« 新聞崩壊の影響を考える | トップページ | 冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 書評『わたしの葬儀』 »

2009年1月 3日 (土)

レンゾ日本26聖人記念館館長、列福式を語る

Photo長崎駅から徒歩10分。急坂を上がると、26体のブロンズ像が出現する。裏手にはザビエル自筆の書簡も展示する日本26聖人記念館が控えている。ここを若き日の遠藤周作が『沈黙』を完成させるために何度となく立ち寄った。館内には今もイエズス会士がいる。名はデ・ルカ・レンゾ神父。福者の調査に携わってきたアルゼンチン出身の聖職者が舞台裏を語った。

Photo_2  本文 17世紀中ごろ、バチカンは徳川家光時代の日本人の殉教者を列福する動きを見せたが、決まらず、鎖国状況下で散った最後の宣教師・ペトロ岐部らの名は人々の記憶から消えた。爾来、450年、さる11月24日、ついに、日本各地で殉教した144人が長崎市で列福された。
 列福の条件は、生前の徳と聖性を確認できること。その人物の足跡を地元で徹底的に調査し、その後、ローマ教皇庁の列聖省が調査・審議した上で、最高位の聖人に次ぐ呼称を得る。近年ではマザー・テレサが列福された。
Photo_3 「アルゼンチンにいたころ、日本の時代劇を見たことがあった程度です。そんな素朴なイメージしかなかった。目上が『日本に行きなさい』というので来ました」
 と語るデ・ルカ・レンゾ日本26聖人記念館館長の日課のひとつは、連日100人近い入場者に展示物の解説をすること。そして、17世紀のローマへ出されたイエズス会の報告書を翻訳すること。
 日本ではフロイスらイエズス会士の報告書が有名である。しかし、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施したヴァリニャーノ・イエズス会巡察師がローマに送った報告書も完訳されずにローマのイエズス会本部やバチカンのアーカイブに遺されている。現代日本語と古文ほどは差がないが、中世のスペイン語とポルトガル語は現代のそれとは異なる上に、報告書が手書きなので判別が難しい。
 レンゾ神父が聖職者の道を歩むために、ザビエルゆかりのイエズス会に入会したのは17歳。ブエノスアイレス北方のエントレリオスで農業と牧畜を営む家で5人兄弟の1人である。妹さんもシスターになった。「親類に良い神父になった方がいて、子供のころから憧れていました」
 アルゼンチンを出たのは21歳。1985年、東京に着くと、2年間、日本語を学習して、大船で司牧経験を経て、上智大学で神学を研究。長い修練の果てに晴れて司祭となったのは日本だった。叙階後、大内義隆の宗教政策をテーマにして、九州大学大学院国史学科を修了。長崎に来て、前館長の右腕になった。
 列福された188人の遺骨の一部は日本26聖人記念館に安置されている。
「中浦ジュリアンのように磔にされて役人に遺骨を海に捨てられたケースもあります。遺骨をマカオなどに持ち出した信徒と海の向こうで保管していた信徒の献身的活躍がなければ、1995年にマカオから遺骨が里帰りすることはありませんでした」
 長崎か東京か。バチカンのナンバー2の教皇代理を迎える前、日本の司教団の中でも意見が分かれた。日本で福者が出るのはこれが最初で最後になる。
「カトリックのPRをする計画ならば、東京でしたが、最後に長崎が残りました」
 司教団内部での連日の議論の果てに、列福式が長崎に決まると、海外からも入館者が急増した。一番多いのは隣国の韓国から。ほかにもフィリピン、インドなどから。
 長崎は、16世紀に大村藩から寄進を受けて、イエズス会がゼロから開拓した街である。幕末にフランス人神父がフランス人船員のために教会を作るまで、
 七代すれば神父様がまた来てくださる。
 そう本気で信じて、祈りを継承させ、300年以上鎖国下で迫害を耐えて、法王の使者を待ち続け、19世紀末、西洋世界を驚嘆させた隠れキリシタンの地が長崎だった。
 欧米の宣教集団が赤化した中国を離れ、戦後の日本に流れ込んだ時代がある。イエズス会だけでも年に15人から16人の宣教師が来日していた。戦後60年以上、教育・医療などの分野で日本社会に貢献してきたが、その当時の体制で、学校、教会、研究機関の維持は難しい。
 イエズス会の門を叩く日本人は年に1人か2人はいる。信徒数は50万人程度。一方、アルゼンチンの信徒数は3000万人。それでも毎年5人か6人しかイエズス会入会者が出ない。それを考えると、高齢化と世俗化が進む日本の教会の現状にも突破口はあると見るレンゾ神父の座右の聖句は「重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28) 。26聖人に続いて、188人の福者が聖人になる日は遠くない。その日を見据えて、レンゾ神父のさらなる研究は続く。(李隆)

【参考資料】
AFP通信が報じた列福式

◆12月26日(日曜日)にNHK・ETV特集が放映した列福式特別番組

長崎26聖人記念館について

イエズス会について

◆ビエルはアジアを担当したが、そのころ同時に、アフリカにも南米にも宣教師がいた。南米・パラグアイのインディオを宣教した当時のイエズス会の史実を潤色して名画になったロバート・デ・ニーロの代表作「ミッション」

◆カトリック中央協議会の列福式の記録動画

|

« 新聞崩壊の影響を考える | トップページ | 冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 書評『わたしの葬儀』 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: レンゾ日本26聖人記念館館長、列福式を語る:

« 新聞崩壊の影響を考える | トップページ | 冠婚葬祭ビジネスへの視線/番外編 書評『わたしの葬儀』 »