを最初につくって住むようになったのはオレだよ。あそこに段ボールハウスをつくった第1号だと名乗るやつは多いけど、正真正銘の第1号はオレだからね。ウソじゃないよ。
 いつのことだったのか……ずっと昔のことだからさ。もう覚えていないな。オレがハウスをつくると、すぐに7個のハウスができて、それからぼつぼつできるようになった。ハウスが急速に増えて、左右の通路に隙間なく並ぶようになったのは、バブル経済が崩れてからで、ハウスの数は200個までになっていたからな。
 オレが生まれたのは沖縄の那覇。沖縄の高校を出て、本土の長良川(岐阜県)のホテルで料理人になった。10年ほどして、沖縄に帰りレストランに雇われて働くようになる。その間に結婚して、子どもは女の子が一人できた。
 ところが、数年してレストランが倒産。何の蓄えもないから路頭に迷うことになって、女房、子どもとは別れた。女房はどんなときでもオレを立ててくれる、心のやさしいいい女だったけど、食わしていけないんだから別れるより仕方なかった。
 当時はベトナム戦争の真っ最中で、沖縄も血腥くて険悪だった。戦場から帰休している米兵たちは、気がすさんでいるからケンカが絶えなくてさ。バーなんかでケンカがあると、オレは英語ができたからよく仲裁役をたのまれた。背が2メートル近くあって、丸太ん棒のような腕の米兵同士のあいだに割って入るんだかね。ちょっとした命がけだったぜ。
 そんなことばかりしていても仕方ないから、オレは大工をしている友人の下に見習いでついて、大工の仕事をひと通り覚えた。それでふたたび本土に渡って、東京に出た。一旦は練馬の工務店に就職するが、すぐにやめて日雇いになった。
 新宿西口の地下通路に段ボールハウスをつくったのは、そのころのことだ。そこから毎日日雇いの仕事に通うようになったわけだ。
 そのうちに段ボールハウスが、どんどんできて通路に隙間なく並ぶようになった。そうしたら山谷の争議団というのが、新宿に乗り込んできたんだ。いつのことだったか、覚えてないが……平成6(1994)年? そうだったかな。
 それで新宿のホームレス問題は、争議団のほうで仕切ると言い出したんだ。「冗談じゃねえ。ここを最初から仕切っているのはオレたちだ。途中からノコノコ出てきて、ヤクザの縄張り荒らしのような真似をするんじゃねえ」というのがオレたち言い分だった。
 それからしばらく両者は反目し合って、睨み合いの状態がつづくことになった。うん、かなり関係は険悪だったな。しばらくして、争議団の代表という3人が、オレのところに話し合いにやってきた。そこでホームレスが2派に分裂して対立しているのは、行政側に段ボール村を潰す根拠を与えることになるだけだということになって、たがいに協力することで話がまとまった。それでできたのが新宿連絡会(新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議)というわけだ。

 平成8(1996)年1月に東京都が警察官とガードマンを動員して、地下通路の段ボールハウスの強制撤去を強行した。このときホームレス側の先頭に立って、警官隊と向かい合って抵抗したのは、オレとその仲間たちだぜ。火をガンガン燃やして気勢をあげてな。テレビのニュースでも映っていたよ。
 それから段ボール村で火事があったろう。平成10(1998)年か……この火事をきっかけにして新宿連絡会の説得で、全員地下広場から自主退去することになった。だけど、オレは反対で最後まで抵抗したんだけど、力ずくで片付けられちまった。
 思えば地下通路に最初に段ボールハウスをつくったのはオレだったし、地下広場に最後まで残ったのもオレだったわけだ。
 そんなことをしているから、オレのことをヤクザだと思っているのがいるが、オレはヤクザじゃないからね。ただの酔っ払いだからさ。
 酒は好きだった。毎日浴びるように飲んだ。若いころにビール3ケースに日本酒5本、それにウイスキー3本を一度に飲んだことがある。どうなったかって? 1週間眠りつづけたよ。途中、幾度かトイレに起きて、そのたびに水をんでは、また眠る。1週間その繰り返しだた。
 40歳のときだっかな、急にぶっ倒れて昏睡状態になったことがある。酒の飲みすぎによる肝硬変だった。そのころは毎日1升(1.8・)からの焼酎を飲んでいたからね。救急車で大久保の病院に搬送されて、半年も入院させられたんだ。
 半年して退院したけど、薬で酒を受付けない身体にされてしまって、飲みたいけど飲めないイライラがつづいてノイローゼになってしまった。こんどは三鷹の病院に3度も入院した。長いのでは1年間も入っていたよ。
 退院するにあたって、飲酒は禁じられたけどやっぱりやめられないよね。いまもこっそり飲んでいる。このあいだ新宿福祉の係員に見つかっちゃってね。身体を調べられて、脚が腫れ、腹も膨らんでいるから至急入院しろと言うんだ。だけど、病院なんかに入ったら、何もできなくなるからね。身体の動く間は、ここでがんばりたい。
 まあ、先のことを考えると真っ暗だね。若いころは好き放題やって、酒を浴びるように飲んでね。いまじゃ何もできなくなっちまった。「昔ツッパリ。いま仏様だ」(聞き手:神戸幸夫)

|

« Brendaがゆく/ふと思い出した喜ばしい別れ | トップページ | 書店の風格/第32回 啓文堂書店渋谷店 »

ホームレス自らを語る」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ホームレス自らを語る 第30回 昔ツッパリ いま仏様(後編)/新垣智之さん(仮名・63歳):

« Brendaがゆく/ふと思い出した喜ばしい別れ | トップページ | 書店の風格/第32回 啓文堂書店渋谷店 »