青梅姉妹バラバラ殺人の現場を歩く
2001年7月27日、姉を殺し、遺体をバラバラにして運び出そうとしていた41歳の女性が逮捕された。27日の午前0時頃、彼女は知人の男性に「大変なことをした」と電話。自宅を訪れた男性が異臭に気づき通報したために発覚したという。
犯人の妹はチェーンソーと包丁を使い、風呂場で10時間をかけて遺体をバラバラに切断。警察が現場に到着したときは、黒いポリ袋に包まれた腕のない胸から上の遺体が6畳間に置かれていたという。また腕や下半身は冷蔵庫から発見された。仲のよい姉妹との報道もあった2人だが、その同居は1年5ヵ月で殺人という形で終焉を迎えたことになる。
殺された姉は32歳のときにお見合いで知り合った男性と結婚し、殺人現場とさほど離れていない土地に一軒家を購入した。翌年には娘を出産し、平凡で幸福な家庭を築いていた。地元のママさんバレーチームで活躍、結婚前の職業を活かして自宅のガレージをブティックに洋服を売るなど、地元でも活発な女性と評判だったらしい。
その幸福な運命がきしみ始めるきっかけとなったのは、夫の死だった。事件の2年前となる1999年7月、40歳になる夫が脳溢血で突然倒れ、そのまま亡くなった。夫の生命保険が8000万円ほど支払われており、通常なら夫の死で住宅ローンの支払いも無くなった一軒家で静かに暮らすところだ。しかし義父母の援助で建てた自宅に住みにくさを感じた被害者は、新たに自宅を購入し、1階部分をブティックにして生活する算段を立てたのである。その新居ができるまでのつなぎとして入居したのが、殺人現場となる3LDKのマンションだった。
青梅線小作駅から歩いて約15分に、現場となったマンションがある。東京都とはいえ、周辺にはまだ所々に畑の残っていた。近くの公園では30人近い子どもたちが駆け回り、マンションから数十メートル離れた図書館前では、幼い子どもを連れたお母さんたちが談笑していた。一戸建て住宅を買った若い夫婦が活発なコミュニティーを作っている。そんな印象を受けた。
小学生だった娘との暮らしに変化が起こったのは、夫の死から5ヵ月後だった。10年暮らしてきた内縁の夫と暮らしていた妹が転がり込んできたのである。しかし当初、この同居はうまくいっていたらしい。バレーの練習やブティックの仕事で家に空けることが少なくなかった姉に代わり、妹が娘の世話や家事を担当したからだ。姉と違いおとなしい女性だった妹が、恋人と別れた後に活発な姉を頼った気持ちは分からなくもない。ただ、少し奇妙だったのは、妹とともに女性の居候がもう1人増えたことだ。
彼女は妹とパソコン教室で知り合ったという。恋人の浮気で精神障害を患った彼女の話を聞いてあげてたのが犯人である妹だった。妹が姉のマンションに転がり込む前から、たびたび妹の家に泊まりに来ていた彼女は、妹と一緒に「引っ越し」してきたのである。一部では彼女と妹が恋人関係にあったと報じられた。
小学生の娘と母親、妹とその恋人。4人の女性の同居に、さらに決定的な転機が訪れたのが、事件のちょうど1年前、2000年の7月だった。女3人でボーイズバーに出かけたときである。カジュアルなホストクラブというべき「ボーイズバー」なら、豪遊でもしない限りは値段もしれている。安いところなら1人1万円もしないで飲める。
夫の一周忌前後にあたり、彼女たちにとっては軽い憂さ晴らしのつもりだったのだろう。しかし姉は、この遊びにはまる。連日のように通い続け、1回に10万単位のお金を使ったという。金銭を管理していた妹は、姉の散財を注意し続けた。しかしバー通いは止まらない。それどころかバーの店長と半同せい状態にまで発展、自宅に戻らない日々が続くようになった。
そして新築の建築代の支払いにも困り、姉が父親の不動産を売ろうと言い始めたことで妹はキレる。久しぶりに返ってきた姉の首を腰ひも絞め、布団に顔を押しつけて窒息死させたのである。
このマンション、現在の賃料は7万1000円、共益費が3000円となっている。事件の起きた7年半前に比べ、値段が下がっているといっても10万円を超えることはなかったろう。1ヵ月に20日ボーイズバーに通い、10万円ずつ使っても月200万円。家賃の10万を入れて50万で生活しても、年3000万円しか消費できない。保険金も5000万は残る。どれほどの自宅を購入したかは分からないが、小作周辺で4000万円台でかなりの家が買える。やはり姉はかなりのお金をバーにつぎ込んでいたことになるだろう。
それにしても不思議なのは、どうしてここまで彼女がはまったかであり、妹がどうして姉を殺さなければらなかったのかである。その1つの答えは「寂しさ」だったように思う。
現場周辺を聞き回ったが、その姉妹を詳しく知る人はいなかった。ある中年女性は「一軒家に住んでる人はマンションの人とかと付き合わないからね」と話した。実際、マンションの横に住む住民も犯人のことを知らなかった。図書館の周辺で談笑していた主婦グループも、事件そのものは知っていても被害者と犯人の姉妹については、「分からないですねー」と首をかしげた。
家庭があって、子どもが居て、一戸建てに住む。そんな「当たり前」の生活が、この地域のコミュニティーに溶け込む「資格」なのだろう。
姉には子どもおり、ママさんバレーの仲間だっていたはずだ。しかし夫が急死した妻は、そのコミュニティーに居続けられたのだろうか?
妹は内縁の夫を失い、同居していた女性は恋人の裏切りから精神のバランスを崩していた。つまり3人ともぽっかりと空いた心の穴をふさげない状態だった。
妹は新居で暮らすのが夢だったという。その夢が壊れることに耐えられなかったのが動機の1つだと伝えられている。妹が果たしたかった夢、それはいびつな同居ながらも家族が楽しく地域に溶け込んで暮らすことだったのではないか。
一方、同居していた女性は死体遺棄を手伝った理由について「(妹を)尊敬していたので、助けようと思った」と語っている。彼女にとっての妹の存在はそれだけ大きかったのだろう。
妹は新居に抱いた期待で、同居女性は妹の存在で、そして姉はボーイズバーでの憂さ晴らしで、どうにか現実と自分を結びつけていた。その糸は保険金が底をつくと同時に切れ、一気に殺人事件へとつながっていった。
姉がボーイズバーの店長の自宅に泊まり込むようになっても、子ども面倒を見続けた妹は、子どもが集うマンション近くの公園をどんな思いで眺めていたのであろうか。夕暮れの公園を見ながら、そんな感傷にとらわれた。(大畑)
| 固定リンク
「 あの事件を追いかけて」カテゴリの記事
- 『あの事件を追いかけて』無事、書店に並びはじめました(2010.07.30)
- 写真展「あの事件を追いかけて」終了!(2010.07.19)
- 再び告知!『あの事件を追いかけて』出版記念写真展開催(2010.07.09)
- 「あの事件を追いかけて」写真展開催!(2010.06.18)
- 「あの事件」のツイッター始めました(2010.06.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント