靖国神社/第16回 祈年祭と建国記念祭(下)
さらに驚いたのは2月11日に建国記念祭が行われていたことだ。2月11日といえば建国記念の日。つまり元は紀元節。紀元前660年に神武天皇が橿原の宮で即位した日である。
そもそも紀元節の日程を定め紀元節祭を行うようになったのは1872年。当初、定めた1月29日が民衆から旧正月の祝いだと間違われたことからも分かる通り、当時、明治政府が国家神道を進める道具として定めた祝日だった。
しかも橿原の宮に橿原神宮が創建されたのは1890年である。同年に教育勅語が発布されていたことを考えると、この建設の意味は分かりやすい。
さて、問題は靖国神社がこのような経緯の祭祀を祝っていいのかということである。
もともと靖国神社は東京招魂社として創建され、当初は神官が居なかった。軍人が祭主を務め招魂祭が行われていた。別格官幣社となり靖国神社と改称される前年までは神官不在の招魂祭が開かれていたという。
つまり東京招魂社から10年をへて神社らしく装いを整えた靖国神社が国家神道推進のための祭祀を続けたいのだろうか。いや、続けたいのかもしれんが……。
しかも英霊の集まる場所で神武天応の即位を祝っても……。歴史学的には実在が怪しいと思われている神様の即位である。自分たちは本当に死んだのに、と英霊は思わんか? いや、思うかは怪しいが……。
いずれにしも大江志乃夫が『靖国神社』で記している通り、「靖国神社の教義は、もともと民間信仰に属する御霊信仰に発している」。つまり怒れる怨霊を鎮めて平穏と繁栄を得ようとする気持ちが、靖国神社の源に流れているといえる。
そうした信仰心を表すかのように、歴史的にはサーカスやプロレスの興業などが行われ、イデオロギー抜きのイベントが頻繁に開かれてきたのである。
素朴な信仰をイデオロギー的に利用した歴史が靖国神社の通った1つの道筋であるなら、古来からある祭祀、あるいは純粋に英霊に喜ばれる祭祀こそ重要とはいえないだろうか。
実際、靖国ではどのようにして建国記念祭を祭るのか聞いてみたが、なぜか先ほどあげた祈年祭と同じく、祝詞をあげるという極めてスタンダードなものだという。
取材の帰りに外苑休憩所に立ち寄ってみた。
なんと、土産物屋の店頭には「アッキークッキー」が並んでいた。説明は不用かもしれないが安倍首相婦人である。さらに横には麻生太郎氏のキャラをたてたカステラが。いつの間にここは政治家の顔が並ぶ場所になったのだろう。
やはりこの神社には平然とミスマッチが居座っているような気がしてならない。英霊と祈年祭。土産のお菓子と政治家。(編集部)
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投稿: 田中 | 2009年5月 7日 (木) 22時09分