ホテルニュージャパン火災後の廃墟/第24回 バスルームに2つめの便器!?
この写真は前回の便器の隣にあったものだ。写真左角近くの茶色の円筒形の部品は、前回の写真でも紹介した天井から落下したダウンライトの本体部分である。
写真中央は一見すると便器に見えるが、じつはビデと呼ばれる洗浄専用の器具だ。ホテルニュージャパンが開業したのは1960年。4年後に控えた東京オリンピックをにらみ、外国人客(特にヨーロッパ)を見込んでの設計だった。
日本で「ビデ」という語が広く知られるようになったのは、1980年代の温水洗浄便座(ウォシュレット)販売以降といわれている。つまり建設当時、多くの日本人には使用法も分からない器具が部屋に設置されていたことになる。(現在の温水洗浄便座の「ビデ機能」と器具としての「ビデ」は主目的や機能が異なる)
このビデについて、ニュージャパンの建築や内装に詳しいKBさんは次のように教えてくれた。
「このビデは東陶B5型で、当時は田園調布などの大邸宅か、ごく限られたシティホテルにしかなかったそうです。高級なシティホテルでも、米国流に作られたところにはビデはありませんでした。当時でも、レアだった器具がニュージャパンには備わっていたことになりますね」
内装デザインは剣持勇氏が担当。当時の日本を代表する工業デザイナーの手による内装は評価が高く、現在も人気がある。このビデなども、かなりの高級品が使われた可能性が高い。(バスタブの水栓や便器の洗浄ハンドルも、現在見られる金属ではなく、陶器をコーティングしたものであった)
すでに黒いタイルようにしか見えないが、もちろんこれはスス。床を埋め尽くしているのは落下した天井パネルである。(大畑)
写真中央は一見すると便器に見えるが、じつはビデと呼ばれる洗浄専用の器具だ。ホテルニュージャパンが開業したのは1960年。4年後に控えた東京オリンピックをにらみ、外国人客(特にヨーロッパ)を見込んでの設計だった。
日本で「ビデ」という語が広く知られるようになったのは、1980年代の温水洗浄便座(ウォシュレット)販売以降といわれている。つまり建設当時、多くの日本人には使用法も分からない器具が部屋に設置されていたことになる。(現在の温水洗浄便座の「ビデ機能」と器具としての「ビデ」は主目的や機能が異なる)
このビデについて、ニュージャパンの建築や内装に詳しいKBさんは次のように教えてくれた。
「このビデは東陶B5型で、当時は田園調布などの大邸宅か、ごく限られたシティホテルにしかなかったそうです。高級なシティホテルでも、米国流に作られたところにはビデはありませんでした。当時でも、レアだった器具がニュージャパンには備わっていたことになりますね」
内装デザインは剣持勇氏が担当。当時の日本を代表する工業デザイナーの手による内装は評価が高く、現在も人気がある。このビデなども、かなりの高級品が使われた可能性が高い。(バスタブの水栓や便器の洗浄ハンドルも、現在見られる金属ではなく、陶器をコーティングしたものであった)
すでに黒いタイルようにしか見えないが、もちろんこれはスス。床を埋め尽くしているのは落下した天井パネルである。(大畑)
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