« 靖国神社/第15回 祈年祭と建国記念祭(上) | トップページ | ロストジェネレーション自らを語る/男性・33歳・正社員(教育関係) »

2009年4月19日 (日)

ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第31回 内装は木造住宅

20a 写真右下、小さな扉を開き、裏側の茶色い錆止塗料をのぞかせている。これは電気・ガス・水道などが収めてあるパイプスペースの点検扉である。この周辺の壁が引きはがされているのは、酔っぱらいが暴れたわけではない。この連載で何度か指摘通り、パイプスペースがきちんと埋め戻され、火が回らないようになっているのか調べていたのだろう。

 ここで意外に感じたのは、ホテルの壁に石膏ボードが使われていたことだ。床の絨毯に散らばっている白いものは、石膏の破片である。ニュージャパンの火事ではベニヤ板やブロックが被害を拡大したとは報じられていたが、防火対策の基本となる石膏ボードが使われていたことは大きく報道されていなかったからだ。
「ホテルニュージャパンが開業したのが昭和35年ですから、そのころは当たり前に石膏ボードが使われていました。つまり内装が開業当時から同じだったとしても、石膏ボードを使うのは防火対策が必要なホテルとしては当然のことだったでしょう。
 ただしニュージャパンは、石膏ボード自体が薄い上、ボードの下に板を敷き、さらにボードを支えるためにコンクリートに木の支柱を打ち付けています。これでは木造住宅と変わりません。通常なら軽量鉄骨などを使うのですが?」 ホテルニュージャパンの火災に詳しいKBさんは、このように解説してくれた。

 火元の9階と7階は防火対策に違いがあったとの話もあるが、いずれにしても防火材料を使っていながら、その下地が可燃物では意味がない。火災の熱と異常な乾燥で自然発火すれば、石膏ボードは崩れ落ちながら延焼してしまう。石膏ボードを使った木造住宅が全焼してしまうのと同じである。もちろん、延焼には木製ドアなどほかの要素もあったが。
 調べてみると昭和35年あたりには軽量鉄骨が出回り始めていた。ニュージャパンは横井英樹社長が昭和54年に買収し、シャンデリアなど豪華な内装にしたという。少なくとも、この時壁や天井のクロスの張り替えたのだから、可燃性のベニヤと木製の支柱を全廃することはできたろう。しかし、見えないところの経費を徹底的にケチった横井英樹社長に、そんな発想はまったくなかった。

 写真奥に見えるのはエレベータホールである。フラッシュを反射して黄色く光る扉は不気味だ。(大畑)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。