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2009年4月 1日 (水)

妻達の「そうか、もう君はいないのか」

故城山三郎氏の『そうか、もう君はいないのか』がベストセラーとなっている。ただここに描かれる夫婦愛に共鳴しているのはどうやら妻ある夫ばかりのようだ。私と同世代すなわち40代後半から50代の妻を何人か取材した。そのなかには向こう側から私へ電話なりメールで感想を寄せてきたくれた人もいる。そこでわかったのは『そうか、もう君はいないのか』は妻側からはほとんど共感できないとの声ばかり。
おおよそ前置きとして「城山先生の場合はそうだったのでしょうけど」「城山先生はすばらしかったのでしょうけど」がある。「けど」の続きは「私だったらありえない」だ。

そもそも先立つのは大半が夫なのだから妻が先に逝くというケースが稀なのだと取材対象者は異口同音に、問わずとも言う。「だから多くの場合は妻が夫を失った後に『そうか、もう君はいないのか』の世界があるかって話でしょう。ないない。少なくとも私にはあり得ないし、他のほとんどの女性もそうじゃないかしら」と述べる。
城山氏は享年79歳。サラリーマンの場合だと定年後14年から19年後となる。フリーランスである作家の城山氏に定年はないし60歳以後も精力的に作品を発表してきた。だが世の多くの男性は定年後に家へ「粗大ゴミのように」居座っているというイメージが既に40代から女性にはあり、想像するだに恐ろしい光景のようだ。

だいたい今(つまり夫は現役で働いている)ですら休みの日に夫が家にいると「そうか、今日君はいるのか」って感じなんだよ。定年後毎日ゴロゴロされていたら「そうか、もう君は(会社へ)行かないのか」とため息とイライラの空間が生まれるだけだ。たまに出かけてくれたら「そうか、今日君はいないのか」と喜ぶぐらいだよ、と妻から見ると夫は生きていてもそんなものらしい。
では夫がほんとに逝った後ならばどうだろう。「まあ経済的にどうなるかは心配だよね。でもそこが解決すれば忘れてしまう。少なくとも城山先生みたいに死別したという事実自体を受け入れられないなど考えられない。想像力を限界まで働かせても」が最大公約数的意見だった。

いやいや夫の死後「そうか、もう君はいないのか」と思う可能性自体はあると救われる?意見もあった。だがその後のストーリーは城山作品とは正反対である。
定年後もゴミのように家へ居座っていた夫が去った。その光景を何年もいらつきながら現実ゆえ受け入れる日々が続く。それがいなくなった。その事実がなかなか受け入れられない……ならばあり得ると。そしてある日居宅の最もいい部屋を占領していた夫が間違いなく存在せず戻っても来ないと稲妻のごとく悟る。そしてもらす。「そうか、もう君はいないのか」。この言葉に込められるのは解放を意味する心ゆくまでの喜悦であろうと。「さあリフォームでもするかというインセンティヴになりそう」とワクワクするそうな。

仮に現役世代でも妻は秘かに夫へ「そうか、まだ君はいるのか」とため息をつく。定年後は「まだいる君」に慣れようと必死。それがいなくなった数年後に訪れる妻達の「そうか、もう君はいないのか」は城山氏のそれとは全く違う形であり得るようである。(編集長

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コメント

江藤淳「妻と私」、古山高麗雄「妻の部屋」なども、おそらく同系列ですね。
また大正時代にも病妻看病ものが流行ったようです(これは又聞きなので作品名は挙げられませんが、でもまあのちの「風立ちぬ」なんかも流れ的には一緒かも)。
私はこういう「病妻・愛妻もの」がわりと好きで
ひそかにコレクトしているのですが、
「そうか…」が売れているというのは、
田村正和主演ドラマがかなり功を奏しているのではないかと思います。
(正和にあんなに想われたら嬉しい)

語り手の夫が、
聖女を崇める心情を吐露する如く
高らかに妻への愛を謳いあげる一方で、
肝心の妻の真情やなにかを
一切語らせない点、
亭主関白小説であるとも言えます。
男子が夜中に書いたラブレター状態と言ってもいいですが。

「硬派のおじいさんが書いている。しかも死後または晩年の作」というのもポイントですね。
軟派なおじいさんが書いてたら、
脱稿した日に、きれいなお姉さんを見てお鼻の下を伸ばしているのではと疑いたくなりますし、
「俺は妻の死後は潔白だ!」と叫んでも、
「でもあなた過去が…」と言いたくなります。
そういう点では、毎度おなじみ、皆大好きな「純愛」路線です。

そりゃ、大人の女性から見たら、
「城山先生なら(或いはドラマの正和なら)ありだけど、まぁまずないわ」と言われるのも尤も。

メタクソに言いましたが、
私自身はこの手の作品を、
不謹慎承知で言えば、
キャラ萌えファンタジー小説として愛しており、
ある意味、思う壺な読者であります。

とりあえず晴美時代の瀬戸内寂聴先生の小説なぞ読んでバランスを取ろうと試みる
根っから文学バカのつぶやきでした。

投稿: テクニシャン | 2009年4月 1日 (水) 07時18分

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