靖国神社/第11回 靖国神社 遊就館レポート!(上)
靖国神社の数ある施設の中でも何かと槍玉に上げられる遊就館。
戦争を賛美する内容の展示物が多いのは確かだが、この施設ほど堂々と兵器を飾り立て、パネルのそこここに「自衛のための戦争であった!」と断言するのを目にしていると、実際にそういう時代もあったのだという見方が出来るならば、これはこれで希少価値ある施設として日本に1つくらいあってもいいのではないかとも思えてくる。
遊就館のコンセプト全てに諸手を挙げて賛成しているわけではない。ただ、日本が行ってきた戦争の記録は残されるべきだし、不幸にも犠牲になった人々(「英霊」は靖国語なので使わない)のことは忘れられるべきではない、というあたりのこの施設のメッセージは間違ったものではないと思う。
とはいえ、やはり戦争賛美だ、と批判されても不思議ではない雰囲気というかテンションというか、そんなものが遊就館に満ちていることも事実だ。
館内のある部屋では、第二次大戦中における日本軍の中国大陸侵攻の経緯を追ってゆくビデオが上映されているが、バックミュージックにはワーグナーの『マイスタージンガー序曲』が使われている。
1868年にドイツで初演された歌劇『マイスタージンガー』自体は戦争とは縁のない話だ。それでも、曲調は聴く者をどんどん高揚させてゆくようなものなので、ビデオに「とうとう○○を陥落!」と熱っぽいナレーションが入ると、曲調とナレーションの相乗効果で観ている者の「やったぜ!!」という気持ちをあおるような内容になっている。
このような戦争礼賛気味のビデオがいくつも流されており、高齢の人たちが熱心に映像を眺めている様子はいつものように見られる。
さて、そんな「靖国的日本史」の記述の一部に対し、アメリカ側からNOの声が突きつけられた。靖国神社はこれに応え、年中に記述の内容の修正をすることをほぼ決定している。
アメリカが批判したのは「ルーズベルトの大戦略」と題された展示の、以下の部分。時代は不況下のアメリカである。
「……ルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を禁輸で追い詰めて開戦を強要することだった。(日本の)参戦によって、米経済は完全に復興した」
修正では、タイトルを「ルーズベルトとアメリカの大戦参加」とし、記述から「開戦を強要」と「米経済は完全に復興」が削除される見込みだという。たしかにこの文言はすごい。これでは、米経済が日本の戦争参加によってのみ復興したように取れてしまう。
今年7月に米駐日大使、後にアーミテージ元国務副長官が相次いで記述のような歴史観を批判、9月には米国内の下院国際関係委員会でも、委員長のハイド氏という人物が批判。
さらに驚くのは読売新聞(06年10月7日付)によれば、神社関係者からも「客観的な内容としてふさわしくない」との声が上がっていたという。
一方で、中国・韓国から散々批判されている「旧日本軍の行為正当化」「間違ったアジア史観の記述」といった声に対しては今のところまったく動きナシ。
これってどうなんだろう。あからさますぎやしないか、とこっちまでヒヤヒヤしてしまう。実際に遊就館に行ってみたところ、11月21日時点では展示に変更はされていなかった。特に注目して見ている人もとりあえずはいなかった。意外と今回のような小さな部分から火が広がりそうな予感がするのだがどうか。この後の動向をチェックすることにしよう。(宮崎太郎)
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コメント
こんにちは。
論じられた主旨とはあまり関係の無いことであるかもしれませんが、気になることがあります。戦争の死者を「犠牲者」と意味づける点です。ここでは、「不幸にも犠牲になった人々(「英霊」は靖国語なので使わない)」と書かれています。
ご承知の通り、「犠牲」という語は宗教に由来する言葉です。
犠牲とは基本的に犠牲獣のこと。したがってそこにはその犠牲獣を捧げて祈る犠牲祭の願主がいて、司祭がいて、犠牲獣を受け取り願主に恵みを与える神がいなければなりません。
戦争の場合、戦争遂行が犠牲祭に譬えらていると思います。
戦死者たちが「犠牲獣」であるとして、それなら、願主(戦死者を捧げてその結果恵みを受ける層)は誰なのか?
その願主に恵みを与える神(戦争遂行に伴う戦死を認め、戦死者を自らへの捧げ物として受け取り、恵みを与える者)とは誰(何)なのか?
また戦争を遂行する司祭は誰なのか?
このようなことを考えた上で「犠牲」という比喩表現を使うのが望ましい態度だと思いますが、いかがお考えでしょうか?
私は安易に「犠牲」ということばを使うべきではないと思います。
はなはだしい誤解は「戦争犠牲者のお陰で今日の繁栄がある」という戦争観であると思います。これでは、戦後の国民が自らの利己的利益(戦後の繁栄)のため、戦死者(多くの場合肉親)を犠牲として(誰かに)差し出した、冷酷で自己中心的な人々ということになってしまいます。また、これでは、「大東亜」戦争を指導した人々が戦後の国民(臣民ではない)のために戦争を開始したことになりますので、史実とも異なることになります。
勿論15年戦争をはじめた軍部は天皇の軍隊であって臣民の軍隊ではなく、ましてや戦後の国民のための軍隊であろう筈がありません。15年戦争は「神聖天皇のため」という名目で戦って失敗したのです。その失敗の被害者が戦死者であろうと思います。
端的に言えば、大多数の戦死者は、神聖天皇のためという名目で、時の政治家や軍人達により、戦争に引き出されて殺されたのです。この構図で「犠牲」という言葉を使うのであれば、戦争を準備し遂行した指導者達が司祭であり、神聖天皇と神聖天皇を利用する取り巻きが利益を受け取る願主であることになります。神はさしずめ天皇の先祖神でしょうか。このように考えれば、「不幸」を臣民に強いた加害者が誰であったのかが明確に描かれることになりますので、遊就館の反国民的性格(国民に犠牲獣になることを求める願主の代行としての役割)がくっきりと示されることになると考えます。
よく言われることですが、兵士は軍馬よりも安い戦力として扱われたそうです。これほどバカにされた大多数の兵士達が「靖国の神」(英霊)として過去に利用され、これからも利用されていくことこそ、記憶されるべきことではないでしょうか?
投稿: timira | 2009年2月11日 (水) 09時25分