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2009年3月

2009年3月31日 (火)

塩山芳明新刊、ついに発売!

でました!

塩山芳明氏の新刊『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代~』。

本日より、各書店様に並びはじめます。

ただ、コア&リアルな内容なので、数に限りがございます。

なるべく大型の書店でお探しいただくか、ご注文されるとスムーズです。

Shioyama バブルと共に、ささやかな栄華を誇った成人向け漫画雑誌。

あの頃の青春を、エロ漫画編集歴3●年の著者が一気に総括!

漫画家、編集者、スター投稿者、当局、書店、製版屋などなど

誰も語らなかった事実満載でお送りする、底辺出版クロニクル。

ネットでの販売も始まっています!

※予約限定プレゼントは締め切りとさせていただきました。ご応募、ありがとうございました。

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2009年3月30日 (月)

Brendaがゆく!/日本には絶対的にない精神の自由

昨日はとても晴れていたので、高級住宅街の片隅のカフェで、ひっそりと昼間からワインを飲んでいた。

一緒にいた彼は、もう今日は仕事をする気がなくなったと言うので・・・笑


少しドライブにでかけて。


休んでいるだけの一日なら大渋滞も気にはならない。
クラシックを聴きながらパリをドライブしているとある種のスペクタクルのように感じてとても気分がいい。


運転していた彼は言った。

「今日はまた大きめのストがあるって知ってた?」

私は、


私には関係ないと思い、へぇ~と言って

ふとつぶやいた。


「日本では、この不景気の影響で多くの人が電車に飛び込んで自殺までしているというのに・・・。死なない人も朝から晩まで働いているよ。ここではまたスト・・・信じられない」


「ここには、究極的な精神の自由があるんだよ」と彼は言っていた。
そして特別な国だと。


彼も私同様産まれたのはフランスではなく、これまで多くの国を渡り歩いてきた人。

「確かにポーランドにもそんな精神の自由は存在しない」


でも、ポーランドには真の愛がこの21世紀においても、澄みきったわき水のように存在しているので、むしろ日本やフランスと比べれば人間にとってこの世の楽園と言えると思う。


以前に、デートの席である男性が「自分の国には真の精神の自由が存在するから、それがいいことだと思う。今は外国人でいることに快感を感じているので、自分の国に住もうとは思わないけれど、とてもいいところだよ」と言った。

私は、この言葉をデート中の軽い一言ととらえる事ができなかった。
なぜなら、私の国はそうではないから。そのことを彼は知らない。

日本に住む日本人達でさえそのことに気がついていない人間がほとんどなのかもしれない。


私は真顔で

「日本はとても豊がだけれど、精神の自由はなくてだから先進国の中でも突出して自殺の数が多くて、交通事故の3倍なのよ。誰かと別れる時には、交通事故には気をつけてねじゃなくて、自殺には気をつけてねと言わなければいけないわ。だって3倍もリスクが高いのだから。」

と笑いを込めていってみたが・・・。


日本の状況はどう考えても悪い方向に行っているとしか思えない。。。


なんでこんなに外に出てみてもまだ日本が悲惨な場所に見えるのだろうか?
それが事実ではないと何度も自分の中で否定しようとしてきたが、正直なところ、産まれてこのかた、先進国というくくりの中では日本の豊かさを見いだす事がいまだに出来ていない。


もちろん貧しいアフリカの国々や戦争をしている国と比べれば日本は天国だが。。。


しかし、私は正直そういう考え方は好きではない。
こういう馬鹿げた解釈で自分の立場を正当化するのは時には愚かとしか言いようがない。
私の中ではこのような考えはプラス思考とは言えない。


でも、多くの日本人がこの基準で自分たちを慰めているようにも思う。

精神的な幸せ度に関しては、比べる国がないほど貧しいのが日本の現実であるから。



どうにもこうにも解釈の難しい極東の孤島だ。


ひとつ言える事は、日本には、幸福論という概念がない。
実際に私が暮らしていた時間にそれはなかった。
私の疑問はこれからもそれがないままあの国が存続し続けるのかということ。

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2009年3月29日 (日)

鎌田慧の現代を斬る 派遣業化するトヨタの組合

 不況が深刻化しているなか、トヨタグループの春闘は定期昇給こそ確保したが、ベアゼロで終わった。しかし、これも正社員の話である。
 昨年、トヨタは契約期間が1年を超えた期間従業員を組合に加入させた。組合に加入することで労働者の一体感を狙うなどともぶちあげていた。しかし会社側との労使協調路線を伝統とするトヨタ自動車労働組合が、非正規従業員の権利をどこまで守るのか疑問に感じてきた。その結果がでた。
 なんと組合は期間従業員の再就職支援に乗りだしたという。組合に加入したのだから、当然、組合費を徴収したはずだ。そのお金を使って会社側と闘うわけでもなく、無料の職業紹介事業をはじめるというから驚かされる。「無料」とはうたっているが、月々組合費を徴収していたことを考えれば、悪名高い派遣業となんら変わりがない。これまで非正規労働者を正規雇用にするよう自社に要求してきたなら別だが、組合費だけ取って雇用の危機になにもせず、いきなり派遣業になり変わるのだからサギである。
 どうしても自社で雇えないなら、せめて組合として独身寮を開けさせて住居だけは確保させるなど、少しは労働者の立場に立って活動すべきだ。そのようなこともせず、ただ仕事を紹介をする(どれだけ実績を上げるのか)だけなら見栄えのいい「クビ切り団体」でしかない。
 トヨタ自動車は現場の3分の1を期間工でまわしてきた。しかし期間工と派遣労働者がいること自体、「同一労働、同一賃金」の観点からみるとおかしい。労働者である限りおなじ仕事をしたら、おなじだけの給料がもらえるのが当たり前だからだ。非正規労働者の地位を引き揚げる必要がある。
 ところが不景気のなか、「同一労働、同一賃金」のスローガンは、正規労働者の賃金を引き下げることに使われかねない状況となっている。
 労働時間の短縮で仕事を分かち合い、より多くの人を雇用するワークシェアリングも、生産調整と賃金減らしに使われている。それが証拠にワークシェアリングで賃金を抑える例は増えていても、非正規雇用者の待遇が改善されたという報はほとんど聞かない。
 結局、不況のドサグサに紛れて経営者はいろんなことを労働者に押しつけているのだ。労働者は受難の時代となった。
 こうしたなか、奥田碩・トヨタ自動車相談役が外国人の受け入れと社会統合に関する国際シンポジウムで講演し、入管法改正で日系人が急増した問題に触れ「理念のないまま間口を広げた状況で、望むべきではない(状況だ)」(『毎日新聞』09年3月1日)と語った。それが分かっているなら、少しでも「カイゼン」に努力すべきだろう。
 豊田市の保見地区ではトヨタから契約を打ち切られた日系人が4000人以上も住んでいる。食べることも、子どもを教育することもままならない日系人の救済は、ボランティアに任せきりだ。原因を作った企業の相談役が高みから「望むべきではない」などと語っている場合ではない。
 きれい事をいっても救う気はない。それがトヨタをはじめとする大企業経営者の実体である。だからこそ労働者は連帯、団結して闘う。そのことが生活を守るためにいまもっとも重要になっている。団結ガンバロー!(談)

全文は→「4.pdf」をダウンロード 

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2009年3月28日 (土)

日本を知りたくなったとき読む本

Photo_2  時事問題の原稿を書いていると、まとまった資料がなくて困るときがある。もちろん個別の問題には、かなりきちんと解説した本が簡単にみつかる。例えば民主党について知りたいなら、新書でもかなりの良書がでている。あるいは昨年の出来事だけに絞るなら、それこそ就職試験対策用の時事問題本を買えばよい。
 しかし、ここ10年間のさまざまな問題を俯瞰からとらえられる本は滅多にない。農業政策がどのように変わり、借金はどう増えていき、年金問題はどんな経緯で問題になったのかを簡単に知りたいと思っても、個別に専門分野の本を読み解き、自分でつなぎ合わせていくしかないのだ。そして個別の項目が全体としてつながったとき、初めて問題が立体的に浮かびあがってくる。
 考えてみれば当然のことだろう。
 農業の弱体化は農業政策の失敗だけではなく、高齢化社会の問題ともつながるし、そのバックグラウンドには農民をきちんと保護できず、公共事業だけにカネをばらまいてきた地方行政の歴史もあるのだ。全体を把握しないと、国の全体像をとらえることができない。
 そう考えると、時事問題関連の本はまるで縦割りの官僚社会のようである。もちろん本として焦点がぼやけると、出版社としては売りにくいのだろうが……。
 そうしたなか、子どもにも分かりやすい時事問題の解説本が出版された。『ニッポンに詳しくなろう!』(株式会社JL)である。漢字にはルビを振り、文章は対話形式。重要な部分は赤文字の2色刷りと豪華な本ながら1300円+税。かなりのお得な書籍となっている。
 目次は以下の通り。

第1章    世界一の借金大国・日本   
第2章    公務員の給料って・・・?
第3章    世界一少子国、世界一の長寿国・日本
第4章    はたして年金はもらえるのか?
第5章    どうなる派遣社員
第6章    学力低下がどんどん進む?
第7章    農業にもっと夢を希望を!
第8章    このままじゃいけない!日本

 パッと目を通してもらえば分かる通り、1~7章までに扱う内容は、国の借金や労働問題、少子化など国家の存続にかかわる重要問題ばかりである。じつは著者の伊藤秀雄氏は元外務大臣の藤山愛一郎主催の「藤山政経大学」で学び、会社を経営しながら、議員秘書などとしても政治とかかわりもって生きてきた人物である。その経験が書かせた本といえる。
 日本はかなり危ない状況にあり、だからこそ国を変える必要があり、そのためには問題を認識する必要がある。そんな想いが、この本からはひしひしと伝わってくる。お金のためではなく、名誉のためでもなく、ひたすら社会変革のために書かれた本ともいえるだろう。第8章では、道州制の導入などによって地方分権を進め、本当の意味での主権在民を目指すという国家プランも示されている。
 分かりやすく書かれているため、ともすれば大人が読むには簡単すぎると感じるかもしれないが、読み進めると自分が問題のほとんどを理解していなかったことに気づかされるだろう。新聞の見出しやテレビ報道などで、何となく分かった気になっていることが、けっこう多いのだ。
 総選挙も近づいている。イメージだけの政策にだまされないためにも、本書を読んで改めて日本について考えてもらいたい。
 紀伊國屋や丸善など一部書店でも販売しているが、紀伊國屋書店BookWebがもっとも確実に購入できる方法だ。気になったらクリックしてほしい。

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2009年3月27日 (金)

ロシアの横暴/第13回 経済危機とロシアの崩壊(下)

 さてロシアの経済はどのように混乱しているかというとまず、対ドル交換レートが半年前の2008年9月比で1.5倍ロシアルーブル安になっている。具体的には1ドル=23.5ルーブルから36ルーブルである。そして上がり放題だった不動産価格がそれこそ坂道を転がり落ちるように値下がりしている。
 不動産価格の次は一般物価で、現地(中部ロシアのある地方都市)からの最新情報によると40%ぐらい値下がりしたそうだ。なんだか日本のバブル崩壊時期のような現象である。いわゆる何も持っていない庶民には当然のことながら値下げは福音だ。安ければそれでいいわけで、そこに政治のどんな陰謀や失策があるかは問題ではない。目の前に饅頭があってそれが食えたらいいじゃないか、というレベルである。
 地下資源が豊富だから多少原油がさがっても平気、と高をくくっていたロシアは経済危機を脱するのに「保護主義」というものを発動した。輸入関税を引き上げて国内製品を保護しようというものだ。この保護主義のせいで日本産中古車ビジネスは壊滅的な打撃をうけた。だからロシアの特に極東地域では反政府デモが頻発している。ここでデモに参加している人は、日本からの中古車輸入ビジネスで生きて来た人々で関わってきた人は極東地域全体の25%に及ぶというから大変な数字だ。「安くて高性能」の日本産自動車の中古車販売ビジネスは潤っていた。人々は自由貿易に参加し、そこそこの収入を得て「エリツィン・プーチン改革さまさま」の自由市場を満喫していた。
 輸入関税引き上げは国産車保護のためとなっているが、ではこの措置で国産車業界は保護されたのだろうか?それはもちろんない。ごく少数の富裕層以外は国産車も中古車も買えないからだ。プーチン首相の命令でいくつかの自治体が公用車を国産車に切り替えた以外、だれも買う人はいない。
「ロシア人の後知恵」という言葉がある。「ロシア人の脳味噌はあとで働く」とする訳者もあるくらいだ。実際にロシア人と接してみるとギャグではなく、まさしくそのとおり、と感じることがよくある。ゴーゴリ著「死せる魂」の一節にもおなじみのロシア魂として登場する。灯を見るより明らかなことを全然読みとれず、ほとんど終盤になって「ああ、これに気がつかなかった俺はバカだった」と頭を叩いて、ロシア人の知恵はあとから来るんだよ、と開き直るものだ。
 安い輸入中古車におされて低迷していた、というよりほとんど機能していなかった国産自動車は政府が突然発した「国産車保護政策」で飛び上がって喜んではみたものの、何の実入りもないことに気づくことになる。
「プーチンが国産車保護目的の輸入関税引き上げを実施!」でやがては大量の失業者が発生し、国産車どころかベビーカーも買えない状態になることに想像が及ばない。国産車が巻き返しに転じることはなく、「実は失業者が増えれば国産車も売れない」ことにやっと気づく。こういうのがロシア人の後知恵である。
 一連の経済恐慌対処策に浮かれていても、自分の食卓が豊かになることはないのに気づくのはもうすっかり生活が破綻したのちで、にっちもさっちも行かなくなってからだ。
 ロシア政府にほんとうに「国産を保護」する気持ちあったかどうかは疑わしいところではあるが、保護主義のおかげで大量のビジネスマンが食い扶持を奪われ、その結果だれも保護されないという、皮肉な現象をうむことになった。
 そもそもロシア極東地域の中古車販売ビジネスは「共産主義経済から脱皮した自由貿易市場」として政府の推奨で発展してきた。産めよ増やせよではないが、「売れよ、儲けよ」と煽られての事業だった。地方自治体の首長もこれらのビジネスに肩入れしたり、自ら首を突っ込んで商売にいそしんできた。ヤミ商売から成り上がったとはいえ、売り上げに応じて払う税金もきちんと払い、「ビジネスを奨励してくれた政府に感謝を込めて」永遠にこの自由主義経済が続くことを願っていたのだった。
 ところが経済危機が本格化すると政府の態度は豹変した。
「やりたい放題に不法なビジネスを広げ国内企業を圧迫している」「国家に必要な輸入税をすり抜けている」
 政府の豹変ぶりに地方自治体の長は縮みあがった。
 地方自治体の首長をクビにできる、というのは世界的にみてもめずらしい制度である。数年前までは地方自治体の首長はたとえ「不正選挙」でも住民が投票して選出した。そのうち、大統領の気に入らない首長はいつでもクビに出来る制度になった。国民が選んでクビにするときは大統領のツルの一声では矛盾しているというので、そのうちに任命も解任も大統領権限になってしまった。
 この制度をうけて各地方自治体の首長は、地元住民の都合より中央政府の顔色を気にするようになったのはいうまでもない。
 しかし、だれをクビにしようと経済事情は好転しないことは確かである。一般物価が下落すれば庶民はよろこび、一時的に「好転」したような陽炎があがるだけだ。
 産経新聞の特派員が書いた記事におもしろいものをみつけた。リストラだ失業だという割には人々が高価な日本料理店に集う現象を不思議に思った記者が現地スタッフに訊ねたそうだ。その返答だそうだ。
「『ロシア人特有の気質も関係している。カネは持っているときに、あるだけ使う。解雇されたらそのときに考える。』ソ連崩壊後、何度も見舞われた経済危機から得た教訓なのかもしれない」(産経新聞1月23日)
 実はこれはソ連時代から受け継がれたロシア人気質である。ソ連時代は金があっても買うものがなかったので、何かを買うチャンスが到来すると、――たとえば米国製ジーンズとか、日本製ラジカセなど――有り金をはたいて買った。ソ連崩壊後はバウチャー発給や通貨切り替えなど、思いつき経済政策で大事な虎の子を紙切れにされた経験から「今度は紙切れになる前に使っておこう」と思っているのだろう。
 こんな現象をみていると「もうすぐロシアは崩壊する」のではなく「もうすでに崩壊している」とも言える。それをどのような方法で乗り切ろうとしているのか、予測ができない。まさか、原油高で稼いだ金はいまのうちに使っておこう、ロシアが破産しちゃったら、どこかに逃げればいいさ、とは思っていないだろうが。(川上なつ)

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2009年3月26日 (木)

マブチモーター社長宅殺人放火事件の現場を歩く

「まれにみる凶悪犯罪。良心のかけらも反省の態度も全く認められず、矯正の可能性は皆無」として検察は小田島鐵男に死刑を求刑した。それから3ヶ月後、千葉地裁の根元裁判長は「改善更正の余地を見いだすのは困難」として求刑通りの死刑判決を言い渡した(2007年11月死刑確定)。
 死刑問題の是非はともかくとして、こうした判断に司法が傾いたのも事件の概要を知ればうなずける。

Photo_2  2002年8月5日、午後3時半ごろ小田島鐵男は守田克美とともに、小型モーターで圧倒的なシェアを誇るマブチモーターの社長宅に押し入る。2人は犯行時に外から人が入らないように内側からカギをかけたという。1階居間で社長婦人を守田被告が監視し、貴金属のある2階寝室を小田島が長女に案会させて物色。その後、持ってきたヒモで妻を絞殺。長女も目と口を粘着テープでぐるりと巻いた上で、寝室にあった社長のネクタイで絞め殺した。そのうえで持ってきたガソリンで火を付けたのである。
 守田は「家に人がいれば、初めから殺して火を付けるつもりだった」と供述しているし、小田島も「人質を生かしておいたから捕まった」と、過去に刑務所で話していたと報じられている。奪った現金は数十万円、時価総額で約970万円となる10点の貴金属だった。
 しかし、2人の犯罪はこれだけで終わったわけではない。翌月の24日には電話帳で選んだ目黒区の歯科医師を絞殺し現金40万円を奪い逃走。その事件から2ヵ月後、11月21日には金券ショップに警察と偽って押し入り、指輪など時価70万円などを奪っている。
 わずか3ヶ月の間に4人を絞殺。そのうえ下見をするなど犯行も計画的。
 救いがない。誰もがそう思うだろう。

 小田島は1943年、北海道北見市で生まれた。父親は彼が誕生する2週間前に死亡。母方の祖父母に育てられたという。4歳のときには母親の無理心中未遂に巻き込まれ、母と妹と新しい恋人が一緒に祖母宅を出て行くときには雪降る駅の改札で独り置き去りにされた。
「自分は泣いてて、ばあさんが迎えに来てくれた。雪の降ってる日だったもんで、角巻き(マフラー)にくるまれて」(『毎日新聞』07年3月23日)
 裁判では自身の幼少の記憶についてこのように語り、耳を真っ赤に染めて泣いたという。法廷で感情を乱した唯一の場面だった。
 16歳のときには、空腹から食べ物を盗み少年院に収監。17歳では指輪を盗み、20歳まで函館の少年院に服役した。その後も結婚や就職など、人並みの生活を送る時期もあったが、結局、窃盗などの罪で逮捕され塀の中と外を行ったり来たりする生活を送った。
 このままなら小田島はケチな窃盗犯として一生を終えたに違いない。しかし、彼は47歳で決定的な一歩を踏み出す。「練馬3億円強盗事件」だ。工務店の社長宅に押し入り、家族など7人を2日間にわたって監禁、拳銃とナイフで脅して3億円を奪った事件である。共犯として逮捕され、懲役12年。これまで収監されても数年でシャバに戻ってきた小田島だったが、この凶悪事件で11年間を刑務所で過ごすことになった。
 この刑務所で知り合ったのが、マブチモーター社長宅放火殺人事件の共犯者・守田である。小田島は夜になると、守田と犯罪の相談を重ねていたという。「おれももう年。今度捕まって懲役刑になったら生きて塀の外に出られない」「次やる時は火をつけて、全員皆殺しにする。東京近郊の企業を狙おう」などと語っていたとされる。目標金額は10億円。強奪したカネは折半などの取り決めもできた。
 しかし、この計画が本気だったのかは少し疑問が残る。というのも小田島はマブチモーター事件の裁判で、「守田は人生で初めての友人」と話し、「強盗計画を練ったのは『そういう話でしか仲良くなれなかった。出所しても会いたかったから』」(『毎日新聞』07年3月23日)と報じられているからだ。
 実際、小田島が守田を友人と思っていたのは間違いようだ。逮捕後に小田島と手紙をやりとりし、その様子をブログに公開しているノンフィクション作家の斎藤充功氏は、最初に接見したときの言葉として、次のような言葉を書き記している。
「はじめに、死刑判決ありきの裁判ですから、共に処刑される共犯者とは、法廷で悪様に言い合うことは避てたいと思いまして、共犯者の調書を基にした起訴事実を、総て認めたんです」(死刑囚獄中ブログ
 出所後、守田は会社に勤めたが、交通事故でクビに。60近い小田島にも仕事はなかった。そんな2人はアパートに同居し、マブチモーターに押し入ったのだ。小田島の仮出所から、わずか1ヶ月半後のことだった。

 共犯者・守田の最初の罪は、89年4月に起こした殺人だった。新宿区上落合のマンションに住むタイ人を電話コードで絞め殺した。原因は女。歌舞伎町のバーで売春を強要されていた女性から、120万円で自由になれるからどうにかしてほしいと相談され、彼女の「使用権」をタイのシンジケートから買った男性に会いに行ったのだ。彼女がどう思っていたかはともかく、守田にとって恋人だった女性の身請け交渉に行ったのである。しかし半額の60万円に値切ろうとして殺人に発展してしまう。
 彼もまた幸福な子ども時代を過ごしたわけではなかった。5歳で両親が離婚し、高校を中退したものの働きながら夜間高校を卒業。それでも20代には結婚して子どもをもうけている。子煩悩だったらしい。しかしギャンブルと女性問題で離婚。ここで何かの歯車が狂い、そのひずみは殺人で最高潮に達する。
「おれはあの時に死んだ」(『毎日新聞』06年12月6日)。最初の殺人について守田が語った言葉である。
 彼が一線を越えた現場が見たくて、マンションまで行ってみた。すでに事件から20年がたち、事件現場となった部屋には日本人が住んでいた。住民の何人かに声をかけたが、当時から住んでいた人は見つからなかった。ただ売春を管理していたタイ人が、それなりの懐具合だっただけは分かった。
Photo  白いタイル張りの5階建て、入り口はオートロック、ワンルームでも6万7000円、1LDKなら12万5000円するマンションである。立地を考えれば高いわけではない。ただ継続的な収入のない人が住めるマンションでもない。そこに守田が怒りを感じたとしても不思議はなかろう。
 ただ守田は、最初から女衒のタイ人を殺すつもりではなかった。それなら値切る必要などないからだ。どうにか交際していた女性を自由にしたいという思いが、生み出した殺人だった。少なくとも電話帳で殺す相手を適当に選ぶような無軌道さは、この犯行には見られない。

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2009年3月25日 (水)

WBCにセパレートウェイズはどうよ

TBSが放送しているWBCの米国ラウンド。テーマ曲にジャーニーのセパレートウェイズがかかるたびに気力を失ってしまう。集中力が途切れるともいう。

確かに歌詞はまああれでいいかもしれない。スティーブ・ペリーの歌声は賛否両論だろうけど高揚感をあおるという点で的確かもとも思う。しかし……しかしだ。「セパレートウェイズといえばあのPV」というほどプロモーションビデオを記憶している世代やファンにとってはつらいよねえ。あの曲が試合の合間に流れるたびに例の迷作PVのあの場面このあほらしさが続々と思い出され(http://jp.youtube.com/watch?v=sxxOyGK1pMk)気が抜けてしまうのだ。原監督の妙に生真面目な顔が重なるともういけない。敗退したらそのせいにしようと思っていたが優勝おめでとう(編集長)

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2009年3月24日 (火)

アフガン終わりなき戦場/第14回 ジャーナリストの存在価値(2)

 ふいに思い出すのはペシャワール会代表の中村哲医師についてだ。医師と時間を共に過ごしたのはわずか10日だが、彼のたんたんとした仕事ぶりは「この人は本物だ」と思わせるに十分だった。
 中村医師はもうアフガニスタンで25年近く活動している。注目されたのは2001年のアメリカ侵攻以降だろう。それまでは静かに支援活動をしていた。昨年8月の日本人ワーカー、伊藤和也さんの殺害事件以降かなり騒がれたが、わたしが取材した10月、中村医師はたんたんと作業をこなしていた。
 朝5時に起床し、夕方5時に宿舎に帰宅。夜は深夜まで水路の図面を引いている。
 自分の仕事を誇るわけでも、アフガン情勢に関して熱弁を奮うわけでもない。博識なのだが、知識をひけらかすような真似もしない。
 静かに、静かに、作業をこなしている。
 日本では中村医師のファンもいようが、遥かかなたのアフガニスタンにはその声も届かない。お金が儲かるわけでもない。現在はどうか聞かなかったが、中村医師はペシャワール会から給料をもらっていない。アフガニスタンで活動し、帰ってきては臨時の雇われ医師として病院で家族のために働いていたそうだ。
 何かをする際に、いちいち自分の正当性を主張する人間は信用できないだろう。中村医師は口を動かす暇があるなら、もっとできることがあると思っているのだろう。
 額に汗流し、ひたすらアフガン人のために泥にまみれて働いている。

 中村医師のような直接的な援助が、アフガニスタンのためになっているのだろう。
 私のような半人前のジャーナリストに何の存在価値があろうか!
 「アフガニスタンのため! アフガニスタンのため!」
 と大風呂敷を広げても、本当にアフガニスタンのことを思うなら、日本で働いて、ペシャワール会のようなNGO団体に金を送ったほうが、マシではないか。
 と、思わずにはいられない。

 それでもわたしは来月、アフガニスタン取材に再度入る。
 私の好きな映画に『戦場のフォトグラファー』というものがある。1948年生まれ、世界的な戦場写真家ジェームズ・ナクトウェイを追ったドキュメンタリー映画だ。
 ナクトウェイのスチルカメラに小型のビデオカメラを取り付け、彼の眼を通して、世界の惨劇の現場を回る映画だ。マッチョな戦場写真家のイメージとは違い、ナクトウェイは感情を荒げることなく、黙々と写真を撮っていく。
 親族を亡くし泣いている女性にもカメラは冷静に向けられ、パシャ、パシャ、とシャッターが切られる。静かに静かに自分の仕事を遂行していく。
 眼は釣りあがるのでも、悲しみにうるむのでもなく、至極冷静だ。
 多くは語らず、ゆっくりゆっくりと自分の言葉を探し、搾り出すように喋る。
 けれど、ナクトウェイの目標は「戦争を無くすこと」だという。
「ぼくは誰でも、戦場の現実を見れば戦争はいけないことだと思うと思う。だけど、全員を戦場に連れてくることはできない。だから、僕が換わりに行く」
 明確な目的があるから、無駄なことをしないのだ。

 中村医師も同じだ。
 医師にどうしてここまで大変なことを25年も続けてこられたのか、聞いたことがある。
 決心を語るわけでも、演説する訳でもない。静かに答えた。
「昔の日本ではね、困っている人がいたら助けるのは当然だったんだよ」
 多くを語らないその言葉の中に、中村医師の力を感じる。ひたすらたんたんと仕事をこなす。

 わたしには中村医師も、ナクトウェイも同じくらい美しく写る。両人に言えば、違う、と言われるかもしれない。けれど、人を助けようとしている人間は、静かに必要なことを成すのだろう。
 わたしもそうなりたい、と思う。器量が違うのは分かっているが、馬鹿は馬鹿なりに。アホはアホなりにできることをやろう。
 もう、自分のことをグチグチ言うのもやめよう。
 来月は現地から最新ルポをお届けする。(白川徹)

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2009年3月23日 (月)

ロストジェネレーション自らを語る/第10回 女性・28歳・パート(農業従事)(後編)

(前編はこちら)
 4年のブランクで、仕事の選択基準は大きく変わった。以前は、目指す仕事ならやりがいがあれば薄給でもハードワークでもよかったし、給料のための仕事ならなるべく高収入で早く決まれば、営業以外ならほとんど何でも良かった。

 今は仕事で農業をしているが、昔から植物が好きというわけではなかった。興味を持ったのは、ブランクの間に数ヶ月田舎で生活したのと、実家の園芸や農家の知人を見ていたからだ。その中でも「規則正しい勤務時間で、一室にこもって機械に向かうこともなく、人間相手でもなく、服装や見た目を気にしなくてもいい、疲れきっているので何も考えずすぐに眠れる」というのは大きな魅力だった。更に、薄給でも食べ物はよくもらえるし、栽培技術を身につければ経済的に苦しくても食物は得やすいだろうとも思った。天候に左右されながら、人間の限界などたかが知れていると思い知らされるのも良い。無論、日々植物の成長を見るのは楽しい。

■現職と職業観■

 運良く、今の仕事は大した努力もせずに決まった。産休の社員の穴埋めとして入れたからだ。全くの素人がすぐに農業の仕事に就くのは難しい。農業大学校まで行っても農業職につける人は少数のようで、その人たちには本当に申し訳ないと思う。仕事内容はきついが、無職に比べればはるかに気楽だ。とはいっても、真夏の力仕事などは特に過酷なので、仕事が嫌いだったらもう辞めているかもしれない。好きだからまだ続けていられるのだろう。
 何の経験もないのに雇ってくれた会社にはとても感謝している。もともとは社会復帰の準備段階として、無給でも働かせてもらおうと思っていた。それがパートとはいえ給料を頂いて働かせてもらっているのだから、とても贅沢な話だろう。

 まだはっきりと決まってはいないが、休職中の社員の産休が終われば私のパートも終わるかもしれない。もし解雇になったら、以前から行ってみたいと思っていた農業バイトに行こうと思う。一応は農業経験者になれたし、もう少し技術を身につけたい。それまでに気力が尽き果てないように気をつけている。
 長いブランクから一歩抜け出せて少しは安心したが、まだ自分の社会適応力には自信が持てない。フルタイムで働けるのは薬のおかげであって、自分の力ではない。まだ人並みにまで回復したとは感じられずにいる。
以前は福祉的な方面の仕事を望んでいたのだが、しばらくは人間相手の仕事は避けたいと思っている。人間に疲れていると感じるからだ。福祉的な仕事をしたいと思っているなら、疲労から回復するにつれ、またやりたいと考えるだろう。そうでなければその程度の気持ちだったわけで、とりあえずは焦らず待つつもりでいる。
 仕事だけではなく、他者との交流においてもブランクが生まれてしまった。不調の時に多くの友人に会えなくなった。未だにそのままでいる。友人たちも、半分が結婚出産経験者、半分が社会人になって早数年だ。キャリアどころか何も進展しないブランクの間に、彼らとの差に劣等感を抱いて、それを引きずったままふさぎこむようになり、会いづらくなった。その後交友が戻った数人を除いて、後はそのままになっている。月に1回位その人たちの夢を見る。勝手にプレッシャーを感じているだけなのだが、今後連絡を取り合うかはまだ決められずにいる。
 今でも友人たちとの差はそれほど変わっていないと感じる。大学を卒業して5年、ようやくフリーターになれた私が彼らと同等のポジションにいるとは思えない。義務感から連絡をとり、会うようになっても、社会人としての成長段階の開きに気後れしてまた悩みすぎるかもしれないと思うと簡単に連絡はできない。私が彼らなら「そんなに重く考えず、気軽に声をかけてほしい」と言うだろう。彼らが私だったらどう対応するだろうか。
 この数年で最も大きく失ったものは自信であり、今後それを回復していけるのかはわからない。
 自分の身体に関しては、最近は通院の回数も減り、体調も安定しているが、それでもいつまた再発するかとよく不安になる。無理をしないように、ということだが、どこまでが許容範囲でどこからがそれ以上なのか把握するのは難しい。
 職場では病気のことはふせている。差別されないとは限らないので、薬を飲むときも人目につかないような場所でしている。
仕事で疲れきった日や失敗が続いた日は、明日も働く気力があるだろうかと心配になる。過去にも「もう大丈夫だ」と確信をもてたのにすぐだめになることが何度もあった。あの日々のくりかえしは絶対避けたい。もう無職病人には二度となりたくない。だが、今でも時々「全て投げ出して逃亡したい」と思うことがある。これからもそれがなくなるとは思えない。「今の自分があるのは辛い時があったからこそだ」などと過去を肯定することもとてもできそうにない。(後編終わり)

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2009年3月22日 (日)

日曜ミニコミ誌!/たぶん日本初、葬式ミニコミ『葬』

Sou1  「葬儀についての、わくわくするようなミニコミを作ってみたかった」というのがこの雑誌のはじまりだ。なぜそう言いきれるかというと、自分が関わっているから。発刊の辞に書いてあるからという説もある。たぶん日本で初めての、葬式系ミニコミだ。
 昨年誕生したばかりの同誌、まだ1号しか出ていない。1号の見出しは「巻頭白黒 お葬式DIY やってみようよ区民葬」「超簡単!プチ祭壇づくり」「喪服のキホンと着ヤセ塾」「葬式オンシネマ」「ビジュアル系ばちあたり歎異抄」「わたしのまちのお葬式」など。葬式の段取りを自分でやってみよう、そうすればあんなムダもこんなムダも省けますよという実用記事が半分で、あとの半分は寄稿コラム・小説、漫画、ルポで構成されている。

 ふざけた表紙だが(南陀楼綾繁氏曰く「ショックを受けた」らしい…又聞き)中身はいたってマジメで、印象に残るように絵をふんだんにあしらっている。「印象に残るように」というのは、「その時、ふと思い浮かぶように」という意味だ。いざというときに動ける喪主というのは少ないはずだ。何かしなければならないことを知ってはいても、片付けなければならないことから順番にやっつけていくとまったく全体像が見えなくなっている。気づくと莫大な金を支払っていて、「葬式は高い、とにかく高い」というイメージしかなくなってしまうのではないか。
 そんな認識がまかり通っているから、「葬式をやる金がない」といって親の遺体を棄てたりするのである。葬祭扶助をもらおう! という頭すらない。それは、チラっとでもそういう情報に触れる機会がなかったからなのではないか。触れないのは、必要ないと思うからだ。必要ないと思うのは、親が明日死ぬとは思ってないからだ。もちろん誰も思いたくはないだろうが、いつかのためにそういった知識を仕入れておくのは、悪いことではないのでは?

 でも、巷に溢れている葬儀関連の本は、作法や手続きに重点を置いた実用書ばかり。「いざ葬式に向かう」人に便利ではあろうが、若い人がパラパラめくるには面白みのない作りだ。かといって軽く仕上げようとすると、儀式系、グロ系の雑学ばかりが勝って、実践書としては参考にならない。

 そんなわけで、めくるのは興味本位でいい、でもいざという時ふっと頭に浮かぶような読み物的実用書を目指したのが『葬』だ。リスペクト『ゼクシィ』×『暮らしの手帖』。
■40ページ440円。取り扱い店舗はこちら(fire foxをお使いの方、表示をunicodeに設定していただくか、Explorerをお使い下さい。)
(奥山、小松)

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2009年3月21日 (土)

ロシアの横暴/第13回 経済危機とロシアの崩壊(上)

 ロシアはどこに行くのだろう?
 グルジアのある元政府要人がサーカシビリ大統領の失策を批判して言った。
「グルジアはロシアの挑発に乗って戦争を仕掛ける必要などなかった。放っておけば近々ロシアは崩壊してしまうのだから」、と。2008年8月に起きたグルジア戦争はけんか両成敗的に終息して、グルジアの思惑もロシアの思惑も何となく尻切れトンボで終わっている。国家にとっては戦争よりももっとこわい経済危機が地球上を荒れ狂うことになったので、グルジア近辺のことなどどうでもよくなったようだ。形式はどうであれ、戦争は早く終わる方がいい。だが国民にとっても戦争より大きな犠牲が出そうな経済危機、ロシア破産・崩壊の可能性も大いにある。
 ただ米国発の経済危機の話が大きすぎて、ロシア関連は影が薄いようだ。
 原油価格の暴落で大被害をうけたロシアだが、それでも「大変だ、困った」と言えない立場にある。ソ連崩壊の直後はなんでもすぐに「共産主義のせいだ、だから助けてくれ」「いま新生ロシアを見殺しにすれば損失が大きいぞ」と泣いたり脅したりしておけば済んだが、今はそんなセリフも通用しない。共産主義は撲滅したからだ。だが、大国ロシアの威厳は保たなければならない。したがって経済危機でロシアの国庫は危機に瀕しているとは口が裂けても言えない。結果大盤振る舞いをすることになる。
 その大盤振る舞いのひとつがキルギスにある軍事基地である。最近になって突然キルギスにある米軍基地が閉鎖されることになった。カネに弱い、というよりカネがなければにっちもさっちも行かない中央アジアの旧ソ連構成国だが、そのなかで特にキルギスは米国のアフガニスタン攻撃の発進補給基地として多額の基地使用料と引き替えに場所を提供していた。これには親米の意味はなく、単にカネが欲しかっただけである。今回米軍が撤退することになったのは米国側の言い分によれば基地使用料の値上げ、それも倍額の要求がきたので応じられなかったのだそうだ。
 一方、ロシアは突然キルギスへの経済支援に乗り出した。自らも原油暴落で相当危険な状態にあるはずなのに、気前よく大金をくれてやるのは、他でもない、「ロシアは困っていないよ、ほら」というミエである。何しろ旧ソ連構成国同士、より高くより早くカネを積んだ方につくのはお互いよく知っている。おそらくロシアが先にキルギスに接近し、「ロシアなら倍額出すぞ」と持ちかけたのだろう。一方では米国がイラクからアフガニスタンに兵力を移すのに批判的な声もちらほら出ていたが、これとて別段米国のアフガニスタン攻撃に懸念を表してしているのではなく、「カネで旧ソ連構成国を縛るロシア」をちょっと隠す程度のものである。そして米国はキルギスの基地使用料倍額の要求にも応じられないほど疲弊していているが、ロシア経済は健在だということも併せてアピールしたいわけだ。
 カネ欲しさに米国に接近した旧ソ連構成国はほかにいくらでもあるが、基地欲しさに米国の方から接近したのはキルギスぐらいである。キルギスがこれに応じたのは当然のことながらロシアの渋い財布より羽振りのよい米国のほうが嬉しいからである。
 今回の米国発の経済危機で、懐事情が悪い米国に、値上げ要求をすればおそらく拒絶される、そこに目をつけたのがロシアということになる。キルギスとて無理な値上げ要求をして米国に去られたらそれこそ1ドルも入って来なくなるから、値上げ要求を出したとしても常識の範囲内であるはずだ。
 米国のアフガン増兵に警鐘を鳴らすふりはしたが、もともとそんなことは考えたことはない。逆にNATOにCIS上空経由アフガン攻撃を容認したほどだ。ロシアとて屈辱のアフガン撤退は忘れていないわけで、積年の恨みを晴らして、おまけにNATOから通過料をもらえる、うまい話である。(川上なつ)

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2009年3月20日 (金)

『出版奈落の断末魔 エロ漫画の黄金時代』発売まで秒読み!

発売まで秒読みとなりました、塩山芳明氏新刊『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』。
東京堂書店様、三省堂書店神保町本店様では、テスト販売が始まっています。
まだまだ受付中、トークショーのお知らせです!!
「わ」早稲田、「め」目白、「ぞ」雑司ヶ谷界隈で本にまつわる仕事をしている人達が集う「わめぞ」さん主催のイベントです。
ご予約は下記のメールアドレスにお願いいたします。
■■■■■■■■■■■■
【イベント詳細】
『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代~』刊行記念トークショー
嫌われ者の記場外乱闘篇~本当は愛されて死にたい奴らの90分1本勝負~
+Pippo の‘古本J君とゆこう Spring Tour 2009 ミニライブ付き
トーク司会:南陀楼綾繁
■日時:2009年4月12日(日)/16時~18時(開場15時30分)
■会場:上り屋敷会館 2階座敷
■参加料:1000円
■定員:40人
■予約:3/12(木)よりメールにて受付
wame.talklive●gmail.com(●をアットマークにかえてください。)
■詳細:http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20090210
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2009年3月19日 (木)

アフガン終わりなき戦場/第13回 ジャーナリストの存在価値

 アフガニスタンとの距離を考える。
 直線距離にして約4000キロ。日本から飛行機で行く場合、直行便は無い。パキスタン航空ならば、北京、イスラマバードを経由する。途中イスラマバードで1~3日飛行機を待たなければならない。ドバイ経由ならある程度早くなるが、地球で最もアクセスの悪い国の一つだ。日本在住の人間が易々と訪れることのできる場所ではない。
  しかし、距離以上に遠いと感じるのは、意識だ。誰もがアフガニスタンと言う国は聞いたことがある。アフガニスタンで連想するものと言えば、
「テロの温床」「狂信者の巣窟」「911の犯人ども」「アルカイダのアジト」
 アフガニスタンという名詞が連想させるのは上のような言葉だろう。テレビで見るのは、カラシニコフやロケット・ランチャーを担いだ男や、自爆攻撃で破壊された建物や車の映像ばかりだ。
 私たちの生活には取り立てて関係の無い、遠い世界の、攻撃的な連中の国。
 テレビでアフガニスタンについてしたり顔で話している人たち。口から「アフガニスタン」という単語が何度も飛び出す。しかし、話しているのは「テロとの戦い」や、オバマ大統領の政策に関してだけだ。
 どうせ、自分たちとは関係ないことだもの。
 そういう見方が一般的なのは知っている。実際にアフガニスタンを歩いてきて、現地に友人たちのいる私と、日本で生活する人たちでは、思い入れが違う。
 海外を取材する私にとって、この悩みは常に付きまとっている。
 確かに、身近なことが重要なのは確かだ。日本のニュースが国際ニュースよりも大きく取り上げられることもわかる。 
 けれど、「少しでも眼を向けてほしい」「惨状を知ってほしい」と望まずにはいられない。

 国連アフガン支援派遣団(UNAMA)のレポートによると、08年の軍事衝突の数は昨年比で31パーセント増加。今年は大統領選挙があるため、軍事衝突は記録的に増えている。今年1月は、昨年同月にくらべて75パーセントも増加している。
 民間人の死者もうなぎのぼりだ。
 パキスタンとの国境地帯では、パキスタン側のタリバンとパキスタン政府が和平を結んだこともあり、事実上タリバンが政権を担っている。そこを拠点に、アフガニスタンに攻撃をしかけている。アメリカ軍もパキスタンのトライバル・エリアや北部辺境州に侵攻。無人戦闘機や、戦闘機で連日空爆を行っている。
 食糧難も深刻であり、ますますケシ栽培にたよらざるを得なくなるだろう。500万人が飢餓線上にある(英オックスファム調査)というのだから、治安どころか明日食べるパンすら無い状態だ。
 アメリカ軍兵士による強姦事件も多発している。米国防総省の発表によるとイラクとアフガニスタン合わせて920件も起きている。 
 今、上にざっと現在のアフガニスタンの状況を書いたが、読み飛ばした方も多いだろう。実際、現地に行かなければ、数字を具体的なイメージとして想像することなど難しいと思う。
 わたしが「アフガニスタンが大変だ。アフガニスタンが大変だ」と騒いでみたところで、ほとんど関心は得られない。無力感と言うよりも、徒労を感じてしまう。(白川徹)

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2009年3月18日 (水)

マスコミとマスゴミ

主に大新聞とテレビ局がネット社会ではしばしば「ゴミ」呼ばわりされている。と同時にネットを多用していると思われる年齢層の購読率や視聴率(コアターゲット)が激減している。明らかにマスコミはネチズンに嫌われ始めている。なぜだろうか

①高飛車な姿勢
ニュースバリュー(価値)は我々で決めるという偉そうな姿勢がかなり反感を買っている。これらは一昔前は「こうやってバリューが決まるのか。勉強になった。ありがとう」と感謝されていた。評価が正反対になってしまったのだ。
ただしマスコミが世相や世論と無関係に高説をたれているという事実はない。むしろ世相には媚びている。これは80年代も今も変わらない。政治家と同じく国民の程度以上のメディアは生まれないのだ。これを書けば、あれを放送すればきっと読者や視聴者を喜ばせたりあっといわせられるとの判断が第一ではなくてもそれに近いところにある。その意味で私はマスコミによる世論誘導説を信じない。
もっとも媚びるならば媚びるで徹底すればいいのである。気色悪いとの反発は出ようがゴミにはなるまい。次に述べるような「媚びきれないプライド」のようなものがネットユーザーをいらだたせるのではないか

②正確と信じる情報源への偏重
例えば小沢一郎民主党代表公設秘書の逮捕の陰に「国策捜査」のにおいをかがない者はまずいないであろう。本当か違うのかは別にしてそのような可能性を考えてしまうのはむしろ自然の発想だ。しかしマスコミは1つとして「これは国策捜査ではないのか」との論調で切り込まない。そう発言した政治家の声や「政府高官」の失言、外電や社から切り離された識者の声で間接的に言及するのがやっとである。
理由は簡単。事件取材最大の情報源が捜査当局だからだ。公設秘書は身柄を取られているから20日は取材に応じたくても応じられない。すると事件の概要はもっぱら当局の情報のみとなる。いわゆる「リーク」も当局がハトへえさをまくようにしているのではなく多くは情報源(当局)に肉薄して得た結果であろう。といってもしょせん情報源は当局なのでそちら向きの情報しか出ない。したがってそこから開始する独自取材も「疑惑深まる」の方向へ行かざるをえない。
本当に客観取材をするならば被疑者の声を聞かせよと迫らなければならない。でもそれはなし。逆に当局からの情報ならば「安全な情報源だ」とホッとして書き飛ばし、画面で垂れ流す。そこにマスコミがよく使う「私達は国民の知る権利の代弁者」の姿はどこにもない。
断っておくが私は捜査当局の批判をしているわけでも小沢氏側をかばっているわけでもない。当局が自らの事件の構図に沿ったネタを提供するのはある意味で彼らの正しい姿である。問題はそれを安心材料として垂れ流す側にある

③他社を見る
②で述べたような問題はずっと前から指摘されてきた。一向に改まらない最大の理由はマスコミが読者や視聴者ではなく他社に関心のほとんどを寄せているからである。
明らかに当局に都合のいいリークがあったと仮定する。良識ある取材者ならば無視すればいい。ところがそうすると他社が報道してしまって結果的に特落ちになりかねない。だから取りあえず書いておく。実際に新聞を何紙も読み比べている人などほとんどいないのに新聞記者はどうしても気になって悪癖が直らない。
テレビ最大の関心事もまた裏環境にある。刻々と毎分で刻まれるビデオリサーチ社のデータに一喜一憂する。本当かどうか怪しげだがネタ元は安全な当局の情報だったら結局は使ってしまう。新聞と違ってテレビが問題なのは視聴者がザッピングする点だ。したがって同じような「疑惑」なり何なりを複数チャンネルで結果的に追認させる恐れがある(編集長)

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2009年3月17日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/JRで出勤、JRで勤務、JRで帰る

○月×日
 もう春です。
 爽やかな風の中を今日も出勤する。家からJR八王子駅まで徒歩7分で着く。私の前を行くちょっと太ったおばさん。60才ぐらいか。やけに急いでいる。走っては歩きの繰り返しで、お尻が左右正確に揺れている。まるでアンダンテを刻むメトロノームみたいだ。結局、駅に着いたのは普通に歩いていた私の10メートル先ぐらい。なんだかな~。
 駅に一歩足を踏み入れると、まさしくそこは私の会社だ。知っている駅員も多い。なんだかもう出勤してしまったような気分になってしまう。だからこの時点から勤務時間に入れてほしいといつも思う。
 東京行きが来る。いつもの中央線だ。あぁ、見飽きた、乗り飽きたな。これこそ間違いなく私の職場だ。せめてこの時点から勤務時間にカウントすべきだ。「ナニいってんだ」と相手にしてもらえないだろうけどね。5分もしないうちに次の駅、豊田に着く。
 電車を降りてエスカレーターに乗る。私の前を行く女子高生がミニスカの尻を手で押さえている。おれがガードしているのだからその手を離せよといいたくなる。その女子高生はエスカレーターを上り切ったすぐ脇にあるトイレに入っていった。なあ~んだ、漏れそうだったのか(おいおい違うだろ)。
 尻の話が2つ出たのは偶然でタマタマだが、話が尻つぼみにならないように気をつけたい。尻上がりで行かなくちゃ。
 さて、駅を出ると目の前にド~ンと職場がある。1分で着く。客待ちのタクシー運転手が堂々とマンガ本を読んでいる。いいのかなぁと思いながら、職場手前にある交番のおまわりとはなぜか目を逸らして職場に到着する。
 職場は4階建てだが、ホーム上につくったため一階はホームだから、ない。2階が主な執務室、3階が会議室と更衣室、4階が寝室となっている。まず、玄関すぐの2階しかないエレベーターに乗る。当初は、乗ると「行き先階ボタンを押して下さい」との音声が流れていた。1階で乗れば2階(2階なら1階)と決まっているのにそれはないだろうと思っていたら、誰かが指摘したのか、最近では「上へ(下へ)まいります」のみに変わっている。ただそれだけなんだけど。
 エレベーターを出て3階に直行。整服に着替える。2階に下りて点呼などを済ませると、いざホームに出場。乗務の開始となる。今日は仕事の話は抜きだな。天気もいいし(ん!? 最近はいつもだってか~)。
 昨日までの事故など何もなかったかのように快走する中央線。しばらく行くと、とある駅のすぐ近くに煙突のあるピザレストランがある。いつも繁盛しているみたいだ。看板には「薪で焼く、石釜本格ピッツァ」とある。しかし、私は未だかつて煙突から煙が上がっているのを見たことがない。
 そして、武蔵小金井駅。発車ベルを鳴らし終えると「ドアが閉まります。ご注意下さい」と駅の自動放送が流れる。その後、絶妙のタイミングで「次の電車をご利用下さい」と。これには私達車掌も助かる。全駅にしてもらいたいが、どういうわけかこの駅だけしかやっていない。ま、駆け込む人はそんなのお構いなしなわけだけど。しかし、ふと思った。終電だったらど~すんだと。初電まで待てってか。で、注意して聞いていたら深夜帯はしっかりカットされていた。当たり前だけどね。

 あれま、ついうっかり仕事の話をしてしまったな。でも、この程度なら許せるだろう。

 ホーム上や沿線では手を振るチビッコが本当に多い。「車掌さ~ん、バイバ~イ」とやるわけだ。バスやタクシーの運転手、パイロットにだって手なんか振らないだろう。「いやあ、おれも人気者だなぁ」と勘違いを承知で、私はちょっと照れながらも白い手袋で必ず振り返す。喜ぶんだな、これが。子どもがなりたい職業に車掌がないのが不思議なくらいだ。
 そんなわけで、私は時々、普段私服で電車に乗っている時にハラハラドキドキしてしまうことがある。それは、小さな子が、大きな声で、「ほら、ママ、あの時の車掌さんだよ」といわれはしないかということだ。そうなのだ。なぜかそれは全くない。これも不思議でしようがない。
 そんなこんなで今日も無事に終了となる。

 会社も乗せてくれるよ、まったくなといつも思う。もうヘトヘトだ。でもたいしたことはない、これくらい。

 行けども行けども中央線。当たり前だが、駅、駅、駅だ。来る日も来る日も同じことの繰り返し。振り返ればあっという間の30年。乗務キロは1日約250キロ。いったいこれまでに地球を何周したことになるのだろう。くたびれちまって計算する気にもなれないよ。さぁ、帰ろう。仕事が終わってもまたJR。今夜のウィスキーが待っている。(斎藤典雄)

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2009年3月16日 (月)

書店の風格/第30回 八重洲ブックセンター本店

 八重洲ブックセンター本店は、東京駅八重洲南口を出てすぐ、細長く黒い看板を従えてそびえている。このスタイリッシュな細さを、昔の人は「いき」といったのだなあなどと思いながら入り口をくぐると、左壁際には目玉商品の大きなパネルが3点。「今週のお勧めは誰がなんと言おうとこれです!」というゆるぎない自信が感じられる。
 堂々8階建て、日本の最先端を行くこの書店は、流行に敏感でありつつも古き良き物を大事にしたい人々の願いを具現化したようなつくりをしている。1978年に前代未聞の大型書店として開店した本店は真新しい建物とはいえないが、どこもかしこも磨きぬかれているのはもちろんのこと、什器の配置にも工夫をこらしている。イチオシ本として並ぶのは、出来立てほやほやの話題沸騰新刊、のみならず、名著と呼ばれているものもちゃんと隣で展開されている。

 どのフロアも工夫が凝らしてあるが、この度は弊社出版物の傾向柄、4階社会棚をご紹介したい。棚の規模は確かに大きい。しかし他の大型書店と比べて平均的な大きさである。なのにこの充実度はなんだろう。仕事柄、人文・社会棚は星の数ほど見てきたが、このお店に来た団塊おじさん方の満足感はきっと日本一だ。ジャンルの細かさが他店の10倍は密なのだ。運動系だけでも、「学生運動」「労働運動」「エコ」「ジェンダー」の区切りは普通だが、「ブント」までいくとあまり、というか全く見たことがない。人文棚になるともっとコアで、中村天風や安岡正篤でひとコーナーが出来てしまっている。さらに哲学系で一番目立つのが、哲学系雑誌のバックナンバーを集めた棚だ。まさに各界の専門家・オタク層のかゆいところに手が届く品揃えである。

 そしてあまり言及されないが、八重洲ブックセンターののホームページもサービスに徹している。「各店情報」の「本店」ページへ飛んでみると、B1Fから8階までそれぞれ違うページへリンクしているのだが、リンクバナーの下に「※[alt]+0~9の数字→[enter]でも各フロアのページにジャンプします。」と書いてある。書かれたままに[alt]+4+[enter]と操作すると、ちゃんと4階に飛んだ! さらに各階のページには、コーナーごとに棚の写真が掲載されている。フェアや特設が終わるごとに撮影してアップしているということであれば、膨大な作業だ。なかなかできることではなく、私は他にこのようなことをしている書店を新潟の萬松堂しか知らない。

 八重洲地下街店は残念ながら閉店してしまったが、本店にはこのまま、温故知新のサービス精神をもって、頑張ってほしいと願う。(奥山)

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2009年3月15日 (日)

ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第29回 焼け残った奇跡?

20a_3  隅々までススで真っ黒になったユニットバスである。ホーローと思われる湯船にもヒビが入っているのが見える。水を出すハンドル下のタイルには、水漏れの跡がハッキリとついている。
 相変わらずの惨状だが、ホテルニュージャパンの火災に詳しいKBさんが注目したのは、写真中央、タイルに据え付けられた長方形の突起物だった。
「これは石けん置き場です。上の方の色が変わっているのは、ここに手すりのような横棒が付いていたからでしょう。
 さらに不思議なのが、その石けん置きの中にある白い固まりです。明確ではありませんが石けんのように見えます。宿泊客の使った石けんが置かれていて、たまたま燃え残ったのはないでしょうか。石けん置き中央から白い筋が付いているのは、熱で溶けた石けんの跡のように見えますので。
 ガラスさえ溶けてしまう温度だったはずの浴室で、石けんが溶けずに残る可能性はほとんどありませんが……」
 ガラスさえ溶けてしまう状況で油を原料とする石けんが焼け残るのは奇跡に近いが、場所や色から判断すると石けんの可能性はかなり高い。(大畑)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2009年3月14日 (土)

塩山芳明新刊イベント、「わめぞ」さん主催にて決定!予約受付中!

刻々と発売が迫ってまいりました、塩山芳明氏新刊『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代』。
東京堂書店様、三省堂書店神保町本店様では、テスト販売が始まっています。
このたびは、トークショーのお知らせです!!
「わ」早稲田、「め」目白、「ぞ」雑司ヶ谷界隈で本にまつわる仕事をしている人達が集う「わめぞ」さん主催のイベントです。
ご予約は下記のメールアドレスにお願いいたします。
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【イベント詳細】
『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代~』刊行記念トークショー
嫌われ者の記場外乱闘篇~本当は愛されて死にたい奴らの90分1本勝負~
+Pippo の‘古本J君とゆこう Spring Tour 2009 ミニライブ付き
トーク司会:南陀楼綾繁
■日時:2009年4月12日(日)/16時~18時(開場15時30分)
■会場:上り屋敷会館 2階座敷
■参加料:1000円
■定員:40人
■予約:3/12(木)よりメールにて受付
wame.talklive●gmail.com(●をアットマークにかえてください。)
■詳細:http://d.hatena.ne.jp/wamezo/20090210
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2009年3月13日 (金)

靖国神社/第13回 桜に寄り添う泥まみれの石

 靖国にあるのは、銅像や石碑、桜だけではない。広い境内をくまなく歩くと、さまざまなものがある。
 その中に、「戦跡の石」がある。
 それはなにかというと、激戦地にあった石を集めて展示しているのだ。奉納ではなく展示らしい。
『ようこそ靖国神社へ』(近代出版社)によると、激戦地では遺骨の収集もままならなかったので、せめて戦場の石だけでもという遺族の希望から展示されることになったという。計51個集められたうちの25個が展示されているそうだ。
 激戦地ともなると戦死者は大変な数に上る。石の数は少なくてもその中にはたくさんの魂が宿っているはずだ。それを「死んだら靖国で会おう」の合い言葉通り、靖国神社に安置したのは合点がいく。とはいえ私がもし遺族だとしたら、靖国に親族の亡くなった場所の石を展示してほしいと思うかというと、しなくてもいいかなとも感じた。年齢や世代の違いもあるとは思うが……。
 ただ、遠い彼の地で戦ったものたちの魂が宿った石を靖国に置き、遺族たちがその石を見ていろいろな思いを巡らすことはできるとは感じた。約束の地に遺骨代わりの石があることで、遺族への慰めにもなろう。若くして死んでいった兵士たちの思いを分かち合うこともできる。
 石を見に来た英霊の子孫が出会って恋に落ち、時を超えて英霊たちが結んでくれた愛! ってなことが起こらなくもないはずだ。なんてドラマチック。
 とまぁ、相も変わらず不真面目なことを考えてしまったが、もしかしたらドラマチックなことを引き起こしてくれるかもしれない石たちを見に行くことにした。
海に浮かぶ孤島のごとく
 久しぶりに九段坂をのぼり、大鳥居をくって参道を少し歩いた後、右へそれると「慰霊の泉」というモニュメントがあり、さらに奥まったところに、目的の「戦跡の石」がある。
 その日は折しも台風が接近中で暴風雨の日だった。参道脇は桜が多数植えられているので地面は土である。
 そこに大雨。どんな状態かだいたいの予想はしていたが現実はそれを大きく上回るありさまだった。まず大きな水たまりができていて、とてもではないがたどり着けない。一瞬ひるんでしまったが、彼の地で散っていった人たちの苦難を想像し、気を取り直して例えるならば満潮時のモン・サン・ミッシェル、海に浮かぶ孤島に向かうように進む。
 そこには白い壁に丸い穴が空けられ、その中に大きめの石が置かれており、少し下に戦地名を書いたプレートがあった。見やすいところに5個、下方に4個あるのだが、その中央にあるレイテ島の石に少し触れてみた。
 レイテ島は第二次世界大戦の大激戦地である。海に密林にと激しい戦闘が繰り広げられた決戦の地として知られる。
 レイテ島のあるフィリピンを失うと、本土と南方資源地帯との海上輸送路の連絡が途絶えてしまう。日本としてはそれを阻止しなくてはならない。そこで考案されたのが「捷一号作戦」だった。
 捷一号作戦は、囮船を使って米軍を引きつけ、まんまと引きつけられた米軍を横目に本隊がその間をくぐり、レイテに上陸して敵をやっつけるぞ、という作戦だった。
 まず囮が小澤艦隊と呼ばれる機動部隊。さらに西村艦隊、志摩艦隊と続き、突撃隊長として栗田艦隊があった。さらに空からは爆弾を積んで敵船に突っ込む特攻が初めて投入された。
 ところが決死のおとり作戦によって米軍が翻弄され、あとは栗田さん頑張ってという状況だったにもかかわらず、栗田艦隊は反転してしまう。結果は言わずもがなだが、なぜ突撃せずに、反転してしまったのかは戦後60年たった今でも謎のままだ。きっとこの先もわからないだろう。
 この中央の石には、このようにして沈んでいった艦隊と、地上で戦ったたくさんの魂が宿っているのである。
 白壁の斜め後ろ(白い壁を正面にして、まわれ右をするとある)には、展示数の残りの石が置かれている。置いてあるというと非常に乱暴そうだが、コンクリート製の枠内に規則正しく並べられ、中央に「戦跡の石」という名前と少しの説明書きがあるだけなのだ。
 思わず「君たちはどこの石なんだね」と尋ねたくなった。しかし、さすがに大雨の中傘を差しながら石に話しかけている姿は暴風雨で頭のねじが飛ばされてしまったのでは、というあらぬ誤解を受けてしまいそうだったのでやめておいた。
泥にまみれる運命なのか
 白壁に置かれた8個の石に話を戻そう。
 島の名前がプレートに書かれているが、雨下とはいえ、上方にある石のプレートは比較的解読しやすく見つけるのも苦労はさほどなかった。だが下方は石の様子さえしゃがまなくては目に映らず、プレートに至っては地面すれすれにあり、ほとんどが泥に覆われていて判読がむつかしい。雨でなければ地面に膝をつけるなりしてのぞき込むこともできるが、この天気ではしゃがむのもままならない。
 靖国ライターならば、ここは地に膝をつけプレートを読むべきかもしれないが、さすがに膝が濡れるだけではすまない気がしたのでやめておいた。
 それにしてもこの石たちの扱いはいかがなものか。やはり奉納でなく展示だからなのか、それとも設計ミスか、もしくはデザインの特長なのかは知るよしもないが、いずれにしろ戦地に散った夫や息子の遺骨が手元に届かず、せめてその代わりとした遺族のさまざまな思いが込められている石に対して、この素っ気ない扱いには首をかしげてしまった。展示するならばもう少し見やすく、触りやすくする工夫が他になかったか。
 靖国はイデオロギーを体現している神社というイメージが世間一般の共通認識だが、5年も通いつめると実は粋でモダンな側面があることも知る。だからこそ、その面を生かしたデザインもあっただろうし、現状のレイアウトでも、もう少し地面から上の方に置くといった配慮が考えられたはずだ。晴れていたとしても膝を地面につけるのが嫌な人や、見たいけれど膝が悪くてしゃがむのが困難な人がいるかもしれない。奉納ではなく展示としているのであれば、よりたくさんの人に見てもらう趣旨が含まれているはずだ。それなのに親切なデザインではない。白い壁に石を配置することで、黒系統の石が引き立つのはいいが。
 残りの石にいたっては規則正しく並べられているだけで、どこのものなのか皆目見当がつかない。それはそれで寂しい気がするのは私だけだろうか。
 しかし、と同時に思い返す。戦地へ赴いた者や、家族、恋人との合い言葉は「靖国の桜の下で会おう」だったことを。石はその近くにある。
 しかもひときわ桜が多く植えられている参道脇、地面のほど近くに置かれた石は雨ざらしとなり、砂埃をまとい、はねた泥さえかぶる。つまり桜に寄り添うには時に石は泥まみれにならねばならぬ運命なのだ。
 だからさまざまな激戦地で散っていったたくさんの英霊たちとと、愛する人が帰らなかった家族や恋人たちの想いがこもった石たちはこれでいいのかもしれない。むしろ静かに、ひっそりと佇んでいる姿は、変に造り込んだ派手な建造物と違って時が経っても形を変えず、戦争を知らない20代の私にも、このような豊富な連想を巡らせてくれる。
 正直なところ最初のころは「石を飾ってどうするんだ」と不謹慎にも考えていたが、それらの背景にあるたくさんの思いや歴史を知るにつれて、かつての自分の浅はかさが恥ずかしくなる。今後も「見て・聞いて・感じた」あるがままの靖国を記し続けようと心に誓った。A級戦犯がどうしたとのニュースよりも、物言わぬはずの石のささやきに耳を傾けるルポライターでありたい。(奥津裕美)

※尚、今回の原稿は東奥日報に送った原稿の未掲載原稿を一部加筆修正したものです。

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2009年3月12日 (木)

ホームレス自らを語る 第25回 このままポックリ死ねたら/松本安隆さん(63歳)

 子どものころのオレは、みんなの先頭に立って走り回るような腕白少年だった。
 ただ、普段は元気なのに、時々吐き気に襲われて吐いたり、顔面が蒼白というか紫色になったりすることがあった。そういうときは食欲も落ちてね。
 親は心配して有名な大病院や大学病院へ連れていって、検査や診察を受けさせてくれたが、どこの病院でも原因や病名は特定できなかった。それでよく嘔吐をするから、胃腸が弱いんだろうということになった。
 オレが生れたのは、昭和18(1943)年、長野県の松代という町(いまの長野市)だった。松代は終戦直前に大本営が移ってくる予定で、地下壕が迷路のように掘られていて、戦後のオレたち子どもには格好の遊び場だったね。壕はいまでもまだあるはずだよ。
 家は農家で養蚕を主に、あと稲作と畑作を少しばかりやっていた。養蚕は一家総出の仕事で、小学生になれば蚕に桑の葉のエサやり、中学生になればその桑の葉摘みが仕事だった。
 中学を卒業して集団就職で東京に出て来た。相変わらず、突然意味不明の吐き気に襲われる体質は直ってなかったから、肉体労働は無理だということで、板橋にあった双眼鏡をつくる町工場に就職した。
 その工場には3年ほどいて、次は品川のペトリカメラの下請け工場でフィルムの巻上げ機構の製造で働き、さらに8ミリ映画の撮影カメラのメーカーでズームレンズの組み立てで働いた。どの工場も3年以上続いたところはなかったな。
 どこでも人間関係がうまくいかなくて辞めてしまう。上の人間からちょっと注意されたり、性格の合わない同僚がいたりすると、すぐにプイと辞めてしまうんだ。
 そのあとは中野駅前(中野区)の立ち食いソバ屋で働くんだが、このとき例の病気が重くなって倒れた。それで都内の有名な病院をいくつも回って検査してもらったんだが、相変わらず原因はわからないでいた。それがある日近所の町医者に診てもらったら、その医者は触診だけで「これは先天的な肝臓障害で、現代医学では直せない」と言い当てたんだ。
 25年間、現代最新医学の検査機器で検査してわからなかった病気が、町医者がオレの腹に手で触れただけでピタリと言い当てたんだからね。大病院の最新医学っていうのも、あまりあてにならない気がしたね。

 それで都内の大きな病院を紹介されて、手術を受け、長野の上山田温泉にある病院に1年間入院してリハビリをして退院した。そうだ、手術の跡を見せてやろう。
(松本さんは胸部中央から腹部にかけて、引きつったように残る手術跡を見せてくれた)
 大手術を受けて、1年間もリハビリにかけたけど、結局は完治してないんだよ。時々、腹がパンパンに張って立っていられなくなって、横になって休むしかないようになる。そんなだから結婚どころではなくて、ずっと独身だった。
 それでも、食わなくちゃならんし働いたよ。例の立ち食いソバの店に復帰して働くようになった。いつか自分の店をもつことが夢でね。自分が店のオーナーになれば、病気の身体をいたわりながら働けるだろう。そう考えたんだ。
 ところが、都内の駅前で立ち食いソバ屋を開店するのに、3000万円もの資金が必要なことがわかった。病気を抱えたこの身体で働いて、3000万円も蓄めるなんて容易なことじゃない。というより、ぜったいに不可能だ。それで立ち食いソバ屋の夢は諦めた。
 その次が倉庫内軽作業というのに替わった。そこはレコード会社の倉庫で、全国のレコード店の注文に合わせてレコードを梱包して発送するのが仕事だった。ホントに軽作業で、オレの身体にはちょうどいい仕事だった。だが、2年しか働けなかった。
 倉庫内の軽作業というのは女性の仕事なんだ。そこで働いているのは、パートの主婦ばかりでね。そんなところに男のオレが一人交じって働いていると、30代の働き盛りの男が、なぜこんなところにいるんだという目で見られるからね。それが辛くてやめた。39歳か、40歳のころのことだ。
 あとは新宿に出て野宿をするしかなかった。そうしたらすぐに手配師に声をかけられて、日雇いの土工の仕事を紹介された。だけど、この身体で土工のような肉体労働が勤まるわけがないよね。2日ともたなかった。
 あとはずっとホームレス生活。だから、20年以上この生活をつづけていることになる。うん、ずっと新宿で暮らしている。ここはボランティア活動が充実していて、食いものを探す心配がないからね。
 ただ、自分で食べたいものがあっても、注文を聞いてもらえるわけじゃないからね。20年以上あてがい扶持のものばかりを食べ続けるというのも大変なことだよ(笑)。
 オレの場合は病気の問題もあったけど、田舎者だから都会人のように要領よく動き回ることができなかったから、どの道ホームレスになっていた気もするね。
 いまも身体の調子はよくない。医療保護の制度を使って、病院に入ろうと思えば入れるんだけどね。でも、いまさら入ろうとは思わない。辛い手術やリハビリは、もうコリゴリだからね。いまはポックリと死ねないかと思って、そのときの来るのを待っているんだ。
 自殺をする勇気はないし、自殺をするのはみっともないような気もするしね。それに田舎にいる兄弟たちに迷惑がかかったら悪いだろう。だから、ある晩寝ているうちにポックリ逝ければ、一番いいんだけどね。(聞き手:神戸幸夫)

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2009年3月11日 (水)

川上哲治をWBC監督に

本当は「川上哲治に国民栄誉賞を」にしたかったけど時流にこびて変えた。
改めて川上哲治氏がなぜ国民栄誉賞に選ばれないか不思議である。名球会に入っていないからか。でもあれは金田正一(カネヤン)さんが「昭和」でないから入れなかったともっぱらのうわさ。

ここでご存じない人はカワカミさんって平成生まれなのかと勘違いするかもしれないので改めて記す。川上選手は2000本安打を達成している。平成生まれの高卒選手ならば1年間で1000本のヒットを打たねばならない。そんな選手がいたらメチャ目立つ。でもいない。よってカワカミ選手は「平成」ではない。
では何かというと「大正」生まれなのである。戦前のプロ野球草創期を知り、戦後は落ち込んだ国民を「赤バット」で鼓舞し、日本人初の2000本安打を達成し、首位打者5回を始め数々のタイトルを獲得した栄光に満ちた現役生活だった。
監督としては読売球団を14年間で11回優勝させ、そのことごとくが日本一。うち9年連続日本一が含まれる。いずれも前人未踏空前絶後の成績だ。何しろ王貞治や長嶋茂雄を部下として使っていたのだ。そういえば晩年のカネヤンも部下。
さらに重要なのは今年89歳となるにもかかわらず壮健という点だ。生きる日本プロ野球史みたいなものである。なのになぜか人気がない。山県有朋みたいなポジションだ。

原辰徳采配で大丈夫かと誰もが思っている。ここは川上哲治の出番だろう。確かにもう動けないかもしれないけど大丈夫。実質的な監督はイチロー選手と城島選手なのだから。「生きる日本プロ野球史」は座っているだけで緊張感を与えよう。儒教の国のライバル韓国は畏敬の念を持つに違いない。徴兵され先の大戦を味わったと聞けばアメリカも一目置くはずだ。どうですかね。(編集長)

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2009年3月10日 (火)

川口バラバラ殺人の現場を歩く

 1999年1月19日、荒川で最初に見つかったのは左腕のひじから先だった。その後、左足や右足などの肉片が浮いているのが次々と発見される。頭部と胴体が発見されず、事件は長引くとも予想されたが、一部白骨化した左腕部分の指先から指紋を検出。99年1月9日から行方不明になっていた21歳の女性を被害者と特定し、行方不明の夜に被害者と酒を飲んでいた49歳の横田謙二を逮捕した。

 この事件が大きく報道されたのは、犯人が仮出所から1年もたっていなかったからだ。彼の最初の凶行は1978年の強盗殺人だった。知人宅にカネを無心に行き、たまたま在宅中だった父親を電気コードで絞め殺し現金を奪う。判決は無期懲役。20年間を刑務所で暮らすことになった。写経や読経に励む姿も見られ、所内での評判は悪くなかったという。
 98年3月、横田は仮出所となる。身元引受人は母親だった。翌月、経済同友会の調査では70%の会員が経済が後退していると答えていたが、横田はゴム製品の製造会社に働き口を見つけている。そのころからスナックにも通い始め、そこで後に被害者となるアルバイト女性とも知り合った。報道によれば、一流会社の会社員だとウソをつき、気前よくお金を使っていたという。
 当時の彼のアルバイト料は時給900円。1日8時間、22日間働いても稼ぎは16万円を割る。実家に支払っていた家賃などを考えると、大盤振る舞いできる賃金ではない。結果、足りない分を消費者金融から調達する。
 9月、彼は職場で注意されたことに腹を立て会社を辞める。わずか5ヶ月の短いアルバイト生活だった。ほどなく一人暮らしを始め、翌月には梱包会社に職を得る。手に職を持つわけでもない50前の男が、いきなり給与を上げられるはずもなかろう。そのうえ家賃や光熱費、借金への返済が生活を追いつめていく。しかも消費者金融への借金は仮釈放を取り消される可能性が高い重大な秘密でもあった。
 そして年が明けた1月9日、横田は「飲みに行こう。お年玉をあげる」と被害者を電話で誘う。すでに彼女はスナックを辞めていたが、2人は東武伊勢崎線西新井駅駅前の居酒屋で1時間ほど飲み、そこからタクシーで彼のアパートに向かったという。
 悲劇はアパートで「お年玉」を渡したときに起こる。2万円という金額に「これっぽっちなの」と被害者が言ったことで口論に発展。横田は彼女の首を絞めて殺した。3日間は放っておいたが、腐臭で事件が発覚するのを恐れ、風呂場で包丁を使って遺体を解体。6つの袋に分け、数日かけて自転車で荒川に捨てに行ったとされる。

2009030918140000  事件当時は開通していなかった舎人ライナーに乗り、現場のアパートへと向かった。埼玉県川口市にほど近い足立区の外れに、そのアパートはあった。
「犯人のことは誰も知らないんじゃないかね。事件があったのもテレビのニュースで知ったぐらいだから。もう契約なんかも大家さんじゃなくて不動産屋でするから、犯人を知っていれば不動産屋ぐらいでしょう。だいたいあのアパートに誰が住んでいるかは、近所の人も知らないから」
 アパートの向かいで畑仕事をしていた老女は、アパートを見ながら続けた。
「その犯人とは別に20年ぐらい前だな。警察が来てね。張り込みさせてほしいって、ウチの倉庫を借りていったよ。どこを見張っていたかは知らないけど、見える方向からすれば、やっぱり、そのアパートかねー」
 横田がこのアパートに住んだのは、わずか4ヶ月程度。地域から煙たがれていたアパートだけに、近所の住人が彼を知らないのは当然かもしれない。
 このアパートの近所で駄菓子屋を経営している男性も、犯人は知らないと首を振った。
「あのアパートは出入りが多いんだな。親子でけっこう長く住んでいる人がいるのは知っているけど、ほかは知らないなー。事件のときも、刑事がここら辺を通っているのは見たけど、人が集まって大騒ぎしていたわけでもないし……」

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2009年3月 9日 (月)

書店の風格/第29回 ヴィレッジバンガード ヴィーナスフォート店

 お台場はヴィーナスフォートに本屋さんがあることをご存じだろうか。
 ペットも連れて歩ける一階の一フロアに、ヴィレッジバンガードがある。
 ヴィレッジバンガードといえば、本の他にもCDやDVD、楽しい雑貨が溢れるばかりに揃っている複合的な本屋さん。掲げるキーワードは「遊べる本屋」だ。80年代の創業だが、今や307店舗を抱える大手書店となっている。黄色いPOPが印象的で、売り手側の熱意がこれでもかとこもっている商品の一つ一つに、魂がこもっているようにすら思える。こんな特徴的な書店がお台場とタッグマッチを組むとどうなるか。通勤サラリーマンで満員になっている平日のゆりかもめに揺られながら、青海に向かった。

 駅を抜けるとそこはもうパレットタウンの入り口である。一階に降り立ち、フードコートや子供服のフロアをくぐり抜けてヴィレッジバンガードに辿りつくと、まずは面白雑貨のコーナーがある。そしてジュークボックスのまわりにミュージックメディアが積み上げられ、新進気鋭のミュージシャンの曲が大音量で流れている。あれ、本はどこだ? とうろうろすると、左壁際にコミックが並んでいるのを見つけた。壁一面に天井まで棚がつくりつけられており、用意されている赤いはしごを使って本を取るというユニークさ。図書館の書庫に来たような錯覚すら覚える。さすがに品揃えは本格的で、場所柄か少年少女コミックよりも10代後半からの層に受けるようなものが目立つ。さらに奥にはハードなノンフィクション系から娯楽性の高い読み物まで「社会派」の書籍が並び、徹底的に読者ターゲットを若者、特に男性に絞っている。
 女性向けの本はどこにあるの? と探してみたところ、店舗の中ほどに台で配置されてあった。ビューティや恋愛をテーマとしたエッセイ、料理や手芸などの実用書、ファッション誌などがテーマごとに1台ずつデコレーションされ、ちりばめられているのだ。その合間合間に関連した雑貨が置かれていて、目的意識を強く持たずにブラブラお店の中を徘徊することの多い女性方のために作られたかのような空間に仕上がっている。さすがはヴィーナスフォートの本屋さんだ。

 ヴィーナスフォートが入っているパレットタウンは、2010年までに閉鎖されるとのこと。これだけ大規模な、群を抜いて遊び心に富んでいる本屋さんが姿を消すというのはたいへん惜しい。(奥山)

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2009年3月 8日 (日)

ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第28回 柱に空いた穴

20a_4  炎で焼かれ、赤くさびた消火栓の扉である。消火栓(火災報知器)の特徴である赤い円錐形の表示灯は熱で溶けてなくなっている。向かって左、うすく浮き出している赤い丸は非常ベルのスピーカーと思われる。向かって右は非常ベルの押しボタンだったはずだが、それと分かる痕跡はなくなっている。
 ホテルニュージャパンの火災に詳しいKBさんが注目したのは、消火栓の鉄枠の下部だ。
「消火栓が付いているわけですから、この柱の中にパイプシャフトという水道管や下水管などの管が通っていたはずです。つまり柱に空洞があります。この空洞を通して火災が広がらないよう、通常は柱の隙間をコンクリートで埋め戻します。
 ところが写真では消火栓の鉄枠の下に隙間が見えます。火災のときに、この穴から火や煙が別の階に移った可能性もあるでしょう。
 しかも鉄枠に下にある巾木が別の階の写真で木製であることが分かっているので、穴周辺でかなり燃えたのではないでしょうか?」
 ホテルニュージャパンの火災が広がった原因について建築の不備がいくつも指摘されているが、この埋め戻していない柱も危ない事例の1つといえるだろう。
 柱の後ろに見えるオレンジの色のホースは現場検証などに使われたのだろうか? マンホール工事で空気などを供給する管に似ているが、何に使われたのかは定かではない。(大畑)

※ここから先の記事は…

『あの事件を追いかけて』(本体952円、アストラ刊)にてご確認ください。

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2009年3月 7日 (土)

Brendaがゆく!/ヨーロッパ流、豊かなくらし

日本人の社会の中で見る、書き物に多く頻発する言葉

セレブ



着こなしにも、住居にも、ライフスタイルにも


いろいろなところに出て来る


財布から金を出すことを催促する、洗脳の言葉


つまりこんなことばに潜在的にでも影響されている人々は、セレブでもないのに

セレブのように金を使えと、

本当にセレブの経営者から洗脳されて


貧乏人に落ちていく訳ですよ



高い服など買っても、いいレストランに行ってもね、実際の生活は実は豊かになんかなってませんね。
こういう人たちはそのことを自分が一番良く知っているはず。
しかし知っているけれど怖くて直視できないだけ。
恐ろしくなってブログに買ったものなんかのせてみたりするわけです。


でも、もしこれを読んでいる人の中に、セレブなんてあほげた言葉に翻弄されず、自分がセレブだか普通だかは検討つかないがとりあえず質素に暮らしているという人がいるならば、心配するのをやめて実は自分の生活は豊かな方向に向かっているということを認識するべきです。


これは、私自身が実際に経験したことです。


東京の暮らしで華やかに散財した時代から

ヨーロッパに暮らして、若い人たちは本当に地味ですので自分だけ派手な訳にも行かず
生活が本当に質素に。

そしてそのことが煩悩から解き放たれるように私の生活をより豊かにしたのであります。



私の友人には、本物のセレブが数人います。

でも、ものすごく質素です。
そして彼らのそんなところを私はとても好きなのです。


私が今まで見た一番散財している人たちは

日本に住む女の人です。

給料は様々ですが年収はだいたいで、本物のセレブの友達と比べれば少なく見積もっても30分の一でしょう。

本当のセレブになれないどころか、今後の日本に住む以上これではホームレスになる危険さえ出て来るでしょう。


しかしね、実はお金がない時にド派手に暮らそうと試みることよりも

お金持ちなのに非常に質素な暮らしをしようとするほうが

よほど難しいのです。


この難しいことを自分の心を鎮めつつしているのを見るとやっぱり本当のセレブの友達は大好きになります。

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2009年3月 6日 (金)

アフガン終わりなき戦場/第12回 NHKで振り回された現場の声なき主義主張(2)

 今回のディベート番組でわたしが言いたかったことは「現場のことを見てくれ」だ。保守もラディカルも結構。ただし、アフガニスタンの状況を精査しないで主義をふりまわすのはやめてくれませんか?

 私が番組の収録後に思ったのは、「言葉が通じない!」ということだった。

 酒飲みでだらしが無く、顔がイマイチなわたしではあるが、アフガニスタンの報道で一文字たりとも嘘やでっちあげを書いたことは無い。私は現場の真実だけを言っていたつもりだ。

 しかし、ディベートに参加した多くの人が私の言っていることを無視して自分の論を展開するのだ。

 アフガンやらニホンのコクサイコウケンについて議論する前に、自分たちのコミュニケーション能力に関して一席持って話し合うべきではないかと思うほどだ。ちゃんと人の話を聞いてください。現地の状況を無視して自衛隊を送るとかなんだとかはやめてください。

 私はインド洋で給油をしたり、自衛隊を派遣してアフガニスタンの状況が改善するのならばそれも一つのオプションだと思う。けれど、現場の状況はそんなことで解決する類のものではない。

 番組終了後、自衛隊派遣を主張する人たちの意見についてもう一度考えてみた。彼らにとってアフガニスタンの人がどうなろが、知ったこっちゃ無いのだ。そこに自分たちと同じような人間が暮らしていると考えていない。もしくは、意図的に考えないようにしている。

 なるほど、自衛隊を送ればコクサイシャカイに認められて日本の評価が上がり、発言権を強めることもできるかもしれない(私は懐疑的だが)。けれど、どうしてそのためにアフガニスタンの人が、日本の評価を高めるためのダシに使われなければならないのか。どうして日本の評価のために、軍隊まで送られなければならないのか。

 逆に日本にどこかの国が自分たちの評価を得るために軍隊を送ってきたら嫌でしょう。少なくともわたしはごめんこうむる。外国の軍隊が自分の家の周りを装甲車で走り回っていたらそれは不快だ。肉親や友人が殺されれば、わたしも復讐のために尽忠報国の義士になって、ゲリラ戦をしかけるかもしれない。

 アフガニスタンの状況はまさにそれで、外国の軍隊がいるから反感が育っているのだ。現在、タリバンと呼ばれている人たちは2001年末まで政権にいた「タリバン」ではない。本家のタリバンは弱体化し、パキスタンの北部辺境州にまで追いやられている。現在テロリズム・アタックを仕掛けているのは「新しいタリバン」ともいうべき、空爆の被害者たちだ。

 「新しいタリバン」は本家のタリバンとあまり関係が無い。彼らは空爆された村の若者たちで、5~10人の少数のグループで、ハクがつくからタリバンを名乗っているだけだ。「新しいタリバン」は本家のタリバンよりはるかに過激だ。本家のタリバンの最終的な目標はアフガニスタンの奪還だから、自らの評判を落とすような過激なことはまずやらない。政治工作にも時間を使う。けれど、「新しいタリバン」は純粋な復讐者だ。評判も政治も知ったこととではない。近年、カブールでもいきなり外国人が撃ち殺される事件が多発しているが、これは「新しいタリバン」の仕業だと思われる。本家のタリバンなら誘拐し、政治的な取引につかうだろう。

 こんな状況のところに自衛隊を送っていったい何ができるのか?

 ということを私はNHKの番組で口角泡飛ばしてがなりたててきたのだ。右に思われようが左に思われようが、もう知ったことではない。矢でも鉄砲でももってこいだ。

 かくして自衛隊派遣という国益に反対する国賊の出来上がりだ。左に思われたのか、最近めっきり仕事が減っている。

 ディベートの中にはアフガニスタンを訪れた人が何人かいた。NGO関係者、義足を作ってアフガニスタンに送っている人、アフガニスタン人とのハーフの人。彼らはすばらしい意見を述べた。私のように無神経ではないので、あまり多くは語らないが、美しく力強い言葉を述べた。

 彼らの多くには私の意見が突飛だとは移らなかったようだ。ある東部で活動するNGOの人から「よくぞ言ってくださいました」と言われた。

 私の言っているようなことは、アフガニスタンに少しでも行ったことのある人には自明のことなのだ。アフガニスタンのことを話すなら、アフガニスタンから考えないと。(白川徹)

 

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2009年3月 5日 (木)

塩山芳明新刊『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代~』発売間近

 エロ漫画編集者、塩山芳明氏の新刊発売日が迫ってきました。なかなか本格的に語られることのない「現代エロ漫画史」が、業界の渦中にいる著者の体験から溢れだす! 前代未聞の内容です。さらに本文注・誌名人名索引付き(約700名)という豪華さ。にもかかわらず本体1,600円(+税)という手頃感。一家に一冊のみならず、図書館に一冊、研究室に一冊、いかがでしょう。

詳細はこちら↓
http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/booklist/shioyama.html
そして、予約限定プレゼントの応募も受け付けています。↓↓
http://www5b.biglobe.ne.jp/~astra/shioyama/index.html

 このまま順調に準備が進めば3月末日発売、そして4月の上旬には全国の書店に届きます。ご予約をされたい場合は、次の4つを書店様にご案内下さい。

●書籍名(『出版奈落の断末魔~エロ漫画の黄金時代~』)
●出版社名(アストラ)
●ISBNコード(978-4-901203-39-5)
●発行時期は3月下旬または4月上旬、価格は1,680円(税込)

※こちらの新刊情報は、随時更新していきます。最新の情報をご覧になりたい場合は、右側「カテゴリー」の中の「新刊情報」をクリックしてください。

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2009年3月 4日 (水)

うらやましいぜ(麻生風)AIGの通期約10兆円赤字

08年の通期で約10兆円の純損。四半期だけで約6兆円の赤字! すごい! 素晴らしい! うらやましい

私は自分の会社で一生に一度でもいいから当期10兆円の利益をあげたいとは思わない。10兆円の売上さえ望まない。でも10兆円の赤字は計上してみたい。もちろんそれで破産していい。ホームレスになっても構わない。いったいどうしたら10兆円の赤字なんて出せるのだろう。

本日はこのニュースにただあぜんとするばかり(編集長)

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2009年3月 3日 (火)

●サイテイ車掌のJR日記/「おくりびと」オスカー受賞に拍手!

○月×日
 「おくりびと」がオスカーを受賞した。
 私は「えっ? ナニ!? すごいじゃない!!」と舞い上がってしまった。
 実は、私が昨年劇場へ足を運んだのはこの1本だけだったのだ。それがこんなことになるとは、何だか偶然にしろ信じられなくて、もう嬉しくてたまらない。
 鑑賞後はあまりにもぐっときたものだから当ブログにも短い文章を書いた。また、サウンドトラックなどめったに買わないのにすぐさまCDを手に入れ、物悲しいチェロの音色に酔い痴れてはいつも映画の余韻に浸っていたのだった。
 内容は人の死という重いテーマだったが、随所随所でうるうるしっぱなしだったもののクスッと笑えるユーモアにも妙に納得して、あたたかい気持ちになれたことを思い出す。
 あれから約5ヶ月。この受賞は日本映画では初めてだそうで、快挙である。この日のTVはどのチャンネルも「おくりびと」一色で、日本中が沸いたといっても過言ではないだろう。
 主演のもっくんや滝田監督などは連日「出まくりびと」となっていて、この映画の舞台となった酒田の人達まで歓喜する姿が映し出されていた。
 これを機に酒田も経済効果が少なからず期待できるのではないか。地域の活性化に繋ればいいと心から願っている。また、これからも酒田の伝統ある文化と四季の素晴らしい風景をずっと守ってもらいたい。
 酒どころでもある酒田には「おくりびと」(酒田初孫)とういう日本酒まである。
 人間の原風景、私の生まれ育ったふるさとの酒田。
 風よ吹け。春よ来い。

もうこうなったら、JRも新幹線を酒田まで延ばすしかないよ、社長!!
よかったの。本当によかったの~。待ってろよ、明日また行くからな。世界デビューを果たした「おくりびと」の地、酒田へ。(斎藤典雄)

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2009年3月 2日 (月)

●ホームレス自らを語る 第23回 ずっと臨時工でした(前編)/道上尭志(みちがみ・たかし)さん(77歳)

0903  昭和7(1932)年に広島県の呉市で生まれました。私は末っ子で、上に兄と姉がいます。父は海軍大尉をしていて、私が幼かった頃は父の転属がたびたびあり、呉と横須賀(神奈川県)を一家で幾度か往復していました。そのうちに呉のほうに落ち着いたようです。
 太平洋戦争が始まると、呉は軍港の街でしたから、米軍の空襲を幾度も受けました。いや、防空壕なんかに逃げ込みません。外に出て空襲の様子を見ていましたよ。怖いことはありません。私は病弱な兄に代わって、将来は父の跡を継いで海軍に志願するつもりでいましたからね。一端の軍国少年でしたから、「いまにみておれ、この仇はきっと討つ」くらいの気概で爆撃機を睨み返していましたよ。
 そんなことをしていたから、機銃掃射を受けたこともあります。これだって怖くはありません。敵機をグッと引きつけておいてから、左右どちらかに思い切って走って逃げればいい。どんなに敏捷な戦闘機でも、直角に曲がって追撃してくることはありませんからね。
 子どもの頃の私は軍国少年でしたが、どちらかといえばおとなしいほうで、ガキ大将ではなかったですね。勉強では地理に歴史、それに算数が得意でした。ただ、高等小学校に入った頃から、農家の手伝いや防空壕掘りに駆り出されて、学校で勉強した記憶はほとんどないですね。

 昭和20(1945)年6月に、父が海外へ派兵になります。あと2ヵ月待てば終戦でしたけどね。派兵先はフィリピンのマニラ。当然というか、父は還ってきませんでした。ただ、父の最期については、よくわかっていません。
 のちに父の部下だったという人から聞いた話ですが、部隊は無事マニラに上陸したものの、父は病に冒されて病院に入院してしまったようです。戦況の逼迫していた折から、傷病兵には一人ずつに手榴弾が渡され、「いざというときには、自らで処置するように」という命令が出ていたようです。ですから、父はそのまま病が嵩じて戦病死したのか、終戦を迎えて手榴弾で自爆死したのか不明のままなのです。
 だいぶあとになってから、公報が送られてきましたが、そこには「戦病死」とだけ書かかれているだけで、病名は書いてありませんでした。いっしょに骨箱も送られてきましたが、ひと掴みの遺灰らしいものが入っていただけで、遺骨は入っていませんでした。

 それからの戦後の母の苦労は並大抵ではなかったですね。それまで海軍高級将校の妻として、生活の苦労を知らなかった母が、3人もの子を抱えて一家の主として働かなければならなくなりましたからね。しかも、兄と姉が結核を患っていて、その入院費用も稼ぎ出さなければならなかったから、本当に大変だったと思います。
 母は道路工事などのニコヨン仕事に出て、朝から晩まで真っ黒になって働いていました。子ども心にも、そんな母を見るのは辛かったし、かわいそうでならなかったですね。

 私は昭和20年の終戦の年に高等小学校2年生を修了して卒業し、翌21年に広島市にあった三菱造船に就職します。天下の三菱造船といっても、当時は漁船の建造が中心でした。私が担当したのは、トロール船用の焼玉エンジンを組立てる作業です。
 ところが、入社して3年目の昭和24(1949)年に大不景気が襲い、官民で大幅な人員整理、クビ切りですね、クビ切りが行われたんです。この年は下山・三鷹・松川の国鉄(いまのJR)三大事件が起こったりして、国中が騒然として落ち着かない年でしたね。三菱造船でも希望退職者が募られ、私もつい退職一時金に惹かれて、手を挙げてしまいました。考えてみると、私の人生で正社員として雇用されていたのは、この三菱造船勤務時代だけでした。以後、いくつも職を替えますが、どこも臨時採用ばかりですからね。あとになって、一時金に目が眩んで三菱を辞めたことを、ずいぶん後悔しましたよ。
 それで最初にやったのが、呉港での沖仲仕です。沖仲仕というのは艀(はしけ)に積荷を載せて、沖待ちしている貨物船まで行って積み込む港湾労働者のことをいいます。このとき扱っていた積荷は米軍の砲弾でした。その頃、中国大陸では人民解放軍と国民党政府軍が衝突して、内戦状態になっていました。
 米軍は国民党政府軍を支援していて、盛んに武器、弾薬を送り込んでいたんです。呉からも砲弾が送られていました。いや、作業が危険ということはありません。信管は抜かれていましたからね。
 中国での内戦はその年のうちに終結してしまい、砲弾積み込みの仕事はすぐになくなってしまいました。ただ、沖仲仕の親方が、私の働きぶりを認めてくれて、引き続き仕事をまわしてくれたんです。こんどはアメリカの貨物船が運んでくる米や塩、それに屑鉄などを本船から艀に積み替えて埠頭まで運ぶのが仕事でした。荷物の積み下ろしには、まだモッコが使われていた時代ですからね。
 沖仲仕の仕事は2年程やって、次の仕事に替わりました。替わった理由ですか? 私たちは臨時雇いの沖仲仕ですからね。仕事がなくなったり、会社の経営が思わしくなくなると、クビを切られる運命でした。しょせん、景気の好調、不調における調整弁ですからね。非正規雇用労働者の役割は、いまも昔も変わりませんよ。
 沖仲仕の次に働いたのが、進駐軍の基地です。進駐軍というと米軍が多かったですが、呉には英国軍が駐留していまして、その基地で働きました。もちろん、これも臨時雇いですけどね。(この項つづく)(聞き手:神戸幸夫)

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2009年3月 1日 (日)

鎌田慧の現代を斬る 亡国者たちの右往左往――麻生・小泉・竹中かんぽ・朝日新聞のヘンな関係――

 麻生政権は悪名高い森喜朗政権の支持率5.7%にますます接近し、毎日新聞(2009年2月23日)の調査では11%を記録した。日本テレビの調査では9.7%と2桁を割っており、政権がいつ崩壊してもおかしくない状況となった。野党どころか与党内からさえ首相辞任まで求められ、マスコミからは、いつまでも権力にしがみつかず解散で決着をつけろと求められている。
 麻生を担いで選挙に勝つという自民党の自己判断のなさは前回でも触れたが、もはや解散しても選挙を戦えない金縛り状態である。自縄自縛断末魔政権といえる。自民党政権の崩壊は時間の問題だからいいとしても、その間の日本を覆いつづける無力感は大きな問題だ。
 そんな居座り首相の「お友だち」である中川昭一前財務・金融相の酔いどれ記者会見が国辱ものだと批判された。しかし麻生政権自体が国辱なのだから、その盟友が国辱であっても、べつに不思議はない。そもそも中川議員のアルコール依存の激しさは、マスコミの常識だった。
 08年のスペイン国王歓迎のための宮中晩餐会では、「宮内庁のバカ野郎」と怒鳴って退席している。これとおなじような失態はたびたびだったが、大きく取り上げた報道はなかった。記者の批判精神は酔っ払っていたといわざるをえない。さすがに海外での記者会見では酔っぱらいぶりを隠しようがなく、海外メディアの批判報道から火がついて辞任となった。この騒動にバツが悪くなったのか、記者会見の晩に読売新聞の記者が一緒に酒を飲んでいた、と朝日新聞が暴露した。自社の記者は同席していなかった、と無罪を主張したが、いつもはどうなのだろうか。
 100年に1度の経済危機に直面している中で、財務と金融の大臣という重責を担っていた大臣が、いつも酔っぱらっていたのだから異常事態だ。
 一方、この騒動で名をあげたのは与謝野馨経済財政相である。中川議員の財務・金融相辞任にともない、なんと3つの経済的な重責を独占することになった。経済の中枢である財政と金融の分離に、大蔵省の解体が不可欠として01年に財務省と金融庁に分割したが、この経済危機にいきなりトップが統合したのだからあきれかえる。
 国会でも民主党の菅直人代表代行の質問に答え、「菅さんに代わっていただけるなら1つぐらい代わっていただきたい」と与謝野大臣も冗談をとばしていたが、国の経済を担う3つの重大ポストを独占しているのが、ご苦労様といってヤニ下がっている場合ではない。こうした与野党の退廃ぶりは度しがたい。
 すでに自民党は首相ばかりか、後任の財務大臣・金融大臣まで使命できなくなっている。ダッチロール状態である。自民党政権の退廃と崩壊のありさまが手に取るようにわかるのは、歴史の転換を見られる願ってもないチャンスだ。しかし市民生活への悪影響が心配である。
 この混乱状況で比較的まともな立ち回りを演じているのが、なんと死刑大好きで朝日新聞から「死に神」と呼ばれた、鳩山邦夫総務相だ。かんぽの宿のオリックスへの譲渡に猛然と反発、ついに白紙撤回させた。これは麻生政権が郵政民営化に批判的で、小泉内閣の民営化に疑問を呈していたこともあって、麻生・鳩山ラインで一矢報いたことにたいして、小泉は「笑っちゃうほどあきれている」と麻生を批判したが、麻生を買っていたのが小泉で、麻生は民営化に反対だったが、「賛成」といって裏では舌をだしていた。政権崩壊期は、なにがでてくるかわからない。面白い時代になった。
 かんぽの宿の問題は、大疑獄事件だ。民営化指令本部ともいうべき総合規制改革会議で議長を務めた宮内義彦の支配するオリックスに、日本郵政公社の財産である「かんぽの宿」が丸投げされるところだった。もともと税金でつくられた国民のものだ。
 この入札には最初27社が参加したが、2度の入札をへて最終的にはオリックス1社しか残らなかった。一見、公正な競争入札のようにもみえるが、2社まで絞られた段階で売却対象だった施設をいきなり外すなど、オリックスに合わせて条件を変えた不透明きわまりない入札だった。
 温泉付きフィットネスクラブとして人気の「ラフレさいたま」だけでも建設に300億円もの費用がかかっている。ところがラフレさいたまに加え、70ものかんぽの宿、東京や神奈川の社宅9物件48億円をふくめた総額2400億円の土地・建物が、しめて109億円だという。この社宅の中には3746平方メートルの土地もふくまれている、というから驚かされる。
 これこそたたき売りである。明治時代の北海道の官有地払い下げや福岡県大牟田の三池炭坑の三井資本への払い下げ、長崎の官営造船の三菱資本への払い下げなど、歴史的な不正に匹敵する事態である。歴史が繰り返されることの証明といえる。
 政治家が大資本と癒着して国家資産を「提供」する図式は、もはや日本の「お家芸」に近い。明治時代ばかりではなく、国鉄分割民営化でも繰り替えされた。東京だけではなく、大阪梅田や名古屋駅周辺の国鉄用地も安く大資本に提供された。かんぽの宿がこれだけ問題になったのは、オリックス一社に集中し過ぎたからだ。今回の問題は小泉・竹中改革の見直しだけとどまるべきではない。電電公社の民営化など、中曽根以来の「民活」も再点検する必要があろう。
 この問題でもう1つ明らかになったのは、朝日新聞の報道姿勢である。「筋通らぬ総務省の横やり」と題した社説で、朝日はオリックスを擁護。それがモノ笑いの種になっている。
「日本郵政の西川善文社長から説明を受けたが、鳩山氏は『納得できない』という。だが、理由が不明確で納得できないのは、鳩山氏の『待った』の方ではないのか。許認可という強権を使い、すでに終わった入札結果を白紙に戻そうというのなら、その根拠を明示する責任はまず鳩山氏にある」(『朝日新聞』09年1月18日)
 さらに1月15日には、「適正な手続きも大事だが、利用者からすれば、オリックスのもとで施設が再生し、使い勝手がよくなるなら何も問題はないはずだ」との記事も配信している。
 つまり決まったことに、とやかいうなという姿勢だ。これでは政治的な疑獄や不正をチェックできない。ジャーナリストとしては最悪の記事である。宮内を擁護する論文が、これだけ堂々とでてきたのは朝日新聞の裏側のヤミをうかがわせる。同時期の毎日新聞が「売却などの際の手続きを国民に広くしめし、そのプロセスもできる限り公表することが望ましい」(09年1月20日)と社説で主張していたのだから、そのちがいは歴然だ。
 ちなみに経済人に滅法弱いことで有名な日経新聞は、09年1月9日の社説で「所管大臣が入札結果に堂々と介入するのは常軌を逸している」と、朝日と大連合の砲火を浴びせた。小泉改革の戦犯竹中平蔵は、09年1月19日の産経新聞で臆面もなく、「民営化に当たっての基本精神に反するものであり、かつ政策決定のプロセスそのものに大きな弊害をもたらすものだ」とし、「今回の発言は、郵政の価値を棄損し、政策決定を族議員と官僚に有利にする効果しかもたない」と弁明している。
「改革の敵」だといい放てば、世論が沸騰する時代は終わった。小泉改革のバケの皮がはがれだした。米国が発表する「年次改革要望書」が郵政民営化の実現を求めていたことは広く知られている。今回のかんぽの宿の問題でも、外資企業の暗躍が報じられた。施設売却の財務アドバイザーとしてメリルリンチ日本証券がかかわり、最低6億円の成功報酬を支払う契約を結んでいたという。これだけのたたき売りに、米国資本がなにをアドバイスしたのか。
 結局、竹中も宮内も米国資本の回し者だったということだ。国民は貯金を狙われて、さらに土地・建物でも荒稼ぎを許した。その策動を朝日・日経連合も認めた。国家が危機の時代を迎えると、国を売る連中が増大する。日本が沈没していく泥沼に咲く毒花といったところか。(談)

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