ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第31回 内装は木造住宅
写真右下、小さな扉を開き、裏側の茶色い錆止塗料をのぞかせている。これは電気・ガス・水道などが収めてあるパイプスペースの点検扉である。この周辺の壁が引きはがされているのは、酔っぱらいが暴れたわけではない。この連載で何度か指摘通り、パイプスペースがきちんと埋め戻され、火が回らないようになっているのか調べていたのだろう。
ここで意外に感じたのは、ホテルの壁に石膏ボードが使われていたことだ。床の絨毯に散らばっている白いものは、石膏の破片である。ニュージャパンの火事ではベニヤ板やブロックが被害を拡大したとは報じられていたが、防火対策の基本となる石膏ボードが使われていたことは大きく報道されていなかったからだ。
「ホテルニュージャパンが開業したのが昭和35年ですから、そのころは当たり前に石膏ボードが使われていました。つまり内装が開業当時から同じだったとしても、石膏ボードを使うのは防火対策が必要なホテルとしては当然のことだったでしょう。
ただしニュージャパンは、石膏ボード自体が薄い上、ボードの下に板を敷き、さらにボードを支えるためにコンクリートに木の支柱を打ち付けています。これでは木造住宅と変わりません。通常なら軽量鉄骨などを使うのですが?」 ホテルニュージャパンの火災に詳しいKBさんは、このように解説してくれた。
火元の9階と7階は防火対策に違いがあったとの話もあるが、いずれにしても防火材料を使っていながら、その下地が可燃物では意味がない。火災の熱と異常な乾燥で自然発火すれば、石膏ボードは崩れ落ちながら延焼してしまう。石膏ボードを使った木造住宅が全焼してしまうのと同じである。もちろん、延焼には木製ドアなどほかの要素もあったが。
調べてみると昭和35年あたりには軽量鉄骨が出回り始めていた。ニュージャパンは横井英樹社長が昭和54年に買収し、シャンデリアなど豪華な内装にしたという。少なくとも、この時壁や天井のクロスの張り替えたのだから、可燃性のベニヤと木製の支柱を全廃することはできたろう。しかし、見えないところの経費を徹底的にケチった横井英樹社長に、そんな発想はまったくなかった。
写真奥に見えるのはエレベータホールである。フラッシュを反射して黄色く光る扉は不気味だ。(大畑)
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コメント
「あの事件を追いかけて」購入しました。
お仕事とは言え、凄惨な事故や事件があった場所に行くのは精神的にも大変かと思います。
「この被害者、今生きていれば、何歳くらいかな…?この人にも家族がいて友達がいて、職場の仲間がいて。普に生きてたんだなぁ」「加害者は、何故こうなったか」などと、考えながら読んでます。
事件や事故の怖さだけでなく、人間誰しも心に闇を持っていること、命の重みを考えさせられる本は他にないと思います。
有り難うございました。
投稿: 聖子 | 2010年8月 3日 (火) 10時43分
事件後のホテルニュージャパンを見に行ったことがなかったので、本を読んで色々分かりました。おそらく今後も跡地にできたプルデンシャルタワーを見に行くことはないと思いますが、タワーの敷地内に犠牲者の慰霊碑などはないのでしょうか?マンション住人の大半が事件のことを知らないからあえて建てないようにしているなどの理由があるのか。横井英樹も亡くなってしまったし、被害者が浮かばれないと思います。余談ですが、ホテルニュージャパンが建つ前は226事件の関係者が事件前に立ち寄った料亭があったそうですね。火災との因果関係はないと思いますけど。
投稿: さくらん | 2010年9月 2日 (木) 09時37分