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2009年2月27日 (金)

ロシアの横暴/第12回「宗教の自由」があったソ連、宗教と癒着するロシア(下)

 ソ連国民の宗教に対する感覚とはどういうものか、私が見た限りの例を挙げてみる。広いソ連のある日のあるところを見ただけだからこれがすべてとはもちろん言わない。

 ロシア正教最大の宗教行事は復活祭である(ロシアに限らずキリスト教の最大行事は復活祭)。13日の金曜日に磔にされたキリストが翌々日に復活したというので、復活祭はかならず日曜、ロシアでは4月の第3日曜日が復活祭と決まっている。
 この日はどこの家も復活祭のケーキや卵(ゆで卵に聖句や聖像を描く)を作り、家族揃ってお墓参りに行く。酒やたばこを覚え、ワルの仲間入りをし始めた青年もこの日ばかりは家に戻って来る。人々の会話も電話も「主はよみがえりたまえり」という挨拶ことばから始まる。そんな人々がいくら無神論が原則といったってイコンを燃やしはしないだろう。
 20年以上も前のことだが、「神々のいない国」という題のNHKスペシャルでモスクワ近郊のスズタリザゴールスクにあるロシア正教総本山の様子が映されたことがある。スズタリザゴールスクは古都で観光名所として日本の旅行会社も「古都巡りコース」に指定して紹介している。このスペシャル番組は宗教についてのシリーズもので、「神々のいない国ソ連」で総本山に詣でる「おびただしい数の老若男女」が十字を切りながら祈りつづける姿を映していた。
 この番組の趣旨はともかく、「神々のいる国」の信仰の様子と「神々のいない国」の様子とを対比させていたように記憶している。「神々のいる国」の神はほとんど政治と商業にもてあそばれているのに対して、「神々のいない国」の神は神として敬われているという不思議な現象をレポートしていた。宗教の自由がなければ総本山詣りはできないはずである。
 ソ連の有名な心理学者に「条件反射」のパブロフ博士がいる。パブロフ博士が敬虔な正教徒であったことは日本では知られていない。というより、自然科学者が宗教を持つなど考えられないようで、誰も話題にすらしない。ほかにもいろいろな分野のいろいろな人物が宗教を持っており、しかもソ連政府はそのことに介入していない。つまり宗教の自由があったことになる。学術文化の著名人だから特別扱いした、彼らに宗教弾圧を加えたら西側に攻撃材料になるから容認していた、という見方もできる。でもそれならばキリル総主教がレニングラード神学校に学んだことの説明はできなくなる。
 実はスターリンも帝政時代の神学校に入っている。のちに「革命思想」で退校になった。政治と宗教が一体になることの弊害が身にしみたことだろう。

 ここで「宗教はアヘン」を解釈してみよう。日本ではアヘン、すなわち麻薬であるが、ものの本によるとマルクスのいうアヘンは医薬品としての「痛み緩和剤」だそうだ。信仰があれば苦しみを緩和できるというわけで、現在も信仰を持つ人はそのように使っている。それがいつの間にか麻薬としてのアヘンが一人歩きしてしまったようだ。西欧とはちがう宗教観を持つ日本で特にその傾向が強い。
 レーニン主義が無神論を原則とし政治と宗教を分離したのは、政治と宗教が癒着すれば痛み緩和剤であるはずの宗教がほんとうに麻薬として使われることを警戒したから、と私は思っている。このことは西欧烈国(特にイギリス)がアジアを支配するのにアヘンを使っていたことをみれば容易に理解できる。スターリンは自らの体験から宗教と国家が結びついたら自由が制限される、と考えたのだろう。
 政教分離はすなわち無神論ではない。学校教育や公共の場では宗教について教えない、語らないだけであって、信仰を持つのは本人の勝手だ。日本でも寺のお世話になるのは盆と彼岸、葬式のときぐらいになっているのと同様、革命を経て衣食住もある程度整えば痛み緩和剤としての宗教もさほど必要でなくなる。
 見解の相違はあるとしても近代国家とか民主主義とかを標榜するのであれば政教分離は絶対条件といえよう。ソ連は革命後かなり強引に政教を分離させたが、近代国家の仲間入りをするのに必要な政策だったからだ。
 ただし、ロシア正教に対しては政教分離の原則に従って肩入れもせず、弾圧もせず黙認状態だったのが、ペレストロイカ以後は他宗教、特にイスラム教に対して弾圧をするようになった。これは宗教弾圧ではなく異民族を力で支配しようとしたからで、ロシア政教と政治権力が再癒着したことを物語っている。
 政教分離のソ連が崩壊すると、レーニンやスターリンが懸念したとおり、宗教を政治に利用したい輩が政治に宗教を取り込むようになった。故アレクシー主教はチェチェン戦争に駆り出された兵士を「痛み緩和剤」で祝福し、お陰で兵士の方は本物の麻薬中毒になって人生を狂わせていった。
 政治は宗教を利用したがり、宗教は政治と癒着したがる。ゴルバチョフが「宗教改革」をしたのは宗教は個人の心の問題だからではなく、自分の政策をうまく進め、人気を上げるのに宗教を利用したかったのであり、プーチンやメドベージェフがキリル新総主教の就任式に列席し祝辞を贈るのは、信仰心ではなく国民をヤク中にして効率よくに支配したいからである。神々のいる国の神はそんなものである。(川上なつ)

 

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