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2009年3月10日 (火)

川口バラバラ殺人の現場を歩く

 1999年1月19日、荒川で最初に見つかったのは左腕のひじから先だった。その後、左足や右足などの肉片が浮いているのが次々と発見される。頭部と胴体が発見されず、事件は長引くとも予想されたが、一部白骨化した左腕部分の指先から指紋を検出。99年1月9日から行方不明になっていた21歳の女性を被害者と特定し、行方不明の夜に被害者と酒を飲んでいた49歳の横田謙二を逮捕した。

 この事件が大きく報道されたのは、犯人が仮出所から1年もたっていなかったからだ。彼の最初の凶行は1978年の強盗殺人だった。知人宅にカネを無心に行き、たまたま在宅中だった父親を電気コードで絞め殺し現金を奪う。判決は無期懲役。20年間を刑務所で暮らすことになった。写経や読経に励む姿も見られ、所内での評判は悪くなかったという。
 98年3月、横田は仮出所となる。身元引受人は母親だった。翌月、経済同友会の調査では70%の会員が経済が後退していると答えていたが、横田はゴム製品の製造会社に働き口を見つけている。そのころからスナックにも通い始め、そこで後に被害者となるアルバイト女性とも知り合った。報道によれば、一流会社の会社員だとウソをつき、気前よくお金を使っていたという。
 当時の彼のアルバイト料は時給900円。1日8時間、22日間働いても稼ぎは16万円を割る。実家に支払っていた家賃などを考えると、大盤振る舞いできる賃金ではない。結果、足りない分を消費者金融から調達する。
 9月、彼は職場で注意されたことに腹を立て会社を辞める。わずか5ヶ月の短いアルバイト生活だった。ほどなく一人暮らしを始め、翌月には梱包会社に職を得る。手に職を持つわけでもない50前の男が、いきなり給与を上げられるはずもなかろう。そのうえ家賃や光熱費、借金への返済が生活を追いつめていく。しかも消費者金融への借金は仮釈放を取り消される可能性が高い重大な秘密でもあった。
 そして年が明けた1月9日、横田は「飲みに行こう。お年玉をあげる」と被害者を電話で誘う。すでに彼女はスナックを辞めていたが、2人は東武伊勢崎線西新井駅駅前の居酒屋で1時間ほど飲み、そこからタクシーで彼のアパートに向かったという。
 悲劇はアパートで「お年玉」を渡したときに起こる。2万円という金額に「これっぽっちなの」と被害者が言ったことで口論に発展。横田は彼女の首を絞めて殺した。3日間は放っておいたが、腐臭で事件が発覚するのを恐れ、風呂場で包丁を使って遺体を解体。6つの袋に分け、数日かけて自転車で荒川に捨てに行ったとされる。

2009030918140000  事件当時は開通していなかった舎人ライナーに乗り、現場のアパートへと向かった。埼玉県川口市にほど近い足立区の外れに、そのアパートはあった。
「犯人のことは誰も知らないんじゃないかね。事件があったのもテレビのニュースで知ったぐらいだから。もう契約なんかも大家さんじゃなくて不動産屋でするから、犯人を知っていれば不動産屋ぐらいでしょう。だいたいあのアパートに誰が住んでいるかは、近所の人も知らないから」
 アパートの向かいで畑仕事をしていた老女は、アパートを見ながら続けた。
「その犯人とは別に20年ぐらい前だな。警察が来てね。張り込みさせてほしいって、ウチの倉庫を借りていったよ。どこを見張っていたかは知らないけど、見える方向からすれば、やっぱり、そのアパートかねー」
 横田がこのアパートに住んだのは、わずか4ヶ月程度。地域から煙たがれていたアパートだけに、近所の住人が彼を知らないのは当然かもしれない。
 このアパートの近所で駄菓子屋を経営している男性も、犯人は知らないと首を振った。
「あのアパートは出入りが多いんだな。親子でけっこう長く住んでいる人がいるのは知っているけど、ほかは知らないなー。事件のときも、刑事がここら辺を通っているのは見たけど、人が集まって大騒ぎしていたわけでもないし……」

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コメント

これまで、何回かバラバラ殺人事件について見てきましたが、大体は被害者が憎いからとか死体の処理に困ってというのが犯行の動機。しかしながら、あの宮崎勤事件あたりから、それが何でバラバラにすることに至るのか不明というのが多くなって来たように思います。個人的に思うことは、本来人には見せてはいけないものが簡単に見ることができたり、聞いたりできるようになってしまったからだと思います。だからといって、それをやってみようなんて考えてしまうのは信じられない。豊島区や鳥取県の詐欺と不審死事件も「ホテル日本閣殺人事件」を連想させる。島根県の女子大生殺人事件は、昭和7年の首なし娘事件を犯人は真似たのでしょうか?

投稿: さくらん | 2009年11月11日 (水) 21時36分

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