ロシアの横暴/第17回 ロシアの文豪にされたゴーゴリ(下)
ソ連はタラスの最後の名ぜりふに陶酔した。学校教育の国語の時間にはこの名ぜりふを生徒に暗唱させた。上質の美しいロシア語ということよりも、ロシア賛美が買われたのである。この国語の教程は現在もおそらく変わっていないであろうことは「ゴーゴリはロシアの作家だ」と、主張するロシアの言い分から容易に想像できる。
このせりふが教科書に取り入れられたのは、勝者とはいえ第二次大戦で甚大な被害をうけたソ連が疲れ切った国民に向かって「わがロシア民族は偉大で、どんな困難にも打ち勝つ!」とハッパをかけなければならなかった背景がある。
40数年後、結局ソ連は崩壊した。ソ連指導部は他の民族の痛みに無頓着だった。多民族で多宗教国家であることに気がつかなかったのだ。気がついていても大した問題とは思わなかったのだろう。どちらかといえば「ロシアには恨みをもつ」カフカス地方やバルト地方の学校教育で「偉大なロシア人」を暗唱させても「ソ連魂高揚」にはならないことが理解できなかった。
ウクライナ人がロシアを嫌うことのひとつに「マラ・ルーシア(=小ロシア)」という呼称がある。ソ連になってからはウクライナという呼称が復活し、近年ではほとんど使われなくなっているが、文学芸術の分野では今も残っている。同じスラブ民族で言語も似ているので、何の躊躇もなく「小ロシア」と命名されてしまったようだ。ロシア帝国の広大さからみればウクライナなど小さいものだから、と軽い気持ちで命名したのかも知れないが、ウクライナ側は穏やかでない。ウクライナという立派な名称があるのに、なぜロシアの付属品みたいな名前をつけられるんだ、と。坊主憎けりゃ袈裟まで憎くなるから、ゴーゴリ対立のなかに、この穏やかでない感情が当然絡んで来ている。
ゴーゴリをロシアの文豪にしたいロシアにも疑問が残る。
ソ連時代はどこの都市にも「マルクス」「レーニン通り」が町の中心になっている。そこから革命文学者「マクシム・ゴーリキー大通り」が続く。そのあと偉大な芸術家や革命指導者に混じって、郊外の小さな通りには帝政ロシアを震撼させた農民一揆の首領「ステンカ・ラージン(ロシア語ではステパン・ラージン)通り」「プガチョフ通り」まである。初等学校の詩暗唱のテキストに使われ、現在は「ウクライナではなくロシアの文豪」と言われている偉大なゴーゴリの名を冠した通りはなぜか町はずれにひっそりとしている。
ロシア語の名作・名ぜりふを残したところでやっぱりゴーゴリはウクライナ人、タラスはロシアの軍事力を拝借しただけ、ゴーゴリも皇帝に弾圧を受けないよう、偉大なウクライナ人と書きたいところをロシア人と書いただけであることを当時のソ連の指導部は知っていたのかも知れない。(川上なつ)
※訂正
ソ連・ロシアの宗教について述べた第12回
古都「スズタリ」は古都「ザゴールスク」の間違いでした。
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